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燕雀鴻鵠  作者: 見城R
1/22

1−1

はるか東には果て無き大海。

はるか西には深き密林。

はるか北には頂の見えぬ天嶮の山脈。

はるか南にはこの世の果てまで続く砂漠があるという。

曰く、北の頂には神が住まい、南の果てには魔が巣食う。


たった一国、「延」という名の国がある。

このとてつもなく大きな大陸にたった一国だけ成り立つことは、

なみなみならぬ歴史があるのだが、そこは割愛。

東の海、西の森、北の山、南の砂漠。

それらによって切り取られた、ぽっかりと空いた土地にこの国は建っている。


空いたというほど狭い表現は当てはまらない。

とてつもなく大きな地上が切り取られたところなのだ。

しかしそこは、平野ばかりでもなく、川があり森があり丘や山もある。

この国内にも様々な土地条件が揃っている。

切り取ったそれぞれは、文字通り、

人智を超えた大自然により切り取られているのだ。


「……」


「天帝、何をなさってるんですか?」


「いや、女湯が…」


この覗き魔が、この国を治める帝である。

天帝と呼ばれるそれは、代々血縁により引き継がれ、

脈々と長い歴史を紡いできた。

長く、権威の象徴でもあり、事実、強かった天帝一派であるが、

当然、同一勢力が、これだけ魅力的な土地で政権を握り続けることはできない。


「……」


「宰相、何をなさっているんですか?」


「帝の戯れにな、困ったものだ」


表情においては微笑みをたたえ、目元は冷たいままの男、この国のもう一つの権威である。

宰相と呼ばれるそれは、長く権威を培ってきた天帝一派に対して、

当然のようにして現れた勢力の長である。

もともとは、天帝一派、というよりは、この国の政治に関わる要職である宰相の座、

天帝が最高権力者ではあるが、その補佐をする役目を彼らは負い続けた。

だが、血縁支配の強いこの組織で、何代も前の天帝が、

その血縁支配に関わる人々の鬱憤に嫌気が差し、

民間より、血縁以外より取り立てることとされた座である。


余談ではあるが、この座をこのようなものとした天帝は、

暗愚の鑑である。

長く続けば、そのような帝が出ることは当然ではある。

この時のため、周りにそれら暗愚の所作を止める忠臣がいなかったことも救いがたい。

以後、長きにわたり切り取られた地上に君臨した帝の座が脅かされることとなった。


世情というほどでもないが、この国の中央では、

その両派による、覇権闘争が繰り広げられるに至る。

ただ、宰相が切れ者で、天帝も見た目ほど馬鹿ではなかったため、

このどろどろの政争により、民草が著しく迷うことは無かった。

著しくというだけで、実際、目の届かぬところでは、

そちこちから、長い年月をかけて熟成された腐敗が始まっている。


国が終わるのかもしれぬ。


一部ではそうとまで歌われるほどになった。

それはあくまで地方の話である。

中央は集約された全ての力による、大きな影響が見受けられ、

未だ、屈強なる自治母体を形成している。

中央と、地方とで大きな差が現れてきている。

地方を任せられた県令達は、それぞれの才覚によって切り分けられた県の政を握る。

はっきりとした身分制度のおかげで、政治を司るものと働くものとの間に、

並々ならぬ差を作ったのはもちろん、

その司る側ですら、中央か地方かで大きな差が出来ているのも必然。


それぞれの県令が、天帝派か、宰相派か、中立か、

そんな情勢を伺いながら、それでいて己の土地を守るために躍起となっている。

五州四十七郡にわけられた色塗りのそれは、さらにその下にあまたの県を抱える。

その数だけ役人と民草と、強いて言うならば、悪人がいる。


ここは、そんな土地と情勢を抱えている。



中央より西にある、

森近県。

そこに一人の県令が派遣された。


「安直な名前だよな」


「何がでございますか?」


