品子の青春8
続きです。
どうぞ宜しくお願い致します。
「しだら、父さん行って来る。」
土曜日曜、そして月曜と3日も電車で出かけるとなると、スタミナがある方だと言えども、やはり父、昭三は自分の年齢をどっしりと感じざるを得ないのであった。
父が出かけた後、品子は渡辺にもらった野球帽を被って作業に取り掛かった。
「んふふ…んふふふ…えへへへぇ~…へへへぇ~…ら~ら…」
部屋の中で帽子を被って珍しく鼻歌なぞ歌う上機嫌の品子を、預けられていた猫のしーちゃんは面白くないといった顔で見つめると、品子の傍で出来上がったばかりのざるの中で丸くなって目を閉じた。
「あ~…もう!しーちゃん…それは売り物だんだからぁ…も~う!しょんがないなぁ…んふふ…ふふふふ…ら~らら~…」
なかなか退けようとしないしーちゃんは、やっぱりそっぽを向いたまま目を閉じているのだった。
父、昭三はリハビリでいつもの電気の目盛りを少し上げてもらった。
「村山さん、大丈夫かい?ちょっと強いんでねぇ?」
「ああ、先生…大丈夫大丈夫…しだってなぁ…土曜は娘んどこさ泊まって、昨日は野球さ見に行ったもんだがらぁ…ちょっこし疲れてまって…」
「そうでしたがぁ…わかりましたけんど…ちょっとでも痛いとかってなったら、声かけて下さいね。」
うつ伏せで腰や背中に吸盤の様な器具を取り付けてもらうと、昭三はうとうとと眠りに入ってしまった。
痛いけれど気持ちの良い15分間。
終わると昭三は「後、もう1セット。」と思うのだった。
「…やぁ、一昨日昨日と食べた刺身も寿司も、まぁ、うめがったなぁ…」
病院で会計を済ませると、昭三は久しぶりに口に入った新鮮な生魚のことを思い出していた。
普段、魚を食べない訳では決して無いのだが、寿司や刺身といった生の魚となると、こうして病院に来た時、たまにスーパーに寄って買って行くぐらい。
後は移動販売車で買う干物の他に、焼き魚としてのみりん漬けや味噌漬け、甘塩などの加工した魚ばかり。
「贅沢ばして罰が当たんねぇばいんだけんど…」
昭三は病院を出ると、その足でスーパーに向かい普段よりも少し安くなっていた刺身5品盛り合わせのパックを購入したのだった。
水曜日、真新しい野球帽を被った品子は移動販売車を待っていた。
「あんらぁ、品子ちゃん…いい帽子被って…似合うねぇ…」
いつもの面子に褒められると、品子はにたにたが止まらなかった。
「…えへへ…そうおぉ~?えへへへへへ…」
毎度御馴染みの原田は、あれからすっかりしろにも慣れた様子。
そして、しろと仲良くしておいた方が何かと得だと考えると、春子と一緒に買い物に来たしろに「おまけ」と称して毎回ではないものの、時折12枚入りの小さな千代紙セットや、可愛いキャラクターが描かれている鉛筆など、ちょっとした物をくれるようになった。
原田は最後の客、品子が珍しく野球帽を被っているのが気になった。
「やぁ、村山さん、その…それ…いいね、すんごく似合ってる!好きなの?」
ぎこちなく話しかけられた品子は、「好きなの?」という部分に反応し急に頬を赤らめた。
「えっ!何っ?村山さん、野球好きだったっけ?」
驚く原田に、品子のテンションは急に下がった。
「ああ…うん…結構好きだんよぉ…日曜日だって…父さんと見に行ったんだもの…えへへ…」
品子はそう言いながら、あの時の渡辺を思い出していた。
「あ、えーっ!そうなんだぁ…俺も試合見に行ってたんだよぉ~…したけど、会わなかったよなぁ…そりゃ、あんだけ客入ればなかなか会うなんてないよなぁ…そっがぁ…村山さんも…野球見に行ってたんだぁ…そっがぁ…そうなんだぁ…」
原田は激しく残念がったが、品子は嬉しくてつい渡辺に偶然会ったと話した。
「えっ!渡辺さんも…ってが、渡辺さんと一緒に野球さ見だの?」
「ああ、そうだんだぁ…父さんも一緒だったけんど…」
「あんれ、そう言えば、俺、渡辺さんさ見だよぉ…」
「ええっ?」
「夜だけんども…野球さ見た後、俺ら仲間でそんまま飲みに行ったんだわぁ…そんで、確か、あれは渡辺さんだど思うんだども…」
「え?何?」
