1−3
あげ足を取るな。
先だっての台詞はそういうことを意味しているのだろう、
曹蓋は、墨寧達が屋敷に入ってからの全ての行動を把握している。
だが、知らなかったこと嘘をついている。
墨寧達が、その嘘を知っている、あるいはそれを嘘だと指摘するのは、
曹蓋を辱める行為だと非難してきている。
なるほど、とてつもない我が儘野郎だ。
「あいわかりました、実るほど頭を垂れるなんとやら」
「そうそう」
気のない返事で曹蓋は、墨寧の皮肉をわけもなく流した。
手強い、とは違うが手こずるな。
墨寧は、抜けた面を晒しながら、つぶさに観察していく、
強請りに弱い性質はなさそうだ、となれば、弱みにつけ込んでいくしかない、
さて、その弱みがあるか。
「しかし、大きな事業を短期間で達成されているとのことで」
「赴任したばかりだというのに耳が早い様子で」
「いえいえ、曹蓋様のお噂は天下に響いておりますよ」
「はっはっは、貴方のことも聞いています、私どころの話じゃない」
おや?
墨寧がそういう顔をした、すぐに曹蓋が続ける。
「なかなかの手腕の持ち主だ、今までの偉業の数々、噂、枚挙に暇がありませんな」
「ははは…そーですか」
思った以上に、俺ってば有名人?
とは思わない。
墨寧も馬鹿ではない、様子を見に来たはずが逆転されている。
しかし、まさか自分がそこまで調べられているとは、仕事がやりにくいな、
墨寧は反省など毛ほどにも感じず、ただ、仕事の難しさだけを考えている。
曹蓋は、強引な手法だけでここにいるのではない。
ようやく影翁の言葉の意味が理解できつつある、確かに、墨寧と似ていて、尚、非道だ。
おそらくこの男も、数多くの隣人を踏み台にしてのさばっているのだろう、
負けるわけにはいかない、が、今は分が悪い。
時機を過った気がする、慎重というよりもこれ以上、
つけねらう行為は自分の身が危ない、直感が告げる。
ここは一度引き下がろう。
「いや、曹蓋様にはかないません、正直に申します、
現在納税額の三割り増しをお上から仰せつかっているのですが、
なんとかよい方法がないかと、一つ、事業の仕方でも教えてください」
殊勝な具合で出てみた、慣れないことだがうまいこと口は滑るものだな。
墨寧はそう思って、にやにやとまた例の笑顔で相手を見つめた。
相手もまた、にやにやとした笑顔のままだ、
墨寧のあからさまな方針転換を好ましい材料と捕らえたらしい。
ちなみに影翁も同席しているが、まるで空気のように存在を消している。
「さて、私の方こそ、火付けの仕方を教えて戴きたいところですが、まぁともかく、あまり時間がない」
「……」
「先も言いました通り、近々、省令様がやってこられるので、色々と準備があってな」
「何かお手伝いさせていただきましょうか?」
ふははは、大きな声で目の前の偉大な県令は笑った。
初めて笑い顔を拝見させていただいた、
墨寧はそう思ったが、すぐにその生き物の瞳が冷えていくのがわかった。
「いや、結構、何も無いですよ」
「そうでしたか」
「さて、事業ということでしたな」
どうでも好いことだな。
墨寧はそう思ったが、目の前の男は、
それをわざわざ用意してくれた節がある。
この短時間でそれを用意したとは思えないから、
もともとあった何かなんだろう、暇つぶしに聞いておこう、
それよりもどうやって無事にここから出るかだな、
そう思うところ、曹蓋の声は続く、
「知っての通りナタネ油を売ることで商業益を上げておりましてな、まぁ、それに付随するでもないが」
きり、目は真面目なままだ。
なるほど、人を人とも思わないところはあるが、
一転、こういう時は至極真面目な面構えになる奴らしい。
やはり異人だ、墨寧はまだその程度。
「森近県の人員を動員していただけるならば、どれ、養蜂でもいかがですかな」
「ようほう?」
「左様、ナタネ油はタネを採るのが仕事だが、それまで花が咲いている期間がある、
その時を利用して、蜂を使い蜂蜜を採る、それも物流に載せればそれなりになるでしょう」
「なるほど、確かに甘味はどこでも人気ですからな」
気のない返事をしてみた、やる気がないのが伝わってしまう、
それを至極残念とも言うべきか、むしろ、怒りにすり替わるような、
