失念
「………ティア・イリュージョン。失念の貴様と手合わせしたい。」
ヴォルシスはそう口にした。彼の目は変わることなく鋭い。本気だ。
「………」
「どうした、来い。ティア・イリュージョンを使わなければ私を倒す事はできぬぞ。」
黙り込むレオにヴォルシスは口を開いた。ティア・イリュージョン。死を前にすると発動し、生きる意思を力に変え、絶望の運命を引き裂く。その力は絶大で、これまで数々の死闘を乗り越えてきた。しかしその力には代償がある。レオの場合は集団的な失念。レオ自身がある記憶を失い、彼の姿を見た者も共通の記憶を失う。
「………嫌だ……」
「何……?」
レオの口から出たのは拒否。彼は仲間と約束していた。この力は使わないという事を。大切な思い出を、力のために手放す事はできない。
「……絶対に使わない………使うもんかっ……!!」
「レオさんっ………」
記憶を捨ててまで力に呑まれるわけにはいかない。友との約束を胸にそう口を開いたレオに、ネネカは微笑んだ。ヴォルシスの眉間のしわが深くなる。
「……ならば、こうするしかあるまい………」
ヴォルシスはそう口にすると、人差し指と中指を伸ばした手を、前に立つレオに向けた。恐怖はここから始まる。
「“ユータナジー・ヒット”。」
その時、男の2本の指先から一筋の閃光が放たれた。咄嗟の判断で、レオは背後に立つネネカを押し倒して伏せる。弾丸並みの速さで飛ぶ閃光だったが、なんとか回避する事ができた。
「……っ、急にごめんっ!大丈夫!?ネネカっ。」
「…はっ……はいっ……ありがとう…ございます……」
真上を通り過ぎていった閃光に、レオは恐怖しか感じなかった。あの速さ、あの光。無事では済まない事は予想できた。
「“ユータナジー・ヒット”。」
「っ!!」
レオはネネカを抱いて転がり、再び放たれた閃光を避けた。ヴォルシスは確実に終わらせに来ている。そう思うのも当然だった。レオはネネカに口を開く。
「ネネカっ!逃げてっ!!」
「でっ…でもっ!!」
「ヤツの狙いは僕だっ!!できるだけ僕から離れてっ!!」
そうしているうちに、ヴォルシスの次の攻撃が放たれる。レオはすぐに立ち上がり、ヴォルシスに回り込むように走り出した。
「“ユータナジー・ヒット”。」
「っ…くッ!!」
レオは強く床を蹴って飛び込み、前転で受け身をとった後すぐに走り出した。その手に剣は握っているものの、ヴォルシスに攻撃を与える隙は一向に見つからない。ただひたすら、放たれる閃光を避ける事だけで精一杯だった。
「レオよ、感じるか。これこそが恐怖、死の恐怖だ。向き合わねばなるまい。生に死は平等。本来、死に重さや強さなどない。肝心なのは生の強さだ。今この時の死を乗り越えよ。討ち滅ぼしてみせよ。差し詰め失念の力をもってして成せる事ではあろうが。」
「……何度も言わせるなッ!僕は絶対に使わないッ!そんな力に頼らなくても……あなたを倒してみせるッ!!」
「力無き者よ。貴様の生は軽く、脆い。“気功波”。」
ヴォルシスは手の平から気弾を放ち、レオの右脚を強打した。足を踏み外すレオ、対するヴォルシスは再び人差し指と中指を立て、レオに向けた。
「“ユータナジー・ヒット”。」
「まずいッ…!!“バードストライク”ッ!!」
咄嗟にレオは遠くの床に剣を向けて飛び、着地と同時に爆発を起こした。黒煙が広がり、レオの姿を隠す。
「“シャドウ・リーパー”。」
すると、ヴォルシスの影が独りでに動き出し、立ちのぼる黒煙を斬り裂いた。だが手応えはおろか、そこにレオの姿は無い。
「………………“気功波”。」
ヴォルシスは手の平から気弾を放った。この時、彼の腕が向けられていたのは正面の黒煙ではない。頭上だ。するとその後、彼の前に何かが落下し、床に強く叩きつけられた。レオだ。
「ぅ………っ!………ぁぁっ……!」
「レオさんッ!!」
今の出来事を、ネネカは遠くから見ていた。緊急回避のために使ったバードストライク。だがそれは回避のためだけではなく、後に起こる爆発と煙幕に意味があった。身を隠してからの不意打ち。危機を機会に変えた逆転の一手。レオは高く跳び、確実にヴォルシスの頭を捉えていた。だが、目に映るこの光景こそが結果。ヴォルシスの冷静な判断と予感の前に、彼の作戦は無意味だった。
「何をやっても結果は同じ。所詮、貴様の力などその程度。理解しろ。その差を埋めるものこそティア・イリュージョンだ。」
「……僕…はっ………!僕の……ままでッ!!」
レオは目の前のヴォルシスに斬り掛かった。ヴォルシスはその剣を大鎌で受け止める。歯を食いしばり、剣に力を込めるレオ。対する彼は一歩も引かない。するとヴォルシスはレオの首を左手で掴み、高く持ち上げた。
「ぅッ!!…………ぅぐッ!!」
「さぁ使え。目の前にあるのは死だ。ティア・イリュージョンを見せてみよ。」
