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燕雀鴻鵠  作者: 見城R
6/22

2−3

周雲の冷たいながら、詰問する調子、

怒っている。

そういう声色が奏でる。


「貴方は何を考えているのだ」


「……」


「どうしてこのような…説明をしてください、どうしてなのですか」


「……」


「なぜ、新戸籍の報告をしなかったのですか」


3ヶ月が過ぎている。

そして、初めて衝突した。

影翁はこの日をどれ程待っただろうか、この二人が三ヶ月もの間、

何もなく平穏に過ごしていたことがおかしいのだ。

悪びれた風もなく、黙って県令のイスに座ったまま、

激昂する周雲を冷ややかな目で見上げている。


「落ち着きなさい」


「できませぬっ」


っち、思わず舌打ちをしてしまう墨寧。

熱くなった子供ほど、扱いに困るものはない。

そういう表情で、煙たそうに周雲を適当にあしらおうと必死になっている。


「もう三ヶ月も、そうだ、三ヶ月の間集め続けた余剰分の税はどこへお移しになられたっ」


「なぁ、周雲殿」


「返答願いたいっ」


「……お前、五月蠅い」


ほう?

周雲が今度は冷たい瞳で墨寧を見つめる番となった。

初日から胡散臭いという気持ちを持って、

殊更細かく、墨寧の仕事ぶりなどを観察していた。

取り立てて怠惰なところもなく、真面目に、そつなくこなしている。

凡庸な人間なのやもしれぬ、そう思って、


「その台詞は、私が以前の事業の続きについて申し上げた時にも、おっしゃられましたな」


何度も、周雲は様々な観点から事業について説明をしていた。

墨寧の足りないところを補うように、手助けするのが役目だろうと信じての行動だった。

地勢調査、測量までを、自力で行ったところもあったらしく、

提出された計画書は、中央政府あたりでも大喜びで採用するほどだろう。

だが、ここは地方だ、そして役人が墨寧、さらにこの土地の民を肥やすなとの達しがある、

それを彼は知らない、だから、

提案をしても聞き入れない上司、相談もなく勝手なことばかりをする上司、どうやら無能らしい上司。

そうやって周雲が墨寧のことを判断したのは、仕方ないことでもある。

だが、それとは現状、まったく別の問題が発生している。


「まさか…と遠回しに言うのはよしましょう、3ヶ月の間、貴方は横領をしていたのですね」


「………」


墨寧はまだ黙っている、先ほど一度言い出そうとしたが止められたような具合だ。

3ヶ月間、観察を続けていたのは周雲だけではない、

その逆に墨寧も彼を見続けてきたのだ、その上で翁に、

あれはとりあえず使えるな、

とだけ漏らしている。

そうでなければ、近い内に不慮の事故が起きていたことだろう。

乾燥地帯だから火もよく回るし、それはそれは大変なことになっただろう。

むしろ感謝して貰いたいがな、墨寧の中ではそんな調子だ。


二人はこれまで、腹を割って話すような機会は当然無かった。

三ヶ月間を短くまとめると、

周雲は仕事に明け暮れ、

墨寧は不正に明け暮れていた。

周雲が指摘した横領については間違いのない事件だ。

『県令が住民の数を偽り、実際よりも少額の納税をし、残った分を着服していた』

まぁこんなところだろう、愛すべきゴシップ雑誌なら、

『横領でおりょりょ?県令がしらばっくれて税金着服』

みたいなことになるんだろう、余談だがこのコピー作った奴は才能無い、

仕事を変えたほうがよさそうだ。


「これは中央へと報告をさせていただきます、ただし、全てを元に戻されたら控えましょう」


「……」


「そしてこれからはそのような事をせぬように…」


説教、いや、説得を始めている。

上司の不正を見つけて、そこをなじってどうするかと思えば諭すとは、

不思議な男だ、そういう瞳で墨寧は周雲を見ている。

なぜ、その弱みで強請ったり、もっと都合のよい方法を思いつかないのだろうか。


「それとも、何かあるのですか?不正を働いてまでの何かが」


「考え違いをしているな」


「と言うと?」


初めて会話になった。

周雲はようやく会話の場に降りてきたこの男を逃さぬように、

まくし立ててまた閉じこもらせないように注意深く、

相手の言葉を引き出す質問を選ぶ。


「納税といえども所詮は現物、しかも米などではなく獣の肉などだ、これをどれだけ納めようが、