「西で、森に近いから森近県てよ」


「そうではありますが、近隣では最も大きな県でありますよ」


「大きいつったって、お前、県の大半が森で開拓できてねぇんじゃねぇか馬鹿野郎」


側仕えに愚痴をたれつつ、不平不満を常に顔に表しているかのような、

そういった男が県令の座に座っている、名は、墨寧ボクネイ

天帝と血縁のない、一民草から這い上がってきた県令だ。


「折角勉強して県令になったっつうのに、よもやこの辺境とはな…出世の道は遠いのう」


嘆息を交えながら、墨寧は、机の上の辞令を睨み付けた。

中央の役所機関より承った紙切れ、されど、

この田舎の人命100人分に相当するほどの価値を持つそれ。

彼はもともと、北方の山の民である。

山での苦しい生活に抗うため、必死に勉強をして、ようやく県令にまでなったのだ。

地方の小役人を続けながらもやっと手に入れた県令の地位。

「延」の国内にその県令が3000人以上居ようとも、全人口のわずかな所に、

底辺から食い込んだことは、彼にとって自信でもあり自負であった。

身近な目上のものをことごとく蹴落とし、それを踏み台にして登ってきた。


曰く、


「俺は天才なんだけどな」


「ならば、早く省令様からの指令を達成なさいませ」


側仕えは、当たり前のことを彼に言った。

彼も解っている、解っていて今そんな愚痴をこぼしている。

こぼしながら、次のことを考えて今に至っている。

冗談や、運気だけでここまで来たのではない、

省令という、郡の役職の一つ、数県を束ねる地位の人物より達しがされているのは、

至極単純なこと、「税金収入を現状よりも3割増しにすること」。

並大抵のことではない。

だが、それをクリアしなくては、彼は、県令のままで、

うまくいかなければ、県令からまた、元の地位へと戻されてしまう。

墨寧は、歯噛みをするように時折、嫌な感触をアゴに覚えさせる。


「ま、とりあえずどんな手を使ってでも、税収の額を上げないといけないな」


「仰せの通りに」


側仕えは、小役人の時から墨寧が好んで雇っている好々爺だ。

だいぶ年を重ねているが、特に身寄りがあるわけでもないので、

その世間への執着の無さが素晴らしく、

誰に構うこともない、非道を平気で思いつく残忍さを持っている。

墨寧はそういうものを欲している。

彼が出世するためには、尋常では通り抜けられない障壁を数多く、

また、常識人とか、道徳の人とか呼ばれる人物では、

とても達し得ないような酷いことが山ほどあるこの場所にて、

心強いこの側仕えを、最愛とまで思って今にいたっている。


「お前とも長くなったが、まだまだだ」


「その様子で」


墨寧は馬鹿ではない、天才かどうかは疑わしいが、

少なくとも頭はよい、この好々爺とは利害が一致しているという、

とても希薄でありながら、重厚な契りを結んでいると、

頭と身体で解っている。

ある一定の速度で出世をする墨寧に、この好々爺はついていきている。

それに答えるために墨寧は思索をこらし、それらを補完するため好々爺は働く。

書いているだけでは聞こえがよいが、つまるところ、悪党のともがらである。


「ま、てっとり早く考えたのは、隣の県を併合することなんだがな」


墨寧はそう言って、側仕えの顔を見た。

その表情も、それしかないと、そう告げている。


「そういうことだ、隣県の収入をうちに向けさせようと思うんだ」


「仰せの通りに」


「で、眼目はできたが、仔細がまだな…」


言いながら、墨寧の口元はうすら笑いを浮かべている。

小役人だった頃にやった、いくつかの案件と同じ手法でいけるだろう、

そんなことを考えている、好々爺も解っているらしく、

同じような笑顔を浮かべる。


「今度はどうしますか?隣の県に火でも放ちますか?」


「はは、火付けは獄門だ、流石にまずいだろう、前任も失火で職を失っている」


「そうでしたなぁ、我々が通りかかったまさにその時でしたな」


強い視線でその軽口を封じる。

