品子の青春22
続きです。
どうぞよろしくお願い致します。
やけにテンションの高い品子は、じりじりと照りつける太陽のようにいっそう明るく元気だった。
美晴は品子と渡辺の関係がとりあえず一つ進んだことに、随分満足していた。
そうなると畑仕事を手伝いながら、自分の先のことを僅かではあるが考えられるようになってきていた。
「…あっちぃ~…」
しゃがんだ姿勢で雑草をむしっていた美晴は、一旦立ち上がると大きく伸びをした。
おでこまで下がってきていた女優帽に似た形の麦わら帽子を取ると顔中にかいた汗を首からかけたタオルで拭い、徐々に色が濃くなってきた空を見上げた。
山と山の狭間の奥の方に真っ白い大きな雲が見え、青い空とのコントラストがいかにも「夏!」だなぁと感じられた。
時折弱い風が申し訳程度拭いて、汗ばんだ美晴の肌を掠めて通り過ぎた。
「おう!そろそろ一休みさすんべ…」
畑の反対側にいた昭三から声をかけられると、美晴はむしった雑草をささっと片付け、日陰が丁度良い縁側横の蛇口で手と顔をジャブジャブ洗った。
「ひゃあ~…あっちぃなぁ…しっがし…」
後から首のタオルで汗を拭きながら戻って来た昭三に、冷蔵庫で冷やしたウーロン茶を出した。
「ホント…あっちぃねぇ…」
美晴はそう言うと、外側にあっという間に水滴がびっしりついてしまったグラスを持ち、ウーロン茶を一気に流し込んだ。
「ひゃあ~!つめてぇ~!」
勢い良く下に下ろしたグラスの中で、角が丸くなった氷がカランコロンと綺麗な音を出した。
「あ~…しゃっけぇ!」
昭三も冷えたウーロン茶を一気に飲むと、冷たいものでびっくりしたらしい胃を押さえた。
「やんや…ちと、しゃっけ過ぎだなぁ…腹さくるなぁ、おい。」
「あはははは…僕は何ともないよ。」
「それはぁ…おめがわけぇがらよぉ…年さとってみれ…しゃっけぇだどが、あっちぃだどがが駄目になんだど…おらぐらいになれば、ぬりぃのがいんだわ…飯でも何でも…」
「そういうもんなんだねぇ…」
「そんだなぁ…おらもこの歳さなっで、やっどこわがったんだどもなぁ…若い時は少々そういう刺激があっでも、若いがら平気だんだわぁ…しだけど、歳くっだらよ、そういう刺激にだんだん弱ぐなっでくんだよ…それは口さ入るもんだけでねぇんだなぁ…弱ぐなっでってっがらよぉ…目がら飛び込んできたり、耳がら入ってくる恐ろしげなニュースだどが、そういうのも駄目…っでのが、なんが苦手になっでくんだよなぁ…しだがら、綺麗な花ば見だり、めんこい猫のしーちゃんさ見だり、しろちゃんやジェレミー、後、しろちゃんのペットのもふもふちゃんみてぇなそういう柔らかいっでのが、優しげなものがいいんだよなぁ…食いもんも、やっけぇもんがいぐなっでくんだよなぁ…人間ってのは、ちゃんとそういう風にできでんだべなぁ…」
「ふ~ん。」
昭三の話はわかるような気もしたけれど、美晴にはイマイチぴんとこなかった。
「…あ、そういえばさぁ…じいちゃん!」
「ん?なんだ?」
「あのさぁ、前から聞こうと思ってたんだけどね、昔の写真に写ってたサイドカーってさ…」
「ああ、あれがぁ…」
「うん…そう…おばあちゃんと一緒に乗ってたあれ…」
「ああ、あれだら…確か車庫さあんでねぇべが…ん?確かまだあっだはずだども…」
「えっ?」
昭三の言葉に美晴は驚いてしまった。
自分はただ「すごいねぇ。」とか、「かっこいいねぇ。」と続けるつもりだっただけなのに、まさかそれがまだこの家にあるなんて思いもしなかったから。
「う…嘘っ!」
「なんも嘘でねぇよ!」
美晴の発した台詞に昭三は少しムッとした。
「ええ~~~っ!なんでぇ~!」
「なんでって…なんだ、おめぇ、そっだらでっけぇ声出して…」
「あ…いや…だってさぁ…そんなことひとっことも言ってなかったじゃん!」
美晴も昭三に対抗してきた。
「んや…しだって、おめぇも聞いでこねぇがらよ…今、その話さ出て、やっとご思い出したぐれぇおらだっで忘れでたがらよぉ…」
「え~!やっ、そうかもしんないけど…え~っ!」
「そっだらにびっくらこくんだら、しだら、なんが悪がったなぁ…」
「あ…いや…別に、じいちゃんが悪い訳じゃないから…」
「んだべ!」
そう言われると、美晴は少しだけムッとなった。
縁側にウーロン茶を飲み終えたグラスをそのままに、昭三は美晴と一緒に家の裏にある車庫に移動した。
普段の畑仕事で使う道具を入れた物置小屋の隣に、大きな車庫があった。
車が余裕で2台入るほどの大きなそこは、錆びたシャッターで締め切ってあったので、美晴は今まで特に気にしてはいなかった。
ただ「ああ、車庫。」程度のものだったのだが、そこに古い写真に写っていたあのサイドカーが置いてあるとは夢にも思わなかった。
「どら…よっこいせ…おう、おめも手伝え!」
ガラガラと大きな音を立てて二人がかりでようやくシャッターが開くと、眩しいほどの日の光が車庫の中まで降り注いだ。
微かに漂う埃っぽさと、やっぱり微かに臭うかび臭さで美晴と昭三は思わず「わっ!」と手の甲で口を塞いだ。
「あ~…駄目だ…ちょっど待で…もうちょっと風さ入れるべ…」
