5−1
「これはこれは墨寧殿、随分と久しぶりですな」
「はは、曹蓋様におかれましては郡令となられたとのことでご活躍の程、頭があがりませぬ」
「ふむ、本心かどうかは聞かぬよ、安心せよ」
「はは、皮肉が手厳しいですな」
「ともあれ、今回の貴様の働きは立派であった、私は郡令と上がる、
省令の席に約束通り貴様を推挙いたそう」
「有り難き幸せ」
「励め」
「無論」
このようなやりとりが曹蓋が統括した省の役所にて行われた。
墨寧は、天帝派のもくろみ、その根幹である、
宰相派よりも動きが早いという利点を帳消しとする情報を、
宰相派に売った。
それによって、宰相派は天帝派を上回る速度でこの問題に釘をさした。
それが先の事件である。
墨寧が、情報を売ったことで今があると言って相違ない、
鮮やかな裏切り劇である。
「無事我々は、『たまたま』南岩倉県を襲う賊徒の情報を得て、警邏を差し向け鎮圧に成功した」
「もともと地方警邏の任につかれている曹蓋様にとって、最高の誉れとなりますでしょうか」
「最高ではないが、非常に喜ばしいことではあったよ、墨寧よ」
曹蓋は、今回の事件により宰相派で、
驚くほどの武功を上げたことになる。
武功というと語弊があるが、ともかく手柄を立てたのだ。
天帝派のもくろみ通りに進んでいたら、間違いなく、
宰相派は弱体の一途を辿らざるを得なかった。
その状況をかんがみるに、宰相派にとってこの事件は天意に相応しい、
比例して、その引き金となった墨寧の裏切り行為は政治的に大きな意味を持った。
見返りの省令就任は、早すぎる出世ではあるが当然とも思える内容だ。
「罪人の中に、貴様の部下であった周雲という若者がおるがどうするか」
「死刑以外、できれば五体満足のまま隷属させて頂けましたら」
「そうか」
不思議そうに首をひねったが、曹蓋はそれ以上この関係に首を突っ込まなかった。
墨寧が話題を避けている、そう見受けられたのでとりあえず音沙汰無しとしておいた。
ともあれ、曹蓋は自分に辛酸を嘗めさせた墨寧という男が、
自分にシッポを振ってきたことに、
喜びと疑念の二つを抱いた。
ただ、疑念を抱きつつも喜びが大きい、そう感じている。
気を付けなくてはいけない男だが利用価値がある、そう考えたのだろう、
その頃、南州では大きな混乱を招いていた。
「賊徒を討伐のため、岩倉県、いや、曹蓋が兵を上げてきたとはな…」
「やられたな、賊徒を放っておき、あらかたの施設を破壊してから逮捕とはな」
南州令と中央上級役人の会話である。
失敗するなと告げた、舌の根も渇かぬ内に大きな失態、
これは、天帝派にとって大きな衝撃だったろう。
宰相派をおさえこむ、乾坤一擲のそれが、
たかだか一県令如きに裏切られ、水泡と化したのであるから、
その恨み辛みの大きさは計り知れない。
「最近の上を目指す役人は、どうしてあーも、間が抜けておるのだ」
「彼らも今頃は男をやめておるでしょうしな」
「宮刑か…生かしておくのもつまらぬことだ」
「あれだけの才です、書記あたりで留めおけば意外と役に立つでしょう」
「さて、だ」
「そうです」
中央役人は押し黙った。
地図を二人で挟み込んで、じっと視線を落としている。
そこは岩倉県全土から西州にまたがる広域が描かれている。
「どのみち紛争は起こせたのだからよしとせねばなるまいな」
「まぁ、多少強引ではありますが、なんとか名分は立つでしょう、掃討作戦は始動したと見ましょう」
「ともあれ、時間がかかってしまうな、1年あれば終わるかと思ったが…」
「私から各州にも告げておきましょう、中央での根回しはお願いいたします」
所詮はそういうことなのだ。
乾坤一擲を炸裂させなかったからとはいえ負けたわけではない、
まだまだ世の中全ての地盤は天帝派に強いのだ。
ただ、面倒が少し増えただけだと考えている、
だがその面倒も、紛争さえ起きてしまえば、もみ消していくことができる。
中央役人や州令ほどになると、それくらいはわけもなくこなす。
そのために今は地図を見ている。
やがて彼らが描いた地図の通りに世の中は動きだすように出来ている。
☆
「さて、省令になったはいいが」
墨寧は、立派になった己のイスを見て、