政府は何も言わぬ、むしろ、邪魔だと思うだろう、特に下役人はこれらを税として認めるために、

大変な手間がかかるからな、面倒臭いのだ」


「はは、それが仕事ではないですか、県民が頑張って蓄えたものを有り難がらないなどと」


「有り難いわけがあるか?お前今時、干し肉だぞ?貨幣が全ての代替となる世の中で、そりゃねぇだろうがよ」


「話がそれてます、それと横領の筋が見えませんよ」


ぴく、墨寧は笑いを止めた。

確かにそうだな、その指摘はもっともだと受け止めた。

ムカツク奴、そうも思うが怒り狂っていても冷静な指摘ができる、

いわゆる頭のよい男だと評価し、危険を感じ取っている自分にとってどうかと、

墨寧は話を戻す。


「だから、現物を毎回納めるなどと馬鹿なことは辞めるべきなのだ」


「まさか、脱税せよと?」


「そうではない、よく聞け、この土地の重要な部分だ、お前は頭がいいから不思議と思ったこともあろう、

どうしてこの土地は免税されていたのかということ」


「それは、この土地なりでは税をとること自体が難しいからでしょう」


「違う、この場所は脱税し続けることに意味があるのだ」


「??意味がわかりません、それでは住民は何もせぬ内から罪人になって…まさか」


「お前も知っているのだろう中央で忌み嫌われているこの土地の現状を」


それは違う、それは貧しいから仕方なくしているのだ。

それが、周雲のいつもの答えだった、だが、今の話の流れで、

その台詞を反射で吐き出すことはできなかった。

頭の中で、無理矢理納得していた出来事の本質が見えたように思えた。

自分の育ちという体験も伴うから、なおのこと色濃くその真実が強く打ち出された、

中央が理解せぬ無能の政治ではない、わかった上で放置した政治なのだ。

一瞬怯む、そしてその様子を墨寧は逃さない。


「国がそう決めているんだ、だから納税する必要もない、むしろ害悪だ、お上を困らせる」


「……」


「さらに俺は先日やってきた特使から、この県の民を肥やすなと言われているんだ」


「!!…そ、そうだったのですか」


黙る側、静かになる側が周雲となった。

重たい表情で立ちつくすようにしている、

墨寧はさらに続ける、


「だが、納めてはならぬ場所、もともと納めることすらできぬ場所からそれらを調達することは大切だ」


「……」


「それは統治の人間の質が高く評価される、あと三ヶ月もすれば、

お前もはれてこの場所から異動できよう、だから少額のみを納めることとしているのだ、

その為には県民が増えたことを報告するのは邪魔になる」


嬉しそうに墨寧はそう言った。

墨寧はこの後、彼を気に入らないとしつつも、その能力を買って、

なんとか手元に置いておくかと考えている。

その相談を切り出すつもりだった、しかし、その先、


「待ったっ、また話がずれている、横領した税はどうされたのですか?」


「ああ?、納める必要の無いものだ、当然軍資金とするため俺の懐にだな」


「それは、今の話とは全く関係のない、不正ではないですか」


「……」


「その分は、早く県民へとお返しください…せめて、それくらいは」


「お前は、本当に阿呆だな」


「何を」


「国からいらぬと言われた奴らの肩を持って、お前になんの得があるというのだ?」


「本気で仰っているのですか?」


「こっちの台詞だ、お前頭おかしいんじゃないか?なぜお前が県民の心配をするのだ、

世話になった親族でもいるのか?」


真顔で墨寧はそう訊ねた。

周雲は決定的なものをここに感じ取った。

この男は無能なだけではない、悪人で、最低の男だ。



少し時間をさかのぼる、上記会話に至るまでの墨寧の行動、

それまでの3ヶ月間のこと。


「墨寧様、空けてよろしいのですか?」


「ふん、帳簿見直すなんてそんなこたぁしねぇよあいつは」


「あの若造を気に入っておいでで?」


「使い勝手がよさそうだ、頭はいいが、賢くない」


「剣呑剣呑」


影翁と二人で、長い道を歩いて省令のところまで荷物を持っていく、

これは1度目のこと。


「なんだこれは」


「お約束の税でございます、特産もなにもないですが、特に役立たず国の貴重な空気を拝領いたして、

生かして戴いておりますことにせめてお応えできればと」


海よりも深いというか、低いというか、

