7−4
「徐粛、どう見る」
「……」
典晃と合流した徐粛は、すぐに形勢を確認する。
まず反抗が具現化したことで、
一旦投降した輩がどう出るか。
その動乱に乗じてどこから狙ってくるか。
それらの対策に若干時間をとられることとなるのは解っている、
その間に逃げられるのだけは避けたい。
「こすっからい作戦だ、所詮その場しのぎ、そして、運頼みの大したものじゃない」
「頼もしい限りだな、俺はどこを潰してこればいい」
「そうだな、派手に盛り上がっている奴を叩きにいってくれ」
「あそこに居るか」
「居ないな」
「ならば」
「いや、この軍用、よくわからんが今までの奴のとは違う、奴は絡んでいない可能性もある」
徐粛は、その戦ぶりに墨寧の匂いの少なさを嗅ぎ取っていた。
実際は、成長した墨寧が絡んでいるのでそれまでと異なって見えるだけだ。
徐粛は墨寧が絡んでいないと判断しつつも、
この混乱に乗じて墨寧が妙な手を打ってくる可能性を想定している。
そちらを制するためにも、とりあえず起きている現象は完膚無きまでに叩いておいて、
できるだけ、形勢の流動を少なくさせることにした。
つまり不安材料を潰すことで、混乱など奇襲の芽となるものを摘んでおくのだ。
「炎の出方が甘い、これはあくまで陽動というか、恫喝のそれだ怖くない」
「ということは」
「突撃だ、あの方向に今逃げていると見えるだろう、おそらく伏兵ありだが、
それを見越して、想定以上のものを見せてやれば、駆逐完了だ」
「わかった」
言うのは簡単だが、実際それを為すのは優秀な軍人のみだ。
その場に典晃は嬉々として飛び込んでいく、
典晃の動きを見て、すぐにいくつかの仲間がその後ろへと続いていく。
それが蛇行し、大きな、大蛇のそれを作り進んでいく。
「典晃参上っ!!!!天意により、刃向かうものは全て土へと返すっっ」
大見得を切って、大きく振り回した矛で3人が絶命した。
その様子を見て、度肝を抜かれたのか、
敵方はできるだけ、典晃を避けて他のものを狙うように展開していく。
構わず、全軍をもって突撃をする、そして約束通りに、
伏兵が弱々しく立ち上がってきた。
これならば、怯む必要も何も無い。
失敗した伏兵の出現というのは脆い、想定されていた敵の動揺が無いだけで、
伏兵側が動揺するのだ、あっと言う間にその場の戦は決した。
圧勝が約束された、典晃は理不尽と知りつつも、
その場をともかく、抑圧、鎮圧、圧殺、
平らにすることに務めていく、空はすっかりと晴れている、だが、
陽の光はもう落ちてきている。
「夜になる前に、なんとか片づけておきたいところだな」
典晃の呟きは、そのまま徐粛の呟きでもある。
日が落ちて、長引いていくのはよくない、
おそらく、天帝派の派遣部隊が到着してしまうだろう。
彼らに手柄を立てさせることなく、これをうまく沈黙させて、
完全な形で凱旋をしたい。
それに周雲がわざわざ起こることを想定していた戦だ。
勝ってこそ、忠義を示せるというものだろう。
「敵は乱れていますが、思ったよりも引きが速い様子、追いますか」
「流石に、これ以上は深入りになるか、じっくり追いつめていく、微速前進だ」
言われるままに、典晃隊は蜂起が起きた場所の鎮圧に成功し、
そのまま、敵本陣の方向へとじっくりと締め上げるような布陣で進み始めた。
徐粛が下方から追いついて合流するだろう。
そう考えて、とりあえず優秀な頭脳がやってくるまでは、気を緩めない油断のない行進をしていく。
しかし、その行進が、
いや、行進を速めていたとしても結局は同じ結果だっただろう。
目的地には第三勢力が既に到達していたのだ。
時既に遅し。
天帝・正規兵団である。
☆
墨寧が逃げてきた将兵もあわせ、
主立った隊長格の兵士を集めた。
かなりの数になった、隊長ばかり生き残っても仕方ないことだが、
かなり五月蠅かった輩は、早々と死んだのかこの場所には見えていない。
そういう、生き残った輩、選りすぐられたと言うべきだろう、