曹蓋の表情はそうやって移ろった。
「貴様は馬鹿だな」
「?…曹蓋様、これはまた…」
苦笑いをしたが、相手はやめない、
少し何か度を失っている様子だ。
「私があれこれと働いて、それをことごとく弾いて、挙げ句ここまで乗り込んだ、そこに免じて、
わざわざこの二の次の利を与えようというのに、己は馬鹿以外の何でもない」
「……いきなり、全てを暴露とは、おい、血迷ったのかあんた」
「ふん、馬鹿馬鹿しい虚仮など演じるつもりは毛頭無いわ」
殺されるのか?一瞬身構えたが、
相手は目の前の茶をあおったのみで、何もするつもりは無いらしい。
「帰れ、今日は、いや今後も貴様には何もせん、安心して過ごせ」
「なんだと…?」
「あと、貴様が何を考えて貶めようとしても無駄だ、貴様のその程度では無駄だ。
お前は頭が悪い、悪すぎる、見込みがあり殺そうと考えたが杞憂だった、さぁ、帰れ」
わけがわからない、そんな内に、
それでも、今なら確実に帰ることができる臭いを嗅ぎ取って、
渋々という具合ながら、墨寧は屋敷を出た。
そして、確かに言われた通り、帰りの道すがらに、
何一つの危険はなかったし、後数日の内も、まったく平凡な毎日が過ぎていった。
☆
「翁」
「ただいま」
その数日の内、忙殺されている。
墨寧のもとに、大量の事務がやってきた、
いわゆる部屋勤めという奴だ。
一体、なんの役に立つのかわからない謄本などを、
ともかく整理して、並べ替えて、綺麗にする。
そういうくだらない仕事に始終つとめた。
影翁も、そういった仕事を文句言わず、ただ言われるままに従っている。
先日のことについては、お互い、
何一つ触れていない、当日とその次の夜くらいは、
眠れないような具合だったが、今となってはすっかり熟睡できる。
事実、あの危険は去られたのだ。
「ただ、それでも、近く来る危険は回避できておらんな」
ぽつりと墨寧は呟いた。
とりあえずの納税の日が近づいている、
墨寧は、今までの経験から今回の納税の日の重さを知っている、
この仮初めの納税日に、
きっちり額を、もしくは額以上を納めることが出世への近道になる。
それ以外、いや、本来の納税日に納めるという行為は、
その時を回避するだけにしかならない。
永劫、そのノルマに追われる日々が続くだけとなるのだ。
小役人の時、下から見ていて、何度も何度も、
毎月、毎年、同じように納税だけに頭を悩ませる。
馬鹿な県令達を見て学んだ、なぜそんな簡単なことに気づけないのかと。
「馬鹿な県令達か」
「気にしておられますか?」
「まぁな、面頭向かって馬鹿だと言われたのは久しぶりだからな」
「そうでしたか?前もそう言われて、翌日には言った人間が鬼籍に入っていたような気が」
からから、そうだったかもしれないな。
墨寧は笑った、影翁はそれを見てまだ自分の判断が正しいと確信する、
この男を見限るのはまだ早い。
影翁はそれを見て笑った、遅れてから笑うのはいつものこと、
その遅れている間に何を考えているか、主人の墨寧もおおよそは知っているつもりだ。
「今回は鬼籍には入らんな」
「ほう?」
「なにせ、俺を立派な模範的県令にしてくれるわけだからな」
「それはそれは、すっかり仲良くなられたのですな」
「何、なるのさ、すぐにでもな、俺のために彼は身を粉にして、ややもすると犠牲になってくれる」
「重畳」
影翁は大きく笑った、ここ数日、
馬鹿のように事務処理をしていた甲斐があった。
その間、影翁が働いた分だけ、墨寧が別のことを考えているのを知っていたから、
なおのこと、それが楽しみで仕方ないらしい。
月極の納税がまもなくとなる。
役所の蔵には幾ばくか、まさに、月極を乗り切るだけの税金が寝ている。
これは前任の残した、雀の涙だ。
だが、それでも前任は、いわゆる真面目な人間だったらしく、
向こう3ヶ月分の蓄えをしていた、小心者だったのだろう。
3ヶ月分をきりつめて蓄えておくことで、先々の支払いを、
少しずつ安寧に変えていたのだろうことが容易に解る。
整理していた帳簿にもそれが伺える、ほんの少しずつ、ほんのわずかでも、
ケチれる所を切りつめて、なんとか誤魔化すようにしながら、