そういう姿勢からの言葉で、墨寧はにやにやと小役人にそれを渡す。

そのすがら、じっと相手の動きと表情とを見ている。

既に妖しいとは思っていたのだ、こんなもん貰って嬉しいだろうかと、

干し肉は、その中でも一番大きい、つまり価値が高いであろうが邪魔なものにした。


「面倒なもんを持ってくるな、どうせ大した額にもならぬというのに」


「いや、しかし前回はこれで農具などを中央より頂けたとか?」


「はぁ?ああ、貴様新任の奴か、あれはな中央で農具が投棄されていてな困っていたからやったのだ」


「ほう」


口の軽い男だ、これは出世できんな。

墨寧だけでなく、影翁もそう思った様子だが、

こちらとしては有り難い、もう少し面倒をさせて、色々喋らせよう。

隠しておいた、秘蔵、でもないが、酒をそっと差し出した。

ロコツに目の色が変わる役人。


「お手間を患わせるつもりは毛頭なかったのですが、地方の役人を仰せつかった以上は納税は職務ですので」


「そうか、ま、仕方あるまいな」


「さて、現物となりますと、額としてどうでしょうか、足りておりますか?」


「ふむ?それは、貴様の帳簿の通り、相場に換算して間違いが無…」


「よぉく、お確かめください、足らぬようでしたらこちらの酒をさらに納めさせていただきますので」


しばしの沈黙、そしてようやく、


「おおっ、そうか、確かに足らぬ、足らぬなこちらも戴いて、あ、いや、確かに預かろう」


「そうでありましたか、いや、良かった、しかしこちらもお邪魔となりますかな?」


「なに、私がしっかりと帳簿につけておいてやろう、労苦を惜しまぬ勤勉な公人ぞ」


「なるほどなるほど、ならば、次回からはこちらをお持ちできるようにしましょう」


「ふむ、重畳である」


それくらいにしておこう。

墨寧は、また低く低くお辞儀をしてそこを後にした。

そしてしばらく時間を置いてから、影翁をそちらへと向かわせた、

案の定、酒に酔って寝ている役人を発見する。

ぺちぺち、数度叩くが動かない、当たり前だろう、墨寧が持ってきた酒だ、

さぞゆっくり眠れるに決まっている。

それを確認してから、税の類が保管されている場所より、

幾ばくかをかすめとることもしたが、

本命である、省管理の調書を引き出すことに成功した。

帰り際に置いてあった筆でデコに「不能」と書いて逃げてきた。

「無能」よりも、男子にとってショックの大きいいたずらである、流石翁、老獪な出来映えだ。


「省庁というから、いかほどかと思ったが」


「そうですな、正直、曹蓋の屋敷の方が厚かったように思われます」


その名前に一瞬だけ顔をしかめたが、墨寧は、

手に入れた調書に目を通す。

この省が管轄する県は辺境ばかりだ、その最果てが岩倉県となっている。

その過去について、また、前回の納税の対応について記録が残っているはずだと、

丹念に書類を調べていく。


「ありましたか?」


「おうよ」


そこには下記の通りである。

『岩倉県より納税あり、郡令への報告をする。

税の内容は干し肉と僅かな穀類、金に値せず。』

『郡令より命令あり、納税を受理し見返り褒賞として農具を与えることを許す。』

『至急、岩倉県の状況捜査を開始、しばらくの監視を義務づける。』

『近日中に県令は左遷させる、元へと戻すよう布くべし。』

箇条書きの日記めいたものだが、おおよそは上記の通りだ。

もう少し細かく数字などもあったが、意味は無いだろう、

墨寧はその文章と思った以上に手の早いことに驚いた。

上記のやりとりがわずか7日の間に行われたらしい、

郡令が地方の一県にこれだけ入れ込むとなると、やはり裏があるのだろう。


「しかし、嫌われておりますな」


「からくりは知らぬが、まぁ、あそこを貧しくしておいて罪人を作っておくことが必要なんだろう」


「罪人を作る?」


「納税せぬものは罪人だ、中央に居る岩倉県出身者は県を抜けて出ているんだ、

その時に納税の過去が無ければ、最初から罪人になると決まっている、

それでどんな得があるのかわからんが、お上はそれが必要なのだ」


「なるほど、さて、どうされますか」


翁はにまりと笑った。

その笑いが示すのは『監視』があるという項目についてだろう、

それは厄介だ、そしてもう一つ気に懸かるところがある。


「県令をトばす原因が納税にあったのは解るが、なぜ俺だと思う」