怯懦も素知らぬ顔で、この戦時にのうのうと生き残っているしたたかな連中ばかり。
「よく集まった、既に回りは天帝派の兵団に囲まれている、奴隷どもは囮だったようだ」
「そんな、どこからそれだけの数の人間が」
「ここまでに至る路で、もっとも確かな道を通ってきたんだ」
「だからどこに、全ての間道では戦があって、それに奴隷の方がいるでは」
「もっと確かな道がある、長城だ」
あっ。
誰もが思わずその風景を思いだし、口を開いたまま黙った。
急ぎ中央が作らせていた長城、西州と南州を分けるようにできていたそれは、
砦、壁の意味が強いと思っていたが、この時のため、
いや、中央から西、あるいは、南へとすぐに兵を動かすための、
道路だったのだ、そこを伝い、ようよう天帝派の精鋭達は、
大した苦労もなくこの戦場へとやってきた。
意気揚々、兵量膨大、兵質抜群。
もはや、戦場にいる墨寧勢力、奴隷勢力のいずれもチンケなムシケラの集まりに過ぎない。
「そんな、見事すぎる…」
「そうだ、既にこうなるところまで、天帝派は予測していたのだ、意味がわかるか」
「成す術がありませんな」
こくり、墨寧は頷く。
がっくりと、肩を落としたような様子が3分の1ほど、残りはまだ希望を、
いや、打開策を己の中に持っているらしい、頼もしいことだな。
無論、墨寧もその肩を落とさない方の一人だ。
「まったく無いわけではない、この場でも全面降伏する方法がある」
「それは無理がある、先の降伏を不服としたのだそれに今更降伏するつもりも」
「本当にそうか?生き残るつもりがないのなら、先の戦いで死んでおけばよかったものを」
「何を貴様っ」
「五月蠅い、騒ぐな雑魚共、郡令の話を聞けい、一つだけ確実な方法がある」
ぴたり、視線が集まった。
その内の何人が、既にその案を思い浮かべているだろうか、
墨寧は嫌になる、そう思いながら、仕方なくそれでも、
一つだけを提案する。
「俺が今から逃走する、お前らはその道筋を売ればいい」
「何を言っているのか」
「意味がわかりません」
「説得の材料になどなるわけがない」
「そうでもない、俺の往生際の悪さは中央にもそれなりに知れ渡っている。
既に退路を確保していてな、そこに火計を仕込んである、本気で逃げる」
「それでは、墨寧殿だけが逃げられるのではないか?」
「当然だ、俺は逃げる、この陣地は火計で炎上する、その混乱に乗じてお前らも逃げればいい」
「我々が生きられるという部分に、まったく知能が感じられないのですが」
「相変わらず頭堅ぇ野郎どもだな、俺が逃げるということは俺さえ生き残ればこの派は立ち上げ易くなる」
「??」
「また集結すれば宰相様は見捨てることなどなさるまい、
その希望にすがれば生き残れるだろう?
足らぬならここでさっさと死ぬがいい」
「馬鹿馬鹿しい、話にならん」
「それよりも、確かで素晴らしい方法がある、墨寧殿、そなたを売る」
「ほう?」
「この場で死んで貰おう、そうすれば、そなたの亡骸をもってすれば我々は助かるのだ」
ぴたり、この風は最も強く吹いた。
もともと、薄々と全員が思っていたのだろう、もしかすると、
そうするために、ここまで戻ってきたのかもしれない。
先ほど落胆しなかった3分の2の連中、墨寧と蔵慈、鐘豊、伊乾以外は、
それに賛同するかのような明るみを持った。
「…一致か」
「そういうことだ」
「ふむ」
墨寧は、観念した、そういう人間の顔を作った。
この男でも、この期に及んだら、こんな表情をすることができるのだ。
達観ではない、諦観でもない、興味の薄れた人間が相づちを打つときに見せる目だ。
それを携えて、一つ、声の通りに考える、
薄く開いていた目を閉じる、何かを思い出している顔にも見える。
「実はな、既にこの陣地の至るところに火計の罠を張ってある」
「ほう、先のはハッタリかと思ったが、本当にしてあるか」
「本当ならば、この評定をする時にそれを発火させ、狼煙に紛れて逃げる予定だったのだが、
