品子の青春20
続きです。
どうぞ宜しくお願い致します。
「…ところでさ、前からちょっと気になってたんだけど…」
「何?」
「いや、渡辺さんって、下の名前何て言うの?」
美晴の素朴な質問に、品子は黙ってしまった。
「えっ?まさか…まさかとは思うんだけど…知らない?とか?」
今度の質問に品子はこくんと小さく頷いた。
美晴はもしかしてそうじゃないかな?と思っていたことが、本当にその通りだったことに素直にびっくりしてしまった。
真ん中に腰掛けていたしろはきょろきょろと美晴と品子を交互に見た後、ちょんちょんと二人をつついて「そろそろ下に行かないか?」と言うジェスチャーで促した。
ぽかぽかと暖かな日差しの中でぐっすり眠りこけていたジェレミーは、しろにちょんちょんとつつかれて起こされると、よほど驚いたのか少し飛び上がった後「ウォォォーン!」とそこから見えている谷に向かって大きく吠えた。
「あはははは…ジェレミー、びっくりしたんだね…ほら、もうみんなで下に戻るよ!」
美晴の手招きに引き寄せられたジェレミーは、みんなと一緒にあのパステルカラーのエメラルド色の丸の中に納まった。
ゆっくりと乗り物の中に戻ると、品子は壁にもたれかかってそのままずるずると背中を擦るようにして床にぺたんと座った。
「ちょっと、ちょっと品子ちゃん、大丈夫?」
「う…ん…大丈夫…」
品子は美晴に言われてやっと、自分が渡辺のことを何も知らなかったと思い知った。
ただ、ゴミの収集で会う時、ドキドキしていただけ。
例え渡辺の下の名前が何で、どこに住んでいて、何月何日生まれでなどの情報は一切知らなくても、彼に好意を持っているという事実だけは紛れもなく本当の気持ちで幻や「ごっこ」と言う訳ではないのだと自分自身に言い聞かせていた。
品子が知っていることは「渡辺」という苗字で、品子と同じ高校の1つ先輩であること、ゴミの回収の仕事をしていて元野球部のエースでお休みの日にたまに野球を見に行くこともあるということ。
品子が知っている情報はそれぐらい。
お誕生日に野球帽とキーホルダーをプレゼントしてくれた、それが証拠でもある。
美晴に聞かれるまで品子はたったそれだけの情報しかなくても、全然平気だった。
渡辺がとても親切で優しい人だという大事なことがわかっているだけで、十分だと思っていたから。
2週間ごとに会える彼との僅かで新鮮な時間が、愛しいほど貴重で品子にとって宝物のような時間だということ。
だから、そこから渡辺との関係が発展しても、しなくても品子にはそれほど重要なことではなかったように思う。
ただ、会えたら嬉しい。
目が合ってドキドキした。
少ないながらも言葉を交わせた。
それだけ十分幸せだった。
だが、原田からいつぞや聞いたおかっぱ頭の女性のことや、あの雨の日から素っ気無くて冷たいように感じる態度で品子は半分失恋したような気持ちに陥っていた。
諦めかけている気持ち半分と、やっぱりまだ好きで彼のことがいつも脳裏を駆け巡っている現実。
その狭間で品子の宙ぶらりんな心は揺れていた。
「…じゃあ…水曜日に原田さんに聞いてみたらいいんじゃない?品子ちゃん聞けないんだったら、僕が代わりに聞くけど…」
ぼんやり放心状態の品子の耳に、美晴の言葉がすらすら入って来た。
「…えっ?ん?あ、ごめん…今、何て言っだの?」
「あ~、やっぱり品子ちゃんちゃんと聞いてなかったんだぁ…も~!いいけどさ…水曜日に原田さんに聞いてみるよ、渡辺さんの名前とか…」
「えっ?いいの?…でも…そっだらの…原田君、変に思わねぇべが?」
「ああ、大丈夫じゃない?僕が知りたいって感じで自然に聞くからさ。」
「あっ、いいの?あっ…ありがとう…美晴、ありがとうねぇ…しだら、お願い!ホンドは自分で本人がら聞ぐのが一番だどもさ…」
「あ!なんならそっちでもいいんじゃない?」
「えっ?何?」
「いや、だからね、今、品子ちゃん自分で言ったでしょ?自分で直接本人から聞くのが一番だって…」
「あ、いや…あ…でも…それは…」
「やってみないとさぁ…ねぇ…品子ちゃん勇気だしなよ!だって好きなんでしょ?」
「そ、そんだけど…」
「付き合いたいんでしょ?」
