白百合の笑み
あの事件でステンノーは2人の妹を失った。それどころか、謎の教団と行動を共にしていると噂されるメドゥーサの情報が世界中に広がり、ローアの評価や信頼といったものは瞬く間に悪化の一途をたどっていった。他の国からの交流は絶たれ、結果的に貧しい生活を強いられるようになった国民。その中には、賊に転じる者や自ら命を絶つ者も少なくはなかった。
「……まったく、ひでぇ話だ。職を失うわ妻と子どもには逃げられるわ……おかげで俺ァこの有様だ。」
暗い路地裏に腰を下ろす男は、酒瓶を咥えて勢いよく傾けた。喉に流れるのは酒ではなく噴水で汲んだ水だ。向かいに立つ男はタバコをふかして口を開いた。
「でもなぁアンタ、世の中にはもっと不幸な人もいるんだぜ。少なくとも、この国で1番不幸なのはステンノー様だろうよ。」
それもそのはず、ステンノーはあの一件によって一時期王位継承権を失いかけた。血も同じならば品行も同じという世間一般の偏見だ。しかし当時のパーニズ王が、悪とする存在はローア王の血ではなくタルタロス教団ではないかと強く主張した事により、その一件は免れた。それに加え、他国との交流も少しずつ回復していった。だが、ローアの空気は冷たいままだった。
それから数ヶ月経った頃だろうか。パーニズは謎の混乱期を迎え、国の政治が大きく揺らいだ。ローアにはあまり影響が無かったものの、その時のパーニズの動きはあまりに奇妙だった。理由は分からなかった。教団が関わっていると噂する者もいた。
ある日、ステンノーは城の地下で父のローア王が何者かに殺される夢を見た。その夢はまるで夢ではなかったかのように生々しかったという。それが何の予兆だったかは未だ謎だが、数日後パーニズは突如として魔王の襲撃を受けて壊滅した。城は焼け落ち、王家は1人の幼い子どもを残して皆死んだ。その子どもを保護したのは、ローア城の親衛隊長、炎王竜の鎧の男だった。彼は当時の襲撃でパーニズに加勢していたのだ。その名誉が大きく讃えられ、彼とローア王はパーニズの復興を任せられた。クラウ・ソラスがステンノーの手に渡ったのもこの頃だ。そして王権を託された彼女がはじめに行ったのは、ローア城周辺を厚い壁で囲い、要塞都市にする事だった。ローアの女王は都市内へのあらゆる侵入を許さなかった。
エウリュアレの捜索および奪還作戦を遂行すべく、ペガサスに跨るネネカ達はステンノーの背を追っていた。風を切る翼の音、宙を舞う羽根、先頭で純白のペガサスを駆るステンノーの姿は美しかった。
「………あの人、どこに向かっているんだろう?」
コルトは首を傾げた。向かう先の情報などを彼女から知らされていないからだ。
「さぁな。だが亀神の話では例の魔物の所へ向かってるのは確かだ。今のうちに準備しておけ。」
シェウトはそう口にすると、ポーチから小さな瓶を取り出し、黄色い液体を口に流し込んだ。すると、彼の筋肉が徐々に膨れ上がった。コルトが彼に問いかける。
「それは何?」
「これか。剛力の魔剤、これを飲んだ後の最初の物理攻撃が強化される。味は悪くないぞ。いるか?」
「……いや、いいよ。僕、魔法使いだし。」
その後、しばらく沈黙が続いた。目的地が分からない。エウリュアレについて知りたい。この世界の忌まわしき過去とは何なのか。先を行く女王に聞きたい事はたくさんあるものの、ドレスアーマーに身を包む彼女の背は3人を近付けなかった。
「………」
ネネカだけは、彼女の背から哀愁のような何かを感じとっていた。“壁の中の女王”、“壁ができた理由“、”人に向ける冷たい目“。彼女はもしや”1人“なのではないかとネネカは思った。すると、彼女の目に映る女王の姿は少しずつ小さくなり、気付けば黒髪で貧弱そうな体の少女がそこにいた。それは、幼少期のネネカだった。静かに振り向く彼女は何かを求めていた。何かを物欲しそうに悲しい目でこちらを見ていた。
「………私…は……」
彼女は誰に助けられるだろう。なにに助けられるのだろう。ネネカは目の前の自身を見つめ、沈黙を続けた。
“…………シア。”
”…………ナシア。“
”…………クナシアっ。“
「Ms.クナシアッ!!」
「っ!!はっ、はいっ!!」
女王の鋭い声でネネカは姿勢を正した。しかし、目の前に彼女はいない。ネネカは辺りを見回した。
「あっ……あれっ……?女王様っ………どこ……」