なにせ身体がこの通りだ、動かぬ、逃げ遅れたのだ」
「そこで、自爆をして巻き添えを出すというのか」
「そんなことはせんよ、そういう無駄なことをしないのは俺の生き方の一つだ、
それは俺のことを嫌いなお前らでもよくわかっているだろう、そしてこう喋っているのだ」
「受け入れるということか」
「郡令らしく、生きるとするさ」
どぅ、少しざわめいたような声が出た。
墨寧をまだ信用というべきか、墨寧とともにあろうと思っていた連中が、
落胆とも驚嘆とも思えぬ、不思議な声をあげた。
墨寧の示すところの意味がわからないせいもあるのだろう。
戸惑いのそれだ、墨寧はそれぞれの表情をよくよく観察する、
時間はあまり経過させない、出来るだけ速くしなければ、
もう、敵はすぐそこまで迫っているのだ。
ぐずぐずすれば、この策すら決まらずに全滅の憂き目にあってしまう。
その苛立ちが幾人から特に見えた、仕方あるまい、墨寧は腹を決めたように呟く。
「蔵慈、よく見たか」
「はい」
「では、頼む、今の顔つきで殺すヤツは決まった」
シャンッ、この音は戦場で聞くことがない音だ。
完璧に整った中で、無造作に発揮される術というのは、
戦場という途方もないでたらめの前では、蟻のそれと同じほど小さい。
しかし、こういったごくごく少ない、とてもとても静寂の似合う、
顔がわかる同士の戦いの最中でのみ鳴らされる、人間の技の極みが産む音だ。
つまり、決闘のそれと似ている、少人数の諍いは全員が自覚したまま行われる。
戦争の大局観ではなく、戦闘の手足が届く耳目が認められる小さな中で発揮される。
一番墨寧の首を欲しがっている顔をしていた将の首が面白いように飛んだ。
続いて、その側の者もすぐに死んだ。
「墨寧っっ、貴様っっ!!」
「お前ら馬鹿か、俺がそんな簡単に死にたがるわけがねぇだろよっ」
アホ面下げて、あっかんべーなどとしてから、吼えると同時、
先に言っていた、火の罠が発現したらしい。
地響きに似たものが、ずりり、身体を揺すると、
たちまち辺りに炎が上がった、今、鐘豊がこの場にいるが空は晴れている。
夜闇が落ちて来る前、その夜闇を追い払うように、
昼間と見紛う光がそこから溢れる、その灯りに照らされながら、
鬼神の如く、蔵慈が剣を振るい舞う。
「ぼさっと見てんなっ、俺につくやつは、すぐに蔵慈の加勢をせよっ」
墨寧の大喝に、慌てて惚けていた何人かが仲間討ち、
諍いをそこかしこに呼び出した様子だ。
墨寧の座は車輪がついているらしく、すぐにするする、
安全そうなところへと身を隠してしまう、無論それを動かすのは、
鐘豊と伊乾だ、二人はこういうのに慣れていない。
慣れてはいないが、それなりに武装を見せて、気付いた輩を何人か斬り殺した。
その生々しい血が、炎と相まってぐるり、世界を紅くした。
「恐慌混乱、大いに結構」
「急ぎ逃げましょう」
「そうする、この火計で敵もいよいよくるだろう、例の道を辿れ」
「わかっております、ほほほぅ」
太めの県令はえいこらさっと、墨寧を連れて炎の強い方向へと消えていった。
すぐにその後を蔵慈が追ってやってきた、
その後ろは無い、いや、数人が慌てた様子で追ってきている。
蔵慈が瞳を鋭くさせたが、どうやら敵の追っ手ではないらしい、
そのままにして、墨寧に近づく、それに墨寧が声をかける。
「うまくいったな、内紛でお仕舞いなんざ、反乱の最後としては上出来だ」
「墨寧様、後ろをついてくる連中が」
「それは生かしておけ、お前達と同じ能力がある人間だ、大切にしたい」
墨寧は珍しく真面目な顔をする。
その背中のほうでは、その能力があると認められた一人、
太めの県令が、ふぅふぅと凄い汗をかきながら車を押している。
伊乾も手伝っているが、どちらもぱっと見たところ、
どうということのない人物だ、しかし墨寧のみが彼らを重用している。
その重用される一人として蔵慈も生きている。
「それよりも蔵慈、そなたは来ぬかと思ったのだがな」
