猛き絆の拳
キドゥーの鋭い目を見て、ギルガは歯茎を見せて笑った。そして、黒髪の彼を目にしたシェウトの口から、小さな声がこぼれ落ちる。
「……し…師匠っ……来てくれたんですね。」
「…師匠……って、どういうことだっ……!?」
アランは混乱した。そして思い出した。キドゥーが以前言っていた、彼に修行を申し込んだ人物の事を。するとキドゥーは、体が麻痺して倒れている2人を見て口を開いた。
「シェウト、アラン。遅れてしまってすまない。森皇獣様からのお告げがあって駆けつけたわけだが、ここは俺に任せてほしい。」
「キドゥーさんっ…以前言ってた弟子って、シェウトの事だったんすね……すんませんッ…俺、稽古の誘いも結局受けずに……」
アランはキドゥーから少し目を逸らし、そう口にした。すると彼はアランに一瞬だけ微笑み、再び真剣な眼差しを見せた。
「気にするなアラン。技は見るだけでも得られる。その目で俺の戦いを見ていてほしい。」
そして、彼は構えた。対するギルガも、首の骨を鳴らした後にゆっくりと構えた。彼らから伝わる気迫は息を呑むほどだ。
「ギルガよ、俺とお前は共に鍛え合い、共に高め合った仲だった。忘れてはいないだろう、あの日々を。」
「過去などぉ、どうでもいいわァ!今ぁここに立つのはぁ、最強の武闘家の名をぉ冠するギルガという男とぉ、それにぃ挑むキドゥーという男のみィ!!」
「……やはり力に呑まれたかっ。…分かった。では約束しよう。この俺が、必ずやお前を止めてみせるッ!」
「ならばぁ全身全霊をもって掛かって来いァ!!俺をぉ本気にさせてみろォォッ!!」
2人は同時に飛び出した。ギルガは太く重い右腕を引き、キドゥーはそれを目で捉える。
「“サンダーボルトストライク”ッ!!」
ギルガが一瞬にして放った右の拳は、落雷のような爆発音を響かせた。しかし、その先にキドゥーの姿は無い。キドゥーは雷を纏った拳を体勢を低くして回避したのだ。そしてギルガの横を通り過ぎた後、地面に両手をついて、両脚をギルガの首に伸ばしながら跳んだ。
「強さを語るのは攻撃力だけではないッ!ハァッ!!」
「っ!?」
キドゥーは両脚でギルガの首を挟み、余った勢いを利用して空中で回転した後、地面にギルガの顔面を叩きつけた。
「立て。俺を見ろ。俺と戦え。」
キドゥーの目は冷たかった。そして、その声を聞いたギルガはゆっくりと立ち上がり、顔を上げた。血が一滴も出ていないどころか、傷一つ見えない。そして笑っている。
「嬉しいぜぇ……その動きぃ、そのぉ気迫…そして最高にぃキレてやがる。……だがぁ、まだ足りん。俺の本気にはぁ程遠い…」
「当然だ。そうでなければ困る。…来いッ!!」
するとギルガは、その巨大な体からは想像できない程の勢いでキドゥーに飛び掛かり、両腕を交互に放った。
「”シコーチカポエイラ“ッ!!」
キドゥーは地面に手をつき、両脚を鞭のように振り回して、ギルガの重い拳を次々と跳ね返した。
「ハハハハァッ!!”金の拳“ぃ!!」
ギルガの右腕は金色に染まり、放たれる拳はさらに重くなった。しかし、キドゥーの表情は変わらない。
「”竜尾蹴り“ッ!」
「フンッ!!」
キドゥーが横に振った右脚を、ギルガは左腕のパワードアームで受け止めた。その一瞬の隙を見て、キドゥーは左脚に風を集める。
「”疾風蹴り“ぃッ!!」
「ぅおっ!?」
竜巻を纏った左脚が、ギルガの胸に捻じ込まれた。その一撃は彼に大打撃を与えたように見えた。だが——
「ぅ……がッ……!!」
キドゥーの腹に、ギルガの蹴りが入っていたのだ。するとギルガは、キドゥーの尻尾を掴み、頭上で大きく振り回し始めた。
