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燕雀鴻鵠  作者: 見城R
2/22

1−2

林隣県では、ナタネ油が採れる。


地熱が高いせいか寒暖の差が小さく、年中暑いか暖かいかのどちらか、

そのおかげで、年中ナタネを収穫できる。

産出量がこの所、飛躍的に伸びている。

曹蓋という県令が赴任してからのことだ。

森近県よりも内地側にあり、中央に近いせいもあるのだろうか、

周りではそんな噂も立っているが、この県は異常なほど通行が厳しい。

県管轄下の大農場があるのだが、その一切は県民ですら知らない。


「知られてはいけないことをしているわけか」


「そうでしょうな、もともとは県の中央街があった場所、高い塀に囲まれ農場となったと」


「まるで刑務所だな」


「流石墨寧様、その通り、その農場の農夫は罪人であります」


「労働奉仕をさせる、なるほど立派な公共事業か」


「ええ、それはもう素晴らしい県です、犯罪検挙率が『最も高く』、非常に優れた警邏がいる様子でして」


「それにしても限界があろうにな」


「なに、最近は他県からの罪人も集めつつあるとか、刑罰の社としての任が近々降りるとも」


ふぅん、墨寧は聞きながらそれを鼻で笑った。

うまいこと考える奴がいるもんだな、

墨寧とは見ている視線が違うとその視界に高さを感じる。

どちらかというと、誰かを貶めることによりそちらの不利益を自分の利益に転換する、

そういった生き方をしてきている墨寧にとって、

大がかりな利益を生むシステムを考えつく人種というのが、

奇異となって写る。

面倒くさいことを考える奴がいるものだと。

墨寧にとって、何かを運営するという長い目を持たなくてはならない事業というのは、

面倒臭い、飽きる、あほらしい、

といった言葉で片づけられてしまう。

それ故にそれをちまちまとやり遂げようとする者は自分とは異なる、異人だ。


影翁から聞いた、曹蓋の人物像は大奇異と写った。


「流石、あいわかった、なかなかだな」


影翁は、ただ、うすら笑いを浮かべてモチを食べている。

墨寧の焼いたモチは、この爺の顔も自然な笑顔に変える。

よほど美味いのだろう、もう一つに手を出そうとしたところ、

墨寧がそれを横取りした。


「墨寧様…」


「誰かが儲けようとするその瞬間にかすめ取る、それがまぁ、一番手っ取り早くていいんだがな」


「確かに、額面だけ収めればよいのですからなぁ」


税金と言うが、とりあえず上役に言われる額をどんな形でもいいから納める、

それが納税という行為にほかならないのだから、一理ある。

儲かっている所からその分を自分に補填すれば、

自分は合格基準を満たし、なお、相手は凋落する。

その方法を考えなくてはいけない。

森ばかりで、また、住民も劣悪な環境に慣れ親しんだ者ばかり。

向上心が欠落しており、その日暮らしが永遠続く家系を代々有り難がっている。

それらに期待はしない、努力や精進やがんばりなどという、

得体のしれないものを、全く信用しない墨寧は、ある意味この土地に適合しているといえる。

この不毛の県で収益を上げるには、それなりのことが必要だ。


「まぁ、とりあえず黙っていてもあれだしな、明日からだ明日から」


「心得ました」


言って、影翁は影となった。

慣れた様子でモチを片づける。

表に転がっていた死体は知らない内になくなっている。

別段驚きもしないで墨寧は、大きないびきをかいて眠る。



「来てはみたが、さて」


墨寧と影翁の二人は、

正装にてくだんの県までほいほいとやってきている。

喧嘩を売られた相手に、悪びれた風もなくやってくる。

こういう精神的な嫌がらせが、とりあえずのクサビになると、

敵地にわざわざ乗り込んできた。


「入れるかな?」


「身分証はお持ちでしょう、それで事足りるかと」


「どう来ると思う?」


「さぁ?」


ふふふ、墨寧は面白いことを見つけたように笑って、

長蛇の列に身を置いている、噂の通り、

通行するだけに並々ならぬ手続きが必要なのだろう。

大半が行商のような身なりが多い。

おおかた、ナタネ油の商人だろう近隣の県から集まってきているのかもしれない。


「しかし、たかだか県単位のくせにこの役人の数は尋常じゃないな」


「確かにそうですな」


森近県の役人は、墨寧と影翁の二人だけだ。

酷いものだが、それでことたりるくらいの土地と人間の数なのだから、

推して知るべきである。

そんな状況ならば、二人同時に役所を抜けることはできないはずだが、

