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燕雀鴻鵠  作者: 見城R
13/22

5−2

墨寧をかばった男は、中肉中背、だが、

一目で武術の心得を感じさせる雰囲気を備えた男だった。

飛んでくる矢玉は全て、手に携えられた刀により中空へと消えていった。

恐るべき技と言うべきなのだろう、

墨寧は、その異次元のそれに黙り続けながら、己の安心を悟った。


「…逃げたか」


助太刀の男、蔵慈はそう呟いて刀をおさめた。

少し反り気味の姿勢が本来の形なのか、

真っ直ぐに立つと、少々胸を反らしたような体勢となる。

墨寧は、まだ気心を許すわけもなく、とりあえずの会話をしてみる。


「命を助けて戴き、感謝の言葉が見付からぬほど、本当にありがとう」


「いや、なんということはござらぬよ」


言いように、どこか義侠を臭わせている。

墨寧はまだ、彼が名乗った「旅人」という人種について知識を持たない。

余談となるが、この国には流民ではないが、

旅人という、州や郡に縛られず定住をしないで渡世人をしている者がいる。

それらを旅人と呼ぶのであるが、墨寧は初めて出会ったのだ。

出会った瞬間に強い印象を植え付けられた。


「礼をしたい、どうすればよいだろうか」


「一宿一飯にありつけましたら」


「なるほど、ならば、それを生涯保障するとすれば?」


驚いた様子の蔵慈。

それなりに世間を知っている渡世人だけに、

省令ともあろうものが、どこの馬の骨ともわからぬ自分に、

そのような言葉をかけるとは、夢にも思わなかったらしい。

あまりの魅力に、一瞬たじろいだ、すぐに墨寧は続ける。


「私は省令になったが、あまりにも力が弱い、そなたのような優れた能力を持つ者を側に置きたいのだ」


「…考えさせて戴こう」


「そうか、ならば、本日より当家の客となってくれ」


にぱっ、どこで習ったか解らないほどの作り笑顔で蔵慈を向かえることにした。

蔵慈はその笑顔にころりと騙されたようにして、客の地位に甘んじた、

腕は立つが、あまり頭はよくないらしい。

墨寧はそう思う、その刹那、ぱらり、また雨が落ちてきた、ということは、


「省令様、大丈夫でしたか」


「お前は、俺を殺す気だったのか」


「め、め、め、滅相もありませんっ、そのような、いや、あのようなことになるだのと…」


しどろもどろに言い訳をする鐘豊を少しだけ言葉でいたぶっておきつつ、

墨寧は視察を終えて帰ることにした、ただ、別れ際に、

しかと、鐘豊に告げている。


「賊は省令の命のもと、討伐をしようぞ」


「ありがとうございますっ、省令様っっ!!」


大喜びをする鐘豊を冷たく見つめたまま、

それでも、墨寧は彼になんらかの価値を見出したらしく、

決して貶めるようなことはせず、旅人である蔵慈を連れて一旦、

己の住処である、省庁へと戻った。

馬でおおよそ1週間かかる道のりだ。


「翁、どうだ」


「揃っております、それなりの兵隊であります、全部で200」


「ふむ、以前の県における民を思えば、大変な数じゃないか、これで賊を討つぞ」


「さて、どういった風の吹き回しやら」


「用兵を覚えておきたいのだ、戦でヘマをするようでは出世できまい、その練習だ」


なるほど。

と思ったが、いつもの行き当たり場当たりではなく、

考えてそのようなことをする墨寧に、進歩というか、

何か、今までの不気味さはなく、ありていな凡庸さを見た気がする。

所詮はその程度の男なのだ、普通の事が最も正しいとはいえ、その裏切りの無さに、

墨寧を包んでいた大物かもしれない臭が薄まる。

翁は少し残念に思うが、それでも身の丈にあわぬ位を目指す男の背中を、

ただ、じっと見る。


「ふむ、一日休んで、またとって返すとしよう、そうだ紹介しておこう」


言うなり、墨寧は蔵慈を側に寄せた。

影翁は、慇懃な笑顔を見せて、その見ず知らずの男をじっと見る、

ただならぬ気配と、同じ瞳で見透かされることで、

嫌悪に近い悪寒を覚えた。


「両者ともそう身構えるな、雲樹県で私を救ってくれた蔵慈殿だ、今日から当家の客とする」


「それはそれは、主墨寧様がお世話になりまして」


「なんの影翁殿…ところで、そなたはどこの流派であらせられるか」


「はて…ただの身の回りの世話をする爺でございますわ」


「…そうか」


お互いからただならぬものを感じ取りあったらしい。

墨寧にはわからぬ世界だ、そう思いながら蔵慈の目利きの良さを気に入った。