細々と貯めてきているらしかった、2年くらいかけて、
1ヶ月分の余裕を作っていたらしい、大したものだ、立派なものだ。
あの世で出世できることだろう。
善人は死んだ後救われるというのが、この世の中の共通理念だ。
墨寧は、あの世のことはそっちで考えるから、今を楽に救われたいと願う人間だ。
俗物上等。
ステキだと自分で自分のことを褒めながら、
期日まで一週間となるところまできた。
事務処理はほとんど片づいた、この男仕事を真面目にやればできる型の男だ。
ただ、それをやるだけの気合いと根性と忍耐が無い、
だから、邪道を好む。
☆
結果を先に記しておく、それ自体にあまり意味が無いからだ。
墨寧は見事、でもないが、泥臭く、
林隣県の利益の上前をかすめ取り、それをのうのうと上納し、
全て思惑通りに通した。
してやったり、そういう顔で、それまでの生き様と同じことをやってのけた。
影翁もその結果に満足していた。
書類整理、謄本整理、戸籍整理。
それらを通じて、森近県の内部について調べつきていた。
その調べの中で、どうも、役立ちそうな男を数人見つけた、
その内の一人を早速呼び出す。
「少し買い物を頼まれてくれるか?」
「はい、県令様」
「報酬は公より降りる、心して務めよ」
「解っております、公務を任せられるなど、商人として誉れの極み、確かに買いたたいて参ります」
この男、以前は別の土地で商いをしてきた男だった。
土地の人間ではない、中央の出身らしい、
何かワケがあるのだろうが、この田舎に移住していた。
それは先の調書によって解っている。
墨寧はそれを利用する。
「隣林県にて、ナタネ油を買ってきて欲しい」
「はい、よろこんで」
墨寧が少なからずこの国について、土地柄について思ったことがある、
中央を出た人間は、どこか人間が傲慢にできている。
見栄坊と言えばよいだろうか、公の威光をやたら滅法有り難がる。
そういう奴らは利用しやすい。
大金を預けても、間違いなく、そして期待以上の働きをするだろう、
墨寧はあとは、座して待つのみ。
影翁が、その背後で別の仕事をしようとつとめる、
言われるままに商人は、林隣県にて買い付けを行う。
「これだけの量を買うのです、もう少しまけて貰えぬかな」
「それはしかし」
「まけて戴いた分で、残りの資金を投じて、さらに買わせて戴こうと思うのだが」
「少々お待ちください」
商人は、大きくふんぞり返るでもなく、
受付が下がるのを黙って見届けた。
少し遅れて、県令が自らやってきた、曹蓋である。
「これはこれは、しかし、お一方にそれだけの量を出すのはいささか…」
「金はある、それに必要なのだ、中央で大きな祭典があってな」
「中央で?」
曹蓋は鋭敏にその単語だけをくりぬいた。
その影で、この男についてなんとか情報を得ようと、
手下に調べさせた、しかし、手下は有能さを持ち合わせない。
だから、中途半端な情報を持ってよこした。
彼が中央出身であることが間違いないこと、
ただそれだけをもたらした、無論、それだけしか無いように墨寧、
いや、影翁が暗躍したのは言うまでもない。
「なるほど、それは覚えめでたきこと、解りました」
曹蓋はそれを出世の近道だと考えた。
中央に何かしらの恩を売ることが、大きな事業に繋がる、
そう信じた、それに、ナタネなど罪人を使えばいくらでも採ることが出来る。
その労働を少し苦しむ程度に上げればよいのだ。
この打算によって、素性わからぬ商人に持ち前の油を全て売り切った。
商人は、再三の礼を述べてから、退散、
金銀が残り、それにほくそ笑む曹蓋。
☆
「さて、お前らには木を切ってきて貰おう」
「お安いご用です」
墨寧は次の者達に上記の指令を与えた。
これらは、もともと林業を営むものなので、取り立てたことでもない、
だが、お上からの命令というだけで、日頃、
ただ木を切って売るだけが、木を切るだけで金になる。
そう思えばやる気になるもの、大量の森を開拓していく。
少し干さなくては使えないのが木だが、それまでの蓄えを放出するから、
かわりに今生えている分をあてるのだ。
ただ、切る際に山ほどできた木屑を全て集めさせている。
