品子の青春27
続きです。
どうぞよろしくお願い致します。
展望台に着いてから、渡辺は急な形で口数がぐんと減った。
背中の品子をゆっくり丁寧に降ろしてくれたが、渡辺は品子の顔を見ようとはしなかった。
眼下に広がる街の景色を黙ってみている渡辺の横顔を、品子はただじっと見つめた。
「…もしかして…さっき、背中で好きっで言っだの聞えでしまっだんだべが…だから、ひろみさん、急になんも喋んなぐなったんでねぇべが…だとしだら…あだし…あだし…何て声さかけだらいいんだべ…普通に何も言わなかっだ体で喋る?しだけど…そっだらの…自然に…ひろみさんさ、変に思われないように…できんだべか…自信ないや…それども、やっぱりきちんどひろみさんさ、自分の気持ぢぶつけた方がいいんだべか…あんな中途半端な言い方じゃなぐ、もっと…もっとこう…真剣に…ひろみさんの顔さ見で…あ、でも…今、ひろみさんの顔なんで、まともに見れるべか…きっど無理…なんが…足…痛い…なして、こういう時にこっだら怪我さしで…あだし、馬鹿だ…大馬鹿者だ…これだら、駄目だってわがってんのに…ひろみさんさ、迷惑かけっぱなしだ…こんなあだしなんて…」
景色なんか見つめる心の余裕もないまま、品子は脳内であれこれどうしたらよいか考えるのに必死だった。
渡辺が自分のことに腹を立てているのだろうか、不安にもなった。
そんな品子の様子など知る由もない渡辺は、ただただ下界よりも随分涼しい山の空気で汗を乾かしていた。
はたはたと下から吹き上がってくる風でだいぶ乾いた渡辺のTシャツの後ろを、品子は軽く引っ張った。
「ん?」とばかりにようやくこちらを向いてくれた渡辺は、一瞬品子と目が合うもすぐに違う方を見つめた。
「あ…あのね…もうそろそろ行かない?美晴達も待ってるんじゃないがな…」
品子の言葉に無言で頷くと、渡辺はさっきと同じようにしゃがんで品子をおぶろうとしてくれた。
「あ…大丈夫だがら…もう、歩ける…大丈夫…」
「…遠慮…しないで…」
「…でも…」
その後、「だってひろみさん、何か怒ってるみたいだから。」と続けたかった。
「あだし…大丈夫だがら…」
渡辺を振り切るようにひょこひょこ歩き始めた途端、品子は僅かな段差に躓いて膝からドンと転んでしまった。
「いっ…いだだだだだだだ…」
「だっ…大丈夫!品子ちゃん…」
心配して駆け寄った渡辺に対して、品子は涙を我慢しながら「大丈夫だがら…」と強がってみせた。
短パンから出ている膝小僧は両方擦りむいて血が滲んでいた。
地面についた両手のひらには小石がめり込んで、一緒にぶつけた両肘は小石の他に小さな擦り傷と青あざができた。
品子のツンとした態度に構わず、渡辺はふわっと品子を両手で抱き上げるとそのまま一番近いベンチまで連れて行った。
「いいって…降ろしで…ひろみさん…恥ずかしいがら…あだし…あだし、大丈夫だがら…だがら…」
「いいがら」
真顔の渡辺にそう言われると、品子は喋るのをやめざるを得なかった。
「ご…ごめんなさい…」
また、渡辺に迷惑をかけてしまった。
品子は哀しくて家に帰りたい気持ちでいっぱいになった。
「あ…あのっ…あのっ…」
傍の水飲み場でさっき足の手当てをしたガーゼをもう一度擦り洗って戻って来た渡辺は、黙ったまま擦り傷から血が滲んでいる両肘と両膝を拭いてくれた。
「いっ…いだだだ…」
傷口から水が沁みると品子は声を出して泣き出してしまった。
「ごっ…ごめんなさい…ごめんなさい…ごめんなさい…ごめんなさい…許してけれる?」
涙でぐしゃぐしゃの品子の頭を、渡辺は困った様な笑顔で静かに撫でてくれた。
「ちょっど待っでで。」
渡辺はそう言うと、品子を置いて売店の方へ行ってしまった。
「あだし…なんでこっだらにドジだんだべ…ひろみさんさ、迷惑ばっがりかけで…やな女だ…こんなだら、嫌われちゃうよ…どうしよう…どうしだらいいんだべが…ああ、こんな時美晴とまるみちゃんいてけれだら…あ~、何が家さ帰りてぇ…父さん…あだし…あだし…」
斜めにかけていたバッグから綺麗な刺繍が施されているレースのハンカチを取り出すと、品子はそれで涙を拭った。