今まで、影翁を不気味と思いつつも、武術に優れるとまで見破った男はいなかった、

そう思えばやはり、この男はそちらに慧眼を持っているのだろう。


「ともあれ、仲良くせぇよ」


両者、とりあえずの礼をとって、

お互いを認めあった様子だった。

墨寧としては、二人が殺し合いをしなければ、何があってもかまわない、

そう思って、長旅に疲れたのか、すぐに寝所に入って倒れ込むように眠った。


翌日、早々に旅立つこととなった。

200人の軍団はそれなりに壮観だ。

ただ、その壮観さと引き替えに、かなり財政が圧迫されるのは、

目に見えている、墨寧としてはこの賊退治で財政圧迫以外の、

何も得ないことをわかっている。

それでもやる。

そこまで思うのだから、戦が近いことを肌で感じているのかもしれない。

200人での移動は当然、2人で急ぎ帰って来た時とは違う、

10日をかけて移動となった。


「よし、駆けるぞ」


初日、言うなり、馬を飛ばして、歩兵を全速力で走らせた。

強行軍に近い形で最初の2日ほど休む間もなく急がせた。

疲弊の酷い200人の兵隊にムチ打つようにして、

一日目は完全徹夜での夜行を含む強行軍を実施し、

二日目は宿営展開後、すぐに片づけさせてやっぱり強行軍を行った。

早くも兵隊の間から不平不満が漏れている。


「今度の省令様は、極度のサドらしい」


と、そんな噂が隊内に蔓延している。

脱走兵はまだ出ていない、たった二日で出るほどヤワではなかろう、

省が雇う彼ら兵隊は、それなりの試験を経て今の地位にいる者だ。

脱走兵という肩書きを持つことは、お尋ね者の全国手配と、

捕まった後のステキな永劫続く労働奉仕が待っている。

だから、易々と逃げ出すことはない。

とはいえ、全員がマゾというわけではない、好んで苦しい目に遭いたがるわけがない、

労働奉仕が嫌で逃げないのに、

それよりも酷い仕打ちにあうとなればどうなるかわからない、隊内が不穏になってきた。

三日目、ぱらぱらと小雨がちらつきはじめる。


「墨寧殿」


「どうした、蔵慈」


「かなり間延びしておりますが、よろしいか?」


「おう?」


墨寧は言われて、後ろがすっかり伸びきっていることに気付いた。

この状態で襲われれば間違いなく死ぬな、

粉みじんになるであろう自分の軍用を思い浮かべる。

道中、敵に襲われるということは無い、

それを知っての強行軍ではあるが、雨でさらに志気を落としたそれは、

その気がない通りすがりの賊にも、やってしまおうと思わせてしまうかもしれない。

飢えたワニの池に糖尿病の男が飛び込むようなことになりかねない。


「そうだな、少し速度を落とすか」


と、確かに進行を緩めた。

ばしゃばしゃと水が地面を叩く音が耳を打つ。

雨のせいで、落ちてきていた体力がさらに削られていく、

墨寧自身それを感じている、雨中は、決して急がせず慎重に進んだ。

おかげで、遅れていた隊も元の列へと戻った。


「墨寧様…」


「どうした翁」


「いえ、雨上がり、あの平野で一つ狩りでもいかがかと」


「…雨後にしか出来ぬ水場か」


確かにエモノが寄りつきそうな雰囲気がある。

その提案になるほどと、機転をきかせてみせることにする。

相変わらず酷い空気というか、分かり易く言うならば仕事場の空気が悪い、それだ。

強行軍に、喘いでいるというよりも、それが怒りにすり変わりつつある男達の前に、

いつもの顔で墨寧が登場する。


「今から狩りを行う、狩り場はあそこだ」


大声で言ったが、まったく盛り上がる様子はない、一同同じ目をして並んでいる。

冷えた目で人を見るんじゃねぇよ…。

墨寧は底冷えする恐怖に似たものを腹の底から感じていた、

ろくでもない指揮官だと思われている。

不満が空気となって墨寧を襲っている。

厄介だと思うが、そんなことは知ったことでない、

嫌なら逃げ出すか、もっと働いて俺よりも偉くなればよいのだよ。

そんな独り言をねんねん、心の底でごちりながら、

狩り場を指さした。


「あそこで行う、今から50人3隊に分ける、一番良かった隊に褒美として雲樹県名産・鬼あべしを贈ろう」


どぉぉぉぉぉぉぉぉ、

にわかに活気づく軍団、200人の兵隊達はその褒美にすぐさま、

目を奪われたというべきであろう、なお、雲樹県名産「鬼あべし」であるが、

これは、名産というわりには大変貧乏臭い酒である。

たいして美味くもないし、ありがたみはあまりない、何よりも知名度が皆無だ。

逆に、その誰も知らないということが、名酒ではないかと期待する心と、

希少なものを手に入れられることでなんらかの欲求を満たすのに充分なのだ。