「そらそらそらァァ!!」
そしてギルガは腕を振り下ろし、キドゥーを地面に叩きつけようとした。体と地面が触れる直前、キドゥーは勢いよく地面を蹴り、ギルガの腹部目掛けて頭突きした。
「ぅごォッ!!」
「”ムーン・サルト“っ!」
キドゥーは宙返りと同時にギルガの顎を蹴り上げる。またしてもギルガが怯んだ。
「ギルガよ、言ったはずだ。俺はお前を止めると。俺は本気だ。だからお前も本気で来い、ギルガッ。」
「……ヘッ、そうかぃ。」
ギルガの口から、一筋の赤い雫が流れ落ちた。そして彼はキドゥーの真っ直ぐな視線を見つめて口を開く。
「1つ聞きたい。確かにぃ以前のお前とはぁ、動きもパワーも違う……一体ぃ何がお前をぉ強くさせたぁ……」
「………お前への思い。それだけだ。」
「何ぃ?」
「もし忘れたというのなら聞き流してくれて構わない。あの日、お前は武闘大会で優勝を手にした。俺も喜んだよ。共に高め合った仲だったからな。」
すると、キドゥーが拳を強く握り締めた。
「だがっ……その後現れた魔王にお前は敗れ…左腕を失い…同時に武闘家としての誇りまでも失った。今のお前に残ったのはただ力のみ。……俺はあの日の事を悔いている。恐らく、これから先永遠にだ。俺に力があれば……お前を……友を失う事など無かった。」
ギルガは黙って彼の言葉に耳を傾けている。するとキドゥーは、一歩前に出てギルガに問いかけた。
「聞かせてくれギルガっ!お前は俺を恨んでいるか…?お前を守れなかった……弱かった俺をッ……恨んでいるかッ………?」
「そこにぃ恨みなどぉ…あるものかぁ。」
「っ!?」
キドゥーは目を大きく開いた。ギルガは続けて口を開く。
「あの日ぃ、俺が魔王にぃ敗れたのはぁ、紛れもなく俺のぉ力不足が原因だぁ。……弱かったお前をだとぉ?……二度言わすなァ。過去などぉ、どうでもいい。今ぁここに立つのはぁ、最強の武闘家の名をぉ冠するギルガという男とぉ、それにぃ挑むキドゥーという男のみぃ。それだけだぁ。」
その言葉を聞いたキドゥーの胸に、ある感情が満ちた。この感情は何だ。あの日から抱え続けた後悔と罪悪感、それら全てはギルガにとって何事もなくどうでもいい過去に過ぎなかったのだ。この感情、これは解放からの喜びだ。
「どうしたぁキドゥー。止めるんだろぉ?俺をぉ。」
「…………………あぁ……………そうだ。大切な事を忘れていたよ。俺たちに言葉なんていらない……互いの拳さえあれば……俺たちに言葉なんていらない……」
キドゥーはそう呟いて構えた。彼の口角は上を向いている。ギルガも笑っていた。そんな2人の姿を見てアランとシェウトが感じ取ったのは、強者の気迫とは程遠い、ただ強さを求めた青春だった。彼らは拳で繋がっている。絶対に引き裂くことができない強い絆が、彼らにはあったのだ。
「ギルガよ……思えば俺は、お前に勝ったことが無かったな。数々の鍛錬の中で、お前はいつも俺を超えていった。……だからせめて、この場でお前の力を止め、お前を超えてみせるッ!!」
「来いァ゛ァ!!」
キドゥーはその言葉、その志と共にギルガに飛び掛かった。
「“槍脚連撃”ッ!!」
キドゥーが次々と放つ足の突きが、ギルガが向けるパワードアームに火花を散らす。するとギルガは右腕に雷を纏わせ、キドゥーの顔面目掛けて拳を放った。
「“サンダーボルトストライク”ッ!!見ろォッ!!これがァ俺のォ本気だァァァッ!!」
