彼と海を繋ぐもの
「………死人の声……か…」
エレナスは顎のひげを撫でながら、そう口からこぼした。ネネカ達の帰還後、朝を迎えた彼らは亀神の祠付近で待機していた。エレナスの横に立つエルドは彼に目を向けず口を開く。
「……誠に気の毒ですね。それに、魔物と人間を組み合わせた個体をつくりあげたのは、私の母カイルである事は目を瞑れない事実です。我々が討伐した7体の魔物……あれもその個体だったという事でしょうか。」
「…………普通の魔物とは思えん知能と力量だったからな。可能性は高い。…………しっかし、人間のアイツらも強くなったよな。同じような魔物を3体も倒したんだし、何せ同胞の声が聞こえてもそれを討つ覚悟をもったんだ。…面構えが変わったよ、ホントに。」
静かに流れる雲海を見つめ、エレナスはそう言って腕を組んだ。彼の口角は上を向いている。しかし、隣のエルドは違った。黒いタキシードを靡かせながら、小さく口を開く。
「………私は……レオさんが心配です。」
そして彼は、首を左に向けた。その先に立っていたのは、タバコを咥えたリュオンだった。
「…………彼が背負うモノは重い……………ですか。」
彼らの頬を優しい風が撫でる。そして、亀神はゆっくりと目を開いて、大きな甲羅を揺さぶった。
「………かゆい………いや………ものすごく…かゆい………かゆいかゆい………」
その声を聞いて、彼らは亀神の前に集った。下界でまた強い力をもつ魔物が動き出したのだ。ネネカは固唾を呑み、アランは強く拳を握り締める。
「今度はどこだ?」
ココが亀神に問いかけた。亀神は体中に装飾された宝石を輝かせながら口を開く。
「……ん〜海……じゃな。厄介…厄介…。パーニズの南の海が荒れておる。」
その話を耳にして、レオの身体はほんの一瞬だけ固まった。その場所には自分を繋ぐ何かがある。いや、自分を縛る何かという方が正しい。だが、彼にはその何かが分からなかった。再び彼は、自身の“失念”と向き合い始めた。
「……さて、選抜じゃ。……そうじゃのぉ、今回は………シルバ、アラン、ネネカ、レオじゃな。」
そして、これもまた運命である。レオは再び同胞を斬ることを覚悟しなければならない。また、それは他の3人も同様である。アランは大きくため息を吐き、レオの横に立った。
「まぁ、俺たちはこの世界のためにも自分のためにも良い事をしてんだ。……レオ、気持ちは分かるが、今俺たちは選ばれた。一緒に倒そう………。」
「………うん。そうだね。……それに、そこへ行くのに、恐らく僕は1番相応しい。……そんな気がする。」
すると、シルバが亀神を見て問いかけた。
「海での戦闘ってなると、ペガサスで向かうのは不安だな。船は出せるか?」
「あ〜…なるほど船ねぇ………そじゃのぅ、ちょうど4人乗れるほどのやつなら用意できなくもない。特別に無料でな。」
「十分だ。ローアの東の浜辺にでも置いといてくれ。」
そして、シルバはレオ達の方を見て、明るい表情で口を開いた。
「んじゃ、行くか!」
「はい。」
4人はアバトファクトを握り、目を閉じた。すると彼らはすぐにその場から姿を消した。その光景を見て、エレナスは顎のひげを撫でながら驚く。
「ほぉぅ……こうやって出撃してたのか。面白いな。」
「………無事を願います。皆さん。」
横に立つエルドはそう言ってゆっくりと目を閉じた。
レオ達が目を開くと、そこはローアの広場だった。しかし以前とは変わって、静かだったこの広場にもいくつかの人の姿があった。前回のネネカ達の出撃とその成果によって、要塞都市は早速賑わいを見せていたのだ。
「さてと…東は〜……あっちか。海は近いだろうし、久々に歩いて行くか。」
シルバは腰に手をあて、一方向を見て口を開いた。そんな彼の言葉に反応したのはネネカだ。
「あっ…歩いて…ですか……?…まぁ、ペガサス代も浮きますし、近いのであれば……」
「よぉし、じゃあ行こう。ついて来い!」