散々煽った甲斐があったのか、すっかり墨寧への嫌悪は雲散霧消した。

褒美に群がる、先とは違った黒い空気が巣喰っている、ステキ以外の何者でもない。


「流石のお手並みですな」


「どうでもない、翁、煩わすがまた先行し、鐘豊に伝えよ」


「かしこまりました、ところで」


「おう、適当に選んで連れていくがいい、斥候も頼むぞ」


言われて、すすり、衣擦れのような音だけを残して、

影翁が馬を飛ばして消えていった、後を10人程度の兵がついていく。

既に戦は始まっている、そのつもりで仕掛けていく、

後を追う兵は影翁が選抜した斥候隊だ。

残っている40人の兵隊は衛生班のため、戦闘参加しない者達だ。

それらはこの余興を遠間で眺めている、こちらはあまり不平がない、

元来そういう人間が揃っている。


「では、行くぞ」


50人長と呼ばれる、大隊長の指揮によって、

狩り場では盛んな狩りが行われた、鹿やイノシシといったケダモノを、

そちこちから追い立てて追いつめていく。

どの隊も褒美に目を眩ませて、獅子奮迅の働きだ。

それをじっくりと墨寧は見つつ、様々に考える。


便宜上、甲、乙、丙と三隊を区別しよう。


基本的に三隊とも同じ手法をとっている。

狩りの基本である、追い役、誘導役、取り役に別れ、それぞれがエモノを追いつめて捕らえる。

羽でも生えていない限り、この一連の行動によって追いつめることができるはず、

これは古今洋の東西を問わず行われてきたものである。


さてまず、甲隊は、追い役と誘導役、それぞれの人数を少なくして、

取り役に多く数を割いた。


「それゆけっ」


言うなり、追い役が追い込んでいく、追われるままに鹿が一頭出てきた。

誘導役が必死に前を塞ぎ、それを取り役の所へと誘い、いよいよ、


どぁあああああっっ。


「いじめだな…」


遠目で見守りながら、墨寧はギャグではないかという、

その情景を面白そうに眺める。

取り役が多いせいだろうか、その殺到する様は、

鹿に畜生の生涯最高の喫驚を浴びせたらしく、そのまま昏倒して縄にかかった。

なるほど、逃げられないと悟れば獣ですら昏倒するか、

墨寧はそう見てから、次の隊へと目を移す。


乙隊は、何の変哲もない基本通りの人数配分で、基本通りに獣を追いかけている。

ただ、墨寧が見た時は鹿が三頭逃げていた、興味深い状態だ。


「ああっ!一頭逃げられたっ!」


「かまわん、二頭を追え」


「ああ、また一頭!」


「一頭でかまわん」


と、一頭分の人数で換算していたせいか、

二頭に逃げられ、なんとか最終的に一頭を捕獲といった具合だった。

もともと二頭は逃げられてもかまわないという隊長の判断もあり、

欲に目が眩み三頭とも逃すということだけはなかった。

なかなか重畳、その調子でもくもくと作業めいた狩りを続けていくらしい。


そして最後の隊である丙隊に目を移した。

そこで、墨寧は口をあけたまま、しばらく息をすることすら忘れた。


「追えーーーー!!!!!」


わー、わー。

そういった具合でほぼ総員と思われる追い役が怒濤の追撃を見せている。

仮初めというか、何のために置いているかもわからないような、

誘導役が一人、獣を誘導するではなく、追い役を誘導するために指さしをしている。

それに合わせて、どどどどどど、と凄い勢いで追い役達はなだれこんでいく。

追われている鹿は二頭だ、そしていよいよ取り役が、


「す、少なっ!!!」


取り役はなんと3人、二頭が出てきたところで、

両手を拡げて通せんぼとしているが、なんというか、

鹿を止めるというよりも、追い役を止めているように見えなくもない。

が、意外なことに、一頭が取り役ではなく、追い役に追いつかれて捕まった。

そしてもう一頭は取り役が押さえた。

結果だけ見れば、一番の戦果を上げている。


「それぞれ面白いではないか」


墨寧は、一人殿上人にでもなったかのように、ふむふむ頷いてそれに拍手を贈った。

こうして、三隊の狩りが終わった。

結果、何の変哲もないことを続けていた乙隊が一番だった。

何事も普通と呼ばれていることが、何にも勝るという、面白くもなんともない結論だ。

ちなみに後は、取り役が多かった甲隊、追い役が多かった丙隊の順で終了している、

丙隊の布陣はかなり面白いものだったが、いかんせん体力が途中で切れて、

後半はまったくエモノを上げられなかったのが痛かった。

追いかける役が多すぎると短期でしか働けなかったらしい。


「よし、約束通り県についたら贈呈しよう」


おおおー!