少しして、油を買った商人が帰ってくる、墨寧は礼を述べ、
下手くそな字ながら、県令の判がおされた賞状を渡す。
安いものだが、それだけで感涙するほどなのだからめでたいことだ。
「では、翁、よろしく頼むぞ」
「わかっております」
仕上げが近い、翁がいよいよ出動する。
寝かせてあった木々を市場へと売りに影翁が持って出る。
急ごしらえで、林隣県との県境あたりで市場をやらせている、
そこに影翁が木を持って参上する算段だ。
その頃、林隣県にて。
「油は売り切ったが、次のためにやらねばならぬな」
曹蓋はいつになく喜ばしい顔で金銀を見ている。
だが、この男は少々賢い、
だから、この目の前の金銀は、金銀として扱わない。
すぐに投資という形で別のものに変更させようと考えている。
「そうだな生産量をさらに上げねばなるまい、土地の改良が必要か?」
「また、農地を拡げますか」
「それもよいな、その材をまたどこかで仕入れねばな」
「森近県にて、市が開かれております、もしやとも」
曹蓋は、一瞬だけ嫌な顔をしたが、
県境という魅力的な位置関係と、絶妙なタイミングに、
そこへの買い出しを許すことにした。
まぁ、少々は潤わせてやらないといけない、いや、むしろ、
「そうだな、是非とも買ってこい」
曹蓋は考えた。
ああいった、馬鹿が隣の県の県令をやっていれば、後生安心できる、
この男は、墨寧を先日の対面以来、酷くおとしめている。
大きく警戒していた反動もあったのだろう、
彼の欠点を見抜いたからこそ、その安心を安寧に変えるべく、
その不自然な市と、不自然な買い物の因果を結びつけられなかったのだ。
大方、特産品の材木でなけなしの金を稼ごうという腹なのだろう、かわいらしいものだ。
言われたままに手下は、市にて、
農地を囲う、また、罪人を閉じこめるための小屋や柵を作る材木と、
土地を肥やすための腐り木に木屑を買い込んできた。
思った以上に安かったこともあり、大量のそれらは小屋に一時保管されることとなった。
「いつになくゴキゲンでありますね」
「ははは、省令様が来られる日、納税の日となる、そこでまた大きな事業の話もできることだしな」
蜂蜜のことだろうか、それとも農場を拡げることだろうか。
曹蓋は、うかれたままその日の前々日を過ごした。
その夜、大きな間違いが起こる、起こされる、墨寧によって興る。
「赤々と燃えておりますな」
「ありきたりすぎたが、うまいこと行くものだ」
墨寧はモチを焼きながら、窓の外の赤さを確認した。
影翁もそれをしんみりと見つつ、墨寧の焼いたモチを有り難く食べている。
仕事は全てし終えた、そういう具合で二人は、
のんびりと、アリとあらゆる資料が整えられた県庁で過ごしている。
夜も深い、だというのにこの明るさはどういうことだろうか。
「しかし、買い付けた油をあれに使うかと思いましたのに」
「あれは仕上げ用だ、それに俺は一度奴に助けられた、まぁ、見逃されたわけだそれくらいしてやってもよかろう」
言っている意味は隠されすぎていてわからない。
ただただ、煌々と輝く夜空が、血とは違う、
不気味な赤色に染まっていく、モチが焼けてまた食べられる。
墨寧は一番の笑顔でそれを笑った。
調べ続けた甲斐があったというものだ。
商人、林業の男、そして、最後に調べたのは罪人だ。
林隣県は、隣県の罪人をも捕らえている。
林隣県、いや、曹蓋は罪の無いもともと住んでいた住人を、
罪人とすることで労働力を確保していた。
こういう、お上が突然行う悪事というのはよくあることだ。
ただ、この男の場合は自分の県のみならず他県にそれを及ぼしたところが凄まじい、
権威に威を借りた行為とはいえ、それにより収益があがれば、
自然、省令などの覚えもよくなる、そうやって曹蓋は成り上がっていた。
塀の向こう側には、罪があるものも罪がないものも一緒くたにされて、
ただ働かされていた、それらが暴動を起こすかといえば、
そこは、見事なまでの統御を行っていた様子、
下見の時にそれは重々承知した。
「しかし、罪人というのは本当、まったくもって罪人だの」
「それはそうでしょう、何せ、火付けで捕まったものが、墨寧様の、この県庁を焼きにくるくらいなのですからね」