「ああ、いんやねぇ…球場の傍さあるコンビニでさぁ…確かにあれは渡辺さんだど思うけんど…でも、背のちゃっこい女の人あれだら…年下でねぇべかなぁ…ど一緒だったよぉ…」
「あん?嘘っ?」
「いんや、なんも俺、嘘なんでついでねぇよぉ…おかっぱ頭のめんこい感じの人で…二人でなんが楽しそうにしてたけんども…」
「やんだ、原田君、何言ってん…」
「いんやぁ、ホントだよぉ…そうえば、渡辺さんと言えば、高校時代がらずっと好きな子いだらしいんだども…そん子に何回がアタックしようとしてだって、すんげぇ、噂になってたべさぁ…」
「…?そうだっけぇ?」
「ああ、そんだよぉ…したけど、相手の人が全然気づかねぇみたいで、そんですっぱり諦めたって聞いたがら…したがら、多分、新しぐ好きな人でも出来たんでねぇの?卒業するまで、ずっとそん好きな人のこどあったがら、したがら、あん人、ほら、野球部ですんげぇモテてたべよ、そんでいっぺぇ告白されたみてぇだども…全部…全部断ってて…俺ら、モテねぇがら、告白さされだらす~ぐ付き合ってしまいたくなるんだどもなぁ…渡辺さん、一途だがらなぁ…渡辺さんのそういう態度がすんげぇなぁって…男らしいなぁって…」
「えっ?えっ?えっ?そんなごとあっだぁ?」
「んだ、あっだよぉ~…村山さんは覚えてねぇがもしんねぇけんど、学校中で伝説みだいになってたっけさよぉ~…村山さんと仲いがった秋田さんとが、稲村さんとががらでも聞いてねぇ?これっぽっちも聞いてながった?…あんれ、おがしいなぁ…かなり有名な話なんだども…」
おどけた顔で首を傾げる原田を尻目に、衝撃の事実を知った品子はよろよろとよろけながら、ふらり自分の家に戻って行ってしまった。
「あんれ!村山さぁ~ん!村山さぁ~ん!ちょっとぉ~…これぇ~!これぇ~!忘れて…」
品子が忘れていった物を、その後原田が家まで届けてくれた。
「あんれぇ…品子、どしたぁ?さっき原田君が買ったもんわざわざ届けてけれたけんども…なんがあっだのがぁ?」
昭三の問いかけに何も答えない品子は、それっきり自室に閉じこもったまま出てこなかった。
「…なんがあったんだべがなぁ…原田君も心配してけれてたけんども…あ、そんだ!」
すっかり元気がなくなってしまった品子に、父、昭三は温かいココアを差し入れた。
「…ああ、父さん…ごめん…今日はちょっと疲れちまって…仕事は明日がらにするけんどいい?」
「ああ、なんもそったらことがぁ…なんも気にすんなぁ…それより、ほら、これさ飲んで…ゆっくり休めぇ…」
「ありがとう…なんかわりぃねぇ…」
品子はずっと被っていた帽子を脱ぐと、ベッドの上に少し乱暴に放り投げた。
「…そんだよねぇ…渡辺さん…素敵だもんねぇ…そりゃ彼女だっているに決まってるよねぇ…きっと…めんこい人…なんだべねぇ…いいなぁ…あだしもめんこくなりてぇなぁ…」
床に敷いたラグマットの上で仰向けになると、品子の目から涙がつーと静かに流れて両耳の中に入った。
ふっと品子の中に熱いものが湧いてくると、いきなりがばっと起き上がった。
そして、丁度いい塩梅に冷めたココアを飲み干すと、台所に投げ捨てるように置いた。
結んでいた髪を強引に引っ張ってほどくと、品子は作業部屋にいる昭三に大きく声をかけて出かけて行った。
「あんれぇ?品子…どこさ行ったんだぁ?」
「ちょっと千田のばあちゃんのどこぉ~!」
「そうがぁ、わがったぁ…気ぃつげてぇ!」
つっかけに赤いカーディガンを羽織っただけのまま、品子は長い髪をなびかせながら川の近くに住んでいる千田のばあさんの家まで駆けて行った。
川の傍に住む千田のばあさんは、大昔、王港で美容師をしていた。
だが、結婚を機に夫の実家であるこの集落へ移った為、やむなく仕事を辞めたのだが、床屋や美容室などないこの集落で暮らす人々の為に頼まれれば男女関係なく誰の髪でも綺麗に切ってくれた。
「おばあちゃ~ん!おばあちゃ~ん!いるぅ?」
息を弾ませ品子は玄関の前でばあさんを呼んだ。
「あ~…こっちさいるよぉ~!」
川側にある庭の方から、微かに声が聞こえた。
「はぁはぁ…おばあちゃん…」
「あんれ?品子ちゃん…どしたの?さっぎ会ったばかりだけんども?」