そして、小さな鏡で泣いた自分の顔を見た。
「やんだ…あだし…こっだら汚い顔でひろみさんと…やんだぁ…顔…洗って来ようがな…ひろみさん、まだ来ねぇみだいだし…そんだ、そうしよう…ついでに用も足して来よう…うん!」
立ち上がると痛みが走った。
けれども、品子は我慢してひょこひょこトイレに向かった。
「?あれっ?品子ちゃん…どごさ…」
戻って来た渡辺はベンチで待っているはずの品子の姿が見えないとわかると、腰掛けて待つことにした。
そうしている間にもロープウェーからは展望台に向かう客、そして、展望台からはロープウェーで下に戻る客でごった返していた。
渡辺はじっと考え込んでいた。
品子の怪我の心配と、どんな顔をしてどんな言葉をかけたらよいのか。
だが、頭に浮かぶ言葉はどれもちんけで安っぽいような感じもあった。
そうしていると、売店の方から品子が杖をついて戻って来た。
「あれっ?それ…」
渡辺の第一声はそんなのだった。
「えへへ、杖、買っちゃった…えへへ…こんな場所だけどこんなの売っでるんだねぇ…こっがら山さ登る人とが使うんだねぇ…」
品子はいつもの品子に戻っていた。
「あはは、ごめん…俺、売ってだの気づかなぐて…ホンド、ごめんなぁ…」
「ううん…そんなの謝らないで…あだしが勝手に怪我しでまったんだもの…ひろみさんのせいじゃねぇもの…それに…」
「?」
「もう…おんぶだの、抱っこだのさせる訳にいがねぇもの…」
品子の言葉に渡辺は少しだけ哀しげな表情を見せた。
「あ、そだ…これ…」
渡辺は小さな厚手の袋を品子に手渡した。
「えっ?これ?」
「あ、売店で売ってたがら…」
「いいの?」
品子が尋ねると、渡辺はこくんと頷き顔を真っ赤に染めて展望台の方を見た。
「今、開けてみでもいい?」
再び品子が尋ねると、渡辺はこちらを見ないまま、やっぱりこくんと頷いた。
「えへへ…何だろう?えへへ…」
ビニールの袋の中から、小さな紙袋が出て来た。
幾何学模様の柄に金色のシール。
そのシールには「for you」と書かれてあった。
「え~っ、何、何?えへへ…」
にやにやしながら更に袋を開けてみると、中に更に透明なフィルムの袋。
値段の部分は黒いマジックで雑に消してあった。
開けずとも見える中身は、ピンクのガラス細工のピアスが入っていた。
「可愛い…」
「いがった…」
「これ…ホンドにいいの?」
「あ、うん…」
「えへへ…つけでみてもいい?」
渡辺に了承を得ると、品子はつけていたピアスを外して、たった今もらったばかりの新しいのをつけてみた。
品子は小さな手鏡に映るキラキラしたハートの形のピアスを確認すると、怪我の痛さもどこへやら。
にやにやが止まらなかった。
そうなると、さっきまでの不安なぞすっかり吹っ飛んだ品子だった。
「いがった…気に入ってけれだみてぇで…あ、そんだ…これ、貼っどこう…売店で買って来たんだども…」
渡辺は思い出した様にもう一つの袋から買ったばかりの絆創膏を取り出すと、早速封を開けた。
「こんなのしがながったんだども…」
一枚一枚に可愛らしい女の子向けのキャラクターの絵が描かれている絆創膏。
杖と同じく、やはりここから更に山頂を目指す方々用に、売店では常に置いてあるそうだった。
「ああ、大丈夫…今度は自分で貼れるがら…」
「そうがい。」
品子はカラフルな絆創膏の絵を一枚一枚確認しながら、丁寧に貼っていった。
「なんが、もったいねぇね…これ…」
「そう?」
「うん…こっだらに可愛いんだもん…使うのもったいねぇよ…」
「普通の方がいがった?」
渡辺の哀しげな表情に、品子は慌てて続けた。
「あっ!違うの!」
「?」
「そういうんじゃなぐって…折角ひろみさんが買ってけれだがら…特別だがら…そういう…意味…だの…です…ひろみさんが…けれた物は…あだしにしだら…宝物…だがら…」
品子は顔から火が出そうになって下を向いた。
渡辺は空を見上げた。
最後まで読んで下さり、本当にありがとうございました。
お話はまだ続きますので、引き続きどうぞよろしくお願い致します。