「さて、嫌われましたからな、嫌がらせでしょう」


「ならばここでは無かろう、ここまで気に掛けている土地だ、あり得ぬ」


「そうですな、見てみると懐かしい林隣県からもちょろちょろ書状が届いている様子」


「そうだ、この省もやはり宰相派のはずだ、そこに嫌われた俺が置かれたということは」


「まぁ、先日の使いを見ましても、これは中央、天帝派からの差し金ですかな」


脈ありと見た。

願掛けのようにして墨寧はその事実を胸に刻んだ。

そうでなくてはならないのだ、先日の天帝派だと名乗る使いの口振りからすると、

コッパ役人では、まるで派閥に使われることはあっても取り込まれることは無いと悟った。

あくまで奴らを振り向かせなくてはならない、

ただ、少なくとも興味を持つ何かは植えてきた、だから俺はこの県にいる。

そう信じることにして調書を閉じた。


「一発目にして大収穫だったな」


「その様子で」


かくして、一月目の納税は済んだ。

そして二月目の納税の時、


「これはこれは、本日もお手を患わせること申し訳ございませぬが、月例の納税に参りましてございます」


「ふん」


相変わらず馬鹿にしているかのような腰の低さで墨寧が、にやにや笑う。

目の前の役人は、前回の件で叱られでもしたのか、

墨寧の顔を見るとロコツに機嫌を損ねた。

しかし、それは解っているところ、すぐに納税と見せてもそっと良い物を見せる。


「ほう」


「いつもの干し肉もありますが、今回はいささか数が少のうございます、

そこで来るすがら酒を売りまして金子と変えて参りました、

先月は酒をお持ちすると約束しましたが、

違えてしまい申し訳ございませぬ、どうですか、足りますか」


「早速検分しよう」


と言いながら、既に肉には興味を示さずその金子をじっくりと検分している。

その出所が、強盗から来ているとは知らずに役人は喜び顔でそれを見ている。

来る途中で、いくつかの強盗めいたことをしてきた。

翁が慣れたもので、さっさと片づけて来ている。

無論その男が、見張りに付けられていた男だと知ってやった、

この殺しについては追求される筋合いがない。

それでも、事故に見せかけることだけはしてきている、

直にバレるだろうが知ったことではない。


「足らぬな、これでは」


強欲が瞳に写っている、墨寧と翁はそれを見て浅ましいと罵りつつも、

酷く驚いたふりをして、おろおろと芸をする。


「そのような、これ以上は、ああ、どうしたらよいか」


「もそっと金があればよかったのだがなぁ」


たかる気らしい、大したタマだな、笑いを堪えるのに苦戦しながら、

墨寧は、そっと干し肉を差し出した、またロコツに嫌そうな顔をする役人。


「これでは」


「足りませぬかな、きわめて珍しいものなのですがな」


言うなり、そっと干し肉の一部を刀で削いだ。

その下から、いや、肉の中に何かが詰まっている。

役人は手品を見るかのように、じぃっと食い入る、

出てきたものは、石、いや、


「ぎょ、玉ではないかっ」


「お静かに!…山の獣は時折、このようなものを胃袋から出しまして…はい」


「そうかそうか、そうであったか」


言いながら、横に山積みとなっている干し肉をちらちらと見ている。

効果をみっしりと確認した、もう用は済んだ、

墨寧は、静かに挨拶をすると辞去することにした。

無論、他の肉にも似たような石が入っている、そう、玉ではない石だ。

全て偽物だが、男は気付くわけもない。


「よろしかったですな、これで、より少ない納めで済まされまして」


「知らぬ内に商売が出来るようになったわ」


省庁からの帰り道で、今度は本当の玉と、今回少ないと偽り余らせた干し肉を売りさばいて、

いくばくかの金を手に入れることに成功した。

この時は預かってきた200人分の納税額(干し肉がほとんどだが)の内、

納めたのはわずか30人分足らず、残りを売りさばいて、金に変えて手元に入れた。

二月目は横領で日が暮れたのである。

そして、三月目、また同じように納税へと行く前、周雲に見破られ先の話の通りとなった。



「喧嘩別れとなられましたか」


「怒りすぎだアイツ、骨が足らん、骨の足らない奴は怒りっぽくてかなわん」


墨寧は打つ手無しといった具合で取り残されている。

喧嘩の前に、例の調書を出して、この件に施されている実態から、

