母
「お母さんっ…………!!」
カイルの磁力で引き寄せられたマリスは、彼女の前に着地した。
「…………また、来たのね………駄目よ、こんなところに来ちゃ…」
「お母さんっ!こんな戦い…もうやめようっ!!」
マリスの言葉に、カイルはため息を吐く。そして彼女は、背中から半透明の大きな腕を出し、その手の平に腰を下ろした。彼女は浮いている。
「それは無理ね。これはこの世界のための戦争。もう後には引けないトコロまできているの。……貴方が介入する必要も無いはずよ。どうしてここへ来たの?」
「そもそもこの戦いに何の意味があるっていうのっ!?」
「私が質問しているのッ!!答えなさいッ!!」
その声でマリスは止まった。そして彼女はカイルの目をまっすぐ見つめ、小さく口を開く。
「…………お母さんを……止めに来た............」
「………………そう……ありがとう。じゃあ今度は貴方の質問に答えるわ。」
カイルは腕を組み、眼鏡を光らせた。彼女からは冷気のようなものを感じる。
「この戦いの意味……それはね、貴方が知る必要はない。……それが答えよ。」
その言葉を口にした彼女の眼は氷柱のように鋭く、とても冷たかった。マリスは手に持つメイスを強く握る。
「……そんな答え………私は認めないっ!だって、たくさんの人が犠牲になってるんだよっ!?レオ君達の仲間も実験に使ってッ!!…………許せないッ!……どんな戦争にだって、世界の変革だとか新たな時代の幕開けだとか、あるもんかッ!!…お母さんは間違ってる………そんなお母さんを……私は止めるッ!!」
「………あのねぇ、何度も言わせないで。私は貴方の母親じゃない。」
その瞬間マリスは床を強く蹴り、カイルに飛び掛かった。
「”テラインパクト”ッ!!」
「………!!」
すると、カイルの背中から半透明の大きな腕がもう1本現れ、マリスを殴り飛ばした。マリスは体を床に叩き付けたが、すぐに体勢を立て直し、着地した。
「…っ!…はぁぁぁぁぁぁッ!!」
「無駄よ、貴方じゃ私に勝てない。」
マリスは身の丈ほどあるメイスを担ぐようにして持ち、カイルの方へ走った。だが、カイルは動かない。
「”ブレイクボルテックス”ッ!!」
「”フリージング”。」
マリスがメイスを強く握り締めて回転を始めると、カイルは下を向いて優しく息を吹きかけた。するとカイルの前の床が徐々に凍り始め、マリスは転倒した。
「いッ…!!」
「諦めなさい。私と戦う必要も無いわ。彼らの戦いが終わるまで、ここで大人しくしていればいいの。」
「それはできないッ!!私は絶対にっ…お母さんを止めるんだッ!!」
「理解できないわね。”オーグメンテイション”。」
カイルは背の大きな腕を凍った床につける。すると、床の氷は冷気を増し、小さな柱を立て始めた。それにより、転倒したマリスの手足を氷が包み始め、彼女を拘束した。マリスは手足を力強く引き上げようとするが動かない。
「安心しなさい、貴方の命は奪わないわ。」
「ぅぅっ…!ぐぐっ!!……お父さんもお母さんもっ......ダークネスのみんなは間違ってるっ……!!間違ってるんだッ!!」
マリスは歯を食いしばり、手足を引き上げ続けた。
「いい加減にしなさいッ!!私はただっ.........貴方を………」
「ッ……くッ………ハァァァァァァァッ!!」
するとマリスの背中からも、カイルと同じように半透明の大きな腕が2本現れた。そしてこの時初めて、カイルが動く。椅子にしていた大きな手から立ち上がり、人差し指で眼鏡を上げた。
「………暴走っ………まずいわね……」
マリスの大きな腕は力強く振り下ろされ、凍った床を砕いた。手足が自由になったマリス、それを見て警戒するカイルだったが、マリスの動きが以前のものとは違う。
「……こんなくらいで……動けなくなるなんて思わないでっ!!」
「………なるほど、制御できるようになったのね。……でも、それはそれで…厄介ね。」
カイルは4本の腕を大きく広げて構えた。その立ち姿には隙などない。だがマリスは、メイスを握り締めて彼女に飛び掛かる。
「”テラインパクト”ッ!!」
