品子の青春9
続きです。
まだまだお話は続きます。
「あきらめない!」
髪を切って頭が軽くなった品子は、夕食の片づけを済ませるとぼんやりテレビを眺めていた。
「あきらめたくない!」
見ているテレビからそんな台詞がどんどんと耳に入ってくる。
品子はいちいちそれに反応してしまっていた。
「品子~、風呂…父さん、先に入っでもいがったかい?」
日中、出かけて行ったかと思いきや、戻ってきたら長かった髪をばっさり切ってイメージがすっかり変わってしまった品子に、父、昭三は何だか声をかけづらいなと感じていた。
本当なら「あんれ?髪さ切っだんだぁ…たいしためんこいんでねぇの…」だの、「なぁ~に今度はおかっぱあだまにしだのかい?」だの、いくらでも話しかけたいところなのだが、今回のイメージチェンジが日中のことも相まって、ただ事ではないような気がしていたのだった。
「あ、ん~…どんぞ…あだし、もうちょっとこれ見てがらにする。」
「そうがぁ、わがったよぉ~。」
父、昭三は湯船に浸かりながらあれこれ思考を巡らせていた。
買った物を持たずに戻って来た品子。
後から慌てたように荷物を届けてくれた原田。
そうだ!
原田が怪しい。
あいつが、あんなへらへらした顔で大事な娘に何か言ったんじゃないだろうか?
あいつが品子に深いショックを与えたんじゃないだろうか?
だったら、原田の野郎、今度来だらとっちめてやんねぇば…。
父、昭三の中で原田はすっかり「悪者」になってしまっていた。
膝を抱えた体育座りで、品子の脳内は色んなことでいっぱいだった。
「…あ~…髪、軽~い!今まであんなに重たかったんだぁ…あれ、何年伸ばしてたんだっけ?高校卒業してからぁ~…え~と…あ、そだ、成人式の時に一回ばっさりってのか、まぁ、切ったっけ…あん時は髪が長すぎて結えないって言われて…そんだった、そんだったなぁ…あれからだら、もう、じゃあ、5年?くらいかぁ…そったらに伸ばしてたんだったなぁ…伸ばしてたっていうよりも…勝手に伸びちゃってたって感じだったっけか?…どっちかっつうとそっちかぁ…そんだよねぇ…ここで、父さんと暮らしで、別に姉ちゃん達みだいに身なりを気にしなくってもいい生活してんだもんなぁ…でも、それだら…やっぱり駄目だよね…きっと…渡辺さんだって…街で仕事さしでるような、綺麗な格好の人の方が、絶対に好きだろうねぇ…こんなとごろで、父さんと二人でどうでもいいらぐな格好しで、化粧さもしねぇで、髪もテキトーに結んで…そんな女…好きになってもらえるはずないのに…あだし、馬鹿だ…どうしようもない、しょうもない女だ…折角姉ちゃん達から、綺麗な女の子らしいものいっぺぇもらってでも、もったいなくて…なかなか、使えてなくって…でも…でも…渡辺さんさ会える日どか、ちゃんとわがってんのに…あだし、な~んもしでねがったなぁ…もっと…もっと前から…父さんとここで仕事するって決めた時がら…渡辺さんさ会える時でも…髪、綺麗に結んでみたり、ちょっこし香水つけでみたり…こん間もらっだ口紅つけたり…しでだら…」
考えがどんどんどつぼにはまると、それに合わせて品子の頭は膝小僧に近づき、ついにはおでこを擦り付けるまで沈んでいった。
「お~い!品子ぉ~!父さん、あがったがら、次、おめぇ、風呂さ入れぇ…早ぐ入んねぇど、お湯、冷めちまうがらぁ。」
パジャマに着替えた父、昭三の全身からほかほかと白い湯気が立ち上っていた。
品子は風呂に入ると、髪を洗うのがこんなにも楽かと思い知った。
それと同時に今までどれほど髪を洗うのに労力を使っていたか、シャンプーやコンディショナーの量も半分に減ると、ほんの僅かだが気持ちが上向きになっていた。
濡れた髪を乾かすのも、随分と楽だった。
だが、今まではおでこ全開で気づかなかったけれど、前髪の癖が意外とあるなぁと思った。
何度も何度も櫛を入れ、「ねぐせ直し」のスプレーをかけてはドライヤーでうねりがある前髪を真っ直ぐに保とうと苦戦した。
仕上がった髪はやはり真っ直ぐではなく、ふんわりと緩いウェ~ブがかかって少し広がってしまっていた。
「これじゃ…ライオンだよぉ…。」
品子は千田のばあちゃんが後ろで一つにまとめられるようにしてくれたありがたさを、ここでようやくわかった。
小さな尻尾のように頭の真後ろで髪を結ぶと、渡辺からもらった野球帽の後ろの開いている部分にきっちりと収まり按排が良かった。
ベッドの上でバーンと仰向けになると、品子は渡辺への気持ちをどう処理するのか悩んだ。
「…あきらめない…かぁ…したども、原田君の話だら…もう、決まった彼女さんがいるんだもんなぁ…しだら…あだしがどうこうしだところで…それだら、ただの馬鹿みてぇだらなぁ…そんだよなぁ…こん帽子とがもらったのだって…あの前の日がたまたまあだしの誕生日だったがら…しだから、渡辺さん、気ぃ使ってけれただけだよなぁ…きっと…別にあだしのこどなんて、何とも思っちゃいないけど、あの場合仕方がなかったってのが、そういう大人のやり方をしたっていうただのサービスだったんだよなぁ…そんだよねぇ…しだって、あん後、おかっぱ頭の背のちゃっこい女の子と一緒だったん…」
そこまで考えると、品子の思考はストップし、静かに涙を堪えた。
「…そんだ…今度、会ったら…普通にしてなくちゃ…そんで、そんで渡辺さんを応援しよう…ずっとその人ど仲良くいられるように…そんだ、あだし、応援しよう…」
品子はそう決心するも、どうして自分はあんな風に衝動的に髪を切ってしまったのだろう?