満足そうな顔をした後、すぐに引き締めた。
このイスの上に長く座るつもりは毛頭無い、
手っ取り早く、郡令になってしまいたい、そこまで登れば、
この男の人生において、究めたといっても過言でないところになるだろう。
いや、郡令になれたら、おそらく上も狙えるということだろうか。
「墨寧様」
「ああ、大丈夫だあまり同じところに座っていると痔になってしまうからな」
「それは大変でございますな」
「今までよりはかかるだろうが、幸い、戦も起きる様子だなんとかなる」
全てが墨寧にとって追い風になっているような気がしている。
出世を願う男の前に、それをかなえる功名が転がり続ける世の中、
なるほど、古来から争いが治まらないのは、
こういった輩が多いせいなのかもしれない、その一人になってみてわかることだ。
「ともあれ、3つの県をまとめるわけだ、もう揃っているか?」
「はい、取り立てて何も特徴のない県令ばかりでございます」
「ふむ」
言われるまま、影翁が揃えた資料に目を通すことにする。
墨寧は、いつもの通り自分の置かれた場所に存在する全ての人間から、
危険かそうでないか、利用できるかそうでないか、敵かそうでないか、
それらを考える、味方を探すようなマネはしない。
居ないものを探すのは、主人が死んだのに門を守る駄犬と同じことだ。
無駄なことはしない、そう考えて己の部下となった県令達の詳細を見つめる。
「…本当に、驚くほど何もない奴らだな」
「西果てですからな」
曹蓋の後を継いで省令となったが、同じ土地を納めることにはならなかった。
そこは別の、おそらく曹蓋の息がかかった役人が派遣されたのであろう、
後々調べてわかったことだが、この西南の州境で大きな人事異動が行われ、
宰相派のかなり優秀な役人が送り込まれてきたらしい。
徹底抗戦のかまえを取ったということだろう。
その流れに押し出されたようにして、墨寧達は岩倉県、森近県、林隣県、
これらを包括する元々曹蓋が治めていた省、その少し北に位置する場所へ赴任した。
「表向きは戦が起きているなど誰にもわからぬことだな」
「おそらく、情報が封鎖されておるのでしょう」
「権力は恐ろしい…結局信じられるのは己の耳目のみか」
墨寧は呟いて資料をめくる、その内に一人の県令に目をとめた。
預かった県の中でもっとも小さく、また、もっとも不便なところにある雲樹県。
森近県の北に位置する場所だ、森近県にまさるとも劣らない、
凄まじい辺境であるらしい、そこに10年も在籍している県令、名前を鐘豊。
「その男が何か?」
「いや、名前が気に入った」
「なんと」
「豊というのはいい、俺に何かよいものを運んでくる気がする、明日会いに行く準備せよ」
「かしこまりました」
適当な理由を告げて、本当に墨寧と影翁は県令鐘豊に会うため省庁を出た。
省令になったことで、自由に使える役人というべきか、雇人を貰ったので、
それを諜報として扱っている、それらが帰るまで墨寧は暇なのだ。
放たれた諜報員達は皆、南に向かっている、戦場のことを知っておきたい、
そういう情報に飢えている、墨寧はまだ戦場を知らない。
「よい天気だな」
「暑いですかな?」
「いや、木陰が多いからあまり気にならぬ、それよりも、もうそろそろではないのか?」
「そうなのですが、そろそろ迎えも参るとか」
言うなり、ぽたり、突然雨が落ちてきた。
驚いて、小走りに大きな木の下へと二人で逃れた。
あっと言う間に、雨が空を煙に巻いていく、
さぁぁぁ、という静かな雨音が、幾億の細かな霧めいた飛沫を空に放つ。
白みを帯びたようにして、あれだけ枯れていた大地は潤いを取り戻していった。
「雨とは、さい先が悪いことですな」
「…困るな」
「これでは得意の火計も使えませぬな」
「口が軽いぞ爺」
無駄口を叩きながら空を見るが、分厚い雲が覆っている。
しばらく続きそうな具合に、知らずため息を漏らしてしまう、
ぱしゃぱしゃぱしゃ、ふと、その雨音と異なる大きな水の音が近づいてきた。
「?」
瞬間、影翁が身構えた、足音は3つ。
随分とやかましい様子から、その筋の、いわゆる暗殺などの類ではないと見た。
足音だけで、随分とマヌケな様子が聞こえてくる、
