品子の青春21
続きです。
どうぞよろしくお願い致します。
品子は美晴に「ブックフェイスとかで調べても…」と促されたが、渡辺の下の名前をそういう形で調べるのは何だか気が進まないというか、こそこそと調べる態度が泥棒のようでとても嫌だと感じていた。
かといって、原田や高校時代の友人に尋ねるのも何だか気がひけた。
「そお?じゃあ…」ということで、美晴と品子は次に渡辺が来る日の計画を入念に立てた。
まずは着るものから。
品子が持っている洋服の中から、初夏にぴったりな半袖でかつ家の中で着ていてもなんら不自然ではないけれども、だらしなさ過ぎずに少しは女性らしい印象の、襟の縁に細かなレースがついている小花柄のブラウスとシンプルな膝丈の半ズボンを選んだ。
素足が丸出しになるのでスネの毛の処理のさることながら、手の爪と同じ淡いピンクのペディキュアも施してみた。
「ちょっとやりすぎでねぇの?」
「え~!普通、これぐらいはするでしょ?女の子だったらさぁ。」
品子は美晴の張り切りように若干ついていけずにいた。
「だども…」
「品子ちゃん、自分で言ってたでしょ?こっだらあだしなんかって…」
「そんだけど…」
「今までみたいなありのままの自分なんか誰も好きになってくれないって!自分でそう言ってたじゃない?だったらさ、照れたり、めんどくさがらないで、ちょっとは努力したらいいんじゃないの?今までみたいなテキトーな格好じゃ駄目だって、自分で十分わかってるんならさぁ、ちょっとでも普段からやった方がいいって!やりもしないでぐじぐじいじけてんのってさぁ、ただの馬鹿じゃん!」
「ばっ!馬鹿っで…そごまで言わなくでも…いんでねぇ?」
「いいや、この際だからきっぱり言うよ!品子ちゃんさ、ずっとこんな田舎で知ってる人ばっかりに囲まれてるからってさ、ちょっとだらしなさ過ぎだったんじゃない?折角、うちのママとかダフネおばちゃんやヒルダおばちゃんから、いっぱい綺麗で可愛くなる道具もらってんのに、もったいない、今使う時じゃないとかって大事にしまってさ…そういうのって流行りもあってどんどん新しいの出てくるんだからさ、もらったらどんどん使っていかないと…物だって可哀想だよ!」
「それはぁ…そんだけど…でも…」
「それに渡辺さんに振り向いて欲しいんでしょ?」
「いや…振り向いでって…それは…」
「あ~、じれったい!もう二十歳過ぎてんだからさ、いつまでも子供じゃないんだからさぁ…ねっ!言っとくけど、漫画みたいに相手から好きだって告白されるの待ったって無駄だと思うよ!そうでしょ?」
美晴の言うのはごもっともだった。
「当たって砕けたっていいじゃん!」
「え~!そんなのやだぁ~!砕けた後も渡辺さんさ会うんだよぉ~…どんな顔しで会えばいいのさぁ~…」
「そ、そんなの知らないよぉ~…じゃあ、じゃあさ、このままでいいわけ?品子ちゃんはこんな中学生みたいな片思いのまんまでいいの?」
「ん~…それはぁ…」
「ほら、やなんじゃん!そうやって品子ちゃんがもたもたしてる間に、渡辺さん、誰かに盗られちゃうよ!あの人、かっこいいもん!男の僕から見たって、かっこいい人だから付き合いたいって人いっぱいいるんじゃない?実際、高校時代もすんごくモテてたって言ってたじゃん!もしかしたら、もうとっくに誰かに盗られちゃってるかもよ?」
「え~!やんだぁ~!」
「でしょ?だったら…それにそうしてる間に品子ちゃんだって、どんどん年取っていくんだよ。いつまでも若いわけじゃないんだからさぁ…おばさんになって、おばあさんになってもそうやってるつもり?」
「やんだぁ~!そんなのやんだぁ~!」
「じゃあさぁ…」
二人は品子の部屋で夜更けまで、渡辺の下の名前を聞く作戦を念入りに立てていったのだった。
そしてごみ収集日当日、品子は朝からそわそわしていた。
「なんだ、品子、おめぇ、どっがさ行ぐのが?」
こちらの計画をまるで知らない昭三は、味噌汁とずぞぞとすすった。
「ああ…んんや、別に…どごも行がねぇよ。」
「そうがぁ…ん~…それはそうど、おめぇ、ここ、こぼしてんど。」
昭三に指差された箇所に目を移すと、品子はブラウスに卵焼きにかけた醤油の染みがあるのに気づいた。
「あ~…どうすんべぇ~…」
「だっ、大丈夫だって!品子ちゃん…違うのにとっかえたら大丈夫だって…」
「え~…違うのっでぇ?」
「ほらっ…ほら…あれ!あのでっかいリボンのTシャツは?」
「あっ!ああ、そんだねぇ…そっちにとっかえてくる!」
急に席を立って自分の部屋にだだだと向かう品子の後姿を見て、昭三は「なんだ?あれ?」と首を傾げた。
「あっ…あははははは…あはははは…」
美晴はわざとらしく笑うと、半熟の目玉焼きを乗せたご飯をかきこむ様に食べると、すぐに咽た。
「おい、大丈夫が?美晴…そっだらに慌てで食うがら…」
昭三に背中を摩ってもらいながら、美晴は「えへへ」とおどけて見せた。
渡辺が来るまでの間、美晴はいつもの様に昭三と一緒に畑作業。
品子は落ち着かないまま、かご編みの作業部屋ではなく、床拭きモップかけながら何度も玄関からリビングまでの廊下を行き来した。
外にゴミ収集車の音が聞えた。