「裏切りませんと言ったではないですか」
「いや、俺の未来は暗い、それを考えるとお前は旅人に戻ったほうが、
お前の人生としてもつじつまがあうだろうにとな」
「…追いかけてくる私では、役に立ちませんか?」
「意地の悪いことを言うな、ついてくるなら重用する、ありがとう」
墨寧は照れるでもないがそう告げた。
数人の脱兎はそのまま炎の中を走って逃げ切る。
既に後方では大きな喚声も上がっている、
内紛の後始末がなされているのだろう。
後始末を受ける中に、何人も、何十人も墨寧を思ったものがいたはずだが、
墨寧はそれらに気を配るようなことはしない。
墨寧にとって、自分を生かすために立派な捨てゴマとして務めを果たしたと認識される。
その身勝手極まりないそれを有り難いと思うか、憤懣ととらえるか、
それは人間の性質によるところだろう、墨寧の正義とは関係のない話だ。
「殺すなどと言われなければ、投降のふりをしたのだがな」
「そうでしたか、道理で、いつになくこの方法は危ないと思ったら」
「投降のふりが最も生存の確率が高い方法だったからな、俺はどんだけ悪党だろうと、
中央でしか罰を受けぬ身だ、それまでに必ず逃げられる自信があったが…」
「この方法でも立派に逃げられておられます」
伊乾が、やんわりそう言う。
墨寧は当たり前だと言わぬばかりでその頭を軽くこづいた。
だが、その手は誤りだったと、後々伊乾に茶でも馳走してやる必要があるだろう、
出口が見える、炎の道はぱったりそこで終了する。
そこへ、数人は飛び出た、いや、飛び込んだ。
敵中。
「!?」
「まぁ、お見通しだな、墨寧観念せよ」
「徐粛…てことは」
ギィンッ、鋭い音はまたも墨寧の側で閃いた。
当然蔵慈がそこにいるが、ぎりぎり、その後は、聞いたこともないような、
恐ろしい力の燃焼する音が続く、これはまずい。
「三度目か」
「こうなるかとも思っていたがなっ、そろそろ勝たせて貰おうっ」
蔵慈の剣がきらりと光る、典晃が相手だ。
墨寧ひとまずの死期を回避するが、事態は最悪だ。
徐粛は数人を連れてこの場で待ち伏せていた、
それだけで、今まででもっとも詰んでいる状態だとわかる。
「あなたの成長には本当、驚かされた」
「……褒められてんのかな?」
「逃げ道も陽動がいくつかあるとは恐れ入った、おかげで数が随分減っているのだ、こう見えてな」
徐粛は説明をしつつ、その部下達を少しだけ紹介するように、
手を大きく振った、その先に控える部下どもは、
屈強を絵に描いたような男達だ、ところどころに負傷の痕が見られる。
墨寧が偽装した出口の罠にかかったのか、
それとも、それまでの戦闘でつけられた傷なのか、
それはわからない、わかるのは、それが浅手だということだ。
絶望的なことだ。
「単独か」
「ほう?」
「周雲がいれば、俺を殺そうなど、思うわけもあるまい」
墨寧はどこか気怠い感じの徐粛に声をかけた。
軽いやりとりで、心を落ち着けようとしている。
墨寧を気遣うように、鐘豊と伊乾は側を離れない、
そして、後を追ってきた男達も墨寧を庇うようにしている。
視界にまた、一人人間が増える。
「私が、徐粛に訊ねたのです貴方が逃げるならどこかと」
「久しぶりだな周雲、逞しくなった」
「話を逸らすな罪人、周雲様の言を聞いたか、お前をここに追いつめるのは周雲様の発案なのだよ」
徐粛の声は浪々と、もはや、
墨寧に聞かせているとは思えない、多分、
隣の周雲に聞かせるために大声で喋っているのだろう。
なるほど忠臣だ、周雲はまだブレがあると見える。
それを断ち切るためにこの男はそれをしているのか。
「甘いな徐粛」
「なにが」
「お前の忠義はよくわかったが、やはり俺ほど頭が回らない、政治ができんな徐粛」
「吼えるな敗将」
「周雲には俺が言ってやる、無理をしている限り大成せぬとな」
大声でそう言った、それは聞こえただろう。
徐粛の歪む表情を見て確信する、まだ、この敵には隙がある、
墨寧はそこにただ、賭けるしかない。