雄叫びが上がって無事余興は済んだ。

夜、捕らえた獣をさばいて、獣肉で英気を養う、

翌日からは、通常の行軍で進む。

途中細い道や広い街道など、若干迂回しながら進み、

いよいよ、県庁まで半日というところで夕方になった。


「よし、止まれ」


「?…墨寧殿?」


いぶかしげな表情で食客である蔵慈が問いただした、

しかし、墨寧はそのままで、20人の小隊長各を集めて評定を始めると伝えた。

当然、小隊長達も驚いている、今から急げば夜までには辿り着くことができるのだ。


「もう戦は始まっている、明日の昼に県庁へ到着し、その足で掃討作戦に取りかかる」


ざわざわざわ、少しざわめきが起こる。

当たり前だろう、皆が皆、

県に入ってゆっくりしてから掃討へ出るものだと思っていたのだから、

墨寧の脇には、先行していた影翁が戻ってきている。

この作戦については、

既に県へ伝えてあるらしく、迎えなどは一切よこさせなかった。

だが、宴の用意だけさせてある、今県庁にたどり着けば、歓待が待っているわけだ。


「というわけで、明日完勝をおさめれば、晴れてその完勝の祝いとともに酒宴が待っている」


うむぅ、そういう具合で小隊長達は唸った。

そして、あきらめではないが、納得をしていよいよ、

評定が始まった、先行隊の斥候、偵察報告を入念に聞き取る。


「賊の数は80、おおよそ10人組で行動をしている様子」


「装備は?」


「今、かき集めていると見てよいと思われる、ここ数日、鍬や鋤が盗まれる事件が多発している」


「ふむ、ならばまだ大きな損害は出ておらぬということか」


「とんでもございません、この大農場にて農具がないとはゆゆしきことでございますよ」


影翁が、にやにやと笑う。

墨寧は、はいはい、と取り合わない調子にしておきつつ、

さらに評定を進める。


「聞いての通り、県民が大変困っている、我々はこれらを助けることで、

明日の歓待がより一層素晴らしいものとなるだろう」


「了解しました、省令様」


「では、明日だが、先日の狩りと同様三隊に別れる、丙隊は私とともに別行動」


「??」


「残り二隊はそのまま県庁へと入っていき、そこから森へ攻撃開始」


地図に指を置く墨寧。


「数日前から伐採を進め、視界の拓けている場所がある、これだ、これ」


指が動き説明が進んでいく。

地図には、確かに紅く○を付けられた場所がある、

森の中腹、近くに川が流れているらしい。

県庁から東へと真っ直ぐ進んだ場所の様子だ。


「当然伐採をさせているから、道はすっかり整えられている、この広場へと賊を追い込むこと、以上」


作戦の全体は語らなかった、ただ、指示を与えただけという印象。

小隊長達はぽかんとした具合で、動揺が見られる。

当たり前だ、特に何か実力を示したわけでもない男が、

先の狩りでもっとも成績の悪かったものを連れていくのだから。

それが要の作戦など、不安がアリに余っている。


「省令様、せめてどのような策かだけ教えていただけぬか」


「火を使う」


ざわざわ、さらに動揺が広がった。

火計は、兵法でもかなり高等なものだ。

実戦経験がまったくないと思われる男のその無茶な提案に、

動揺はさらに広がる、しかも、この場所は年中雨が多いことで知られ、

およそ火計が成功するとは思われない土地柄だ。


「墨寧殿、失礼だが火計についてどの程度お知りかな」


蔵慈が突然口を挟んだ。

いや、助け船を出した感じではある、

墨寧は、さて、と困った表情を見せたが、

更に影翁がそれに続いた。


