月明かりと花
「だっ……誰かッ……!!誰かッ!!助けてくださいッ!!」
暗い棺桶の中に閉じ込められた彼女は、目の前の木の蓋を両手で叩いた。何が起きたのか、彼女には全く分からなかった。1つだけ確かな事は、自分は生きているのに棺桶の中にいるという事だ。
「生きてますッ!!私、生きてますッ!!誰かッ!!ここを開けてくださいッ!!」
叫ぶ。強く叩く。暗く狭い棺の中に敷き詰められた白百合、彼女は恐怖に包み込まれた。
「誰かッ……!!誰かぁッ!!」
しばらく叫んだが、助けが来る気配もなかった。ネネカは口を閉じ、両手を下ろす。目からは涙が溢れた。
「………私……このまま………死んじゃうのかな…………っ……誰にも……会う事なく………っ…………………こんなの……急すぎるよ…………」
こうして暗闇の中で身動きもとれずに、いつか襲ってくる空腹に耐え、誰の声も聞くことなく朽ちていくのだろう。そう想像した彼女の中では、次第に恐怖心よりも諦めが強くなっていった。すると、ネネカは両手を自分の首に運び、包み込んだ。
「………いっそ……このまま……………………死のう………」
指先に力を込める。太い血管を強く締め、喉を押し潰す。
「……………っ!!………かはッ…!」
苦しい。眼球が震える。涙が流れる。だが彼女はより強く首を締めた。
「…かッ……カハ……ッ!!……ゥゥッ……ぁッッ…!!」
口を大きく開け、舌を伸ばした。脚を激しく動かして苦しさに耐える。棺を何度も蹴った。度々込み上げる吐き気、ネネカは歯を食いしばって抑える。
「ァッ……ハッ……!!……かはッ………」
瞳が上を向く。意識が朦朧としてきた。もうすぐ楽になれる。そんな彼女がふと思い浮かべたのは、友人、仲間の姿だった。
(…………私より他の人と仲良くした方が楽しいはずなのに、いつも私を放って置かなかった人…………この世界に閉じ込められてから関わりをもったけど、誰よりも情熱があって仲間思いだった人…………そして、お父さんやお母さん以外で、私に初めて優しくしてくれた人。私のために、命を捨ててまで助けにきてくれた人…………)
“死ねない!!まだ死にたくない!!”
その時、鍵が開いたような音が聞こえた。ネネカは力強く棺桶の蓋を蹴り飛ばし、棺から這い出た。
「ハァッ………ハァッ……………っ、ハァッ……」
床に手をつき、呼吸を整えた。石煉瓦の床だ。冷たい。棺の外も暗かった。
「…………私……………死のうとしてた……………」
思い返せば、先ほどの自身の行動に理解ができなかった。ここで最も奇妙なのは、自身の首を自分の意思で締めた事に自覚がないことである。しかし、それについて考えている暇はない。
「…………っ、みんなの……ところへ…」
彼女はゆっくりと立ち上がり、部屋を見回した。空の棺が並んでいる。窓がない。地下だろうか。
「………ここは…………どこ…………」
暗い中、彼女は目を凝らして出口を探した。木の扉が1つ。ネネカはゆっくりと扉を開き、部屋を出た。その先にあったのは、上へと続く螺旋階段だった。足を踏み外さないように、一段一段ゆっくりと上っていく。
「………早く……みんなと合流しないと…………」
この時彼女が予感していたことは、先ほどの奇妙な体験をしたのは自分だけではないという事だ。最悪、全員がそれぞれ離ればなれになり、誰かが今この時に自殺している可能性もある。そして、この予感はある推測や事実へと変わった。
「…………」
一時的な幻覚、突然の孤立、自殺行為。これら全てが今回の敵の攻撃であり、知らぬ間に敵からの攻撃を受けていたという事だ。しかしネネカは敵の姿を知らない。背後をとられたか、ではなぜ殺さなかった。見えない所からの広範囲の攻撃か、十分有り得る。デルガド、グレイス、ギルガが使っていたモーメントという魔法、あれはおそらく行きたい場所へ瞬間移動するもの。魔法の中では最も範囲が広い。
「……………………」
では、もしそうだった場合、勝算はあるだろうか。いや、零に等しい。そう考えているうちに、彼女は階段を上り終えた。目の前には梯子、頭上には正方形の扉がある。
「……っ………っ………」
ネネカは梯子を登り、天井の扉をゆっくり押し上げた。
「……………ここは……」
小さな隙間から覗くと、そこには静かで薄暗い空間が広がっていた。月の光に照らされた部屋、複数並ぶ本棚。書庫だろうか。そして彼女は、夜であることに衝撃を受けた。