それくらいやかましい足音、やがて煙の中からほっほっほと、息を吐きながら、
一人のやや中肥りした男がやってきた、その後ろを二人の従者らしきものが続いている。
「しょ、省令様でございますかぁ」
「……そうだが」
「も、申し訳ございませぬ、お迎えにあがりました、雲樹県県令、鐘豊でございます」
「そうか、いきなりの雨でな、困っておったのだ」
「申し訳ございませんでした」
「いや、そなたが謝るようなことは」
「いえ、私、雨男でありまして」
「はぁ?」
「なんともうしますか、私が生まれてこれまで、何か記念の日となりますと、必ず雨が降り、
今日もそうなるのではないかと、日照りの神に祈っておりましたが、かなわず、大変ご迷惑を」
その言い分を聞いて呆気にとられる墨寧と影翁。
少し遅れて、その神妙な様子に鐘豊が本気だと気付いた。
気付いて、大きく笑い声をあげた。
「はははははっ!そうか、雨男と出たか、それは面白い」
「いえ、このような面倒をおかけしまして、このことが災いして、
以前の省令様は、ついに、一度きりで二度とおいで頂けませんでしたので」
必死というか、申し訳なさそうな顔で謝りたくる鐘豊。
影翁は、そのいくつかのやりとりで人物の根底をおおよそ見えたように思っている、
この男は賢くない、そして悪人でもない。
実に都合がよく、使い勝手がよいかもしれぬ、
そうやって目を細めた。
「ともあれ、どうぞ県庁までお越しいただけましたら」
「そう、へこへこするでない、何もとって喰うわけでもなし」
「はは、いや、それでも」
言って、頑固でもないが譲ることなく、鐘豊はほうほうと、
道先案内をかってでた、後ろに続いてきた従者二人も、
この男の従者と言うに相応しい、なんという特徴のない男だ。
ただ、主人と同じように、へこへこ頭を下げている。
雨足はまだ弱まらない、傘をささせて、影翁と二人で県庁へと向かった。
ぱす、音をさせて傘を畳む。
慌ただしい感じで鐘豊は県庁の戸をあけ、墨寧と影翁を奥へと通した、
準備をしてあったらしく、それなりの上座が用意されている。
促されるまま墨寧はその席についた。
「ああ、どうぞ、御従者様も」
「いえ、わたくしは立ったままで結構でございます」
「うへへぇ、そうおっしゃらずにぃ」
影翁の腰が低いのを見て、いっそう申し訳なさそうに、
鐘豊は妙な声とともにかしづいて、イスを譲った。
苦笑しながら結局翁も席についた。
「改めて名乗らせていただこう、新しく省令に就任した墨寧と申す」
「ははぁ」
「様々に曲折があったが、今まで3つほどの県で県令をつとめて参った」
「それはそれは…なにとぞ、さまざまなお知恵をお借りできましたら」
「なに、県令の地位在位期間はそなたの方が長い、それ故にこちらこそ支えて貰わねばならぬ」
「うへへぇ、勿体ないお言葉」
小太りの男からは、なんというか、ぶひひぃ、そういう息とともに声が出る癖がある様子。
だが、そのしゃべり方に不快は感じない、圧倒的な小役人臭さと、
その憎めない見た目のおかげだろう、墨寧は不思議な生物を見る目つきで、
注意無く観察している、ブラフであったらただごとではない、そう疑っているのだ。
「10年もの長きにわたり、この土地を治めてこられたことは素晴らしいことですぞ、
少々調べさせていただきましたが、毎年滞りなく納税もされており、
他県が不作の時でも決して滞納したことがない、これだけで褒賞ものです」
「いやぁ、勿体ないお言葉、お金が無いときはなんとか作ろうと、森を切り崩して金を得ておりました」
「その切り崩した森から、鉱脈が出たというから凄いな」
「うへへぇ、たまたまとはいえ、大変な僥倖に恵まれました」
数年前、この土地で丈夫な石の鉱脈が見付かり、
中央の宮殿作りにて大いに活躍したといわれている。
もっともその鉱脈もすぐに枯れてしまったらしく扱われなくなったと言われている。
「今では枯れた鉱脈の部分も畑地にしましたので、なんとか税をお納めすることがかなっております」
「ふむ」
その経歴に、どのような内情があるにしろ、
数字だけで見ていけば、就任後、着実に人口を増やし、
また、耕地面積まで増やしているのだから、かなりの名君と呼べるだろう。
しかし経歴はそれでも、人物はその経歴よりもなぜか劣る。