「墨寧様、これに」


「ん」


言うと、影翁は一本の木ぎれを渡した。

どうしてそのようなものが都合よく出てくるのか、

それはわからないが、渡したものは湿った生木の様子だ。

それを墨寧は受け取るや否や、一瞬にして火を灯して見せた、

またも、呆気に取られる小隊長達。

これには流石に、蔵慈も驚いた様子だ。


「こんなもので信用できるかどうかわからんが、ともかく火を使う、どうか」


押し黙った。

それだけで黙らせた、墨寧はともかく自分が勝つことしか描いていないから、

彼らがどうして納得できないのかよく解っていない、解っていないながら、

その場凌ぎの手品で凌げるのならば、この兵達は頭がよくないな。

そう考えている、知能はどっこいどっこいだと思うのは影翁くらいであろうが、

ともかく、これにて戦評定は終了した。

夜の帳が落ちる。


早朝、全軍が揃う。


「よし、では手はずの通りに、頼むぞ」


先の狩り場で最も武功を立てた50人隊長に言い残して、

墨寧と丙隊は、迂回して本道から外れて消えていった。

言われた通りに、残り150人は真っ直ぐ、県庁へと向かっていった。


「墨寧殿」


「おお、蔵慈殿、すまんな戦場にて警護を頼む」


「それは、よろしいですが、昨夜の火について…」


蔵慈は、己の領分を超えた、個人の力というのを見せつけられると、

旅人として見過ごせぬ体質の様子だ。

今後、自分が生き残るために、一つでも智恵を蓄えておきたいという、

気持ちの現れとも思える、墨寧はにやりと笑って、

秘密だ、などとうそぶいた、風のように馬を駆り、森深くへと侵入していく。



「うははははっ!!!当たったわっ!!!、行くぞ、囲め、蹴散らせ、血祭りじゃぁああああっっ!!」


墨寧の絶叫にも似た嬌声が木霊している。

森深くでは、囂々とした炎の揺らめきと、

それに煽られて、もはや恐慌状態となった賊が見える。

県庁近くから追い立てられ、半分近くは捕らえたか討ち果たした様子だ。

賊が、例の広いところへ出た時に、はめられたと気付いたが、

まだ半分近く残っている、抵抗できると心を引き締めた様子だ。


そこで、突然の大炎上、そして、イノシシと見紛うような50人の兵隊の特攻。


墨寧は、丙隊のイノシシっぷりを気に入って率いていたらしい、

追いつめられたエモノである賊は、目の前に突如涌いた炎と敵の総攻撃に怯んだ。

完全な恐慌状態に陥ったらしい。

あとは、もう一網打尽という形で、ひたすら引っ捕らえることに始終した。

ただ、


「うわっ、」


「わびびっ」


「へぶらっ」


「何をしておるのだ、ほら、あちらっ、逃げてる、ああっ」


墨寧がやきもきする、が、あまりに殺到しすぎたせいか、

味方同士がぶつかりあってうまいこといかない部分がある。

そこで必死になって賊達が逃げようとする。

気付いたのか、そこにまた人数が殺到する、気付いたら味方も混乱状態だ。

用兵が悪いせいだ、配置をしっかりと決めず総攻撃となれば、

乱戦となってしまう、もう声も届かない喧噪。


「させるか」


その声だけが残り、あとは、一陣の風が吹いた。

墨寧は、冷たさみたいなものをそこに見た気がする。

3人ほどの賊が逃げているところへ、森の影から影へと、

黒い刃が4度閃いた。

気付けば、側にいたはずの蔵慈が消えている、あれがそうか、


すわんっ。

不思議な音がした、その音に耳を糺すような仕草を見せたのは一人だけだ。

寒気のする技だ…。

影翁が、混戦の中でその音に気付き、そちらへとするする近づいた。