それらの五月蠅いことが全て野放しとなっているのだから、

自由な気風と、中央から相手にされていない風土が見て取れる。

少し待ち、ようやく二人の番がまわってきた。


「名前と所属、なんだ?商人にしては身軽だな」


「いや、商人ではないのだ、隣の森近県より参った、新しく赴任した墨寧と申す、一つ曹蓋様に挨拶をとな」


驚いた様子で受付の役人は目を開いた。

それを二人揃って、もの凄い作り笑顔、例えるなら目を細めた蛙の彫り物のような、

ともかくだ、つやつやてかてかと顔が鈍く油ぎるような笑顔を見せている。

気味悪がった役人は、とりあえずその身分証だけを確認し、

さっさと二人を奥へと通した、簡単に入れるものだな。

そう思う先に、


「案内させていただきます」


「いや、これはかたじけない」


油断ならない雰囲気の役人がまた一人やってきた。

受付に3人いて、道案内が1人いて、どんだけ雇ってやがんだおい。

墨寧は、少々羨ましく思ったがともかく利潤が人を呼んでいるのだろう、

そう考えて、へいこらと下手に出て、ついていくことにする。

黙ったまま、にこにこと作り笑顔は絶やさないようにしつつ、

影翁の視線を悟られないように、案内人に喋りかけ続ける。


「もともとは山の出でして、とんとこのアタリのことはわかりませんでな」


「……」


「ここは一つ、ご高名な曹蓋様に一つ、ご講談をと思いましてな」


「……」


「しかし、繁盛されている様子ですな」


「……」


「やや、あの高い塀はなんでありましょうか、案内人どの」


「つきました、奥へとお進みください」


一つも返事をしない案内人はうんざりした顔で二人を見送った。

っち、舌打ちを小さくしてみたが、聞こえてもとりたてて何か言ってくるふうはない。

あまり忠臣とは言えぬのかもしれんな、にやにやと墨寧はそれを確かめて、

言われるままに前へと進んでいく。

薄暗い廊下、二人はもたもたしながら、それでいて現在地を頭にたたき込んでいる。

県の面積のどれだけをこの屋敷と言うか、県令の領地で占めるのか、

ほったて小屋しかない墨寧からすれば、垂涎のそれだ。


「影翁」


「ここに」


「見えたか?」


「おおよそは」


「そうか、さてだ」


「はい」


墨寧はゆっくりと歩んでいた動作をやがて止めた。

歩けども歩けども、暗がりは重たくなるばかりで開くそぶりがない。

数歩進んだところで気付いていたことだが、

これはこれは、客をもてなす態度ではないな。


「どうしたものか、嫌われておるな」


「そうですな、焼き殺したいほどなのですからな」


ははっ、渇いた笑いで墨寧はその冗談を好ましく覚えた。

頭の中は既に決まっている、いや、これまでと同様にいこう。

墨寧の顔つきが、暗がりのせいもある、一際悪い色にそまった。


「どうやら、ご主人は客が来たことを知らぬ様子だ」


「そのようで」


「お知らせせねば、なるまいな」


パッ、火花が一瞬だけ散った。

影翁の気配が背後から消えた。

腰に帯刀を許したのは失敗だぜ、墨寧はそう思いつつ、

暗がりで動く相手をよく見ている、一撃目を弾いた火花、それが先の分だ。


「翁っ、2対1だ、いけるな」


ささっ。

足音だけがする、声がけをして、わざと自分の位置を相手に報せている、

解った上で言っているから、その声はそらぞらしい。

相手は3人だ、内1人は先ほどの案内役だろう、足音が似ている。


「既に」


先の問いかけに翁の返事が届いた、1人屠った。

形勢が逆転したと考えて問題ない。

相手の動揺が、暗がりで空気を震わせている、伝わる居場所、

墨寧は迷うことなく、どずり、一撃を見舞った、

浅い、そう思ったが、すぐ後、派手な手応えがその上を通っていった。

翁がトドメをさしたらしい、あと1人。

だだだだだ、足音が慌てた調子で遠ざかる。


「逃がすかよっ」


明るい方向へと逃げていく背中を追う。

影翁が、追いかけていく墨寧の横をすりぬけた、

そして追いついて、逃げる役人の足を払った。

どたりっ、大きな音で暗がりから元の明るい廊下へと転がった。

そこへ馬乗りになろうと、墨寧が飛びかかる。


「何をしておられるか」


「!!これは」


曹蓋だ。

墨寧は瞬時に悟った、というか、正装が県令のそれだ。

この場所で、それを着ているということは自分か、それしかない。

ちょっとまずいか、墨寧は頭を働かせる、

下手を打つと、不法侵入とか、領内で暴行を働いたとか、

それこそいくらでも理由は作れる。