「やはり、長生きさせておくべきではないな墨寧」
「周雲の為に俺を殺したいか、あいにくだな俺が死ぬと、周雲は止まるよ」
「心配するな、止まったものは動かせばよいのだ」
「てめぇ」
「そうしなくてはならん、なにより、お前を赦せるほど、俺は心が広くないのだ」
「本音が出たな、それでこそ、徐粛だっお前が俺を殺したいのだ、詭弁で逸らすなよ」
「死ねっ、愚か者がっ」
血管をこめかみに浮かせて、徐粛は吼えた、
まさに殺す気概がそこから流れ出ている。
墨寧は本当に、他人の心に侵入して掻き乱すことに長けていると見える、
彼ほどの才人であっても、取り乱すほどなのだ。
そこを認識しながら、周雲が二人の間に立ちふさがるように身体を入れる。
「徐粛、下がって」
「しかし」
「墨寧様、貴方のおっしゃる通りだ、私はやはりどこか貴方に惹かれるというべきか、
どうも、何かを植え付けられたように思います、師として見ているのかもしれません」
「それはそれは有り難いことだな」
「初めて会った時、その後の違和感、そこで尊敬から侮蔑までを貴方に抱きました、
またその後も驚嘆から憤怒、呆れることもしばしば、もう少し前の私ならば、
易々と貴方を斬り殺しているでしょう、民草を思わない領主ほど憎むべきものは居ないと、
思っていましたから」
「それについては俺も同じ意見だとしておこう、お前のその青臭さ、
それと比例するような明晰な頭脳、俺にはない人柄と考え方、
なるほど見聞を拡げる不思議な薬のようであった」
「語らずとも語り合った月日でしたな」
「過去形にするな、これからもそうなる、できると踏んだのだろう」
珍しい、墨寧が願いを他人に語る風景だ。
また毒が身体を蝕んだのだろうか、嫌な汗を墨寧はじっくりとかいている、
その様子に伊乾が気付いている、おろおろと処方をしたいが、
それを許されるような状況ではない。
「貴方を赦すことで、私は多くの目的を果たすことができると知りました、
何時だったか、もう忘れましたが、貴方がしたいと熱望したことが、
叶えられる時に少なくとも、その傘下には不思議と幸福が降りてきた、
将兵も民草も、それを操縦するのが私だと思ってました」
「それが、あの夜変わったというか?」
「いえ、結果としてあの夜によってまた、他方の民草が救われたことを奴隷になって知りました、
貴方にその意志があろうと無かろうと、そしてその膨大な天秤の多さに諦めました」
「何をかな」
「全てを救うことを」
「やっと入口に立ったか、昇らなくてもよい階段を昇ったな」
墨寧は急速に目の前の男の魅力が凋んでいくように思われた。
どうしてだろうか、墨寧にとって歓迎するべき思考を身に付けた周雲を見て、
ただ残念だと思ってしまう、正直に口に出しておこう。
「残念だ、お前はそうならず、そうなってはお前の力は失せるだろう、残念だ」
「貴方に惹かれる理由の一つに、多分そこだけを信じていたのだと私は思います、
貴方は本当に人を殺したことがありませんね、墨寧様」
「…そうだ、お前と同じようにな周雲」
徐粛が驚いて目を見張った。
墨寧が殺していないという事実に驚いたが、
それを自覚していた周雲、また周雲も殺していないことを墨寧が知っていたことに驚く。
この二人は、やはり師弟という間柄なのかもしれぬ。
精錬、清潔さのようなものがその人を殺したことがないという事象から発生するとすれば、
二人はその臭いを嗅ぎ分けて、自然、それ以外の誰とも違う位置に居たのかもしれない。
「自分が下さずに殺した、死んだ者はたくさん見たのでしょう」
「お前と同じだ、お前の代わりに典晃と徐粛が殺しただろう、俺も影翁と蔵慈がそうしてくれた」
「それが卑怯だとか、そう思う時期もありました、
それでも殺さずにどうにかする力もないのに、
気付いたら、周りが私の代わりにどんどんと暗闇に進んでいくように思われました」
「ほう、まだ甘いことを言うな、そこまでされて、お前は発憤するべきじゃないのか、それらの為にも」