全て、仕方なくしたことだというのに、結果だけが素晴らしいという具合なのだ。
「たまたま運がよかっただけで、今まではなんとかなりましたが、最近は賊が出ており困っております」
「おう、それも聞いておるが、それは今、南の岩倉県まで移動したとか」
「あああ、流石お耳が早ぅございます、その通りで、困り果てておりましたところ、
前任の省令様から、現在郡令となられました、曹蓋様にお願いしまして、追い払っていただきました」
それを話す鐘豊の姿は、なぜか汗をかいている。
どうも緊張すると汗をかく性質なのか、ただ肥っているだけなのか、
わからないが、せかせかとそれを説明している。
この話には裏、というわけでもないが、いわくがある、
確かにこの土地に賊が出てきていた。
困った鐘豊が省令に助けを求めたのは本当だ。
その話を、当時の省令は面倒だと思ったのだが、賊退治を趣味のように行う曹蓋にそれを報せた。
その頃、曹蓋のもとには墨寧からの密告が届いていた、
渡りに船という奴だろう、その場ですぐに閃いた策略をそのまま実行に移した。
この土地で暴れていた賊徒は、曹蓋に騙され南へと奔り、
言われるまま岩倉県を荒らしていた所を、曹蓋の本隊に壊滅させられたのだ。
そんな裏話など知るわけもない鐘豊は、有り難がって頭をサゲに下げた上、
感謝の貢ぎ物もしたと、省令の控えに書かれていた。
情けないことではあるが、この県にとっては県令のおかげで万事がうまく進んでいるのも確か、
おそらく、この県令はそれなりに人気があるだろう。
「確か賊は、南で既に壊滅したとも聞いたが」
「ええ、それがその壊滅された賊徒が、再びこの地で結集しつつあると聞きまして」
「まことか」
「ははぁ、まだ姿は見えませぬが、森深いところから帰らぬ県民も出る様子でもしやと…」
「そうか…それはなんとかせねばならぬな」
「おお、墨寧様、あ、いや、省令様」
「名前で良いぞ」
「うへへぇ、申し訳ございません、さて、お助けいただけますか」
「そのための省令であろう」
「ははーー」
おかしな調子だな、墨寧は自分でその居心地の悪さを感じながら、
盲信する男を見て、すっかり毒気を抜かれてしまっている。
影翁は、少々不安げにそれを見ている。
すっかり省令のようではないか、まるで善人のようではないか、
別に、墨寧が善人で問題は無いきがせんでもないが、
影翁としては、善人ぶっているのと善人との差をよく知っている。
墨寧が善人ぶっているのに、己で気付いているかどうかそれを心配している、
小さく影翁が耳打ちをする。
「よろしいのですか?」
「考えがあるのだ、今晩、至急省庁へ戻り兵を集めてこい」
「かしこまりました」
その会話は、鐘豊には聞こえていないだろう、
鐘豊は、その後も、せかせかと汗をかきながら、
あれこれ談話を聞かせた、たいして話上手でもないせいか、
しどろもどろで、時折苦笑にも似た笑いを誘いつつ、
それでも、だれるわけでもない、つまらないわけでもない、
不思議な時間を過ごした、夜は感嘆と言うほどではないが、
宴も催され、滞りのない接待が済まされた。
「ともかく省令様、なにとぞよろしくお願いいたします」
「よきにはからえ、見よ、空はすっかり月も出ておる、僥倖の兆候よ」
「はは、しかして」
なにかおどおどとした調子で、そっと鐘豊が空を見た、
確かにそこに月があったのだろう、あ、という間もなく、
それが雲に覆われて、ざんざんと雨を降らせて隠してしまった。
「そなたの雨男ぶりは、まさに神に与えられたものだな」
「も、申し訳ございませんっ」
かっかっか、墨寧は珍しくその事象だけで大笑いを披露した。
夜遅く、影翁が一足先に去っていき、
墨寧はゆっくりと一晩をその土地で過ごした。
朝、眩い光に目を醒まされる。
外へ出ようかと窓から、景色をそっと眺めた、
光の向こう側で、せかせかと小太りの役人が走っている。
「何をしておるのだ」
不思議に思って、そのまま部屋の中から様子を伺うことにした。
鐘豊は、どうやら県民を指示している様子だ、
朝から大したものだが、何を、
墨寧の疑問に答えるように声が届いてくる。
「よいか、本日省令様がぐるりと村を見てまわる、粗相のないようにゴミ拾いをしておくのだぞ」