その時、キドゥーの顔の前で爆発が起こり、黒煙が立った。ギルガには手応えがあった。攻撃を止めて地についたキドゥーの足、足元に落ちる大量の焦げた血。だが、黒煙の先にはまだ強者の気迫がある。そして黒煙が晴れると、ギルガは目に映った光景に衝撃を受けた。
「ッ!!……お前ぇ……そこまでしてッ……」
ギルガの拳の先にあったのは、キドゥーの焦げた手首。そこに彼の左手は無かった。キドゥーはギルガの渾身の一撃を左手で受け止め、爆発で左手を失ってもなお、腕の先で彼の拳を受け止めていたのだ。
「師匠ッッ!!」
「キドゥーさァァんッ!!」
シェウトとアランは叫んだ。キドゥーの全身には電気が走っている。だが彼は静かに笑っていた。
「………やはり…重いな……お前の拳は……ッ………ぅぅ…ぉぉぉぉおおおお゛お゛お゛お゛ッ!!」
キドゥーは麻痺した体を無理矢理動かそうとし、力を振り絞って地面を蹴った。
「この技にぃ……全てをぉッ……“スレイ・ファング”ッ!!」
キドゥーは鋭い牙を剥き、ギルガの首に噛みつこうとした。しかし、麻痺した体は重く、鈍かった。ギルガは一瞬でキドゥーの背後に回り、両腕を掴んだ。
「ッ!!」
「キドゥー、お前はぁよく頑張ったぁ。お前はぁ…良いライバルだったぁ。だからせめてェ……この俺の一撃でェ……散れェェェッ!!」
一瞬、この世界から音が消えた。たった1秒が長かった。だが、アランとシェウトは叫んだ。
「やめろォ゛ォ゛ォォォォォォォォォォォッ!!」
「ギルガぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
ギルガが突き出した膝がキドゥーの背にめり込み、その衝撃でキドゥーの胴体は肋骨を剥き出しにして裂けた。噴き出す大量の血と、溢れ出る内臓。それらが残酷な音を立てて地面に落ち、赤く染め上げる。キドゥーは動かなくなった。その時のギルガの目を、2人は忘れる事はないだろう。哀しい目をしていた。
「ギルガぁ゛ぁ゛ッ!!テメェ゛ェ゛!!」
その時、アランの体の麻痺が治った。アランは感情のまま飛び出し、ギルガに拳を向けた。しかし、そんな彼をギルガはパワードアームで軽々と払い飛ばし、小さく口を開いた。
「………忘れはぁせん。お前はぁ永遠にぃ、俺の中で眠る……“モーメント”ぉ。」
一瞬にしてギルガはその場から消えた。その後すぐに麻痺が治ったシェウトは、仰向けに倒れる弱ったキドゥーの元に走った。
「師匠っ!!しっかりしてくださいっ!!師匠っ!!」
シェウトはキドゥーの右手を強く握り締めた。
「…………ぁ………ぁ…ぁ………」
「…師匠………ッ!!師匠っ!!…すぐに手当てをッ!!」
「…無駄……だ…………こんな傷………塞がるわけ……」
「駄目です師匠ッ!!生きるんですッ!!……でないとっ……」
シェウトは握った手を額に当て、涙を流した。そんな彼に、キドゥーは優しく微笑む。
「……良い……勝負……だった…ぁ………シェウ…ト………戦いには……勝ちと…負け……が……ある…………とうとう……俺は………ギルガに……一度も勝て…なかった………」
「……そんなの……あんまりですッ……負けたから死ぬなんてッ……そんなのッあんまりだァッ!!」
悔しかった。自分は師匠を守ることができなかった。それはなぜか。弱かったからだ。自分に腹が立つ。師匠に勝ったギルガに腹が立つ。負けを認めて満足そうに微笑む師匠に腹が立つ。そこに、アランが歩み寄った。
「……キドゥーさん……」
「………アラン………シェウト…………見たか……これがっ………俺の………たた……か……ぃ……だ………」
キドゥーはそう口にすると、ゆっくりと目を閉じ、シェウトの手から、右腕を落とした。




