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燕雀鴻鵠  作者: 見城R
20/22

7−3

「賊将墨寧の命、ここに潰えたりっ!!!」


どおおおおおおっっ!!

大きな勝ち鬨があがった、その声に圧倒された形で、

大混乱はもはや収拾のつかないそれとなった。

その混乱ぶりをよく見極めて、徐粛はすぐに次の段階へと戦術を進める。


「敵は混乱のきわみぞっ、今こそ、我らが怨みを討ち果たせっ」


言えば応える、その様子で奴隷たちは怒号をあげて、

当り散らす、何十人もの正規兵たちが一瞬で首をおとされた。

万単位の勢のうち、たかだか数十人が死んだだけだ。

しかし、その戦況を現状で正しく理解できるものが、

墨寧隊には一人もいなかった、いや、いたのかもしれないが、

恐慌状態となった正規兵達はもう、言うことを聞くわけがない。

我先にと逃げる、そして、その薄いところへめがけて徐粛達が突撃している。


ばからばからばからっ。

雨にまぎれての大混戦ならば、もう、何が起きているか、

戦場を正確に把握できるものはいないだろう、ただ徐粛達の声から、

出来る限り遠ざかろうと、墨寧隊の兵士達はともかく走って逃げた。

やがて、その追い立てる声が小さくなったことに安堵する。

ゆっくりと振り返る、雨のざんざんとした風景に敵の背中がいくつも遠ざかっていく。


「…………」


「………あっっ!!!!!」


「し、しまったっ、追えっっ!!奴ら、小勢じゃっ、狼狽えるほどのことではない、急げ追撃じゃっ!!」


「お、おおおっっ!!」


「このまま大将格を失う失態をさらしたまま、国許に帰れると思うな、続けっ」


副格だった省令が慌てて事の次第を飲み込んだ、

しかし敵はかなり遠くまで逃げている。

急ぎそれを叩かなくてはならない、大軍でせめておきながらわずかな小勢相手に、

散々に蹴散らされたとあっては沽券にかかわる。

また、墨寧という、いわゆる左遷組に入りかねない上司の下で不遇と自らを嘆いていた男たちが多い。

彼らはここで、幸いなことに至らぬ上司を失ったのだ、その後釜を狙うためにも、

なんとしてもここで武功を立てたい、そうした想いが噴出した。

これらの力は凄まじく、簡単に逃げおおせたであろう、徐粛隊との距離は、

みるみる縮まってきたのだ、遅れている敵隊の一部を殺しながら、懸命にそれらを追う。

大多数が追いかけるさまは、壮大で無駄があろうとなかろうと、ともかく小勢が完璧に不利だと、

誰の目からも明らかになる。


「徐粛様、追っ手がやって参ります、かなりの速さ」


「なんとか走れ、私についてこい、バラバラになれば死はすぐそこにくる、まとまって逃げよ」


「奴ら、馬がいいっ、すぐに追いつかれちまうっ」


「安心しろ、しんがりは典晃だ、ともかく走れ、生き残りたくば走れっ」


徐粛はあらぬ限りに声をあげて、逃げる味方を鼓舞した。

そして、先頭を走り先導を続ける、旗印をあげているので、

味方が迷うこともないが、それを目印に敵も追ってくる。

どこまでも逃げ切れるものでもないだろう。

徐々に距離が縮まってきている、相手のうちの足の速いものだけが抜きん出てきた様子だ。

徐粛隊に動揺が走り始める、それを懸命にいさめつつ、ただ、走らせる、

やがて追いつかれる、その恐怖が部隊を襲ったのが解った。

狂乱が伝播する、徐粛隊の足が乱れた、その時、


どぉっ、


鈍い声の波があがった。

追いかけてきていた駿馬の敵将は、あっと言う間に落馬し絶命に至った。

まだ、後ろから徒歩で追いかけている墨寧方の兵隊は気付いていない、

雨でぬかるむ中を必死においかけてきた、戦線は足の速いものから順にと、

伸びきっている、そこは細い山道、森の間道といったところだ。

徐粛達の馬がしたりと、馬をとめて馬首を返した。

敵の歩兵は、徐粛達が観念したと見た、落馬した味方の姿は見えないらしい、

死地へと、敵はむざむざ飛び込んでくる。

そのまさにムシケラ然とした人の群を見て、


「かかった…これが本当の埋伏戦術だ」


