理由と意味
ローアの要塞都市を囲う壁の向こうでは夕日が沈み、暗い空には星々が輝き始めた。街灯で優しく照らされた商店街や広場には人が居なくなり、壁内は静かになった。だがこの日は、壁の上に松明の火が灯っている。都市を囲む厚い壁の上には、壁外を見張る複数の兵士が立っていた。
「エーリックさん、交代の時間っす。」
「おっ、そうか。んじゃ頼むよ〜。……っ、今日は冷えるなぁ。」
兵士は立ち上がり、城の方へと戻っていった。彼に声をかけたのはアランだ。そして彼の隣にはレオが居る。そして2人は冷たい壁の上に腰を下ろした。
「さて、こっから4時間か。暇だなぁ。」
「………まぁ、『要塞都市を守ってもらう』って、あれだけ大袈裟に演説してた割には、魔物あまり現れないしね………」
「だよな。でも給料は高いし、文句垂れるほどじゃねぇから良しとするさ。………ぅぅっ、寒っ…」
夜のローアは風が冷たかった。それに加え、標高が高いせいか風も一段と強い。アランは両手に息を吐いて擦り合わせていた。彼の背には大きな重手甲が掛けられている。
「……………」
「……………」
しばらく沈黙が続いた。2人は互いの顔を見ることなく、ただ大きく広がる暗い草原を見つめていた。そして冷たい風が一瞬止んだ時に、レオは小さく口を開いた。
「………僕たち……こんなところまで来ちゃったね……」
アランはレオのその言葉を聞いて、彼の方を見た。彼の緑色の瞳は、優しく静かに寂しげに澄んでいた。
「………ど、どうしたんだ急に。そりゃ、そういうバイトだから——」
「いや……そうじゃないんだ。…僕が言いたいのは……。」
レオは表情を変えない。彼の目の下には影のようなクマがあり、その姿からは活力が感じられない。彼は続けて口を開く。
「…この世界に閉じ込められて、友達がいっぱい死んでしまった。……多分、残ってるのは僕らと、脱出を諦めて宿に籠ってる数人だけだ………。あれから何日、何ヵ月経ったか分からない……。普通に卒業式を終えて、普通に高校に入学してたら、僕たちどうなってたんだろう………。今では、そもそも僕たちが“本当に生きてるのか”さえ…………」
レオは足を抱え、腕を握った。すると、彼は少しだけ笑みを浮かべた。
「………ハハっ……………つくはずもない筋肉もついてる………」
「………なぁ、レオ。あの日……卒業式の日、お前に進路聞いたけど、結局…不分仕舞だったな。」
「え………ぁ、あぁ…あの時はごめん。内緒にした事には理由があってさ。………僕、警察学校に行くつもりだったんだよね。……月面の。」
彼の小さな口から出たその言葉に、アランは目を大きく開いて驚いた。
「マジかよッ!…すげぇな。………いや待てよ、でも月面ってまだ探索不十分で、未知の物質とか細菌とか多いって聞いたぞ?…あと、法律とかもまだ安定してないとか……」
「……だから行くんだよ。夢だったんだ、月で働くの。あと、警察も。……それに、月面にはまだまだ分からない事がたくさんあるって聞くからさ、僕なんだか楽しみで。」
「……フッ…ハハハッ。」
アランは笑った。レオは彼に首を傾げる。
「お前、警察より研究者のほうが良いんじゃねぇの?」
「……確かに、それも考えたよ。でも、僕は月面警察を選んだ。」
「……でもよぉ、そんなスゲェ夢、なんで内緒にしたんだ?」
アランがそう質問すると、レオは彼から目を逸らし、少し黙った。そしてようやく開いた口も相変わらず小さかった。
「……止められると思ったから。」
「え……」
「アラン言ったでしょ。月には未知の物質や細菌が多いって。……つまりそれは、今の人間には解決できない事故や、治せない病気があるかもしれないって事なんだよ。……それ聞いたらみんな、僕を止めるかなって。……だって、みんな……優しいから。」
2人の間を吹き抜ける冷たい風が、髪を揺らした。アランは拳を握り締める。
「………………………がねぇ………」
「え?」
するとアランは立ち上がり、鋭い目つきでレオを見た。レオも彼の真剣な顔を見つめた。
「止めるわけがねぇッ!……人の夢だ。友達の夢だッ。止めるわけがねぇだろッ。」
「………アラン……」
そしてアランは夜空に浮かぶ月を見つめた。その月はこの世界の月であり、レオが向かう場所ではない。だが、同じように遠い場所である事は確かだ。アランは口角を上げた。
「月で警察?カッコよ過ぎんだろ。…行けよ。この世界から抜け出せたら。…………でも、マジで変な病気にはかかるなよ?」
「………………………宇宙人に食べられるかもね。」
「フッ、あるかもな。」
「なに話してるの。」
