幸運のクローバーを探すように
暗く静まり返る聖堂には2つの陰が立つ。ステンノーは光の剣クラウ・ソラスを力強く握り締め、立ちはだかる魔物の仮面を睨んだ。対して魔物は両腕を大きく広げ、じわじわと迫り来る。それは大きな影がゆっくりと覆い被さるように。
「っ!!」
ステンノーは魔物目掛けて勢いよく飛び出した。魔物は鋭い目を向ける彼女の前で右手を広げ、無数の真紅の針を放つ。
「“ミチェーリスラッシュ”!!」
ステンノーは複数回、光の剣を振った。正面から降り注ぐ血の色の雨が次々と斬り刻まれていく。しかし、鋭い雨は止まない。次第に血の色の雨が勢いを増し、刃では間に合わなくなった。
「……やるっ!!」
ステンノーは剣を握る手の甲を魔物に見せ、そこから光の盾を出した。赤い針が次々と弾かれる。同時に、彼女の右腕には芯に響くほどの負荷がかかった。受け止める角度を誤れば骨が折れそうだ。
「っ……!…………この程度の攻撃でッ……屈する私ではないわァ!!」
彼女はもう一度床を強く蹴り、魔物との距離を一気に詰めた。近づくにつれ、雨の威力は増す。そして、魔物の右手を目の前にして剣を握り直したその時だった。彼女の右腕から鈍い音が響き、その激痛に歯を食いしばった。一瞬の油断で光の盾が消える。
「……まずぃッ…」
鋭い雨が1本、目の前まで迫ってきた。しかし、折れた右腕は剣を握り締めたまま垂れ下がる。咄嗟に彼女は左手を広げて前に伸ばした。
「“ミラージュクリーチ”ッ!!」
彼女はそう口を開いた。無意識に伸ばした左手を真紅の針が貫通し、目に刺さる直前に彼女の姿は雪煙となった。そして残像を残した彼女は左にまわり、体を回すと同時に折れた右腕を無理矢理振り上げた。
「はぁぁぁぁぁ゛あ゛ア゛ア゛ア゛!!」
鞭打つように振られた右腕の剣が、魔物の大きな右腕を斬り落とした。しかし、空中を舞う彼女は隙だらけだった。魔物は彼女に振り向き、左手から禍々しい色の波動を放つ。ステンノーは波動に呑まれた。
「ぅああ゛アア゛ア゛あアああ゛ア゛アァァ!!」
その威力に彼女は勢いよく吹き飛ばされ、壁に背中を強く打ちつけた。
「ッ!!がはッ!!」
そして彼女は落下し、体を床に打ちつけた。捻られた右腕に激痛がはしり、剣を落とす。左手からは熱く赤いものが流れ出る。床が冷たい。
「…………ッ……」
体が重い。先ほどまで着こなしていたドレスアーマーが重い。意識が遠退く。
“…………ぇさま……”
「——っ!」
聞き覚えのある声だ。幼く、優しい声が聞こえる。
“…………ぉねぇさま………”
“…………ステンノーおねぇさま…”
「………………エウリュ……アレ………」
“…………こっちだよ………わたしは………ここにいるよ………”
「…………エウリュアレ………エウリュアレ……なのか…………」
”………………うん……………“
「……………………そう……か。……生きて———」
“………………ううん…………”
「…っ!………………エウリュアレ………では……やはり……私は………遅かった………のか………」
“…………ううん………ちがうよ………おねぇさま…”
「………………っ!………すまない………っ!」
“……………ちがうの……おねぇさま……………”
「………違うものかっ…!……あの時……私が2人を追いかけていれば……っ!!」
“……………ちがうのに……………”
「本当にすまなかったァッ!!………私は…………長女なのにッ…………あなたの………お姉様なのにッ……………あなたを…手放してしまったァッ!!」
“……………おねぇさま…………”
「………できることならッ…………あの時に戻りたいッ!!………………またっ……2人の妹の顔を見たいっ……!!………2人の妹にッ……………お姉様って!!…………………お姉様…って…………呼ばれたい…………」
“…………こっちだよ………おねぇさま……”
「っ!!」
ステンノーは顔をあげた。そこには、幼き日の妹、エウリュアレが1人立っていた。
”……………こっち………きて…………“
「…………そこに………行けば良いのか…………」
”…………こっち………………こっち……………“
「……………そこに行けば………また…………あの時のように……………」
彼女はゆっくりと立ち上がり、一歩、また一歩と歩き始めた。体が軽い。心に曇りなどない。やさしく浮き上がるこの感覚はとても気持ちがよかった。何より、目の前には誰よりも愛していた妹がいる。そして、ステンノーはエウリュアレの前に立つと、膝をつき、小さな彼女を強く抱きしめた。
「…………エウリュアレっ!!……すまないっ!!……本当にっ………すまなかったっ!!……私はッ………ずっと……何年も…何年も…………こうしたかったんだッ!!……あなたさえ居ればっ……私はもう何も……………っ!!」
“……おねぇさま…………あったかい…………”
「…………あぁ………そうだな……っ………」
ステンノーはそのまま眠りにつくように瞼を閉じた。その目からは雫が落ちていき、頬を濡らす。しかし彼女は、その瞼の裏で1つの小さな光を見た。
「…………………。」
その光は形を変え、クラウ・ソラスとなった。
「…………………………………。」
そしてその光の奥に映るのは、要塞都市の人々と、その笑顔。
「………………………………………………。」
ステンノーは目を開き、立ち上がった。
「………………………すまない、エウリュアレ………」
“…………おねぇさま………?”