品子は一瞬ドキッとなると、モップを放って玄関の縦長の鏡で全身をチェックした。
「よすっ!」
大きく深い深呼吸を一つ。
意を決して玄関の戸を開けて一歩踏み出そうとした瞬間、品子は敷居に足をとられ前のめりになった。
「わっ!」
今にも顔面から転びそうなところを、下からゆっくり上って来ていた渡辺がさっと走って品子を抱きとめてくれた。
「大丈夫?」
品子の耳元、すぐ近くで渡辺の囁くような優しい声がした。
「あっ!」
渡辺に抱えられる形で助けてもらった品子は、自分の置かれている状況を把握すると全身から火が出そうなほど真っ赤になった。
間近で見つめ合った二人は、お互いの鼓動が聞えそうなほどドキドキした。
ほんの僅かな時間、時が止まったようだった。
「あっ、だ、大丈夫?…ごめん…あ…危ないっで思っだがら…どっが怪我とがしでねぇ?」
渡辺の言葉に品子はこくんと頷くしかできなかった。
「そっが、いがった…しだら…ゴミさ持っでくがら…」
今の今までくっついていた渡辺がさっと離れると、品子はやっと我に返った。
「あ…あの…ありがどう…」
品子の顔を見てこくんと頷いた渡辺は、そのままゴミ箱の方に向かって歩き出した。
品子は慌てて渡辺の後ろについて行くと、ゴミ箱からパンパンに膨れるほどゴミが入った袋を取り出している彼の後姿に声をかけた。
「あの…あのね…渡辺さん…あの…下の名前…何で言うの?教えでけさい。」
振り向くと品子が深々と頭を下げていた。
渡辺は両手にゴミ袋を持ったまま、静かに「ひろみ…だども…」と答えた。
「ひろみさん…だんだぁ…そっがぁ…えへへ…あ、あの…これがら、ひろみさんって呼んでもいい?渡辺さん。」
照れて顔を赤らめている品子の様子を見た渡辺は、「何でも…いいよ…」とだけ言って収集車に戻ろうと歩き出した。
「あ…あの…あの…連絡先…交換しでもらっでも…」
渡辺の後ろにくっついて歩いていた品子は、自分でも信じられなかった。
「…いいけど…車に戻んないば…」
「うん…わがった…ちょっと待ってで…待ってでける?ごめんなさい…」
そう言うなり品子はだだだと家の中へ戻って行った。
渡辺は収集車に戻ると、軍手を脱いでペットボトルのお茶をグビッと飲んだ。
そして、額や首筋に流れる汗を首にかけたタオルで拭った。
空の色が徐々に濃くなり始めた夏。
木々や草を揺らしながら、向こうから風がふんわりと通り抜けた。
遥か上空には小さな鳥がピチュピチュとじゃれあっている。
自由な曲線を描いて蝶がひらひらと花から花へと飛んでいくのが見える。
渡辺の着ているグレーのTシャツに模様のような汗染みがじんわり浮き出てきていた。
「渡辺さ~ん!ごめ~ん!はぁはぁはぁ…」
家から急いで出て来た品子は、スマホと前日作っておいたパウンドケーキを入れた小さな包みを持っていた。
「はぁはぁ…ごめんなさい…あの…これ…あの…さっぎのお礼…」
「ああ、ありがどう…なんが前にも似だようなこどあったっけね…」
「そ…そだねぇ…ごめんね、いっづも助けでもらっでばっかり…」
「…」
「あ、そだ…あの…あのね…ひ…ひろみ…さん…あの…連絡先の交換…」
「…ん…ああ…」
渡辺と連絡先を交換すると、すぐさま品子は「あの…メール…しでも、大丈夫?」と聞いた。
「あ…え…ん…」
「よがったぁ…ふふふふふ…友達…ってこどで…」
品子の口から「友達」という言葉が飛び出ると、渡辺は一瞬悲しそうな表情を浮かべ「じゃっ!」とだけ告げて行ってしまったのだった。
「すごいじゃん!品子ちゃん!まずはおめでと~!かんぱ~い!」
品子の部屋で二人は作戦の成功を祝った。
冷やしておいた白ワインは格別に美味しい気がした。
「いやぁ…すごいわ…名前だけじゃなくて、連絡先の交換までできちゃうなんてさぁ!」
「えへへ…」
「え~、そうじゃない?だってさ、あんなに長いこと、いじいじ、いじいじ下の名前も聞き出せなかったんだよ!」
「そ…そだね…えへへ…」
「すごいよぉ~!で?メールしてみたの?」
「あ…ん…ん~…」
品子は首を左右に振った。
「どして?折角アドレス交換したのに?」
「しだって…何て出せばいい?美晴だら、何て出す?」
品子からの問いに美晴は考え込んでしまった。
「ん~…何て?…ん~…あ~…そう言われれば…う~ん…」
「でしょ?」
「あっ!そだ…今日はありがとうございましたって感じは?それなら自然じゃない?」
「…そう?…しだら、やっでみるがなぁ…」
美晴とあれこれ相談しながら、考えて考えた自然な文章の短いメールを送信すると、すぐに返事が返ってきた。
「あっ…見で!これ…」
それは「いいえ、どういたしまして…」と一緒に、渡辺が今いる場所から見ているらしい月の写真が添付されていた。
「へぇ~、渡辺さんって、すんごくロマンチックな人だね。」
「…そんだね…」
品子は開け放っている窓から顔を出し、たった今送られてきた月と同じ月を探して眺めた。
最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。
お話はまだ続きますが、引き続きどうぞよろしくお願い致します。