「……ぃ……嫌だ……ッ…!」
「では貴様は死ぬ。貴様だけではない。貴様と生を共にした者達も含めてだ。」
首は強く絞められ、抵抗する力さえも失われていく。
「……嫌……だッ………!…僕はッ……死ねないッ……!……みんなも……死なせないッ……!!」
「ならば使うといい。生きる事を望むのなら、覚悟を決めよ。過去を手放す覚悟を。」
「…ッ!………嫌……だッ……!!良い事も……悪い事も………全部ッ……大切な思い出だッ…!!……失うわけにはッ………!!」
「ならば死ね。」
「ッ!?」
ヴォルシスは持ち上げたレオを投げ飛ばした。床に叩きつけられたレオはゆっくりと顔を上げ、ヴォルシスの方を見る。彼はまたあの閃光を放つつもりだ。早く立たなければ攻撃を受けてしまう。だが、疲労と負傷によって体が思うように動かない。そして、時は彼を待たなかった。
「“ユータナジー・ヒット”。」
「ッ!!」
閃光は倒れるレオに向かって一直線に放たれた。行動が間に合わなかったレオは目を閉じる。だが、そんな彼の腕を引っ張って走り抜ける陰が1つ。傷だらけのアランだ。
「ぅぅおおッ!!」
力を振り絞るアランは躓き、レオと共に倒れた。間一髪、命中は免れたかのように見えた。
「いっ………てェ……ッ………だっ…大丈夫かっ……レオッ……!」
仰向けで倒れるレオに、アランは口を開いた。2人は共に息を切らしている。だが、状況は予想以上に深刻だった。
「……レオ………ッ…?…………ッ!!レオッ!!」
レオの呼吸は異常だった。下顎を動かすように呼吸しており、とても苦しそうだ。ヴォルシスを見ると、閃光を放つ左手が下ろされていた。それが全てを物語っている。
「レオッ!!しっかりしろッ!!おいッ!!」
ユータナジー・ヒット。放たれた閃光が体を通過する事によって心停止を引き起こす。心臓に近い場所で受けるほど、その効果は強く作用するが、それは心臓から遠い爪先であっても、効果は確実なものであった。レオが受けたのは脚。つまり、彼の身に起こっているのは死戦期呼吸。心停止は始まっていた。
「レオッ!!ダメだッ!!クッソ……俺がもっと早く来ていればッ……!!」
「レオさん!!起きてくださいッ!!レオさんッ!!」
アランとネネカは叫んだ。だが、レオは動かない。次第に呼吸も弱くなっていった。そんな彼らにヴォルシスは口を開く。
「いくら体のダメージであっても、治癒魔法では心停止を治す事はできない。レオ・ディグランス・ストレンジャー、彼に残された道は2つ。このまま死ぬか、ティア・イリュージョンの生命力にかけるか。……“スキル・ズィーゲルン”。」
ヴォルシスが唱えた魔法は、ネネカの体に霧のように纏わり付いた。アランは口を開く。
「っ!!何をしたッ!!ヴォルシスッ!!」
「彼女が使う全ての魔法を封印した。安心しろ。彼がティア・イリュージョンを発動させたと同時に解除してやる。」
「ふッ……ふざけるなァッ!!」
これでネネカは蘇生魔法も使えなくなった。レオに残された道はヴォルシスが言う2つのみ。時間もない。
「………く…クッソぉぉッ……!!」
悔しさを噛み締めるアラン。もはや為す術も無かった。そんな彼が口にした言葉、それは——
「レオォォォッ!!頼むッ!!使ってくれェェェッ!!ティア・イリュージョンをォォォッ!!」
「レオさァんッ!!死なないでくださいッ!!」
ネネカも続けて叫んだ。周囲に響き渡る2人の叫び声。それ以外は何も聞こえなかった。
「記憶なんてッ、失ってもまた一緒に探してやるッ!!だからッ……使ってくれェッ!!レオォォォォッ!!」
「レオさァァァァァァんッ!!」
「……………………っ………ぅ……………ぉ……ぉ…ぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおおッ……ァァァァアアアア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッッ!!!」
現れたのは光。幻想的で、神秘的な光。叫ぶレオはそれを全身に纏い、直視できないほどに強く輝き始めた。
「ッく!!」
「ッ………!!」
あまりの眩しさに目を閉じるアランとネネカ。ヴォルシスはその輝きを見つめ、口角を上げた。
「それでいい。では見せてみよ、己の名さえも忘れた勇者、その姿を……」
強い光の中で、少年は立ち上がる。彼の背にはガラスの破片のようなものでできた翼が広がっていた。
「………レオさん……」
「………………レオッ………!!」
少年の目は鋭く、本来白いはずの部分は漆黒に染まり、瞳は殺意に満ちた銀の色をしている。そして彼は、前に立つヴォルシスに口を開いた。
「…………ヴォルシス………僕は………俺はッ…………!あなたを………お前をッ…………!………………………………………貴様を殺す。」




