少年少女、ところによりメイドになるでしょう 下
席に戻り、シャーリーさんの入れてくれた紅茶を堪能する。ウマい。
俺は知識があるわけではないが、シャーリーさんの紅茶を淹れる腕は相当高いレベルなんだと思う。おっぱいはないけど。
「――あれ?」
乃愛が部屋の片隅で素っ頓狂な声を上げた。そこには冷蔵庫が置いてある。勿論、蔵屋敷の力の賜物だ。
「あれ? ない」
前屈みになり、冷蔵庫の中に頭を突っ込むようにして中を探る乃愛。お尻を突き出すような姿勢のせいで、スカートの中が見えそうになる。見ない見ません興味もないのでシャーリーさん睨まないで下さい。
「あれ? あれあれ?」
ズズーッと紅茶を啜る俺。作法なんて知らん。そんな高貴な育てられ方はしていない。
「シャーリーさん、お茶請けは?」
ニヤニヤと笑われた。悔しいです。
「…………ない」
絶望的な感情を滲ませ、声を落とす乃愛。
あの中には今、2リットル入りのペットボトルが二本と、俺の名前を書いた茶色い紙袋しか入っていない筈だ。
「食べたじゃろう!!」
キッと振り返り、乃愛は俺を睨み付けた。
「何のことかな」
優雅に紅茶をもう一口飲む俺。丁度良い塩梅に温かく、香りの高いそれは、さぞや高級な茶葉を使って淹れられたのだろう。器も高級そうだ。西洋の――うん、何とかというメーカーの物だろう。間違いない。
「ごまかすでないっ!」
ツカツカと俺の傍まで歩み寄ってくる乃愛。
「わらわがっ」
乃愛の腕がプルプルと震えている。
「わらわが、アレをどれだけ楽しみにしていたと……っ」
「俺だという証拠はあるのか?」
「おぬししかおらんではないか!!」
「分からんぞ。夜中にシュークリームを食べたくなった人間が忍び込んだのかもしれない」
「なぜシュークリームだと知っている!?」
「昨日から冷蔵庫に入れてただろうが。嫌でも目に入るわ」
ちなみに100円シュークリームだ。コンビニで売っているような。
「ぬうう!」
乃愛が部屋に置かれたゴミ箱の元まで歩み寄り、その中に手を突っ込み、しばらくしてから中身のない小さな包み袋を取り出して、皺を伸ばすようにして俺に見せてきた。表面に『ノア』とカタカナで書いてある。せめて漢字で書け。
「泥棒がこの部屋でそのまま食べて、律儀にゴミ箱に捨てていったと言うのかっ!?」
難しい単語を知っているな。おそらく漫画から仕入れたのだろうが。
「教養高い泥棒だったんだろうな」
怒りで顔を真っ赤にした乃愛にそう返し、紅茶を口に含む。やはりお茶請けが欲しい。俺が欲しいだけだ。
さて、と席を立とうとした時、
嗚咽が聞こえてきた。
「お、おい」
「わらわが……わらわが楽しみにしていたシュークリーム……」
乃愛は俯いたまま体を震わせ、その瞳からボロボロと大粒の涙を零している。
「お金……、お金もうないのに……」
えずくようにして泣く乃愛。
乃愛は落ちこぼれだ。あまり言わないが、家族からの風当たりも良くないらしい。そしてそれに値するように小遣いが少ない。高校一年の身で1200円だ。
乃愛はこれを一ヶ月に二回の少女隔週誌に充てている。その代金は一冊360円(税込)、二冊合わせて720円だ。残りは480円しかない。一週間に一本ジュースを買えば終わりだ。
そのなけなしの残りの金を使って買ってきたシュークリームが食べられてショックだったのだろう。
(……うーむ)
まさか泣くとは。
俺は席を立ち、冷蔵庫から自分の名前が書かれた紙袋を取り出して机の上に置き、中から、上に持ち手の付いた直方体の白い箱を取り出した。
視線を感じたのでそちらに目を向けてみると、シャーリーさんが先ほどと同じようにニヤニヤと笑っていた。くそう。
箱を置いたまま、乃愛の前まで行き、手を合わせて頭を下げた。
「すまん、俺が食べた」
乃愛の目が俺に向いたのが分かった。
「もうしない」
何度かえずいた後、乃愛が「……うん」と短く言った。
俺はもう一度謝った後、机の上から白い箱を持ってきて、中を開いて乃愛に見せた。
「たまたま買ってきた物だ。一人じゃ食いきれないから、良かったら食ってくれ」
瞼の涙を拭きながら、乃愛が中を覗き込む。
「――――うわあ!」
中身はまぁ、その何だ。アレだ。
一転して満面の笑みになった乃愛を席に座らせようとしたところ、机の上には既に真っ白な皿が用意されていた。
「ありがとうございます」
「いえ」
目を閉じて愛想なく返事をするシャーリーさん。だが、唇の端が僅かに上がっているように見えるのは、俺の気のせいだろうか。
「早く食べるのじゃ!」
待ちきれないといった様子で素早く自分の席に座った乃愛。その目にもう新しい涙は見えない。
「三個食っていい」
「四個食べたい!」
「はいはい。分かったから喉に詰まらせるなよ」
乃愛の皿に大きなシュークリームを一個載せ、自分も白い箱から一個取り出し、そのまま頬張る。うん、美味い。安物だけどな。本当に安物だぞ。
頬を緩ませ、シュークリームにかぶり付く乃愛を尻目に、俺は誰に言うともなく、そう一人心の中で呟いた。
移り変わって月始め、その日も同じように部屋に来た俺が飲み物でも飲もうと冷蔵庫を開けると、その内部、その中央に、100円プリンが置かれていた。
俺は冷蔵庫の中から目を離して、部屋の入り口、扉の影からこちらを覗き込むようにしている馬鹿に向かってこう言った。
「おうコラ」――――と。