「貴方らしくもない他人の為という言葉、それが皮肉かどうか、
それはもうどうでもいいでしょう、貴方との共通点を断つことで、
私はまた昇りますよ、わかりますか?」
「もう俺にとって魅力のあるものではないということだ」
「そう、私からも貴方になんの価値も見いだせなくなる」
「はは、離縁だな」
「そう、破談です」
「……周雲」
「郡令墨寧殿、貴殿を私自ら殺して差し上げる、袂別の餞に」
「いらぬ世話だ、お前のその姿を見るだけで俺は、まったく死ぬよりも不幸になる」
墨寧の声を聞かず、周雲は腰の剣を抜いた。
それが墨寧に向けられる、その耳には先ほどからずっと一つの音が届いている、
墨寧達とはとはまったく別の次元に到達している二人が戦い続けている。
蔵慈の剣は、円を描いて空間を断裂させていく、
空気が輪切りになっていると形容できるだろう。
「大した技だな」
「ふんっ!!!!」
会話をする余裕は蔵慈に無い。
その褒められた技を、やすやすと典晃はかわしている、
いや、矛で薙いでいる、並大抵のことではないだろう。
接近戦で間合い充分の剣よりも、その扱いに手を焼く武器で相手にしているのだ。
しかし、その余裕が油断に必ず変わる、
蔵慈はそう信じる、念じる、唱える。
それでいて、踊るような剣技は衰えることのない演目を披露していく。
「何か、狙っているか…っっ!!」
キンッ、カンッ、ギンッ。
典晃は言うことで重圧をかけていく、
舌を巻く剣の軌道だ、何か狙いがあってそこに到達するよう技は進んでいる。
準備が整ってきているのが、見ていてよくわかる。
その前に叩き潰さなくてはならないはずだ、はずだが、
「速く見せて見ろ、俺に剣を抜かせてみせろよ」
「………!!!!!」
馬鹿なことをしてるな、典晃は己を笑いながら、
目の前の男のそれを待ってしまっている。
その技を見たいという気持ち、破りたいという気持ち、
酔狂なことに目覚めてしまったものだ。
公人という立場や、大勢を引き連れる大将という地位から、
転がり、泥にまみれ、あれこれとしている内、
己の楽しみに気付いたらしい、旅人になるのも悪くないやもしれぬ。
山賊のまねごとをしつつ、飽いていた人生をこの生死の間で噛み締める。
「違う」
「?何がだ」
「既に、はじまっているのだっっ」
すわっ、蔵慈の動きが鋭さを増した。
いや、ずっと増してきていた、それが頂点に届くのを待つ、
そう典晃は思っていたが違うのだ、不規則な剣の動きは、
先ほどから、一度として同じ軌道にない。
それまでの動きを、それまで以上の速度で襲ってくる。
決め手となる技があると勝手に思っていたが違うのだ、
この一連の連続攻撃こそが技だったのだ。
「面白いっ!!」
「ぜいぁあああっっ!!!」
蔵慈の剣が回転を増す。
どんどん速くなる、どんどん鋭くなる、どんどん迫ってくる。
回転剣戟は、全てを削りとるようにただ近づいてくる、
今では、全て受けて流す、かわす、防ぐのそれしかできなくなっている、
典晃は追いつめられていくばかりの自分に驚いている。
いつの間にか、反撃をする機会を全て失ってしまった。
恐ろしい、遅い頃には、いつか良い機会が必ずくると思わせ、
知らず守勢にすることで、ずるずるひきずりこんだのだ。
ドガガガガガガッッッッ。
剣速が目や音の支配する世界を引き払った気がする。
集中している、技の展開に圧倒的な自分を注入している、
蔵慈はそうなっているのに、ぽっかりと己が開花していく状況を、
じっくりと味わうようにして自覚している。
やはり、この男を相手にしてこそ開くのだ、ひきずられるのだ、導き出されるのだ、
強い何かに引かれることで自分は強くなれる、
それを典晃と出会ったことで知ったが、
もう一人、墨寧からも学んでいる、自分とはまるで違う力によって、
ずるずると、気付けば好敵手に出会うまでになった。
また、旅人という世界に逃げていた自分が集団に戻ることができた。