徐粛が鋭い気を吐いた、それに呼応して、

間道の端に隠れていた伏兵が一斉に叫び昇った。

あっ、あぶり出された敵兵は瞬時に自分たちの境遇を悟ったが、

全軍に伝播するには、あまりにも長く、細く、戦線が伸びきっている。

分断するように、影のかしこから、奴隷達は這い出してきて、

その仇を散々に打ち散らした、逆転する、何もかもが逆転する。

今度は怒濤となって追いかける番となった。


「に、逃げろっ、逃げろっ!!!」


慌てて逃げていく、その大将の首がごろりとまた転がった。

あちこちから縄が投げられ、馬上の男達は次々に引き倒される。

そして、馬と、剣と、矢と、弓と、兵馬と装備のほとんどを奪われることとなる。

命乞いに暇のない兵隊達、だが、それを構わず蹂躙する、

戦争の暗部が口をあけて、ここで嬉々とした声を上げる。

戦争の最も陰惨な部分が露呈し、無惨な戦場風景を降臨せしめた。

命乞いをする兵士が無惨に殺される風景が当たり前に転がり続ける。


「周雲様っ」


「…うん、我々の正義を示すっ、不当に扱われた今の地位に対する怒りを、

恨みをここで晴らすっ、我らの解放を今、天に認めさせるのだっ!!」


その戦争風景を、仕方ない、仕方ないとただ、

念仏のようにして自分に言い聞かせる、もう一人の大将格。

徐粛は会心の勝利を得たと近づく。

徐粛の戦争方法は間違いなく、この場で最高の勝利をもぎ取った。

あとは、この勝利を条件にして、講和に持ち込むのが、

通例のそれだろう、周雲はその戦場をしっかりと見定めて、

とうとう、幕引きの準備を整えたこととなった。



「伝令、伝令っっ!!!」


「どうした」


「左翼の墨寧隊が、壊滅したとのこと、敵方、未だ気勢荒く、方陣を展開しているとのこと」


ぴくり、曹蓋の眉は小さく動いた。

少々時間をかけ過ぎたか、頃合いを見計らって、

戦場に横やりを入れるつもりだったが、既に済んでいるとは。

予想外のそれだ、しかも方陣を組むだけの人員を残したとなると。


「墨寧は死んだのか」


「おそらく、討たれた所を見たという者もおります」


無念の様子で伝令はぐぅと唸った。

曹蓋は、じっくりと考える、確かめるように自分の考えをまとめる、

戦の趨勢は未だ自分にある。

相手方は勝利を得て、志気に勝るとはいえ、所詮小勢、

しかも墨寧達と戦を交えているのだから、当初より、

明らかにその数を減らしている、物量兵量にて負ける要素はない。


「……講和の使者が来るかもしれぬな」


「いかがされますか」


「さて…」


考えたのは、墨寧隊の仇を掲げての殲滅だ。

一番確実で、その後の処理も簡単になるだろう。

だが、墨寧が愚か者とはいえ、ここまで惨憺たる結果となったことを考えると、

苦戦が予想される、それはその後の沽券に関わりかねない。

相手の狙いとうまく帳尻を合わせるか、

曹蓋の中に打算がある。

敵の首謀者連中さえ殺してしまえば、所詮は奴隷身分の連中、

その後、いかようにも殺すことができる、戦場以外でもそういったことは可能だ。

それに労働力をこれ以上失うのは得策ではない。


「講和の条件を、どうと考えるか」


「向こうは抵抗の強さを示しました、おそらくその示威にて、少なくとも反乱の罪を解くことを申し出てくるのでは」


「ぬるいな」


「確かに、こちらはいつでも殺せるというのに」


「となると、もしや、天帝派のそれと何か、やりとりをしている可能性があるな」


「裏手に何か不穏な兵団を斥候が発見しております、それかと」


「そうか、そちらには3隊をまわしておけ、講和が済んだと同時に殲滅だ、適当に威嚇しておけ」


「やはり、殺しますか」


「いや、奴らとは取引をよい条件で行いたい、それだけ準備できる輩なら、私の役に立つ可能性もある」


曹蓋は欲を出した。

その脳裏、片隅に、敵首謀者を墨寧が気がかりとしていたとある、

それならば何かあるやもしれぬ、話を聞いてみてそれから判断もよかろう。

その為には、


「若干、寛大な処置をしてやるとするか」


「ほう、としますと、言い訳はいずれに」