「そっ…それは…そこまでは望んでねぇ…がなぁ…ただ、色々おしゃべりしたいっでだけだがら…野球見に行っだ時、喋ってたのほとんど父さんだったがら…しがも、試合の話とが選手の話とがばっがりだったがら…もっとプライベートっでの?そういう話さしでみでぇ…がなぁ…」
「ん~…それはさ、もっと渡辺さんのこと知りたいってことでしょ?好きってそういうことじゃない?それは別におかしなことじゃなくて、自然のことだから…そうだねぇ…それなら、やっぱり自分で聞いた方が絶対いいよ!ねぇ、しろちゃんもそう思うで…」
品子との話に夢中になっていた美晴が、しろに同意を求めてそちらを向くとしろは何か大きな毛虫のようなものを抱きかかえていた。
「げっ!そ、それ…」
ぎょっとした美晴が指を挿すと、しろは気づいて「これ?」といった具合に両手で抱いているパステルカラーのピンクと黄色の縞模様の大きな毛虫のようなのをこちらに見せた。
品子も美晴も一瞬恐ろしさで鳥肌を立てるほど固まったままだったが、しろが見せてくれたそれの顔を見ると途端に全身の力が抜けていくのを感じた。
「かっ、可愛い~!」
スマイルマークのような縦長の楕円形の青い目に、三日月のようなオレンジ色の口が笑っているように見える。
毛虫のように手足のない長い毛がふさふさしている蛇のような形のそれは、キューキューと小さな声で鳴いて、とても人懐こい愛らしい生き物だった。
「えっ!抱っこして良いの?」
しろがこくんと頷き、美晴に抱いていたそれをゆっくり落とさないように手渡すと、それはすぐさま美晴の胸の辺りや顎の下辺りにすりすりと甘えてきた。
「可愛い~!品子ちゃん、この子、すんごく柔らかくて桃みたいないい匂いがするよ…見て!顔も可愛い~!」
全長約50センチほどの大きさ、太さは品子の細い腕ぐらい。
品子と美晴は見たこともない可愛い生き物に、大そう感激してしまったのだった。
「次、抱っこさしでぇ…わぁ~、か~わいいねぇ…こん子…あれ?こん子の頭、美晴、見てみて…可愛い触角?なんだべが?ぬいぐるみみてぇだねぇ…しろちゃんのペットなの?」
ふわふわのそれを抱いたまま品子はしろに尋ねた。
「;+#”@)&~=#…」
「ごめん、わがんねがった…ごめんね、あ、なぁに?しろちゃんとこさ戻るの?はい、わがったよぉ…はい、しろちゃん、どんぞ!」
しろの腕に戻ったそれは、機嫌がいいらしくそのまま静かに丸まった。
「こん子、ずっとしろちゃんのこど、ここで待っでたんだねぇ…」
「そうみたいだねぇ…良かったねぇ、無事に会えて…やぁ~、それにしても可愛いねぇ、この子…そだ、しろちゃん、この子の名前何て言うの?教えて!」
美晴がそう尋ねるとしろは「¥=@%?#>。」と答えた。
「ん~、ごめん、ちょっとわかんないや…ねぇ、しろちゃん、この子ね、もふもふちゃんって呼んでもいいかな?」
しろはこくんと頷いてくれた。
「ありがとう、しろちゃん、じゃあ、僕らはこの子のこと、これからもふもふちゃんって呼ぶね…えへへへ、ちょっと呼んでみるよ!もふもふちゃん!」
新しい名前を呼ばれてもピンときていない様子でしろの胸にすりすりしているもふもふは、ちょんちょんとしろにつつかれるとハッとしたようにこちらに顔を向けた。
「もふもふちゃん、これからどうぞ宜しくね!仲良くしてね!」
美晴がもふもふの前に手のひらを差し出すと、もふもふはしろに抱っこされながらも、首だけ伸ばしてその上に頭の部分をちょこんと乗せた。
「いいって、こと?なのかな?」
「そうがも?どれ、あだしも、もふもふちゃん、宜しぐね。」
品子も美晴と同じく手のひらを差し出すと、やはりもふもふはしろに抱っこされながら首だけ伸ばしてその上に頭の部分をちょこんと乗せてくれた。
「ああ、可愛い!ありがどう…しろちゃん、もふもふちゃん。」
しろに抱っこされていたもふもふは、ぴょんとしろの手から離れると今度はジェレミーの背中の上に上手に乗っかった。
「あ~、ジェレミーしゃんとも仲良ぐなっでぇ…可愛いねぇ…」
どこから現れたか見ていなかった品子と美晴は、しろともふもふの感動の再会に心が和んだのだった。
最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。
お話はまだ続きますので、引き続きどうぞ宜しくお願い致します。