どうして、原田から聞いた渡辺と一緒にいた女の子と同じ髪型にしたのだろう?と、昼間の自分を思い出すと、何だか自分でもよくわからない、どうにも説明なんてつかないような気持ちだったんだとわかった。
そして「渡辺さん、こん髪見たら、何て思うべ?」などと考えてしまうのだった。
その夜、大きな街で立派な洋菓子屋を営んでいる兄ローリーから、珍しくメールが届いたのだった。
兄のローリーは末っ子の品子と、歳が20も離れている。
高校を卒業後、王港にある大きな製菓学校に通い、そのまま、王港の洋菓子店に就職を果たしたローリーは、暫くは山間にあるこの家から通っていたのだが、品子が小学校に入学と同時にようやく実家を離れ一人暮らしを始めたのち、努めていた洋菓子店の親方から「フランスに修行に行って来い!」と言われ、単身フランスへ渡った。
その時、一緒にフランスに連れて行ったのが妻の真紀子。
約10年にも及ぶフランスでの修行を終えたローリーは、それまで一生懸命働いてこつこつ貯めてきたお金と銀行からの借り入れを元に東京で小さな洋菓子専門店を開いた。
店が起動に乗るまでの約1年間は朝から晩までずっと働き通しの毎日で、そんな中でも妻の真紀子と共に二人の子供を立派に育て上げ、店は今、雑誌やテレビなどで取り上げられるほどの盛況ぶり。
更に、ローリーの顔立ちがテレビ向けだということもあって、古くから放送している料理番組の家庭でも簡単にできるお菓子の担当をここ数年に渡って任されている。
そして更にはお菓子の作り方の本を数冊、妻の真紀子はフランスでの暮らしを紹介する本をそれぞれ出版し、忙しい毎日を送っているのだった。
品子は兄、ローリーと共にこの家で一緒に暮らしていた妻、真紀子を母のように慕っていた。
それは双子の姉達も同じだった。
苦楽を共にしてきたローリーと真紀子の間に、長男の「美晴」とその下に次男の「柚鶴」の二人の子を儲けた。
ローリーのメールは、その長男「美晴」のことらしかった。
幼い時から車好きだった美晴は高校を卒業すると、自動車関係の短大に進学、その後念願だった自動車会社にやっとの思いで就職できたのだが、今年の正月明け頃、リストラに遭ったそうだ。
仕事を失い始めの頃は再就職先を熱心に探していたのだけれど、それもままならず、今はただただ家で燻っているとのこと。
だけれども、来年、弟が大学受験を控えている中、同じ家の中で何もしていないこんな自分が一緒に暮らしているのが、何だか申し訳ないような気持ちになっているそうで、だったら、いっそのこと、おじいちゃんの家にでも。と思ったらしかった。
ローリー、真紀子夫妻はそんな美晴に、ダフネのいるイタリア行きを勧めてみたそうだ。
日本で燻って腐っているよりは、イタリアの異文化に触れることで幾らか気持ちも上向きになると考えたからだったのだが、当の本人が「まずはじいちゃんとこに行きたい。」と言ったので、どうだろうかとの話だった。
「ああ、美晴がぁ…久しぶりだなぁ…なんも、こっぢはかまわねぇから、遠慮なく寄越しておいでな…お前と真紀子さんが使ってた部屋、ほぼそんまんまさしてるがら、こい!なんぼでも泊まれぇ…なぁ…それはそうと、ローリー、お前は体、大丈夫がぁ?真紀子さんも柚鶴も元気だべかぁ?そうが、そうがぁ…あ~、楽しみだでやぁ…なぁ…おう、しだらなぁ…」
メールで返せばいいところ、わざわざ電話をかけた父、昭三だった。
コンコン。
「おう…品子ぉ…まんだ、起ぎでるがぁ?…」
泣いて疲れてうとうとしかけていた品子は、父のノックでびっくりして起き上がった。
「あん?何っ?どしだの?」
ゆっくりと起きてドアを開けると、父、昭三は少し申し訳なさそうな顔をした。