「元々、この乱の大権化、岩倉県の管轄は墨寧の下にあったわけだ」


「ほほぅ、死人のせいにしますか」


「もっとも賢い、古来からの優れた裁判だろう、墨寧の監督不十分により仕方なしとする」


「中央が納得するかどうか」


「そのために、奴らを生かしてまた、労働力として使役することが条件となろう、何人か郡令を道連れにしてかまわん」


曹蓋は、そのあたりで、そういった口調で、

ぴたりと周りの取り巻きを下げさせた。

敵陣よりの使い、伝令の報告が入った。


「よし、通せ」


曹蓋はすぐにその使者を受け入れることにした。

しばらく待つと、するする、数人の男達がやってきた、

いずれも奴隷から身を起こしたとは思えぬほどの立派な服飾を揃えている。

なるほど、使いと言いつつ、大将格がそのまま出てきたか、

剛胆なことだと、敵陣へとずけずけやってきた男達を見守った。


「中央警邏の曹蓋である」


「お初にお目にかかります、周雲と申します」


「聞いている、そちらは徐粛と、典晃殿かな」


うやうやしく、名指しされた二人は頭を垂れた。

典晃の姿を見て、このままここで殺すのは骨が折れると考えた、

とりあえず話を聞くことにする。

曹蓋は、ゆるり、そう腕を一つ振って、周雲の頭を上げさせた。

視線が交わる、鋭い瞳、強い意志が宿った、とてもよい色の瞳だ。


「さて、講和に来られたかな」


「………大罪を天下が認めてくだされば、この乱は静まります」


「大罪か…墨寧の失政は、確かにゆゆしき者であったな」


「はっ」


曹蓋が、隠すことなく墨寧を悪者として終わらせる筋書きを語った。

それに、すぐさま飛びついたというべきか、周雲は合わせて呼吸を吐いた。

そのあたりが、うまい落としどころとなると見ているか、

曹蓋はじっくりと、周雲の出方を伺うことにする、少しつついてみる。


「さて、貴殿らの言い分はどうか」


「お役人様に現状を認めていただき、相応の対応を求めております」


「ほう、大乱を起こしてなお、相手方の不備を罵り声をあげるか」


「なんと」


「恫喝するつもりか、そうであろう、我らの背後に控えている妖しげな兵団」


「………」


徐粛と周雲が少し顔を見合わせた。

曹蓋が指した位置には、確かに兵団が駐屯している、

それは、天帝派の遣わした自警団の一つだ。

曹蓋の情報網はなかなか広い、そして、網は細かい、

しっかりと掴んでいるらしく、その位置の正確さから、対処も問題なく済まされていると考えられる


「残念ながら、それらは無力だ、我々に弓引けばそれは天に唾すると同意、さて、どうする」


「いえ、誤解をされては困ります、我々は武力恫喝が目的ではありません」


「ふむ、ならば背後のそれは関係がないと言うことだな」


「はい、我々は所詮奴隷です、中央のお役人様と強い絆などございません」


「お前らからはそうだが、果たして、中央役人から近づいてきたのではないか」


「と、おっしゃいますと?」


「装備、兵力、地図、それらを中央より供与されておらぬか、我々を苦戦させるようにと」


「さて、中央の役人様よりそうされる道理がございませんが」


「ふん、馬鹿げた話はよそう、貴様も知っての通り、中央の天帝派がそうしたのであろうと言っておるのだ」


周雲は、少し顔をあげた。

言い訳をするつもりのない表情だ、

悪びれた風もない、なかなか図太いと見える、いい男だ。

曹蓋は思わず笑いが浮かんだ。


「まぁ、これくらいにしよう、当方とて無益な殺生は好まぬ、穏便に事を済ませたいと思っておるのだ」


「はは」


「貴様らの言い分はわかった、大罪を犯した墨寧の所業について我々は認識を糺すであろう、

おしむらくはその大罪人を生きたまま裁くことができぬそれだが、そこは赦せ」


「………」


「そして、言い分は認める、今回の大乱を起こしたことについては反故としよう、しかしだ、

以前の罪までも許すわけにはいかぬ、それ故、罪の重さに応じて、やはり労働の義務を課す」


「………」


「呑めぬとは言わぬな、わかっておるだろう」