その時、女性の鋭い声が2人の耳に飛び込んだ。振り向くと、そこには大きな荷物を背負った女の兵士が立っていた。手には鉄のカップが3つ、そこから出る湯気からは甘い匂いが漂う。レオは咄嗟に立ち上がって頭を下げ、アランも彼に続いて頭を下げた。
「すみませんっ、無駄話をっ——」
「いやいや謝ることないっての。別に怒ってないし。…まぁ私、冷たいってよく言われるからね…………………はいこれ、ココアと毛布。今日は冷えるよ。」
レオは彼女からカップを受け取った。温かい。悴んでいた手にじわじわと染み込む。
「あ………ありがとうございます。……えっと…」
「シャロンだよ。城の仕事終わったからキミ達んトコに加われって将軍さんが言ってね。………キミ達もしかして、人間って種族?」
「そ………そうっす。」
アランも悴んだ手でカップを受け取り、彼女に小さく頷いた。
「へぇ、そうなんだ。初めて見た。思ってたより普通だね。……ほら、座ったら?」
「は……はい……。」
3人は向かい合うように腰を下ろした。松明に照らされた彼女の顔は、改めて見ると鋭い目をしていて綺麗だった。レオは彼女に口を開いた。
「あの、シャロンさん……実は今日の朝、シャロンさんの夫——」
「あぁ、会ったのか、あの腰抜けに。」
「こ………腰抜け……?」
アランはそう言葉をこぼし、カップを口に傾けた。シャロンもココアに少し口をつけ、話を続ける。
「そう、腰抜け。魔物1匹ロクに狩れないんだからね。まぁでも、そんな彼に狩られちゃったんだけどね。私。……ったく、私のどこが良いんだか。」
「あはははは………」
レオとアランは乾いた笑いをあげ、一斉にココアを飲んだ。丁度いい甘さで、まだ温かい。すると彼女は2人に毛布を渡すと同時に問いかけた。
「キミ達、名前は?」
「…レオです。」
「アランっす。」
2人は軽く頭を下げて毛布を受け取り、体を包んだ。これもまた甘い匂いがして暖かい。
「そっか。キミ達、なんだか元気ないね。特にレオ。」
「………そう…ですか。」
「うん。その目はダメだよ。…死んでる。…死んだ目してる。」
「………………」
レオは彼女の言葉を聞いて口を閉じた。確かに彼自身、目どころか心さえも死んでいるような自覚はあった。そのため否定はしない。そして両手で温かいカップを包み、ココアを見つめた。ため息が鼻から出る。すると何を思ったのか、彼は自身の胸の奥に隠していたはずの弱みのようなものを、口からこぼしてしまった。
「……時々、思うんです………僕。なんで生きてるんだろうって………。まるで、心が死んで、器だけで生きてるみたいで………」
「ぉ…おぃレオ……お前、急に何を……」
「………………………あぁ………良くない。」
レオとアランはシャロンの方を見た。彼女はカップに口をつけた後に話を続けた。
「……何があったかは知らないし聞かないけどさ、その考えに陥るのは絶対にダメ。」
シャロンの目はより一層鋭くなった。誰でもわかる。真剣な目だ。レオの弱音に反応した彼女の目は、彼を逃さなかった。
「生きてる理由なんて、そりゃ分からない時だってあるだろうさ。でも、キミが生きてる意味は必ずあるんだよ。」
「…………意味……」
この時、レオは思った。なぜ会ったばかりのこの人は、知るはずもない自分に対してこんなにも真剣な目をするのだろうと。同時に、シャロンは思った。なぜ会ったばかりの彼に、こんなにも真剣に話をするのだろうと。そして彼女は思った。誰にでもすぐ親切にしようとする、自分の悪い癖であると。シャロンはまた少し、自分が嫌いになった。
「そう、生きてる意味。……こんな冷たい私の事を愛してくれる人が居た。…腰抜けだけど。あと、こんな見張り当番してるだけでも、翌朝近所のおばあちゃんに感謝される。……なんせ、人に愛されてほしいって願い背負って大体の人は腹から出てんだ。…あるさ、キミにも生きてる意味が。」
するとレオは考えた。自分はどんな願いを受けて生まれたのかを、どんな思いで育てられたのかを、誰に支えられたのかを、これまで誰と共に困難を乗り越えたのかを。彼女の言葉は、レオの心を少しだけ揺さぶったのかもしれない。なぜなら、彼の頬には気付かぬうちに一筋の涙が流れていたからだ。
「大丈夫。確かにキミは生きてる。」
「…………シャロンさん、全然冷たくないじゃないですか。」
レオはその時、少しだけ本当の微笑みを取り戻した。それから彼女とは色々な話をした。家族の事、思い出話、戦術の事、そして自分達が今腰を下ろしている分厚い壁がなぜできたのかを。
「………大丈夫かな、ネネカ達………」
「……………無事に帰って来てくれよ………」
レオとアランは暗闇の先の地平線を見つめた。
一方、彼女らは———