「そ…そだね…じゃあ、お昼からでも…」
「ああ、そんだなぁ…そうするべ…」
長年放っておいた車庫の中に、久しぶりに新鮮で綺麗な空気がふんわりと入った。
昼ご飯は美晴と昭三の共同制作。
冷やしうどんと薄切り豚肉の冷しゃぶ、そして、トマトをレモン汁と蜂蜜で漬けて冷やしておいたもの。
にやにやしながら作業部屋から出て来た品子も交えて、昼食となった。
品子はあれから頻繁ではないにしろ、2日に一度程度の間隔で渡辺にメールをしていた。
こちらからメールを送るばっかりで、向こうから来ることはまだなかった。
質問ばかりの品子のメールにも、渡辺は丁寧に答えてくれ更には毎回必ず綺麗な花や青い空に白い雲、どんぐりを両方の前足で大事そうに持っているリスなど、品子が好きそうで喜びそうなものの写真を添付して返してくれるのだった。
そんな細やかな気遣いと優しさに、品子の中の渡辺「愛」が益々強くなっていたのだった。
「えへへへへぇ~…」
「これっ!飯さ食ってる時はそれやめれ!行儀悪い!」
「あ、ごめんなさい…」
渡辺から送られてきた生まれたばかりの子羊の可愛らしい写真を見ながらご飯を食べていた品子は、ハッとなると慌ててテーブルの上にスマホを置いた。
しょんぼりしながらうどんを啜る品子を見て、美晴は「やれやれ」と思うのだった。
「それはそうど…美晴、あれ…多分、動かねぇど…いいのが?」
「えっ、ああ…そんなの…まずはじっくり見せてよ!もしかじいちゃんが嫌じゃなかったらさぁ…僕、動くように直したい!いいかなぁ?」
「ああ、そんなのなんぼでも構わねぇど!だども、道具さねぇども…」
「あ、そっか!あ、でも…パパから僕の工具箱送ってもらうから大丈夫!それに急ぎじゃないから…」
「まぁ、そんだなぁ…ああ、家の工具箱だも後で見てけれ…もしがしだら、何か使えっかもしんねぇべ?」
「うん、そうだね…あ~、でも、わくわくするなぁ…えへへ。」
「そうがぁ?そっだらもんだがなぁ…」
昭三と美晴の会話に品子が混ざってきた。
「何?どしだの?何、動かすって?」
「ああ、あのね、さっき裏の車庫でね、昔の写真に写ってたサイドカーあるって聞いて…それで見せてもらおうってことになったんだけど…シャッター開けたらカビとか埃とかでさぁ…だから、今開けておいて空気の入れ替えしてるんだぁ。」
「車庫?…ああ、納屋のこど?あれ?あそこさ、まだそっだらのあったんだねぇ…あだしも見たこどないよぉ~。」
「えっ!そうなの?」
「うん、そんだよねぇ、父さん…もう何年も開けてなかったよねぇ…」
「あ~…どんだがなぁ?もう忘れっちまっだよ。」
「そ…そうなんだぁ…」
日陰になっている家の中にふんわりと生暖かい風が通っていく。
まだ早いと扇風機もエアコンもつけない中、食べている「冷やし」物がやけに美味しく感じられたのだった。
「じゃあ、どら、美晴、そっちさ持で!しだら、せ~の!」
かけていた大きな黒いカバーを外すと、中からまださほど傷んでいないサイドカーが顔を出した。
「わぁ~!」
美晴と品子は思わず歓声をあげた。
「すっげぇ~!うわぁ~!ひぇえ~…うひょ~!」
サイドカーの傍でしゃがんだり、跨ってみたりしている美晴のテンションは、午前中の畑仕事の疲れも吹っ飛ぶほど。
「じいちゃん!すげぇ!すげぇよ!これ!すんげぇなぁ!うひょ~!ホントに…ホントにこれいじっていいの?」
「ん?ああ、しだって、もうおらも乗んねぇし…なんだったら、おめさやる!」
「えっ!嘘っ!」
「なして嘘さこぐってよ…やるっつってんだべよ…いい…おめが使え。」
美晴は嬉しさマックスになると、ひゃっほ~と辺りをスキップしたり、吠えたり、その場で小さく何度もジャンプして喜びをいっぱいにした。
「いがっだねぇ、美晴…そっだらに喜んで…あはははは。」
昭三も品子も一緒に暮らしてから、美晴がこんなに喜ぶ姿を初めて見たのだった。
実家から大きな工具箱3箱が送られてくると、美晴は午前は畑仕事、午後からはサイドカーを動かそうと張り切った。
「あはははは…いがったなぁ…いがった、いがった…」
昭三はここへ来たばかりの頃の美晴を思い出すと、心から良かったなと感じたのだった。
そして、息子である美晴の様子を心配していたローリー達も、美晴が昭三のところで長い間放置してあったサイドカーを直そうと、いきいきしているらしいと聞くとホッと胸を撫で下ろした。
美晴のことを心配していたのは、親であるローリー達だけではなかった。
来年の受験を控えている弟の柚鶴もまた、一緒に暮らしていた時リストラや当時付き合っていた彼女との別れで随分落ち込んでいた兄、美晴のことが心配で心配でなかなか勉強に身が入らない日々が続いていた。
だが、夏休みの夏期講習前、久しぶりに連絡が入り、自分の部屋の工具箱を急ぎで送って欲しいと張りのある声で頼んできた兄に「ああ、良かった、兄ちゃん、だいぶ元気になったんだね。」と安堵したのだった。
最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。
まだ続きますので、引き続きどうぞよろしくお願い致します。