曹蓋には自信があった、一歩強く踏み込んだが、

こちらのこの譲歩に絶対抵抗できない。

そのような力はもう残っていない、現状を把握して最も賢い選択を、

この男ならするだろう。

斥候や諜報を使い、奴隷達の権化というべきか、

その初っ端と発端と原点と動力と、

それらを包括する力の噴出点をほぼ同定している、つまり奴隷達の戦力を完璧に量りきっている。

それを臭わせるだけで、彼らは自分たちの無力を悟り、奴隷らしく、下々の民らしく、

公民にかしづいて生きていく。

今までそうしてきた曹蓋の結論はそこにある。


「大罪さえ、認めていただければその後のことはなんとも…」


「大罪?」


周雲はくぐもった声で一つ上げた。

ゆっくり、それは練習してきたのかというような、

見事な演劇の動き。

するする、徐粛と典晃が下がった。

周雲は歩みを少しだけ前へ、

そして、懐より木簡を取り出す。


「大罪は、ここに集約されます」


「なんだ、それは」


「逆賊曹蓋、中央政府、いや、天帝勅命により、貴殿の死を持ってこの大乱を治める」


「………」


「聞けい、逆賊に荷担するは、延の国に背くそれに他ならぬ、既に形勢は決している」


「今、この場で投降するものには恩赦が用意されている、そうでないものは全てが反逆の使徒となるだ」


間髪を入れずに徐粛と典晃が声を続けた。

そして立ち上がり、大きく身振りをつけた。

申し合わせていたのか、外では大きなうなり声が響いてきた、

どうやって時機を量っていたのかわからないが、

方陣を構えていた奴隷達の声が怨嗟とともに、

この陣を襲う、瞬時にして動揺が駆けめぐる。


「狼狽えるなっ!!!!」


大喝、曹蓋の吼え声はその場の誰よりもはっきりと、

そして大きく、雄々しく響いた。


「さえずるなよ奴隷無勢が、天帝の名を語るなど、まさに大逆のそれ、

貴様らは死してなお漱ぐことの出来ぬ罪を犯した」


「ふん、小鳥を五月蠅いと呼ぶ貴様は、さぞ大鳥であろうな、その大鳥の糞にまみれて、

見たか、世の中が汚れていく様を、それを天は憂えたのだっ」


「何を馬鹿なことを」


「知らぬなら教えてやろう、既に中央にて、曹蓋以下警邏大隊が天下騒乱の武力蜂起をしたとなっている」


「そのようなワケがあるまい」


「愚かなことよ、宰相様がなんとか恩赦を求めておられたが、押し切られた現状を知らぬか」


「嘘ばかりを並べ立てて、何一つと説得の力を持たぬ、おいっ、殺せっ、血祭りにして天に捧げろっ」


「話にもならぬ、この木簡が全てを記した勅命ぞ、既にそなたらの左翼だった隊の大半が我らに降ったわっ」


「!」


曹蓋は、はた、気付いた顔を見せた。

何もかもが手遅れになっていると、ようやく、

将棋を間違えていたことに気付く。


「そうだ、貴様が備えのために三隊を動かしたのは汚点であるな、おかげで我ら本隊と見せかけた、

囮の方陣に少数を残した結果となった、既に伏兵としてそれらが隊がまわりを囲んでいる」


それが、この声の主か、

動揺する兵士達の耳には、怨嗟の声がなお強く届く、

しかし、曹蓋は当然納得するわけもないし、

これは詭弁だと決めつけている、今、自分の時勢において、

中央が、どれほどの力を使おうとも捻り潰せるほど小さな人間ではない。

最早、自分は中央政府の中枢にいると自負している。

だから、なお傲慢は吼える。


「黙れっ、中央警邏の総大将として数多の戦場を駆けめぐり、その戦歴とともに、

多くの民を救ってきた私を誅するなど、万が一に帝が仰られたにせよ、かならず宰相様が」


「分かり易く説明しましょう」


激昂する曹蓋をたしなめるではなく、

本当に、落ち着かせる声で周雲はたんたんと、

事と次第、そして、現状と真実を語る。


「既に、貴方は詰んでいる状態です、中央全ての状況は『警邏隊の武力蜂起』という謀反の罪です」


「何度も嘘を言うな、そのような虚言がまかり通るわけがなかろう」


「貴方の得意な情報戦です、天帝派は既にこの噂で中央政府の意見を統一させました」


「宰相派がそのようなこと許すわけなかろうっ、まして、宰相様自身がっ」