「遅いわね。簡単に避けられ——」
「”モーメント”ッ!!」
その瞬間、カイルの前からマリスの姿が消えた。だが、カイルは表情を変えることなく振り返り、飛び掛かるマリスに手を伸ばす。
「”S”…”S”。」
「うっ...!!」
マリスは勢いよく飛ばされた。磁力だ。自身の体とマリスの体に磁力を与え、反発させたのだ。この技を使うカイルに容易に近づくことなどできない。マリスはそれを十分理解していた。それでもマリスは立ち向かい、そして弾かれる。なぜそんな無駄な行動を繰り返すのか、それはカイルを倒す方法が思いつかないからだ。だがそれもマリスの作戦の内だった。
「もうやめなさい。……何をしたって私には近づけない。いい加減諦めないと、貴方の体がもたないわ。」
「……嫌だッ!!諦めないッ!!……ハァァァァァッ!!」
それからしばらくの間、2人は同じことを繰り返した。カイルが近づいてくるマリスに腕を伸ばすだけで、マリスは遠くへ弾き飛ばされ、床に体を打ち付ける。マリスの体は次第に傷を増やしていき、息も切れ始めていた。そんな彼女にカイルは叫ぶ。
「どうして分かってくれないのッ!!貴方と私が戦ったところで何も変わらないッ!!お願いだからもうやめなさいッ!!」
「変わるよッ……きっと……勝てなくてもいい……勝つ気なんて無い……勝てるなんて、最初から思ってない………でも……私の思いが少しでも伝わるのならッ……少しでも近づけるならッ……私は何度でも…立ち向かうッ……お母さん………私、こんなに強くなったんだよ……」
マリスの体力は限界に近づいていた。メイスを杖のようにして体を支え、なんとか立つことができているという状態だ。カイルは弱った彼女を見つめ、ゆっくりと首を横に振る。
「何度も言ってるでしょう……こんな酷いことをする人……貴方のお母さんであるはずがない……」
「……お母さんだよ…………私、覚えてるもん……背中に埋められたチップの事だって、この赤いマフラーの事だって……」
その言葉を聞いて、カイルの胸は切り裂かれた。苦しい。苦しくて仕方がない。抑えられない悲しみが彼女を包み込む。
「そのチップは、ライトニングの人を殺すための暴走装置よ。そのマフラーだって、ダークネスの証である尖った耳を隠すためのもの……それを与えてダークネスの世界から追い出したのは私。……私は貴方を殺人マシンにして手放したのよ。」
「もう私に変なウソをつくのはやめてッ!!」
マリスは叫んだ。その叫び声はカイルの胸に突き刺さる。
「…このチップも……マフラーも……私を守るためなんでしょ……?……ダークネスから追い出したのも……私を悪い人にさせないため……変なウソつかないでよっ………嫌いになってほしいの?……忘れてほしいの?」
「………そうよ……私の事なんか——」
「嫌いになれるわけないじゃんッ!!」
カイルは目を大きく開いた。マリスの言葉に耳を傾けるたび、自分の中で黒く染まった過去が渦巻く。自分は何を間違えていたのだろうか。いや、全て正しい。何人もの犠牲を出し、多くの人間を実験に使った血塗られた腕。そんな腕で娘を抱く資格などない。嫌われて当然だ。むしろ誰よりも嫌いになって、関係を断ってほしかった。それが彼女のためであると、愛する娘のためであると、何年も信じ続けてきた。だが、前に立つ彼女の目はこの世の誰よりも尊く美しく輝いていた。あの目は母親を見つめる目だ。
「……私ね……ライトニングに行ったすぐ、エルドに拾われたんだ。そしたらその後、ギルドのみんながすぐ受け入れてくれて……パー二ズの人も他の国の人も、みんな優しくしてくれて……チップも、マフラーも、結局必要無かった。」
「…………」
「………それでね、お母さん……私……好きな人が……できたんだ……」
マリスの丸い頬と尖った耳がじわりと赤くなった。カイルはただそれを黙って聴いている。
「……いい人……たくさんいたよ……だから、もう誰も殺さないで………誰も苦しめないで……こんな戦い……もう——」
すると、マリスの視界は一瞬にして暗くなり、全身の力が抜け落ちた。背中から出た腕も消え、彼女は倒れ始める。