だが、悪びれた風もなく、反省の色のない爺、

墨寧はやれやれと思いつつも、それとは違うが、

極似た方法を考えなくてはいけないと頭をこねる。


「隣県の様子を調べてきてくれ」


「心得ました」


爺は消えた、影翁、そう呼んでいる。

実名はおそらく無い、そういう人間だ。

だからこの呼び名が彼の現世での名前になる。

墨寧は、寂しくなった県令の部屋で、とりあえず荷物を片づけることから始めることにした。

真新しくはない、人が住んでいた匂いがまだ抜けていない。

そういった部屋だ、片隅に忘れられているすずりが邪魔だな。

感じたままにそれを捨てる方へと追いやって、掃除を始めた。



森近県は、新設の県だ。

西は延にとって天然の城壁であることもあり、

あまり開発を進めてこなかった。

特にここに置かれた郡令が常々、天帝派だったこともあり、

現状を維持することへの注力が強く、

長い間放置されていたとも思われる場所だった。


しかし、2年前にちょっとした政争があったらしく、

郡令に初めて、宰相派が置かれた。

そこで、宰相派は素早い対処を行った。

それが、県域の再編だ。

伴って様々な配置換えが行われ、すぐに新しい体制が導入されるに至る。

また、長年そのままとされていたため、貯まりに貯まった灰汁が、

一気に流れでたこともあった、短期間で新政権はこの地に根付いてしまった。

それゆえに、早くから収益を上げる税モデルを構築する必要にせまられ、

2年で毎年昨年の倍という収益成長を見せてきた建前、

その成長率を落とすことに臆する小役人達がこぞって重税という、

禁断の一手に手を染めつつある。


墨寧の森近県も、その一手の一環で徴税額を増加させられているのだ。

無論、これによって困るのは墨寧だけではない。

まわりの近隣の県令も辟易しているはずだ。

火鉢の上でモチを転がしながら、墨寧は掃除を終えた部屋で一息ついている。

外は丸い月が、煌々と輝いている、

まだ、影翁は帰らない。


「……」


墨寧は真剣な眼差しを火鉢の上、網の上に向けている。

箸でころころとモチを転がしながら、転がす度に、

膨らんだ所がまた別の場所へと、様々に動きつつ、

かつ、芯が残らないように全体的な成長を望む。

この男、モチを焼かせたら五月蠅い性分である。


「…よし、ここで」


しょわっ、こぎみの好い音と、芳しい香りが片づいた部屋に広がる。

一気に生活臭が漂い始める気がするが、

醤油が素晴らしい芳香を放ち、一瞬だけ煙となって消えた。

また、ころころと転がしていく、ハケで塗りながら転がすのも、

大変味が染みてうまいが、墨寧なりにこだわりがある。


ちょ、ちょ。


素晴らしい妙技。

醤油受けが、一滴ずつ寸分狂いなく醤油を落とす。

そしてそれがモチ全体に行き渡るように、角度を変えて茶色に染め上げていき、

また炙る、炙ると香ばしくなる、素晴らしい、醤油は一滴たりとも炭の上には落ちない。


「よし、焼けた、あぢぢ」


手の上でぽんぽんとモチを左右にして、

その熱を表面だけ奪うようにする。

手に香ばしさが乗り移るが、知ったことではない。

ここまで育てれば、もう、何も言うことはない、いや、一言だけある。


「完璧だ…」


自分を天才だと思ってはばからない理由の一つにこれがある。

モチを焼かせたら、やはり天才だ。

自分のその作品にほれぼれしつつ、早速それを食べることにする。

ほくほくと、声を出しながら、熱さを我慢してぐっと噛み締める。

美味い、これほど美味いものはまずなかろう。


もぎもぎと、それを食べつつ、

ふと、焦げ臭さを覚えた、モチを焦がした?

それはあり得ない、墨寧はすぐに感づいた。

慌てた様子で外へと出る。


「おい」


「!」


「…」


火付け。

目の前では驚いた顔をした、その犯人がまだ火を付ける直前といった具合で存在する。

墨寧は油断ならない目つきでそれを見た、姿を見るかぎり手練れではない。

そう感じた、ならば、


どがっ!!!