今は、ただ、己を開花される喜びに負けぬほど、
「主君に手は向けさせぬっっ!!!」
「よく見たっ!!!!」
蔵慈の剣が動く、技が発動していると言いながらその段階がさらに進んだ。
両手で一本を振り回していたその手、上から一撃を振り下ろす、
そこから突きへとその軌道はかわり相手を下げさせる。
その突きが右手一本で行われる、典晃の視線からは絶対に見えない死角にて、
蔵慈の左手はもう一本の剣を抜いた、右手の突きはさらに右方へと、
身体を開くように薙ぎを見せる、それを典晃はよく見て両手で持った矛の柄を使って受ける。
刹那、蔵慈の左手が完璧に隠された位置から突如涌く、
左手逆手が右手の剣の薙ぎを追うようにもう一度薙ぐ。
スワッ。
空を切った、そんな馬鹿な。
蔵慈は、初めて、この技を発動させてから、
踊り続けて一度も目覚めなかった、とぎれなかった技への集中がプツリ切れた。
完璧な先読みというべきか、己の技の軌道を予測していたそれから、
あっさりと外れた、本来なら左手の技になんらかの手応えが残るはずが、
まったくかすりもせずかわされた、それによって初めて動きがブレた。
典晃はそれを逃すわけもない。
ジィィィッ、
焦げるような音。
左手の軌道について、典晃は読んでいた、
速攻を受けながら、身体がその一撃の軽さに感づいたのだ。
手が一本になっている、もう一本が何かをする。
それだけの判断材料が、猛者に与えられると手がつけられない、
身体の開き具合から横薙ぎが間違いない。
相手の気持ちになる、いや、その技を既に頭の中で体得している、
この男は尋常でない、相手に憑依するように、
技を受けながら、放ち手と同じ視界を見ることができている。
そこで、動きが見えた、決め手、終わりがついにきた。
「抜かせたのは見事だった」
呟くように、そんな長い言葉を呟けるほど、
それまでの動きから制動を無くした蔵慈の動き。
典晃は無念の表情を刻んでいる、どうしてだろう、
そうか、これが終わるからか。
そこまで自覚する余裕があるというのに、身体は最早、それを終わらせるための動作を、
きっちりと、全く油断も隙もなく繰り広げる。
受けていた矛をすんなり捨てた、そして腰の剣をヌキながら下がる。
抜きながらすれ違いに斬る、いや、それでは浅い。
抜いて、上段から降ろしてこそ即死、それが美しく相応しい、
それだけの時間が充分ある。
シャラ、鞘が泣いた、典晃の剣が白日の下に晒される、
白日は嘘だな、炎に揺らめく戦場に姿を見せる。
ジャインッ、
別の音が響いた。
続け様、墨寧のいる場所にその音の主が降り立つ、
誰もが解っていたことだろう、もしかしたら、
皆が、そうなることを望んでいたのではないか。
振り上げた周雲の剣は降ろされることがなかった、
典晃の剣も手応えを覚えることがなかった、
天の声が聞こえるほど、ありふれた、ありえた、当たり前のところに物語は落ち着く。
「双方それまででござる」
黒装束の男が、剣を二本携えて、
墨寧方と周雲方の間に割って入った。
その前に、典晃の一撃をうまく薙いで蔵慈を救っている、
相当の手練れだ。
その手練れが闖入したすぐ後、さらに大きな声が落ちる。
「貴様ら、全て武器という武器を放棄せよ、私が5つ数えるまでに捨てぬ者は全て、
天下、延の国への敵意と認識し、しかるべき処置を取る」
声高らか、大きな、広がりのある美しい声が降臨した。
最初に割って入った男の後に続いた貴人の声だ。
貴人が名乗る。
「南州、州令である、貴様ら如きが直視できる人物ではない、皆、かしづけ、額を地へとすりつけよ」
無茶苦茶な要求だ、そう思うが、その声の圧倒的な存在感に、
気付けば、全員が武装放棄を促されている。
いや、言葉だけではないその内容にもよる、州令という言葉、
普段、決してこのような下々の場所には降りてこない。
圧倒的な、完璧な、絶対的な公人だ。
それだと痛感させられるだけの力が声にこもっていた。
「影翁、天晴れだ」
「お褒めに預かり光栄です」