「まだ気付きませんか、ここ数年で、貴方が介入した人事によって中央の優秀な宰相派役人が、

皆、この戦に参戦するべく西州に送られていたこと」


「それが…!」


「気付きましたね、中央は貴方の言うことを聞く、

所詮貴方が制御できる程度の役人しか居なくなったのです、

中央で雌伏を構えていた天帝派の真に優秀な役人は今、

羽ばたいているのです、愚鈍な役人を押しやり、

その地位、権力、政治力全てを自分たちのものにすり替えて」


「そのようなこと、私が中央を出てくる前にその予兆すら」


「無いにキマっているでしょう、貴方は中央に居なかったのですから」


「馬鹿な…」


「貴方が遠征に行く度にそれは仕込まれていったのですよ、

そして、帰って来た時には気付かれないように、

とても静かに、したたかに、確実に、病と同じく気付く時には手遅れとなるように」


「はっ、確かに、そうであったとして…さて、民意がどう出るかな、政治不信を煽ることになる」


「それは安心を、今回の奴隷蜂起について、同情が集まっております、

その同情が怨嗟に変わる先が、あなた方軍部となるようにできております、

自業自得ですね、でっちあげで捕まえた奴隷も多いのですから」


「そもそも、宰相様がそのような不審を許すわけがなかろう、

政治が乱れることで民を苦しめることが最も苦痛と思われている方だ…絶対に」


「そう、だから今回の件のキモはそこにあります」


周雲は黒い瞳のまま、得意げではないが、

しっかりと最後の詰めを進めていく。

囲まれているという状況ながら、この奴隷から、気付けば中央特使にまで、

変貌している立場を、最大限に生かしていく。


「宰相様の譲歩はここに詰まりました、貴方が降伏することで宰相様の監督不行届は見送ります」


「なっ!!」


「貴方が私を殺し、そしてこのまま中央へと戻ってみなさい、

天帝派軍部が動いて、いよいよ、天下騒乱になります、

無論その時には、宰相様は謀反人として裁かれることとなるでしょう、

お味方の少ない中央でどうしようとも、

既に身柄を確保されているので西州にはこれませんしね」


「そんな」


「だいたい、既に天帝派の軍部である背後の隊に対して、

示威行動を行っておられる、状況は揃っています。

貴方が謀反、武力蜂起による国家転覆をはかっているという証拠は充分なのです」


「…謀りおったな」


曹蓋が黙った。

ぐりっ、大きく何かをかみ砕いたかのような音がした、

それほど強く奥歯を噛み締めているらしい。

この男の脳を持ってすれば、既に、今からどれだけ怒り狂おうとも、

どうにもならないと解っている、ただ、どこで間違えたか、

打開策がどこかにないか、それを探すことに始終つとめるつもりだ。

もう、周雲の声など聞くつもりもない、走って逃げるという、

もっとも手っ取り早いこともあるが、そうすれば後々窮することは明らかである。


「無駄ですよ、地に隠れていつかと思っておられるでしょうが、

さて、無駄ではないかもしれませんが、はたしてそれからどれ程の時間をかけて、

今よりも上へと目指されるか、それよりはここで降伏し、今一度、

下級となりながらも大手を振り歩ける街道脇にいるほうが得策では?」


「…いつから、いや、どうやって…まさか、墨寧が裏切っておったかっ!!」


「いやぁ、残念ながら、墨寧様はそもそも御忠義の人でありましたから、それは無いですよ」


「ならば」


「まぁ、人の数だけ様々なことがあるということです、貴方は敵を作りすぎましたな」


「…」


検討もつかない数の人間の顔が浮かんだ。

地方へと栄転と騙して動かしたいずれかが…、蹴落としてきたいずれかが…、

そう、思うと最早どうともならないことに気付いた。

西州内に既に反乱分子がいれば、いよいよもって瓦解は免れ得ない、

しかも、そろそろ、宰相からの寵愛も薄れつつあると感じていたから尚のこと。

全てにおいて、時代が終わった、役目が終わったということを痛切に感じた。


