品子の青春4
お話の続きです。
どうぞよろしくお願いします。
早朝に集ったメンバー5人の他に、忠助のところの大きな白い犬ジェレミーとまたぎメンバーの茶色い雑種犬チーも参加することになった。
川に沿った大きな石だらけの道をいくらか進んだが、どこを見渡してもしろの家族らしき人の姿は見えなかった。
これでは埒が明かないと今度は山道に入る。
先頭を行くジェレミーが何かを発見したらしく、続いてチーも一緒になって吠えまくった。
傍へ向かってみると、そこにはしろとそっくりな人が2人ほど無残な姿で倒れていた。
「…やんや、可哀想に…しろちゃんの父さんと母さんだべかなぁ…熊が狐にでも襲われたっつうよりも、なんだぁ…こご急だからなぁ…足さ滑らしたんでねぇべがなぁ…これだらよぉ。」
春子が助けたしろ同様、倒れていた二人は素っ裸でうつぶせの状態だった。
連れて来たジェレミーは仲良くなったしろそっくりな二人に寄り添い、くぅ~んくぅ~んと哀しげに啼いた。
昭三と忠助以外のメンバーは倒れている二人に初めはぎょっとした様子だったが、時間と共にこんな死に方をしている二人が哀れでならないと思ったのだった。
「…こんな異国の地でなぁ…」
ジェレミーの背中に二人を丁寧に乗せて戻ると、駅の向こう側にある古い寺で小さな葬式をあげてもらった。
「…可哀想に…可哀想にねぇ…しろちゃん…おばさんとおじさんがついでるがらねぇ…ジェレミーもいるし…これから一緒に暮らすべねぇ…」
しろは哀しみを見せることなく、きょとんとした様子だった。
そんなしろのあどけなさが、葬式に参堂した一同の涙を更に誘うのだった。
90を超えている古い寺の住職とその妻の雪は、長い住職人生の中で今まで一度も見たことの無いご遺体にしろを初めて見た人全員がそうだったように、初めは言葉を失うほど驚いた。
だが、例えどんな姿だろうと、亡くなった人をきちんと弔ってあげなくてはいけないという住職の強い信念により、つつがなく普通の小さな葬式と同じような式をしてくださったのだった。
「…それはそうと…父さん、なんかしろちゃんの身元とがわがるもんでもなかったんだべかよ?」
春子の素朴な疑問に本堂で酒を酌み交わしている一同は、一瞬静かになった。
「はて?…おらはぁ…そういうのは見なかっただなぁ…なぁ、昭三さん…江上さん、三上さん山口のとっつあん、そういうのなんか見だぁ?」
忠助はそう言うと一緒に山に入った面々をゆっくりと見つめた。
「そんだなぁ…おらぁはしろちゃんの親御さんだちに夢中だったからなぁ…」
昭三に続いて山口のとっつあんが口を開いた。
「いんや…おらも見ねがったなぁ…したって、それよりも素っ裸で真っ白いがらよぉ…そっちの方がびっくらしただじゃあ…何も着てねぇがら、この傷…可哀想になぁ…こったらに傷だらけだりゃあ、さそかし痛がったんでねぇべかなぁってよぉ…なんかちょっとでも着物さ着てだあら、こったらに傷だらけにならんで済んだのにってなぁ…そればっかりだぁ。」
それまで腕組みをして神妙な顔つきだった江上が、何かを思い出したらしかった。
「…そうえば、うぢのチーが山の奥の方さ、なんかやたらに吠えてたよなぁ…」
「ああ、そんだ、そんだなぁ…山さ、下りるまでくどがったなぁ…」と三上。
「そんだら、山の奥さ、なんぞあんだべかなぁ?…まぁ、すぐにって訳にはいかんども、まだ、今度、天気のいい時んでもちょっこし行ってみるさなぁ…」
昭三の提案に一同、頭をぶんぶんと上下に激しく振った。
しろは傷が回復すると、自分を助けてくれた春子にくっついて歩いた。
そんなしろの行動が産まれたばかりのひよこのようで、春子や忠助をきゅんとさせるのだった。
二人がけのソファーほどの大きな白い犬ジェレミーも、しろにとても懐いた。
忠助はそんなジェレミーのこの家に来た境遇が、しろと似ているからではないかと思った。
ジェレミーは数年前の春、忠助が山菜取りに山へ入った際に怪我をしているところを保護された犬だった。
「…多分、あの崖から落ちたんでねぇべかなぁ…」
蕨が大量に生えていた場所で忠助が夢中になって採っていると、近くで薄っすら生臭い血の匂いと蚊の泣くような細い鳴き声が聞こえた。
そこで手を止め何かと思い鳴き声がしている傍まで行ってみたところ、このでっかい白い犬が腹から血を出して弱弱しくしていたのだった。