「…いや、昨日までで済ませておけよそんなの」
思わず、遠目でつっこみを入れてしまう墨寧だが、
その抜けたところもこの男を構成する何かの一つなのだと、
一つ息を付いた、全てがなんというか間抜けているが、
結果、全てをうまいところへと導いていく。
不思議な才能があるものだ、遅いが気が利くのも確からしい。
「出世できぬわけは、なんとなくわかったものだが、さて」
今出ていくと、また、面食らってへこへこと頭をサゲまくるであろう。
鐘豊の姿が瞼の裏に写ってしまう。
日は高く上がったように思えるが、もう少し寝ていよう、
面目を保ってやるでもないが、そういうことになった。
眠い頭で思う、やはりあの男には何か運があるのだろう。
墨寧にわざわざ気を使わせたというのは、不思議なものがある。
「では、案内を頼む」
二度寝のあと、すがすがしい気分で起きた。
外に出てみると、大慌てで汚れた自分の衣服を払い、
満面の笑顔で鐘豊が近づいてきた。
相変わらず、全身を包み込んでいるかのようなテカリがステキだ。
墨寧は、やんわりと笑顔を向けて、田畑の案内をさせることにした。
「ここでは、穀物の他、野菜も多く作っております」
「ふむ、あれは大根か?」
「いえ、カブであります、大根は土が悪すぎて作れませぬ」
ゆっくりと歩いてみて、改めて驚いた。
大きな耕地が広がっている。
字面だけではわからないことが多くある、改めて墨寧は圧倒されそうな、
その広大な大地に対して畏れに似たものを覚えた。
このあたりは、3年前までは森だったはずだろう、
人間の力と言うべきか、改めて農民の労働力に驚かされた。
「この広大さは大したものだな、延の国でもかなりの農地ではないか?」
「いえいえ、中央南にはさらに大きな農地があると聞いております、まだまだ」
「まぁ、そうかもしれぬな、あそこにゴミも落ちておる」
「えええっ!!ああ、これはお見苦しいことで申し訳ございませぬ…」
また大きく頭を下げる鐘豊。
墨寧は見過ごしてもよかったのだが、敢えて朝早くのこともあって指摘してみた。
しかしあの後、指示を出したが、県民達は言われたことを、
真面目にこなしたわけではないと見える。
人はよいが、人徳と呼べるほどではないのかもしれぬ。
県民に信頼されているというよりは、安心を与えている、そういうものか、
なんとなく、周雲を思い出していたがそれとは異なるものを見つけたように思える。
「そして、これより先がまだ未開の森ということか」
その果てまで来た、随分と長く見てみたが、
大したものだ、そう感じていた、その時、
どたり、鐘豊が足をつまづかせて尻餅をついた。
すぱっ!!!!
空を切り裂く音とともに矢が一つ大木に突き刺さった。
驚きに腰を抜かす従者達、墨寧もすぐ敵襲を悟り、
己の安全を確保すべく動く、
矢は墨寧ではなく、どうやら鐘豊を狙ったものだったらしい、
転んだおかげでそれは彼の身体をとらえなかった。
しかし、敵がいることだけは確かだ、どうするか。
「聞け賊徒!省令様と知っての狼藉かっ」
何を余計なことを言ってやがんだこいつっ。
墨寧はぎょっと目を見張った、鐘豊は割れんばかりの大声でそう叫んだ。
威圧のつもりなのかもしれない、その汗をかきながら必死のことは、
大きな声で、はっきりと相手に伝わっただろう。
ここにいるのが省令であると。
「省令だと…まさに仇敵、今討たずして何時っ!!」
そんな声が聞こえた、これはまずい。
墨寧は慌てる、なんとかせねば。
というか、この県令、俺を殺したいのか!?
思うが、鐘豊は必死の形相で、自分が招いた事態にさらに喫驚を催している。
天然かよ…。
あきらめに似たものを覚えつつ、墨寧はともかく走って逃げることにする、
そこへ、一人の男が立った。
「お困りの様子、お助けいたそう」
「!?」
驚いている間もなく、墨寧を追って矢が放たれた。
やられる、思ったその目の前で矢は砕け散って消えた。
さらに、二の矢、三の矢もことごとく打ち消された、
消したのは、声をかけた男の様子だ。
手には細身の剣を持っている、その筋の達人と見える。
「省令殿、私の背中へ隠れなされ」
「そなたは」
「蔵慈、旅人だ」