共に天帝派としてやるべきことを説いてみようと思ったのだが、

もくろみが外れた、小さいというか、理解できないことにはまっている。

あれでは他人を蹴落とすことができないではないか、

徒党を組むというのは、動きが鈍くなることではないか、

墨寧は百ほど質問が浮かんだが、どれもぶつけるアテがない。


「まぁ、よかろう、明日出立する、また納税だ」


「今回は何をなさいます?」


「なに、宰相派にこびを売るさ」


「ほう」


「反省してますよと、そういう態度を見せよう、どちらにも今の段階では媚びを売っておかねば」


「政治ができるようになられましたな」


「今までと一緒だ、一度に相手する数が増えただけだよ」


墨寧は少々草臥れた様子でそう答えると、

眠くなったのか、奥へと引きこもった。

翁は黙って、そこを辞去することにする、

そういえば、最近モチを食べていないな、

そんなことに気付いたが、明日にでも食べたいとねだろうか、平和なことを思って別れた。


しかし、翌朝、思わぬこととなる。


「墨寧様っ!!!」


「!?どうした、襲撃か?」


日頃どういう生活をしていたら、起こされた時に、

襲撃という返信ができるのかわからないが、

墨寧は、すぐに身構えて影翁を迎えた。

やや息をあげた様子だが、落ち着いた瞳で翁が言う。


「周雲が勝手を働いております」


「…なんだ、そんなもんか」


やれやれ、そういう顔をした。

が、すぐにそれはよくないと理解した。

爺が狼狽えるほどなのだから、とんでもないことを、


「蜂起でもしやがったか?」


「いや、事業を勝手に始めました」


もっとまずい。

墨寧は跳び上がるようにして寝所を離れ、

ほぼ寝間着姿のままで、場所へと急行する。

言われた通りそこでは何人も人数を集めて、治水工事を始めている。


「周雲っ、貴様っ!!!」


「ああ、これは県令様」


晴れやかな笑顔で周雲が墨寧を伺った。

その調子がイラつく。

墨寧はそう思うが、県民の前で余計なことをしたくない、

蜂起の目は摘んでおきたいとその場は静観する。


「大丈夫です、私が采配をとりますので、どうぞゆっくりとしておいでください」


「………」


県民達の嬉しそうな顔とやる気になっている現状から、

これを止めるのは難しい、いや、不可能だと気付いた。

いや、止めようと思えばできるだろう、ここからハッタリで様々に説いたらなんとかなっただろう。

この時、墨寧と影翁にその暇が無かったのだ。

この様子を見て、消えた男を見た、少し遠くで水を汲んでいる男がいたが、

それが一部始終を見て消えたのがわかった。


密偵は宰相派だけではなかった、天帝派にも居たとみえる。


先からつぶつぶと、宰相派の密偵を見つけては殺し続けており油断した。

所詮地方なので一人ずつしかよこさぬ、また10日に一度程度しかやってこない、

その状況で完全に嘗めていたのだ、もう一方からも来ているとは智恵が回らなかった。


まずいことになった、発展せぬと約束したことを違うことになる。


「まさか、止めさせようとも思いませぬな」


目の前で、そんなことは知らず、

怒りを目に宿した周雲が墨寧を睨み付けている。

この馬鹿野郎…思うが、墨寧は笑顔のままで答える。


「無論だ、邪魔をしてしまったか、いや悪かった、是非とも続けてくれ」


「墨寧様…?」


「おう、翁、お前も手伝え、この場所からここへと引くのだ」


諫めよう、いや、戸惑いで声をかけた影翁に指示まで出した。

しかも設計図に指図をする、これには周雲も驚いた、

しかし、その指摘は至極当然で頭のよいことだった。


「そうだ、昨夜周雲の図を見ており気付いたのだがな、もっとこちらへと水を引いたほうがよい、

ここの広い土地を利用できるようになるであろう」


「本当だ、流石県令様」


「おお、寝間着姿でも、役人様はやはり賢いのう」


口々に囃す県民。

納得いかない、とも違う、呆気にとられた具合で、

周雲は小さく礼を述べた。

それらを一通り終えた後、そこを頼むと残し、墨寧は県庁へと戻っていった。


天帝派の密偵の知らせが、中央に届くまで半月ほどだろう。


墨寧は、それまでに仕掛けなくてはならなくなった。

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