赴任のはじめに火付けに来た男、
奴も罪人だった、火付けで捕まった罪人だ。
火付けは獄門が通例となっているが、それを免除するとでもそそのかしたのだろう、
男は墨寧の庵を焼きに来たのだ、墨寧はそれを見てなるほどと学んだ。
罪を犯した人間は、やすやすと次の罪を犯すのだ。
「しかし、よく燃えておるな」
「ははは、私としては複雑でありますわ」
「よく言うな、翁」
倉庫に眠らされていた古木は、どれもこれも燃えやすいことだろう、
塀の向こう側にて、火付けで捕まった、森近県出身の罪人がいる。
それを戸籍から見つけだした、その男をそそのかすのは他愛のないことだ。
なにせ、わざわざ曹蓋が見せた実例があったのだ。
今回は罪人からすれば地元の県令がそそのかしてくれるのだ、間違い無いと思うだろう、
こんなにうまく事が運ぶとはと、信じられないくらいの僥倖もありながら、
ともかく、隣の畑は燃えている。
これで、曹蓋は納税することができなくなっただろう。
「しかし、よく燃えておりますな」
「ふん、罪人が燃えて死ぬなら世の中のためになるってものだ」
ははは、非道きわまるな、翁は頼もしく思ったのか、
大きく相好を崩した、紅く染まる墨寧の横顔は自信に満ちている。
納税額は材木を売って充分に集まった、蓄え以上の分が集まり、
しかも、あとは油を売ることでさらに肥やすことができる。
買い付け先である曹蓋は完全に落ちぶれることになる。
彼ら手持ちの金銀は、ことごとく燃えるための材木と変わり、
収入源は燃えてなくなり、
なけなしの金は、おそらくこの油を買うことにあてられるだろう。
むこう二年は、苦しい財政が続くことが手に取るようにわかる、
二年あれば、墨寧は出世してここを飛び出していると確信している。
だから、どうってことはない、仕返しなどという馬鹿げたこともできないまま、
奴は忙殺されるのだ。
「しかし、そそのかした罪人はどうするおつもりで?」
「何言ってんだ、罪人は罰をうけるものだろうよ」
にこり、ステキな笑顔がそこに冷えた。
真白な顔色が、その答えにとても重たい何かを乗せて、
墨寧のそれに、影翁は再度安心をしたのだ。
以上が、ことの顛末、数行にしたためるならば、
戸籍により、商人と林業と罪人を調べて、
それらを使って、曹蓋の県で火付けを行った。
ただそれだけだ、あとは曹蓋に油を売りつけてやるだけだ。
彼らを滅ぼすつもりはない、あくまで彼らには生きて貰わないといけない、
墨寧はそう思っている、その上前をはね続けることを考えているからだ。
だから大切な油は戻してやる、無論、無料ではないが。
そして、納税の当日になる。
夕方頃、省令が直々にやってきた。
もっとも、初任の際には、ねぎらいにやってくるというのが通例、
それは墨寧も承知していた、だからこそ、
今回に納税額をぴしゃりと押さえておきたかったのだ。
仕上げになるだろう。
「墨寧、つとめておるか」
「はっ」
うやうやしく、影翁とともに頭を下げる。
そして、矢継ぎ早に勝負のサイコロを振る。
「精進の甲斐ありまして、無事、納税を済ますことができます」
「ほう!」
省令のうれしそうな声を聞いて、
すぐにそれを眼前に出した。
きっちりどころか、割り増しにした金銀が並ぶ。
それを見て、さも嬉しそうに省令は声をあげた。
ほうほう、そう言って、すぐに手下を使ってそれらを運び上げた、
殊更うれしそうな顔、墨寧は次の言葉を待つ。
「これはこれは、確かに重畳であった」
「有り難き幸せ」
「さて、墨寧、わずか一月でこのような大事を為すとは実に天晴れ」
来た、頭を垂れたまま笑いが止まらない具合、
「そこで、その手腕を見込み、次の仕事を与える」
「はっ」
「岩倉県への赴任を命ずる」
「………!?なんと」
「貴殿の実力ならば、さぞ素晴らしき統治を見せることであろうな」
省令はそれだけ言うと高らかに笑った。
呆気にとられる墨寧、その後ろで影翁も色を失っている、
岩倉県とは文字通り「岩」を「倉」とするような土地だ。
森近県ですら田舎だと嘆いたが、岩倉についてはもはや田舎という、
人間が住む場所を示す何かを冠するのもはばかれるほどの辺境だ。
