品子の青春2
前回の続きです。
どうぞよろしくお願い致します。
土曜日の夕方、不意に佐藤忠助の妻、春子からテレビ電話が入った。
「あんれぇ?どしたの?春子おばちゃん、大丈夫?具合でも悪いの?」
「いんや、わだしだちは何とも無いんだども…ちょっと、その…今、来てけんねぇかな?悪いねぇ、晩御飯の支度で忙しいとこ悪いんだども…」
「わがった!わがったよ!こっちは大丈夫だから、しんぺぇしねぇでちょんだいさ…したらちょっこし待っててけれ。ほんだら!」
品子は春子達に何かあったのか心配になり、食卓の自分の椅子の背にかけてあった牛柄の半纏をさっと羽織ると、ちょうどトイレに入っていた父、昭三にドア越しに声をかけて出て行った。
「なんだべ?おばさんだち、大丈夫なんだべか?」
パタパタと品子の足音が遠ざかるのを聞きながら、昭三は切れの悪い小便の処理を焦っていた。
「春子おばちゃん!来たよぉ!大丈夫ぅ?」
品子は玄関の引き戸をガラガラと少々乱暴に開けると、すぐさま奥に向かって大声で呼びかけた。
「…ああ、品子ちゃんかい?…悪いんだけど、ちょっと入ってもらえるかい?わりぃねぇ…」
春子の声が聞こえてくるのと一緒に、大きな白い犬のジェレミーがはぁはぁと舌を出し仲良しの品子の傍に駆け寄ってきた。
「ジェレミーしゃん、こんばんはぁ~!今日もいい子だんねぇ…どれ」
品子はそう言うなり、白い犬をわしゃわしゃと撫でた。
「おじゃましま~す…春子おばちゃん、なしたのさ?」
奥の部屋の木で出来たビーズがじゃらじゃらぶら下がっている暖簾をくぐると、そこに客用の立派な布団が敷いてあり、傍で春子は誰かの看病をしているようだった。
「ああ、わりぃねぇ、品子ちゃん…あのさ、この人…なんだども…」
春子に促されようやく布団に寝ている人物を見ると、品子は驚いて一瞬声を失った。
「どしたの?この人?…まっちろい顔して…可哀想に…寒いのかねぇ…」
「ああ、多分そうだと思うんだども…」
「…で、どしたの?お客さん?」
「うんにゃ、さっきなぁ、ジェレミーと川さ散歩に行ってたんだどもなぁ…いつものコースさゆっくり歩いて…おばちゃん、夕焼けが綺麗だからそっちばっかり見てたんだども、急にジェレミーが吠えて吠えて…そしたら、急に綱さ引っ張るべよ…なんだべと思ってジェレミーの走るのさ追っかけたら、川の中さこん人倒れてたんだわよ…だもんだから、慌てておばさん川さ入ってこん人引き上げて…そんでやっとこジェレミーさ手伝ってけて、うぢさつれて来たんだども…うぢの父さん帰ってなかったもんだから…困っちまってぇ…だもんで、品子ちゃんならわかるかなぁって思って…なんか悪がったねぇ…」
「…そうなんだぁ…外国の人?なのかなぁ?色白いもんねぇ…」
「んだべ…だども、品子ちゃんみたいな白さともちょっと違うよなぁ…ああ、そんでこん人、手さ怪我してんだわぁ…ちょっと見てけれるべか?」
「わがったぁ、どれどれぇ。」
ゆっくりとかけ布団をめくると、中から真っ白く肩幅のないひょろりとした体が出てきた。
仰向けに寝かされているその人の右手首にから肘にかけて包帯でぐるぐる巻きにされていた。
その包帯の真ん中ほどに濃い紫色の血のようなものが滲んできていた。
「おばちゃん、包帯とっかえねば…これだら布団さ汚してまうだらよ…新しい包帯あったらもらえるべか?」
「ああ、そんだねぇ…ちょっと…ちょっと待っててくんろ…」
春子が席を外すと、品子は春子が巻いた包帯をゆっくりとほどいていった。
包帯から現れた真っ白くて細い腕からは、やはり濃い紫色の血のようなものがじわじわと出てきていた。
「可哀想に…痛いよねぇ、これだらさぁ…」
品子の問いかけに、それまで目を閉じていたその人はゆっくりと目を開いた。