「いかがか、今まで貴方が演出してきた、役目の終了という人生の岐路に立つ気分は」


「…ふんっ、どうとでもいえ、いずれ貴様も歩く道だ」


「貴殿の最初の仕事は、民に謝ることだ、そしてその後の仕事は奉仕することだ、司政の立場で、

彼らを裏切り続けた罪、その重さをこれから思い知れ、そして贖罪を重ねよ」


「どの口がそうほざくか…」


曹蓋は、取り乱したように、

大きくかぶりを振った。

既に連行されようかと構えを見せていた時だった、

だが、突然にそれは大声で叫ぶ。

人間一人が吐き出す、最大限の恨みをもって、

どす黒いそれを、その場に、吐瀉するかのように吼えた。


「貴様と俺の差は毛ほどもない、いつまでもそのように小賢しい策略で生きていればいい。

毎日毎日、陰謀と策謀に溺れ、脅え、恐怖に絡め取られながら、やがて出てくる全ての人間を、

敵と、仇と、悪と決めつけていく、そのように歪んでいく日を、楽しみに待っているわっ」


「………」


「忘れるなっ、貴様によって、確かに俺は落ちるだろう、だが俺についた下級の者達が全て、

貴様ら奴隷と位置を交換されたにすぎないことをっ、所詮何もかもは打開されないのだ。

よかったな、お前の周りだけは幸せだ、ああ、俺の居たその場所はさぞ幸せに溢れている、

それを甘受し、やがてくる破滅に脅えて生きろっ、偽善者がっ、でなくば、ただの妄言者がっ。

正義などと、まやかしを振る舞う、愚か者よっ、死ぬまで貴様は己を正当化し、

他者を辱めて生きるがいいさっ」


「貴様…っ」


「いい、典晃、言わせてやれ………嘘ではないのだ、彼の言い分も」


「周雲様…」


「嘘では、妄言ではないのだ、紛れもない真実だ」


唐突なそれは、用意されていた台詞だったのだろうか、

あまりにもお粗末な罵詈雑言ではある。

周雲が、表向きに、奴隷達が立ち上がった名分として用意していた。

正義、解放、抑圧者への怨嗟、

それらの裏側には、曹蓋の言ったことが満ちあふれている。

所詮、どう足掻いても、誰かが這い上がる時、その分地盤沈下が起き、

また、誰かが落ちていくのだ、その部分に目を背けて生きていく人間のみが這い上がっていく。


どこまでも続く怨嗟と、歪み、湾曲。

周雲は、いつからか無口になった時、その脳でこのしがらみを考えていた、

考えながら、今回のその最も怨むべきであろう手段を構築し、

実践し、今、ここに完遂させたのだ。


「周雲様」


「徐粛殿、流石の策でした、初戦の勝利が無ければ…」


「枝葉の出来事でしょう、このような計略が裏にあるならば、勝つ必要も無かった…」


「そうではない、勝つ事で少しでも奴隷達の気晴らしをさせなくてはならなかったろう、

怨嗟を抱えたまま、表へと戻らせれば、遠からず戻ることとなる」


「その為に…曹蓋、墨寧を殺したのですな」


「…っ!」


周雲は、一瞬だけ顔をしかめた。

ぐいっと拳を握って、それをゆっくりと、

握った力と同じだけの反発力を使い解く。

解いた時、口は刻む。


「その通りだ」


「よく、乗り越えられました、貴方は施政者になれる」


徐粛は、上っ面だけのその言葉を向けた。

周雲が罵られることを欲していることを知って、その覚悟に、

少しだけ哀しさを覚えた、今までの周雲では受け入れがたい。

どうしようもない部分を、いよいよ目をつぶり乗り越えたことで、

大きく失った何か、しかし、得た、あるいは失った部分を埋める何かが、

周雲を一つ別の者へと変化させたように思われる。

背中を見る、今は少し小さくなっている、

しかし、その背中にまた、翼を備えて昇る日が来る、今すぐにでも来るだろう。


「典晃」


「おう、わかっている」


「そうだ、あの日と同じように、やはり、我らでこの人を支えるのだ、今後何があろうとも、今生の誓いぞ」


「そうだな」


気のない様子の返事だ、既に大勢が決した。

曹蓋の遠吠えのおかげで、己らの運命を知った輩は、

ほとんど反抗することはなく。

ただ、その恩赦にすがりついての投降とあいなった。


「周雲様こそ、軍神やもしれぬな」


「ほう、徐粛先生ほどのものがそう申されるとなると」