合点がいかない様子で、墨寧は思わず立ち上がってしまう。
「しょ、省令様っ!?」
「なに、貴殿なら大丈夫であろう、あの曹蓋よりも立派な業績を残したのであるからな」
その瞳に憎悪が見られた。
そこで初めて、墨寧は己の図が全く間違っていたことを知った。
考え及びもしないことが世の中にはある。
茫然自失となりながら、一点、強く打ち出された台詞がある、
お前は馬鹿だ。
その意味が、うすらながら解った、
解ったところで遅いが、ようやく事の次第を理解した。
曹蓋が何を畏れ、何を持って墨寧を下と見たのか、
これを見ていたのだ。
「安心せよ、この県については、曹蓋がまとめて面倒を見るようになる、
罪人となりながらさらに罪を犯す人間を出す土地だ。
曹蓋の治世によって、それらの人間は労働更正がされる、後顧の憂いはないぞえ」
最早言葉もなく、墨寧は立ちつくした。
影翁は黙っている、彼もまた知らなかった。
また、まだ解っていないことだったが、それは後日彼らも気付くこととなる、
今は、まま、言われるままに、墨寧は左遷された。
それが結果のあとについた、結末だ。
結果は重要ではなかった、結末が、あまりに残酷だったのだ。
省令が去った。
ぐったりと、イスに腰を落とした墨寧、
影翁は、それを黙って見ている。
ここは正しく考えなくてはならない、既に冷酷なそれが支配しつつある。
「影翁…」
「はい」
「くっくっく……」
触れたか?
影翁はその様子を見逃さないように見つめ続ける、
小刻みに震えるように、喉の奥から獣が嗤うように、
呻く声が地響きながら登る。
墨寧が顔を上げた、瞳はいつも以上の黒いそれ。
「見たか、俺はとうとうここまで来たのだ」
「……」
「まるで世界が変わって見えた、派閥だ、派閥闘争というそれに今俺は身を置いたのだ」
影翁は言っている意味を理解しようとつとめる、
だが、判断材料が足らないから判別しかねる。
「翁に仕事を頼んでいた間にな、小耳に挟んでいたのだ。
この土地は、数年前の天帝派から、宰相派に変わった。
曹蓋も省令も宰相派だ、無論郡令もそうだ、そこへ天帝派の地盤である北出身の俺がやってきた。
だからあれらの所業を受けて、そして、今回の顛末だ」
「まさか、そのような」
「そうだろう、俺もそう思ったが、どうやらそうらしいぞ。
とうとう政治に巻き込まれるほどまでやってきたのだ、まるで考え方を変える、
喧嘩を売る相手を見つめなくてはなるまい、できれば確実に勝てるほうを見極めてから、
旗色をはっきりとさせたかったが、こうなった以上仕方あるまい」
墨寧は燃えた瞳のままもう一度立ち上がった。
影翁に向かって放つ。
「俺は今後、天帝派として居きるぞ、いや、おそらく近日中にその使いが俺の所に来る、必ずな」
「墨寧様」
「そこから、俺は学んだ全てを費やす、なるほど確かに馬鹿だったが、
それを学べたのが何より収穫、しかもこのような下役任の内にできたのは、
朗報以外の何者でもない、岩倉?ちょうどよい、辺境だが地勢は間違いなく俺に向いている、
西州西下の一手、ここが一点天帝派となれば、
宰相派は嫌がるし、天帝派は喜ぶ、俺の扱いは自然よくなろう」
「いや、それではより一層、宰相派であるかような者からの扱いが」
「翁…、俺はお前とだけ喋っているのだ、大手を振って天帝派などと言わぬよ、
今回の件で反省した所も見せる。
どっちつかずとも取れる態度で暫く挑む、長続きはしまいが、
俺が世情を見極めるだけの時間を稼ぐ。それで充分だ、俺は天才だ、
すぐに、すぐにでも中央に華々しく出ばるぞ、翁っ」
翁は黙ったまま、平服して、
その声を聞いていた。
そしてなぜか、モチを食べたわけでもないのに、
それと同等の笑みが零れてやまないのを感じた。
己のサイコロが、好い目を出した。
そう信じる、そして、主人はそれを確信している。
出目がいずれだったか、誰にもわかることなく、そんな些細な一ヶ月がここで起きた。
たったそれだけのことが、描かれなくてはならない一事であったと付けておく。
数日待たぬ内に、墨寧と翁は荷物をまとめて県を出た
向かう先は、不毛と荒廃のみが広がる、
人口、100人に満たない、哀れな土地岩倉県。
まずは、それまでのこと。