墨寧が、すぐに側にかけてあった棒で殴りつけた。

殺すわけにはいかない、殺しては相手の素性が知れなくなってしまう。

あまり武に秀でたところはないが、この時世、せめて自分の身を守るくらいの芸は、

備えておかなくてはならない。

そう信じて、戦場で下働きができる程度には喧嘩慣れしている。

容赦なく、棒で何度か男を打ちつけた。

のたうち回る男、手に握られた松明は、やがて転がり静かに消えた。


「……」


墨寧は黙っている。


「なぜわかった、火鉢の前で火の匂いをかぎ分けるなど、貴様…」


「お前は素人だな」


「何を」


「火付けの心得がまるでわかってない、焦げる匂いが出る時点で下策だ、油の匂いも並ぶ」


「……」


「木屑を用いて、その場で火打つのが最も賢い方法だ」


「貴様…」


墨寧は冷たい目をして、その男を見下しておく。

さて、説教もしたしと、早々に仕事をしておくことにする。


「誰に頼まれた」


「…」


スパッ。


「ひぎぃああああああああっっ!!!」


「早くしろ、誰に頼まれたかと聞いているのだ」


軽く斬りつけた、腰にあった小剣で指を二本ほど落としたのだ。

そして、詰問しながら、易々と男の上に乗りかかり、

次々傷を増やしていく、間髪がない、やられる方はまさに、

殺されると肝を冷やして、錯乱する。


「たたたたたたたた、たすけ」


「だから」


また斬れた、流石に傷が増えすぎているか?

思ったが、容赦はしない。

ここで緩めては、口を割らない可能性がある。


「り、林隣県の、曹、曹蓋だ」


「……そうか、なるほどな」


言った後、火付けの男は急死した。

墨寧は一瞬驚いたが、暗がりから影が近づいてくるのを見て悟った。


「もう少し話を聞く予定であったのに」


「遅くなりました、その者の話などすべて語りまする」


「まぁ、よい」


「男前が上がりましたな」


真顔で影翁は言う、返り血を浴びた頬を一度だけ拭う墨寧。

ぼんやりした瞳で、亡骸を捨て、冷え冷えと自分の中身が整い始めるのを感じる。


「どうであった」


「さて、どの話からしたらよいでしょうか」


「わかっているだろう」


くくく、影翁はうすら笑いを浮かべた。

墨寧は苛立つでもなく、その報告を待つだけの表情をさらす。

影翁は、また、いつになく嬉しそうな顔になる。

諸悪にまみれた瞬間の主を、この上なく愛しているのだ。

この主は人殺しをしたことがない、それが、今、したかのように錯覚した。

そのわずかずつ蝕まれていく姿を見るのが楽しい。

この程度の悪事だが、直接的で、もっとも人を苦しめる悪事に、

少しずつ染まっていく様、すっかり染め抜かれた好々爺にとっては、

道程を確かめるようで嬉しいらしい。


「曹蓋は、お考えの通り、随分と似てらっしゃいますな」


「…」


「ただ、違うことがございます」


好々爺は、その形容に恥じぬ、

人懐こい笑顔を見せた。


「曹蓋の方が、墨寧様よりも残忍です」


墨寧も釣られるように笑った。


「わかった、その様を訊こう、モチを焼いてあるのだ、喰いながら訊こう」


林隣県、この近隣でもっとも税収を上げている県だ。

なるほど、やはり上げるためにはそういったことが必要なんだな。

墨寧は、自分のやっていることが正しいと確認できただけでも、

嬉しく思っている。


転がった死骸の素性など知ろうとも思わない、解っているのだ。


おそらくは、自分と同じく地方であぶれた民草であると、

それらを悪へと駆り立てるのが、県令の仕事であると、

はい上がれない奴が悪い、

利用される奴が悪い、

お上は、そんな悪い奴や馬鹿なものを導くために、政治を司っているのだ。


そういった信条で、墨寧は生きている、おそらく、曹蓋も生きているのだろう。

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