そう言ってシルバが歩き出すと、3人は彼の背を追うように歩き始めた。狭い路地を通り、広い道に出る。そして城とは反対方向へ歩き、日の当たらない長い階段を降りた。厚い壁の門を前にすると、そこに立っていた2人の兵士が頷き、門を開く。レオ達は門を潜り、厚い壁の外に出た。
「……おいレオ……見てみろよ。」
「…………?」
振り返って上を見るアランの声に、レオは彼と同じように上を見た。真下から見る要塞都市の壁、雲に届くかのように高く聳え立つそれを見て、2人は圧倒され、思わず息を呑んだ。
「今さらだけどよ、この壁が1つの都市を囲んでるって、とんでもねぇ話だよな。」
「………そう……だね……」
「お〜いっ!置いて行くぞぉ〜!」
シルバのその声に2人は振り向き、彼とネネカの方へ歩き出した。壁の外に広がる平原、薄く雪が被る草を冷たい風が撫でる。
しばらく歩くと、4人は海が見える浜辺に辿り着いた。波の音が聞こえる。シルバは辺りを見回した。
「え〜っと………ん〜…………あっ、あれか。」
彼はそう言って指をさした。そこにあったのは、まるで流れ着いたかのように雑に置かれた舟だった。
「あれ……ですか………」
「……なんだか、神からのお告げを聞いて来た人が乗るには質素すぎねぇか……?……とか言うと、あの亀怒るからなぁ。」
ネネカとアランはそう口を開いて苦笑いをした。一方でレオは表情を変えず、沈黙したままだった。そして舟の前に立つと、シルバはそれを軽々と持ち上げ、海に放り投げた。舟は大きな音を立てて浮かび上がる。
「ほら乗れ。最後に乗った2人が櫂の担当な。」
シルバはそう言うと、地面を強く蹴って舟に乗った。するとネネカは櫂を1本拾い上げ、浮かぶ舟の方へ歩き出した。それをレオが止め、彼女が持つ櫂を掴む。
「いいよ、僕がやる。……だから先に乗って。」
「……でも…」
「良いんだ。……さぁ。」
「………ありがとう…ございます。」
ネネカは彼に頭を下げ、舟に乗った。アランはもう1本の櫂を拾い上げ、レオの肩に手を置く。
「んじゃ、頑張るか。疲れたらあの金髪侍に任せればいい。」
「………うん。」
2人も舟に乗った。そしてレオとアランは櫂を握り、力強く漕ぎ始めた。先ほどまで立っていた浜辺が遠くなっていく。ネネカは黒く長い髪を風に靡かせながら、それを静かに見つめていた。
しばらく漕ぎ続けると、舟は海と空だけに囲まれた。何も見えない海は静かだった。
「それ、漕げ漕げ。もっと強く。それそれ。」
「っ………!っ………!」
シルバは櫂を握る2人にそう声を掛け続けた。向かう先は海以外ほとんど見えない。だが彼らはパーニズの南の海を目指して舟を進めて行った。すると、ネネカはあるものを目にした。
「……あれ、何でしょうか……?」
「………なんだ…?」
彼女が指をさす方向に顔を向けると、その先には灰色の大きな雲が広がっていた。雨雲にしては暗く、どこか嫌な予感が風に乗って向かってくる。
「……多分、あれだな。あそこに強い力をもった魔物がいるはずだ。レオ、アラン、あそこに向かって漕げ!」
「………交代はしてくれないんすね。」
舟は雲の方へと進んで行った。空を覆う灰色の雲が近づくと、それは雨雲ではなく、まるで新月の時のような暗い夜空の色を見せた。それとともに辺りは少しずつ霧がかかり、何かが起きるような不気味な雰囲気を醸し出し始めた。
「………まるで……ここだけ夜のような………」
「……一体………何が………」
すると、彼らを乗せた舟が一瞬だけ強い風に煽られた。4人は転覆を防ぐために舟を掴んで身を固めた。そして、その風は黒い雲を周囲に広げ、4人を暗闇で包み込んだ。
「なっ……何も見えねぇっ……!」
「………まだ昼だぞ……え〜っと、松明…松明……っと。」
シルバは懐を探り始めた。
「……あった。さて、着火……っと。」
彼が手に持つ松明に火が灯り、辺りを強く照らした。そして視界が広がった瞬間、シルバの目に映る3人の顔は驚倒のみを見せていた。3人ともシルバの背後にある何かを見つめている。シルバはゆっくりと後ろを向いた。
「…………………これは……っ!」