「馬鹿者、下だ。降りるぞ。」
女王とコルトとシェウトは、真下でペガサスを空中停止させていた。シェウトは彼女に問いかける。
「どうした、ボーっとしてたのか?」
「すっ、すみませんっ!少し、考え事を……。すぐ行きますっ!!」
そして4頭のペガサスは大地に舞い降り、彼女らを降ろした。ネネカ達が立ったのは、カリファの花園だった。
「………すごい…」
「………綺麗……」
レオ達がシルバとここに来た時は、花は禍々しい色に染まり漆黒の花園と化していたが、現在は無数の花々が鮮やかな色を取り戻し、大地を埋め尽くしている。シェウトは女王に問いかけた。
「ここに、妹さんが…?」
女王は彼の目を見ず、しばらく黙っていた。そしてようやく開いた口は小さかった。
「……エウリュアレは……活発で、好奇心旺盛で、命あるもの全てに優しかった。……そんな彼女が1番好きだったのが………花だった。」
すると彼女は3人の方を振り向いた。その目は相変わらず冷たく鋭かった。
「確信はない。……だが、彼女がいる場所にはいつも花があった。……何かを感じるのだ。ここに。」
「……なんというか、女王様には似合わない予想ですね。」
「悪くないだろう?」
シェウトにそう口を開いた彼女の眉は少し上がっていた。冷たい目の女王がたまに見せるこの表情、それを目にした時、この人は“人”であるとようやく感じる事ができ、どこか安心する。
「………」
ネネカは一面に咲く花々を見つめていた。風一つ吹いていない。静かだった。静かすぎた。
「あれ………無い……」
すると、コルトが下を見つめて何かを探し始めた。
「どうした、コルト。」
シェウトは問いかけた。しかし、彼は真下の何かを探し続ける。彼は焦っていた。
「無いっ……無いッ………」
「何落としたんだ。言え。」
コルトは彼の問いに答えない。様子がおかしかった。
「無いッ……!無いッ……!!」
「何を落としたんだって聞いてんだろッ!!」
「“落とした”とかじゃないんだッ……!!」
シェウトの眉間にしわが寄る。ネネカは心配そうに彼を見ていた。コルトは必死に何かを探している。
「無いッ!!…無いんだよォッ!!」
「だから何がッ!!」
「ん?影。」
急に冷静を取り戻したコルトに背筋が凍った。奇妙だった。不気味だった。そして恐る恐る足元を見ると、本来あるはずの、なくてはならないもの。影が無かった。そして再びコルトを見た。よく見ると、彼の首は曲がるはずのない方向に曲がっており、満面の笑みを浮かべていた。
「キャアッ!!」
ネネカは驚き、地面に腰をつけた。突如として襲い掛かる恐怖、身体中が震えた。
「Ms.クナシアッ!!」
彼女の元に駆け寄る女王。彼女の顔も不気味な笑みを浮かべていた。背景が歪む。冷や汗が止まらない。ネネカは咄嗟にその顔を手で叩いた。
「来ないでくださいッ!!」
「ッ!!」
嫌な感触がした。ネネカは自身の手を見た。赤い。血だ。目の前で頬をおさえる女王がゆっくりとこちらを見た。
「痛い………………………………………………………………………痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い」
彼女の下顎は無かった。笑っている。
「イヤ゛ァァァァッ!!来ないでぇ゛ぇ゛ッ!!」
何が起きたのか分からなかった。ただ恐怖だけが目の前にあった。ネネカは力強く目を閉じた。何も見たくなかった。必死に身を縮める。すると、手脚を掴まれ、強引に体勢を変えられた。絶対に目を開きたくなかった。
「やめてぇッ!!イヤッ!!もうイヤ゛ァッ!!」
そして何を思ったのか、彼女は勢いよく目を開いた。暗い。急に静かになった。手脚の拘束もない。
「え………何……………」
彼女は仰向けの状態で倒れていた。暗い。目の前には木の天井らしきものがあった。横も狭かった。身動きがとれない。
「何っ………これっ…………えっ……」
暗い。そして息苦しい。さっきのは何だったのか。そして、今自分が置かれている状況は。彼女は混乱した。何が起こったのか分からなかった。そして、ふと彼女は背や頬に伝わる感触に意識をやった。
「………これは………………花……?」
彼女は目を凝らして敷き詰められた花を見た。白百合だった。そして彼女は理解した。
「これ……………棺桶の………中………」