今にも命の火が消えそうな目の前の獣をそのまま放っておくこともできたのだが、縋るような眼差しを向けられたら忠助にはそんな残酷なことが出来る訳も無かった。
幸い傷は命に関わるほどではなかった為、助けた忠助と春子、それに呼ばれた昭三と品子もみな深く安堵したのだった。
元気になってからジェレミーは時々品子達の家にお使いでやってきた。
おすそ分けした時のかごやざるを返しに来てくれるのだが、その際、必ず品子とじゃれて遊ぶのがジェレミーの習慣になっていた。
少し狼に似ているジェレミーは、毎晩しろの傍に寄り添い眠るのだった。
季節はゆっくりと進んでいった。
しろが忠助春子夫妻の家で暮らすようになった頃、辺り一帯の景色はくすんだ茶色と鶯色が混じったような、どちらかといえば「汚い」景色だったのだが、あれから昼間が徐々に長くなっていくようにここいらを囲んでいる山々はじんわりと綺麗な緑や黄緑色が混じるようになってきた。
厚手の上着や中にふわふわの毛で覆われている冬靴などが、とても重く感じるようにもなった。
季節の移り変わりと共に、しろはすっかりこの集落の溶け込んでいった。
そんなある水曜日、またいつものように移動販売車が来るのを待っている面々の中に、春子と一緒にしろもついて来た。
「あんれぇ…しろちゃん…もう体はいいの?大丈夫なの?」
「めんこくなってきだねぇ、しろちゃん…おばあちゃん、初めはびっくらしたども…慣れてくれば、まぁ、めんこいねぇ…ももんがみたいに大きな眼でぇ…なんだかしろちゃんさ会えば、おばあちゃん、孫やひ孫さ会いだくなってまってねぇ…」
「…ああ、わがるわがる…そんだよねぇ…孫だちだら、都会さ暮らしてっがらなぁ…正月かゴールデンウイークか後はお盆に来るかぐらいだったども…こん頃だら、1年に一度来るか来ねぇがだもんだでなぁ…まぁ、子供らがおっぎくなってまったら、色々あるからしゃあないんだろうどもなぁ…」
集ったお年寄りたちはちょっぴりしんみりした。
それを察知したかのようにしろは春子の手を離れると、集ったおばあさん達一人ひとりの手をぎゅっと握って大きな目で見つめていった。
「ありがとうねぇ、しろちゃんは優しい子だねぇ。」
そんなしろの姿を品子は少し羨ましいと思ったのだった。
そうしている間に遠くから薄っすらとあの馴染みのメロディが近づいてきた。
集団の傍に丁寧に車を停めると、運転席から品子の元同級生の原田がまたいつもみたいにかっこつけて車から降りて一同に深く頭を下げた。
頭を勢いよく上げながらお決まりの台詞を言いかけると、急に目を丸く見開いたまんま硬直してしまった。
毎週毎週会う面々の中に真っ白い顔の見慣れない人が混ざっている。
原田の心臓は早鐘を打つように激しさを増していった。
集っているおばあちゃん達に「早ぐ店さ開けてけれ!」と言われても、原田はしろから目を離すことも出来ずただ呆然と立ち尽くすしか出来なかった。
「やんや…勝手に開けるよぉ…兄ちゃん!何?ぼうっとしてどしたんだぁ?熱でもあんだかぁ?」
一人のおばあちゃんに手をぐいぐい引っ張られて、ようやく原田はしろから目を離すことができた。
「ああ…ああ…すんません…ああ、あの…どうぞぉ…」
心ここにあらずといった様子の原田は、再び春子と手を繋いでいる小さなしろをじ~っと見つめた。
「あ…あれ…あれ…あれは…宇宙人…じゃないかぁ~!でも、どうして?どうしてこんなところに…そして、なんで?なんで村山さんと楽しそうにしてるの?なんで?なんで?」
1番にレジを待っているおばあちゃんから大声で叱られると、原田はハッと我に返り動揺して何度もおつりを間違えた。
しまいには狭い車内店舗の中で小銭を落として、そこにいるみんなに拾ってもらったり。
「なんだぁ?兄ちゃん…ホントに大丈夫だかぁ?あん?」
「ああ、ええ、あの…大丈夫です…大丈夫ですから…」
原田はそれでもまだしろからなかなか目が離せなかった。
「しろちゃん!はい、これ、どんぞ…」
買い物を終えたおばあちゃん達は、しろに今買ったばかりのチョコレートや飴玉などのお菓子を1つづつあげてからそれぞれの家の戻って行った。
「あんれぇ、しろちゃん、いがったねぇ…みんなにこったらいっぱいおやつ買ってもらっだのぉ~…う~ん…いがったねぇ…ところで、今日は何食べようかねぇ、しろちゃん。」