もう済んでいるが、その場に立っている男を確認した、

刃は黒く塗ってあり、闇で光らぬようになっているらしい、

元々の稼業は暗殺屋かもしれぬな、

影翁の頭に同業という言葉がよぎる。

少しして万事、この件は終了した、

賊は数人を殺してしまったが、おおよそは引っ捕らえて済んだ、大勝である。


「省令様ぁっ!」


「五月蠅い、お前がくると、ほらぁ」


ざざざざぁ……。

本当に、どうしたらこうなるのだと首を傾げたくなるようなことだが、

県令である鐘豊が近寄ってくるなり、

案の定雨が落ちてきた。

しかし、この雨のおかげであとの消火はかなり楽になるだろう。


「まさかこのような大軍で来ていただけるとは」


「礼には及ばぬ、それよりも言った通りにしているか」


「も、もちろんでございます、八方手を尽くしまして、酒は無事調達しました」


「よし、よくやった、兵の労いを頼むぞ」


「ははぁ」


言われた通りに鐘豊が働いた。

その事実が、一番の収穫である。

墨寧はそう思っている、思いながら、反省がたくさんある、

それを言いたい、くるりと、影翁を探した。

居た、だが、


「いや、今回のお働き、まことに素晴らしいものでありましたな」


「…見られたか、やはり」


ただならぬ雰囲気になっている。

墨寧は、構えるような動きを見せてしまった。

凡人の墨寧がそう思うということは、その気配は殺気以外の何者でもないのだろう、

止めなくてはならない、そう思うが、身体が動かない、

何かが起きる、嫌な予感がある、だが、


「おおーー、これは客人お二方、酒が回っておられませんな」


ほっほっほ、そういう具合で、汗を滴らせて、

鐘豊が近づいた、冷たく凍った気配が打破された。

そして空気を読まない、いつもの通り、さっさと二人に酒を渡して、

何か、くだらない歓談を始めたらしい。

影翁がするりとそこを抜けた、というか、

蔵慈に相手を押しつけた、有り体に言うなら逃げた。


「くっくっく、面白いな」


「墨寧様…」


「何かやんごとない理由でもあるのか」


「いえ、その」


「俺が見るところに、お互いの殺気が反射しあっている具合だな、どちらかが引けばよかろうに」


「…」


その一言で、影翁は、珍しく相好を崩した、

なるほどと思ったらしい。


「心配のタネを一つ減らすことができそうです」


「そうか、だがな、俺の心配はまだ大分残ってる」


おおおー。

どこかで一気飲み大会が始まったらしい、

馬鹿騒ぎをしている、どんちゃんはこれから夜遅くまで続くだろう、

賊達は逃がさないようにしないといけないが、

それについては、影翁がぬかりなく、どうやっても逃げられないように縛り上げてある。

無論それについては、墨寧も手伝った。

二人ともいかがわしい縛り方をさせたら一芸に秀でる、無駄な才能だ。


「今日ので解った、俺は戦に向いていない」


「ほう、殊勝ですな」


「あの混乱は無いな、それに伏兵合戦については、徐粛のそれを思い出すと勝てると思えぬ、凡百のそれだ」


やれやれ、墨寧はそう思いながらも、

笑顔を絶やさないでいる。

無いなら、ある奴を使えばいいのだろう、

そう考えているのだ、瞳がそう物語る。


夜遅くまで、宴は続いた、この後、また同じ時間をかけて省庁へと戻る。

戻る先にはおそらく、他県の情報が集まっていることだろう。


墨寧は、空を伺っている。

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