「なに、この戦、勝ちを確かめにここまで現れた、それだけでその手腕を示すは充分だろう」


「難しいことはわからん」


「そうだな」


徐粛は気がかりが一つある、はたしてその手腕をどうして、

ここまで鮮やかに見せる必要があったのか、

徐粛に言わずこの政治を完遂したことは素晴らしいの一言だが、

それ故に、何か裏があるのだろうとわかる。

哀しいかな、結局周雲も、他人を信用しない一面を持った。

それだけに気がかりと覚えている。


「大変ですっ、一部の敵対分子が不服を露わに未だ、武装解除せぬ模様」


「結局、戦をもう一度せねばならぬか…行ってくる」


典晃がすぐにその声にひきずられて走っていった。

周雲と徐粛は残った、政治で決着した戦というのは、

どうも締まりがなくていけない。

徐粛はそう思っていた、周雲の顔を見る。

まだ、苦渋の表情が抜けない、悩み抜けばいい、

半ば放り出すようにそう思ったが、はた、気付く、


「……そうか、ここまで読んで」


「行こう、我らは英雄として表世界へと帰ることができる」


消えそうな声で周雲はそう言った。

おそらく涙で濡れているだろう表情は見えない、

徐粛は、もう一つ、哀惜を感じた。


「戦を終わらせる為の戦を…か」


結局誰かが死ななくてはうまくならない、

何かを、とても都合良く落とすには、

都合のよい犠牲と、

都合のよい無駄と、

都合のよい捨て駒が必要なのだ。

それらすらも、周雲は今回用意していた。

墨寧が、かつて、そのように政治を司っていたではないか、

成長していたのは奴だけではない、この身近に、このように大きくなった人物がいる。

徐粛はついて歩く、そこへ続報が入った。


「火計が、火計が発した模様っ!!!」


「なっ、典晃は無事かっ、何をやっているっ、さっさと終わらせなくては、

それにかこつけて天帝派に制圧されかねん」


徐粛は怒りに真っ赤になる。

すぐに自分が続こうと使いをはじき飛ばす勢いで走り出す、

政治的な決着はかなり周雲達有利で動いている、少しでも予定と狂えば、

そこを足がかりに天帝派は容赦のない裏切りをしてくるだろう。

そういう世界で、そういうものだ、その方が都合がよいのだから当たり前だ。

徐粛がそう考えている背中で呟く声、涼しく、それまでと異なる色。


「火計…そうか、墨寧様は、生きておられたか」


周雲の瞳に火計の明るさが映り込む、

真っ黒になっていたそこに、炎の明るさはよく栄える。

炎の吸い寄せられるように、周雲もそちらへと駆け出した。



「墨寧様、成功ですぞ、成功ですぞおおっ」


「五月蠅い、黙れ肥り気味、いや、肥り過ぎ、過肥り」


「これは酷い」


ほうほうほぅ、と鐘豊は笑って傍らを離れないでいる。

意識を取り戻した墨寧は、まだ車に横になったというべきか、

車に乗って指揮をしている。

脳裏では、様々なことが動いている、身体が動かないおかげで、

脳をよく使えるようになった、墨寧はその事態に少しだけ感謝する。


どこで決着させるか、曹蓋はおそらく死んだだろう、

周雲はおそらく天帝派になっている、俺ならそうしている、だから奴でもそうする。

そこに、宰相派でありながらどう滑り込むか…。


「伊乾の薬はよく効いたな…」


「有り難き幸せ、もう少しお時間があれば、完治させられるほど滋養について学んでおります」


「そのような才まであったかお前は…」


「いやはや、伊乾殿は素晴らしいですぞ、この料理とて、ほれ乾物をよーく煮込んだ汁物ですが、

いや、滲み出る味と濃厚な味と体中に染み渡る味が、まったくもって、大したものでございます」


ほっほっほと、当然の如く食べ物など受け付けるわけがない墨寧の横で、

太り過ぎの鐘豊は、ばくばくとそれを頬張って、いちいち拙い言葉で訴えてくる。

この馬鹿、どうにかならんか…、と思うが、追い払うほどの元気は無い、

ともかく、今は自分が長生きするために、全部の他人に恃む他ない。

奇しくも、この時墨寧は、ようやく郡令として最も重要な、

他人に仕事を任せ、己が大局を達成させる。