その目は顔の半分ほどまでの大きな真っ黒い目で、まつげや眉毛は見当たらなかった。
しゅっとした小さな鼻と小さいおちょぼ口のその人は、女性なのか、男性なのか、はたまた若いのか、年配なのかまるでわからない不思議な人だった。
そして、その人は再びゆっくり目を閉じた。
「はいはい、包帯…これでいいべか…ああ、そんだそんだ、ガーゼもあるけんど…傷に軟膏でも塗った方がよかんべかねぇ…」
春子の素朴な質問に、品子はう~んと首を傾げた。
「…そんだ…よねぇ…あだしらも傷口さアロエか何かの塗るもんねぇ…どうしよう…おばちゃん、なんかいいやつでもあるべか?」
「…ん~…そんだねぇ…あ、品子ちゃん、わりぃ、血ぃ出てきたみたいだから、とりあえずちょっとこれで止めといてやってけれ!」
傍にあったティッシュを品子に渡すと、救急箱から消毒液も一緒に渡した。
「お~…春子さん、来たよぉ~…」
利き手の右手を上げて品子の父、昭三が部屋に入って来た。
後ろには大きな白い犬ジェレミーも一緒だ。
「ああ、昭三さんいかったぁ…今ね、品子ちゃんと話しでたんだども…こん人、怪我してるみだいで…そんで、軟膏でも塗った方がいいべかって…」
「ん?…随分とまた…色の白い人だんべなぁ…」
「なんかね父さん、川の中さ倒れでたんだとよ…したから、もう春だとはいえ、まだまだ川の水だらしゃっこいさもなぁ…可哀想にすっかり冷えっちまったみてぇで…」
昭三は仰向けになっている頭がやや大きめの人をじっくりと舐め回す様に凝視した。
「ねぇ…ねぇ、父さんよ…塗り薬でも…」
品子が父に助言をもらいたがっていると、「…こん人、裸だったんかぁ?」と何気なく尋ねてきた。
「ああ、ええ、そんだぁ…したからね、わだしもびっくりしちまったんだども…熊さでも襲われて服、剥ぎ取られたんでないべかって思ってなぁ…可哀想だんべぇ…まだ寒ぐて朝と晩はストーブ焚いてるってのにさぁ…」
春子は救急箱からオルナニンJ軟膏を見つけると、手当てしてくれている品子に託した。
「…こん人…女だべか?」
素っ裸で仰向けになっている人をまじまじと見つめながら、昭三は呟くようにそう言った。
「…それはぁ…わだしはわかんねぇども…おばちゃんはわかる?」
「あっ!そんだ…ちょっと昭三さん…そっじさ行っててけんろ!駄目だ!駄目だぁ!…こん人、ついてねぇだもの、女に決まってるさぁね…やんだ、うっかりしてだわ…昭三さん、男だもんなねぇ…そういうのをえっぢって言うんだよぉ~…ねぇ、品子ちゃん。」
春子はハッとしたように慌てて布団を首までかけてあげた。
「…そんでねぇ…こん人、細っこいでしょんがぁ…したから、おばちゃんのパンツだら駄目みてぇのさぁ…他は少しぐれえだぶだぶでも我慢できっかもしれねぇだども…パンツはちょっとなぁ…そんでなぁ…わりぃんだども、品子ちゃんのパンツ…貸してもらえねぇべかぁ?この通り…そんでないば、こん人、わだしのでっけぇの履くしかねぇべさ…まっさか家の父さんのパンツさ履かせる訳にもいかんべよぉ…おばちゃんさ、さっき品子ちゃんとこに電話する前、通販で女の子用のパンツ5枚組みのやつあったがら、こん人にどうがなぁと思っで、それ注文してあんだども…それ届くまで可哀想だんべぇ…お医者に怪我を見せるったって、パンツさ履いてないって訳にもいかんべさぁ…なぁ、どんだべ?品子ちゃんだら、ちいせぇパンツっこさ持ってるべぇ…今度、おばちゃん、年金入ったら新しいの買ってやんからぁ…なぁ、頼みまさぁ…この通り。」
「…ん~…そんだねぇ、いいよ…まだ、下ろしてないやつ2つ3つあっから、すぐ持って来るわ…今、したらとってくっかな…いいべか?」
品子が聞く間もなく、春子はうんうんと激しく頷いていたのだった。