こっちがメインの罠だった可能性があるな、思った次の瞬間に墨寧は行動をおこしている。

不意打ちには、即断で対応しなければ、一瞬でも様子を見たら死ぬ。

彼は、今まで、様子を見た奴をことごとく落としてきたから解っている。


「お初にお目にかかります、昨日赴任して参りました、森近県県令、墨寧と申します」


「それが、わが屋敷で」


「はは、安心してください」


にぱっ、ヒマワリのような作り笑顔を見せる墨寧。

影翁は後ろで様子を伺うようにしている、

血濡れた刀は背中に隠した、まだ抜き身のままにしている。

主に何かあったとき、『自分だけは逃げられるように』それを念頭に置いてそうしている。

しかし、そのあまりの作り笑顔と、はつらつとした発言に、

いささか気圧されたのか、一瞬口ごもった曹蓋。

まくしたてるように、口を挟ませないように墨寧は続ける。


「不逞の輩は排斥しておきました」


「不逞とな、それは」


「主人に上客が来たというのに、道案内が不案内でございましたのでね」


凄む声、低く腹の底から絞るように出した。

それでも顔は、相変わらずひまわりのような作り笑顔だ。

県令の側には2人の役人がいる、あと墨寧の足下に1人、

表に3人として、もうこれで全部くらいだろう、それ以上は雇えないはずだ。

墨寧は願掛けにも似てそう思いを募る。

それ以上いるとなっては、喧嘩を売る相手を大きく誤ったことになる。


「いやなに、私が相手でよろしかった、もし省令様や郡令様でありましたら、

このようなことになれば、それこそ、曹蓋様の汚点となるやもしれぬところ、

もうそのようなことは無い様子ですぞ」


墨寧は、これで咄嗟とはいえ、自分が持ち得た札を切ったことになる。

あとはなるように、薄氷の上をおそるおそる渡るというよりは、

一本の綱の上を全速で駆け抜けたような危うさ。

足を止めれば落ちる、止めずとも向こう側が無いやもしれぬ。

さぁ、どうでる。


「なるほど、あい、わかった」


太い声で、曹蓋はそう言うと、

やおら、墨寧の足下ではいつくばる男に、一瞥をくれるまでもなく刀を突き立てた。


「あばばばばばっっ!!!!!ぎゃああああ」


ばたばたばた、背中から貫かれた男は、もの凄い勢いで暴れだしたが、

その口を曹蓋は踏みつけて、それ以上何も発せられないようにした。

瞳だけが、泳ぐように、それでいて憐れみと許しを乞うような視線を流した。

それを睨み付けて、さらに踏みにじった。

墨寧が今度は気圧された、思わず二歩ほど下がった、

ばたばた、暴れる男はやがて静かになった、ゆっくりと足をはずす。


「これはこれは失礼をしましたな、下僕の失態は雇い主の失態、お見苦しいところをお見せしました」


「いえ…お気遣いなく」


「貴殿の言う通り、危うく恥じをかくところでした、数日後、省令様がやってこられるのでね」


言いながら、ゆっくりと刀を抜いた。

生々しい紅い液体が、とぱとぱと床を濡らした。

曹蓋はゆっくりと、大きな動作で歓迎の型を整えた。

歓迎の礼、それを見て、慌てて墨寧が謝辞の礼を取る、

形式上、これにて、この二人の県令は正式な面会を果たしたこととなった。


「改めまして、林隣県県令、曹蓋と申します」


「はは、森近県県令、墨寧と申します、本日は突然で申し訳ございませんでした」


「なんの、歓迎させていただきます、表の受付よりお話は伺いました、

県令としての心得をおたずねにとのこと、僭越ながらお力になれるところは答えさせていただきます」


「それはそれは、大変ありがたく存じます、様々な手法をお教えいただきたく思います」


「手法?はは、私には難しいことを説明することはできませんが、恨みを買い火事を防ぐ方法などならば一家言」


悪びれた風もなく、そう切り返してきた。

なるほど、確かにろくでもねータマだ。

墨寧はそう思ったが、薄ら笑いをそのままにして、

足下に広がる血だまりを見ぬまま、その上に浮かぶように立つ男を見つめ続けた。


「しかし面妖な」


「?」


「私、本日の訪問理由については、確か今しがた亡くなられた案内役にお話しただけだったのですが」


「では、早速一つお教えしましょうか」


「?」


「県令たるもの、相対する者を立てねばなりません」


「ほう?」


「そうでなくては、人心は掴めず、恨みを買いますぞ、気を付けてください」


返り血と血糊の刀。

その下に涼しい笑顔と歓迎の礼、

それらでできている、


林隣県の曹蓋という県令は。

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