その神髄に触れつつあった、幸いなことに、うらぶれているとはいえ、

かなり優秀だった男達が集まっている、彼らがそれぞれ、

墨寧を信奉はしていないが、彼を祀っておけば良いことがある、まだ、

宰相派勢力としても生き残ることができると打算している。

それにのっかり、墨寧もまた、彼らを利用する。


「ともあれ、頼むぞお前ら、少し下がれ」


ははっ、二人の県令はほいほいと、

言われたままに下がっていった、傍らにもう一人残る。


「蔵慈…」


「ここに」


「典晃と決着はつけられなんだか」


「相手にもされませんでした、精進が足りません様子」


「そうか…」


形勢は未だ圧倒的不利だ。

それでも善戦しているのは、血気盛んな馬鹿な省令を一人前線に配置し、

それに付随する仲間共を全部そちらへとやったことにある。

そして前線指揮を他の省令とあたるように仕向け、

今回の戦、墨寧は黙り続けることになった。

その自由さが功を奏したか、好き放題に暴れている省令達は、

よい戦をしている、しかし、これは水物だ、すぐに化けの皮が剥がれて、

あっと言う間に駆逐されるだろう、問題は、駆逐された後だ。


墨寧は既に、彼らが駆逐されることを望んでいる。


まぁ、そのような腹黒さは今に始まったことではないが、

彼らが少しでも長引かせている内に自分をどうにかせねばならない。

自分だけは助かろう、そう考えているが、

誰もがそう考え、そして一番したいと思ったことをさせてやっている。

墨寧は、怨まれるいわれはない、先読みができないそいつらが馬鹿なのだ。

そう捨てている。


「影翁が帰ってこぬ今、側を貴殿に守って戴きたいが」


「……」


「どうするか、契約は好きな時に立ち去るとしてしまったからな…」


「お引き留めになりませぬか」


「はは、口振りが影翁に似てきたな、約束は破らぬ、破る時はほころびがある時だけさ」


「言葉面を大事になさるのですね」


「それが、俺の生き方だ」


「影翁殿は、おそらく天帝派に通じておられましたな」


「……」


墨寧はそれに気付いていた。

所詮は利によって動く男だったのだ、利用しやすかったであろうから、

墨寧の側にいたのはよくよくわかっていた。

そして、形勢がおそらくは、奴隷に周雲達がいると知った頃から、

天帝派に組みする道を見つけていたのであろう。

何度か、訊ねて、信じたふりをした、老夫婦の仮面舞踏のそれだ。


「影武者の件、聞いておられますか?」


「ふむ、俺が逃げられた由の一つだな、俺と似た装束のものが死んでいたと」


「あの時、その装束をされているのは影翁殿のみでした」


「そうさ、律儀に土産を置いてくれたということだ、皮肉なものだ、おかげで苦しみが長引いた」


「本当に、そう思っておいでですか?」


「どういうことか」


「その死体こそ、影翁殿そのものではありませんか、その時間稼ぎで貴方は生き延びると信じておられたのでは」


「馬鹿な」


「願っておいででしょう、そうだと、変装の達人でありましたから、それくらい造作もない。

いや、そうでもしなくては、敵を騙すほど精巧にはできませなんだでしょう」


「そのようなわけが、ない」


墨寧はすーっと一つ息を吐いた。

少し苦しい、毒がまた、ゆっくりとまわったように感じた。

それに苦しがって、少しだけ涙が流れたと思う、そうに違いない。


「それはよい、そんなことよりもお前と問答している時間が勿体ないのだ」


「そうでした」


「蔵慈、お前はどうする、俺の首を取って向こうへ渡るか?」


「さて、それは止めることにしました、ご安心を」


「信じられるかのぅ」


蔵慈は、剣を抜いたままずっと立っている。

それは、典晃と数度だけ交えた剣だ。

その数度でかなりの刃こぼれをしている、ムシケラのように散らされた、

そして、その相手がまたやってこようとしている。


墨寧の頭は、もう少し、忙しく働かなくてはならない。

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