「……私には、まだやる事があるんだ。………いつまでもこうしていたかったが、そうもいかないみたいだ。」
“…………………そっか……”
「…………分かってくれるな。あなたは、いい子だから。……私が胸を張って言える、私の自慢の妹だから。」
“…………うん………………じゃあわたし………おねぇさまを…まもるね………”
「…………よろしく頼む。」
“…………わたし………まってるから………いつまでも…………まどからみえる…おそとにさく………たくさんのはなに………かこまれて…………まってるから…………わたしを………さがして………”
「———っ!!」
ステンノーは目を開いた。彼女の目の前には、魔物の杭のような腕が襲い掛かって来ていた。
「“ミラージュクリーチ”ッ!!」
彼女は咄嗟の判断で雪煙の残像をその場に残し、素早く引き下がった。魔物の左腕が大きな音を立てて床に刺さる。ステンノーは右腕を垂れ下げ、左手から落ちる赤い雫で床を染め、その激痛を思い出した。
「ぅ!!…お゛お゛ぉぁぁア゛ッ…!!」
危なかった。あと少し幻から帰ってくるのが遅ければ、あの腕に胴体を潰されていた。しかし、その安心もその時だけの一瞬のものである。垂れ下がる右手には剣がない。足元を見ると、輝きを放つクラウ・ソラスが落ちていた。
「…ッ…………両手が使えない………………それが何だと言うのだッ…!!」
彼女は剣を蹴り上げ、柄を噛み締めた。
「……ふ……ググ……ッ…」
ステンノーは巨大な魔物を睨みつけた。魔物は斬り落としたはずの右腕をこちらに向けている。ここで彼女はある事に気が付き、遠くの壁を見た。
(………あれから、何分経った…………。アラートの蘇生可能時間は………もう過ぎてしまったか………)
彼女の視線の先に、動かぬシェウトの姿が———
———無い。
(……っ!?)
その時、目にも留まらぬ速さの何かが、ステンノーに向けられた右腕をあらゆる方向に次々と折り曲げた。
(…何だッ……何が起こっているッ!?)
「ソラァ゛ァ゛ァァッ!!」
その瞬間、魔物の仮面に重い蹴りが入り、ヒビを刻んだ。魔物が怯む。そこにいたのはシェウトだった。彼は再び仮面を蹴り、物凄い速さでステンノーの横に着地した。
「……………。」
「……どうやら、影を置き去りにするほどの速さなら、ヤツは対応できないようですね。」
ステンノーの中で様々な事に理解が追いついていなかった。クラウ・ソラス以外の攻撃があの魔物に通用した、影を置き去りにするほどの速さとは、彼は死んでいたのではないのか。彼女は剣を咥えたまま、驚いた顔をシェウトに見せる。彼は続けて口を開いた。
「……何で生きてるのかって顔してますね。奥の手ですよ。獣人族の師匠が教えてくれた死んだふりってヤツです。まぁ、死ぬ寸前だったのは事実ですが。」
前に立つ魔物が体勢を立て直した。右腕の形も次第に戻る。だが、仮面のヒビは残ったままだ。
「あと、耳にした事ありませんか?…人間の特殊能力。死を目前にした時や死を覚悟した時、発動する力………」
「……………。」
「俺の能力は、能力使用後の筋繊維の弱体化と引き換えに、一時的に光の速さを超える…………“刹那”!!」
シェウトは再び魔物の方へ飛び掛かった。彼は一瞬で姿を消し、魔物の大きな体に蹴りを入れた。敵を攻撃しては壁を蹴って飛び込み、また敵に重い蹴りを入れる。彼は何度も繰り返した。
「……………。」
そして、ステンノーはある事に気が付いた。魔物の仮面にヒビが入った時、上のステンドグラスが1枚、音を立ててヒビ割れたのだ。彼女は考えた。あの陰の魔物はどれほど攻撃を与えても再生する。しかし、仮面に与えた攻撃だけは残っている。そして彼女は再び上を見た。仮面と同時にヒビ割れた1枚のステンドグラスには、色とりどりの花が描かれており、その中に少女の姿が見える。
(……終わらせるッ………終わらせてやるぞッ!!)
「ゥググッ…!!」
ステンノーは力強く床を蹴り、勢いよく飛び出した。狙うは上のステンドグラスに描かれた少女だ。そんな彼女に気が付いた魔物は、左腕を鋭い杭のようにして彼女に伸ばした。
「“アースモーク”っ!」
急に噴き出た煙幕がステンノーを隠し、魔物は翻弄された。その煙幕を出したのはコルトだ。そして、走るステンノーの前にシェウトが現れ、彼は力強く踵を床に落とした。
「”破岩壁“ッ!!」
勢いよく上がる床に足をつけたステンノーは高く舞い上がり、煙幕を抜けた。彼女の目の前には花と少女のステンドグラス。彼女はクラウ・ソラスの柄を強く噛み締め、首を振った。
「ゥガァァァァァ゛ァ゛ア゛!!!」
ステンドグラスは大きな音を立てて割れ、魔物は仮面を砕かれて仰向けに倒れた。