「ああ、わりぃなぁ…なんが…ああ、そんだ、そんだ…ローリーがらさっき連絡あって、なんがなぁ、明日、美晴が来るんだど…そんで、しばらく厄介になるけんどいいべかって…ごめんな、品子に聞かないで、父さん、勝手にいいよぉって言ってまったんだども…おめ…いいがぁ?美晴、来っども…」
昭三は品子の顔色を伺った。
「えっ?ああ、いいさ…いいよぉ…美晴でしょ?なんも、全然…」
「ほんどか?」
「ああ、そっだら、良いに決まってっぺよぉ…やんだなぁ、父さん…なして?なして、そったらこど言うぅ?」
「いんや…しだって…美晴さ、しんばらく会ってねがったがら…どんだ風さなってっが、わがんねぇがら心配がと思って…」
「なんで?」
「あ、ほら…美晴、ずっとひきこもりだったっで言うがら…」
「そ…そんなの…別に関係ないじゃんよぉ…父さんさしだって、美晴は可愛い孫だべし、わだしにしだってぇ、美晴は可愛い甥っ子だもの…そだら心配なんもねぇって…それより、明日来んだら、部屋さちと掃除しねぇば…」
「そんだなぁ…だども、今日はやめるべ…父さんも折角風呂さ入ったばっかりだがら…なっ?」
「そんだねぇ…しだら、あだし、明日、ちょっと早く起きるわぁ…それだらいいべ?」
「んだな…そうするべ、そうするべ…しだら、おやすみ…おら、もう寝るわぁ…」
「そんだねぇ、おやすみ、父さん…」
さっきまで渡辺のことで頭の中がいっぱいだった品子だが、今、新しい風が吹き始めると、もうそのことで今度はいっぱいになるのだった。
「美晴がぁ…え~と、今いくづなんだべ?あだしよりも、ちょっと下だから…21が2だったよなぁ…兄ちゃんとごのお正月の写真で見たっきりだども…そっがぁ…美晴、来んだぁ…ちゃんと会うの、何年ぶりだべなぁ?昔は可愛かったっげなぁ…兄ちゃんみだいに、髪が茶色でくるくるっと巻き毛で…したけど…リストラっで…」
品子は、自分がリストラなどまるでない世界の住人だということに気づくと、急に哀しい気持ちになってきた。
「そんだよねぇ…みんな、一生懸命働いで…でも、あだしは…一生懸命働いてるつもりだけんども…何なんだろ?収入は父さんと一緒ってのか、別に分けでないがら…小遣いみだいなもんだよねぇ…そんで、税金とが年金のとがも払いは父さんがしてけれて、持たせてもらっでるスマホの料金も父さんと一緒で、電気代も水道代もガス代も…あだし、そういうのなんもしてねぇんだなぁ…それって…大人だのに、どうなんだべ?渡辺さんだって…ちゃんとお給料もらって…あ、渡辺さん…一人で暮らしてるんだべか?それとも、まんだ実家だべか?…あだし…渡辺さんのごと、なんも知らねぇんだよなぁ…そんで、好きだなんて…こったら、女なんかよりも…ちゃんと、どっがさお勤めしてる人の方がきっと好きなんだべなぁ…その…おかっぱの人も…きっと…ちゃんと働いてるんだべなぁ…なのに…あだし…あだしは…」
年寄りばかりの穏やかな山郷で、嫌なことなんかほとんどないぬるま湯の中で暮らしている自分。
一度も外の世界に出て働いたことのない自分。
無料通信アプリ「セーン」やSNSなどで、今も高校時代の友人と繋がっているとはいえ、みんなは荒波の中で必死に生きているのに対し、自分はどうだろう。
先月、仲が良かった稲村あきえは結婚が決まったと教えてくれた。
秋田裕子も看護師として毎日忙しくしているらしい。
そんな友人の近況も、今の品子にはとてつもなく遠い話のように思えて仕方がなかった。
あえて、辛いと思われる外の世界から遠ざかっている自分なんか、渡辺に振り向いてもらえるような魅力なぞまるでないと思った。
そんなのが哀しく、かといって今からどうこうする気もない品子だった。
最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます。
お話はまだまだ続きますので、どうぞよろしくお願い致します。