春子はしろと一緒に車内に乗り込むと、ゆっくりと買い物を楽しんだ。
お客が残り品子だけになったので、原田は思い切って聞いてみることにした。
「あっ…あのさぁ…村山さん…あの…あの子…」
原田の指差した先にはしろがいた。
「ああ、しろちゃん?」
「あ、うん…そうなんだけど…あの子さ…どしたの?」
「ああ、しろちゃんねぇ、可哀想なんだよぉ~…あ、そっか、原田君はまだしろちゃんに会ったことなかったんだっけか?そっか、しろちゃん、今日初めてだったっけねぇ…」
「あ、うん…で…あの子。」
「ああ、うん…春子さんがね、川で倒れてたとこを助けたんだよ…そんで、お父さんとお母さんらしき人は山で死んじまってだらしいんだどもねぇ…多分、病気か何かで肌が白いんじゃないかって…しろちゃん、体も細いからさぁ…なんかね、王港のでっかい病院でしろちゃん診てもらおうかって話もあったんだどもねぇ…今、なんかすっかり元気でご飯とかもりもり食べてるみたいだから、大丈夫でねぇべかって…家の父さんがね、オランダ人でないべかって…まんだ、言葉さわかんねぇんだよねぇ…イタリア語も英語もわかる父さんが聞いたことない言葉だって…したがら、オランダの人でねぇべかって…」
「あ、そ…そうなんだぁ…だけど…あの子…うちゅ…」
原田がそこまで言いかけると、店の中からしろのするどい視線を感じた。
「原田君、レジ頼むわぁ~!」
「ああ、は~い!すぐ行きま~す!」
緊張感と激しい心の動揺で原田はまだ肌寒い中で全身から汗をだらだらかいていた。
それと同時に春子にお金を手渡す手も震えが止まらなかった。
「しだらね、品子ちゃん、まだねぇ…」
たった今買ったものを品子が編んだかごいっぱいに詰めると、春子はしろと手を繋いで家に戻って行った。
不意にしろが振り向くと、品子は大きく手を振った。
しろもやはり大きく手を振り、そして原田をじ~っと見つめてから前を向いて行ってしまった。
「…あああああ…あのさぁ…あのさぁ…村山さん…あの子…あの子だけど…」
「ん?何?しろちゃん?」
「あ、うん…そうなんだけど…」
そこまで言いかけて原田は喋るのをやめた。
「駄目だ!駄目だ!今、村山さんにあの子、宇宙人だよなんて言ったら…言ったら…きっとドン引きされるんじゃないかな?…きっとそうだよな…だって、だって、村山さん、あんなにあの子と親しそうだし…春子さんやおばあちゃん達にも可愛がられてんだもん…ここで、うっかり宇宙人なんて言っちゃったら…言っちゃったら…きっと…きっと…嫌われてしまう…んじゃ…やんだぁ~!そんなのやんだぁ~よ!折角、折角、こんな移動スーパーの運転できるようになって、折角、折角、こうして毎週毎週、村山さんに逢えるようになったってのに…ここで、嫌われちゃったら…元も木阿弥じゃねぇかよぉ~!…もうちょっと話せるようになったら…そうなったら…今年こそ、クリスマスまでぐれぇには村山さんさ、デートさ誘おうって…誘えたらいいなぁって…それだに、今は駄目だ…我慢だ!我慢!我慢だべよ!」
「どしたの?原田君…すんごい汗…良かったらこれ使ってけれ!」
原田が心の旅に出ていると、品子が自分の顔の汗を拭ってくれたのだった。
「あえっ!むっ…村山…」
「何?急に呼び捨てして…」
「あっ…ちがっ…違っ…あの…これ…」
「じゃあねぇ、原田君、体調悪そうだども、お大事にねぇ…したら、また来週ねぇ~!」
品子に手渡されたガーゼのハンカチで顔の汗を拭うと、原田はしろのことは自分の心の中に収めておこうと決めたのだった。
そして、すっかり汗を拭いたハンカチを広げると、品子が使っているイタリア製の洗剤の良い匂いを嗅いだ。
「ああ、品子ちゃん…品子ちゃん…」
原田は来週までに品子に借りたこのガーゼのハンカチを、綺麗に自分の手で洗ってアイロンをかけて綺麗な袋にでも入れて渡そうと思った。
その他に「お礼」として、何をあげたら品子が喜ぶだろうか考えると、先ほどまでのやばい緊張感は消え去り、今度はウキウキ感でいっぱいになるのだった。
帰りの車中、原田はカーラジオから流れてきた20年ほど前に流行ったバンドの曲を、音痴な声で機嫌よく歌った。
最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます。
まだまだお話は続きますので、これからもどうぞよろしくお願いします。