「………私…………長い間あの棺桶の中に……?」
ますます仲間の安否が心配になった。微力の救いとして、彼女にはリバイブという魔法がある。もしここで仲間が見つかり、その仲間が自殺をしていたとしても、カウントダウンが0になるまでは蘇生することが可能だ。蘇生魔法有効時間はおおよそ2分。今になって、この数字が途轍もなく重く感じた。
「…………行こう。」
ネネカは扉を押し上げ、部屋に出た。暗いせいで部屋の奥まで見えない。それに加え、背の高い本棚が並んでいるせいで死角も多い。
「………………」
本棚には隙間が無いほど本がずらりと並んでいる。そのため本棚と本棚の間には月の光が届かず、行く先は闇だ。ネネカは窓と本棚の間の道を選んだ。警戒しながらも先を急ぐ。
(……コルトさん………シェウトさん………女王様………どうかご無事で……ッ)
自身の足音と息だけが耳に入り、それ以外は奇妙なほど無音である。ふと窓の外に目をやると、そこには花園が広がっていた。どうやらここはカリファの花園の横に建てられた何かしらの施設のようだ。月明かりに照らされた花々もまた美しい。
「………っ…」
だが今は花を見ている場合ではない。ネネカは視線を前に向けた。すると進む先の横、並ぶ本の間に隙間が見えた。そこを通過する時、ネネカはその隙間を横目で見た。
———不気味な笑顔
「———ッ!!」
見なければよかった。背筋が凍り、息ができないほどに締め付けられた感覚だ。彼女を再び恐怖が襲った。
「キャァァァァァァァァァァァァァァァッッ!!」
脚に震えを感じたが関係ない。行く先は暗闇だが関係ない。彼女は走った。早くこの場から離れたい。二度とあの顔は見たくなかった。そして彼女はそれが追ってきていないかを確かめるべく、背後に目をやった。追ってきていた。不気味な笑みを浮かべる白い肌の陰はものすごい速さでこちらへ歩いている。
「やだっ!!来ないでぇッッ!!」
ネネカは全力で走った。捕まればまた棺桶の中か、あるいは死を連想するどこかに連れて行かれる。怖くてたまらなかった。すると、背後の陰が本棚を手で触った。その瞬間、ネネカの横に立つ本棚から、本が雪崩のように落ちてきた。
「“ウォールファントム”ッ……!!」
ネネカの周囲にドーム状の光る壁が現れ、落ちてくる本から身を守った。
「……はやく……っ!!出口をッ!!」
だが恐怖は終わらない。背後から何かがぶつかる音がする。恐る恐る目をやると、不気味な陰が光の壁に顔を密着させて、笑っている。青ざめた。
「キャァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァァァァッッッ!!!」
彼女は前を向き、必死に走った。ようやく奥に扉が見えた。
「やだっ!!もうやだぁッ!!」
するとその扉が開き、その先から1人の陰が見えた。彼女の先に立つ陰が叫ぶ。
「ネネカぁッ!!こっちだッ!!早くッ!!」
その声はシェウトだった。だが、偽物かもしれない。しかし、彼女にはそれを疑う余裕などなかった。ネネカは彼に叫ぶ。
「私の後ろにッ…お化けがァッ!!」
「……お化け………ぁあ、分かったッ!!俺の合図で跳べッ!!」
するとシェウトは、入り口の前で構えた。
「………今だッ!!ネネカァッ!!」
「…っ!!はいッ!!」
ネネカは床を強く蹴って跳んだ。そして、シェウトは右足を高く上げ、力強く振り下ろした。
「“土竜起こし”ッ!!」
シェウトの右足から一直線に床が砕かれ、瓦礫の波が現れた。ネネカの背後の陰は瓦礫に呑まれる。
「飛び込めッ!!」
「はいッ!!」
ネネカは再び床を強く蹴り、シェウトの方へ飛び込んだ。そしてネネカがシェウトの足元に倒れると、彼は扉を閉め、床に踵を落とした。
「“破岩壁”ッ!!」
すると扉の前の床が高く上がって、壁をつくった。シェウトはネネカの腕を掴み、引き上げる。
「大丈夫かっ、ネネカ。」
「………ほ…本当に……シェウトさん………ですか…?」
その言葉に彼は首を傾げたが、すぐに真剣な顔で彼女に答えた。
「あぁ、俺だ。シェウトだ。無事でよかった。」
「………シェウトさん………ありがとう…ございます…………ぅぅっ……」
ネネカは涙を流しながら、膝から崩れ落ちた。