「あの…あのねぇ…髪さ…切っでもらいてぇんだわ…今、すぐにやってもらえるべが?」
「へっ?いいども…ちょっと待ってけれ…ばあちゃん、手さ洗って支度すっがら…品子ちゃん、ちょっと手伝ってもらえるべが?」
「うん、わがったぁ~!」
広くとった玄関の土間に髪を切る態勢が整うと、品子は早速真ん中に置いた丸い椅子に腰掛けた。
「ホンドにいいのぉ?」
「うん…」
「綺麗な髪だねぇ…なんがもったいねぇねぇ…」
「いいの…ばあちゃん、お願いだがら、ばっさり切ってけれ!」
「…ば、ばっさりったって…どんぐらいまで切ればいいの?」
「あ、そっかぁ…そんだねぇ…」
ふと原田が言っていた台詞が脳裏を過ぎった。
「あのさぁ…おかっぱさしてけれるべが?」
「へっ?おがっぱっつったら、だいぶ切るよぉ~…」
千田のばあちゃんは品子の髪を丁寧にブラシでときながら、じっくりと腰まで伸びた薄い茶色の髪を眺めた。
「品子ちゃん、おがっぱってなっだら、この髪だらぶわぁって広がってしまうんでねぇべがなぁ…ほら、品子ちゃんの髪、お母さんのジョリーンさんど同じで、ちょっこしウェーブがかかっでがらさぁ…」
「そう?でも…わだしねぇ、ばっさりしたいんだよねェ…今、無性にそったら気分なんだわぁ…」
「なんがあったの?昔がら女が髪さ切る時は失恋した時だって言うけんど…」
千田のばあちゃんがそこまで言いかけると、品子は両手で顔を覆い背中を丸めて震えた。
「どした?品子ちゃん…なんが辛いことでもあったのがい?」
品子は小さく頷いた。
「そうがい…そうだのぉ…なんがわがんねぇだども…元気だして…なぁ…いづもの可愛い品子ちゃんさ戻ってけれ…なぁ?」
震えて泣いているような品子の髪を優しく撫でると、千田のばあさんはゆっくりとハサミを握った。
「ばあちゃんが素敵に仕上げてあげるがら…もう、泣かねぇの…ねっ?品子ちゃん…大丈夫…ばあちゃんがついてっがら…ねっ?」
こくんと頷く品子の頭を優しくぽんぽんと叩くと、千田のばあちゃんは真剣な目で品子の癖のある髪と対峙した。
どんどんと足元に今の今まで自分の頭にくっついていた髪の毛が溜まっていくと、品子の心も少しづつ軽くなっていった。
「品子ちゃん…後ろで一つにまとめれるように、ちょっと長めにしておぐがらぁ…」
「ありがとう…なんか、ごめんね…」
「なんもそったらこど、気にしねぇの…ああ、それはそうと、こん切った長い髪だんだけど、ばあちゃんさけれるがい?」
品子は千田のばあさんの言葉がまだ理解できなかった。
「なして?そったら切った髪…どうすんの?」
「ああ、あんねぇ、こん間うぢの孫娘がら聞いたんだどもねぇ、ほら、病気で髪の毛が抜げたりする人さいるっしょ…そん人達の為にねぇ…長い髪でかづらさ作ってあげてるとこあんだってさ…確かねぇ、30センチ以上の長さが必要っつってたがら…品子ちゃんのこん髪だら、だいぶなげぇがら…いいがなぁって…」
「…そうなんだぁ…どんぞどんぞ…こったら髪でいいんだば、なんぼでももらってけでさい。」
「そうがい…なんがありがとうねぇ。」
こんな形で切った自分の髪の毛だが、どうやら誰かの為になると聞くと品子の心はいくらか救われたのだった。
「さぁ、できましだ!どんだべ?品子ちゃん、こっちの鏡で後ろさ見れる?」
目の前にある縦に長い楕円形の鏡の中に、肩ほどのふんわりしたおかっぱ頭になった品子の姿があった。
それまで全開にしていたおでこが隠れ、幼い印象になっていた。
「やぁ、ありがとうばあちゃん…なんか軽いわぁ~…うふふふ…いいねぇ…今までどんだけ髪重かったんだか…」
「そんだねぇ…相当な重さだったんでねぇ…いやぁ、品子ちゃんさ気に入ってけれていがったぁ…若い人の髪さ切っだの久しぶりだがら…」
「やぁ、なんかごめんねぇ…ありがとう、ありがとう!」
髪を切って気分も軽くなった品子は、千田のばあちゃんの肩を揉んでからスキップで家に戻った。
最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。
お話はまだまだ続きますが、引き続き読んでいただけたら嬉しいです。