止めに入った男は、当然のようにして影翁だ。
死んでいるわけがない、そう墨寧は思っていたが、
要人に仕えているのは意外、いや、驚きだった。
しかし、しっくり来ているあたり、
想定しきれていなかったわけではない。
「この場は、天帝親衛隊が制圧した、これ以上の抵抗はムイミだ」
「…」
「頭がそれなりに良いのが揃っているだろう、首謀者どもに告げる、この戦はな」
一息置いた、大将と見えるそれの声は、
大変よく通る、そして圧倒しているままだ。
「天の下に、天帝があることを示すこととして落ち着いた」
言い放たれた言葉の意味があまりに重い。
墨寧方、いやもともとは曹蓋方であるが、それら警邏隊は無能を晒したと言われた、
周雲方、反乱軍である彼らは、ここに鎮圧されたと宣言された。
お互いは完全に死に体となる。
天帝派の攻撃隊はおそらく、この言葉の自信の源となるほど注力されているのだろう、
それらで二つを鎮圧すれば世の中は泰平を手に入れ、そして、
つじつまも合うようになったのだ。
墨寧、周雲、徐粛、それらを上回った形で彼らは唐突に降りてきたのだ、
立場的には大変狡いそこにいるが、勝ったものが正義の世の中だ。
「抵抗は無駄と心得よ、全てに縄をかける、そして全てが己がまだ生きられる。
その自信と根拠のあるものは安心してつくがよい、天はそれを裏切ることがなかろう」
謎解き、と言うほどでもないが、
その声にばたばたとその場の者は投降することとなった。
反乱軍も結局、天帝派に裏切られたということを覆すに至らなかった、
ともかく、全て、何もかも、天帝の威光により退けられた。
そういう風に世の中は統一された。
☆
「囚人共が並ぶな」
「………」
無言のまま、全ての罪人とされた或る一定の男達は並べられている。
全て手に枷をつけられ、それを見下すのは間違いなく南州令で、その片腕と思しき影翁。
「いいか貴様ら、お前達がどういう人生を歩もうが知ったことではないが、
それにより、残念ながら世の中は反応を起こした」
「…」
「そのせいでこの体たらくだ、解るか?平和が乱されたのだ、貴様らによって」
この言に百ほど言い訳が立つ。
彼らが起こした乱れによって、中央地方ともに圧倒的に平和な時代を、
5年近く過ごしているのだ。世の中の犯罪という犯罪が5年の間、
それまでよりも八割方落ち着いていたのだ。
それは彼らの功績と讃えてよいはずだ、はずだが、彼らは決してそれを褒めずただ続ける。
「お前らは罪人だ、等しく、だが有り難いことに貴様らは生かされることとなる」
「墨寧、周雲、典晃、徐粛、蔵慈、鐘豊、伊乾」
「貴様ら七名は特に罪が重い、最早、死ぬのは軽いほどの罪を犯している」
「そのため、貴様らはこれから、死ぬよりも確かに償える方法にて、贖罪を積み重ねることとなる」
一つ、間が置かれた。
「南州、州令の下にて、貴様らは特務を扱う任務に着くのだ、異論や、反論は許されぬ」
かくして、集められた男達は、その他同じような男達とともに、
南州に囲われる奴隷となったのだ。
それまでの奴隷とは違う、土木建築や重労働やそれらとは、
少しだけ趣が異なる、それに身をやっすることとなる。
「見張りとして影翁が貴様らの側にある、懐かしい顔ぶれになろう、仕事はおって伝える心せよ」
「お、お待ちくださ」
「聞こえないことにしておく、何度も言わせるな、貴様らと私の地位の間に超えられない壁があるのだ」
喋りかけることすら罪となる。
全員は、混乱をしながらも、ただ、言われた通りにするしかない、
おそらく、仲間割れをすることもできないだろう。
そのような自由は無い、何もかもを失うというのはこれを言うのだ、
失われた者は誰かが得るものなのだ、そうでなくてはおかしい。
余談はそこまでとする。
ともかく、長かった一連の事件は幕を閉じたのだ。
南州州令が行った、派閥の調整を取る仕事が完了したのだ、
不可解な輩は取り除かれて、何十年か前の均衡を取り戻したのである。