「ああ、そんだ…ふぐは?そん人に着せるふぐはあんの?」
「そんだそんだ…ふぐはねぇ、家のぼんずだちが着てた中学と高校のジャージがあんのさぁ…丁シャツもあっから、それだら着やすいかと思ってんだども…」
「そっかぁ…いいねぇ…あ、でも、あたしも何かあっかもしんねぇから、ちょっくら探してくっから…ちょっこし待っててけろ!」
バタバタと急いで家に戻る品子を見送ると、昭三は隣の部屋から春子に声をかけた。
「…何?今日、忠助は?まだ帰ってないのがい?」
「んん、ああ、ほら、土曜日だがら…競馬さ…競馬…」
「あんだぁ、忠助のやつ、ま~だやめらんねぇのがいやぁ…」
「そんだよぉ…もうわだしなんか腹立って腹立って…結局勝って来たごとないんだものよぉ…まぁ、ほんどに競馬だけだらいいんだども…」
春子はぷんすかお冠の様子。
それを察した昭三は、地雷を踏むこととなった。
「なんねぇ、女か?」
はっと気づいた時にはもう遅かった。
「あんのぉ馬鹿おやじ…こったら歳さなっでも、まんだ女の裸が好きだがねぇ…こん間も夜中にトイレさ起ぎだら、パソコンでまぁ~やらし~…女の裸さ見とったんよぉ~…どごまでやらしくさ思うだら、何だ腹立って腹ぁ立ってぇ…結婚してもうすぐ50年にもなるってのに…ああ~、ホントに…うちのはスケベでやんなっちまうよさぁ…」
心底スケベな夫に愛想をつかしたとばかりに、春子は昭三に愚痴をこぼしまくった。
「はぁはぁはぁはぁ…ごめ~ん!来たよぉ~…おばちゃん、持ってぎた持ってぎたわぁ…」
走って家にパンツを取りに行っていた品子が、ようやく戻ってきたのだった。
「ああ、品子ちゃん、ありがとう、ありがとうねぇ…したら、早速履かせてみるだば、ちょっくら品子ちゃん手伝ってけんろ…あ、昭三さんはそっちさいでよ…」
春子と品子で助けた人に新しいパンツを履かせ、ついでに春子の息子が中学の時に着ていたジャージや、品子が持ってきた数年前に王港市で行われたチャリティーゴルフ大会の恥ずかしいロゴが入ったTシャツを着せると、二人はホッと安堵感に包まれた。
二人がかりで服を着せられた為、助けたその人はゆっくりと目を覚ました。
そう思うや否や、その人は品子達の前で初めて声を発した。
「@:*%$#?…」
品子と春子、そして隣の部屋にいる昭三と白い大きな犬ジェレミーは、じっと黙ってその言葉に耳を傾けた。
「@:*%$#?…」
「…ん?今、何て喋ったんだぁ、こん人?」
春子の問いに品子と昭三は首を傾げた。
「わりぃんだども…あんた、もういっかい言ってけれるべか?」
「@:*%$#?…」
「…はっ?何て?何て?」
仰向けの人の口元まで顔を近づけて春子が何度も尋ねたが、何度尋ねても同じこちらにはまるでわからない言葉で返してくる。
「ねぇ…父さん…父さんだら、イタリア語とか英語とか話せるんだよねぇ…」
「んだ…」
「したら、こん人の言葉もわかるんでないの?」
品子の問いに少し間をあけてから、父、昭三はやっと口を開いた。
「これは…」
「うんうん…これは?…ん?これは何語さね…父さん!」
「昭三さん…」
「…こ…これは…」
沈黙がやけに長く感じられた。
「…こ…これ…は…オランダ?」
「えっ!そうなの?じゃあ、こん人…オランダ人?」
春子と品子は産まれて初めて間近で見るオランダ人らしい人物を、さっき以上にマジマジとじっくり見つめるのだった。
そんな二人の様子を間近に昭三の心はざわめきたっていた。
「どうすんべぇ…めんどくせぇだで、テキトーぶっこいちまったけんども…」
最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。
まだまだ続きますので、どうぞよろしくお願い致します。