ドリュアスの花
天界ではネネカ達が、魔物の討伐に向かったアラン一行を待っていた。神殿を囲む金色の雲海が静かに流れている。ネネカはふと亀神の顔を見た。巨大な甲羅や長い首に装飾された色とりどりの宝石に映るその顔は、どこか哀愁や寂しさを感じさせるようだった。気のせいだろうか。
「………」
亀神はゆっくりと目を閉じ、ため息を吐いた。すると、ネネカが向く逆方向から突然気配が現れ、複数の足音が近づいてきた。周辺にいた仲間達は一斉に足音の方に振り向き、目を大きく開く。アラン達だ。コルトは彼に駆け寄った。
「アランっ!お疲れ…………って……あれ………?」
「どけ。」
アランはコルトを左手で払い、そのまま亀神の方へ足を進めた。周囲の仲間は違和感を一瞬で感じ取った。それは帰ってきたのが、アラン、マリス、ライラの3人であるということだ。アランの重い足音、獲物を狩るような鋭い目、強く握られた左の拳。嫌な予感がした。そしてアランは亀神の前に立ち、歯軋りと眼光を亀神に放った。亀神はゆっくりと目を開く。
「………気の毒よの。彼はよく——」
「聞きたい事がいくつかある。俺とレオにしか聞こえねぇ魔物の声……あれは死人の声で間違いないんだな?」
その口調はネネカ達がよく知る、アランが怒っている時のものだった。ライラは一歩前に出て口を開く。
「アランさんッ!亀神様の前でその口調はッ——」
「よいのじゃライラ。………そうじゃアラン。あの声は何らかの方法によって魔物に取り込まれた死人の声じゃ。」
「やっぱりな。……今でも耳にこびり付いて離れねぇよ。死んでいった同胞の声がよォ。」
アランの怒りが、握り締められた拳の震えとなって現れる。彼は続けて口を開いた。
「次だ。俺とレオの共通点ってのは結局何なんだ?」
「………死んだじゃろ。お前さんら。」
「っ——」
確かにそうだった。アランはギルガに殺され、その後ネネカの蘇生魔法によって生き返った。そしてレオはデルガドに殺され、ティアクリスタルによって蘇った。彼らだけが死を経験している。だからこそ死者の声が聞こえたのだ。しかし、亀神の口から出たその答えはレオへの同情にしかならない。アランにとってこの話は本題ではなかった。どうでもよかったのだ。
「…んじゃ、話を変えるぞ亀神さんよ。…あんたが勝手にやってるメンバーの選抜ってのは、勿論何かしら考えてやってんだろうな?」
アランのこの質問は、YesであろうがNoであろうが彼の怒りに触れるものであった。どちらにせよ、カルマが死んだという結果は揺るがないのだから。そして、亀神は答えた。
「勿論。考えておるが——」
アランは奥の歯茎を見せるほどに怒りを噛み締め、刃のように鋭い目からは殺意に値する視線を放った。握り締めた左の拳からは、爪を立てたせいか赤い雫が落ちる。
「じゃあカルマを殺したのはァッ!!テメェで間違い無ェッて事だなァッッッ!!」
「あくまで生の命を汚すか戯けがッ!!!!」
亀神の張り切った声が天界に響き渡り、金色の雲海が跡形もなく消え去った。静まり返る神殿、悲しむ隙のない空気、アランは一瞬の圧力に固く重い唾をゆっくりと呑み込んだ。亀神は続けて口を開く。
「貴様は、ワシの選抜の誤りゆえ彼が没したと言うておるのじゃろう?じゃか分からぬかッ、その考えは彼の力を侮辱しておるのと同等じゃ!!それでも、ワシが彼を選ばなければ、彼は死なずに済んだなどと吐ぬかすかッ!!貴様が思う以上に“言葉”は重いぞッ!!」
何も言い返せなかった。アランは重く突き刺さる言葉を前に、拳を握り締めてただ立つ事しかできなかった。彼は一瞬、そこに立っているのが自分1人であるかのように感じた。これは孤独か、自身への絶望か、周囲の目からの逃避か。自身が貫き通す正義が踵を返して殴り掛かって来る感覚を、彼は生まれて初めて感じた。
「………ッ」
「アラン、簡単な事だよ。」
亀神の影から聞こえたその声に、アランは頭を上げた。他の仲間達もその声の方に目を向ける。
「………レオッ…」
そこに立っていたのは、目の下にクマができたレオだった。彼は冷たい目をしていた。
「……言ってたじゃないか。悪いのはダークネスの王、魔王だ。討つべきは魔王だ………って。」
「………何が言いたい……レオッ…」
アランは問いかけた。亀神の大きな影の中で静かに立つレオは口を開いた。
「カルマが死んでしまったのはカルマが弱かったからじゃない。亀神様が選抜したからじゃない。魔王のせいだ。そして今まで僕らの友達が…仲間が死んでしまったのも、彼らが弱かったからじゃない。魔王のせいだ。」
レオがそう話す傍ら、亀神は目を閉じて言葉を呑み込んでいた。
(………違うぞレオよ。………本当に悪いのは、争いそのものじゃ。……まぁ、馬鹿で単純なアランにとっては、そう話した方が伝わりやすいんじゃろうがな。)
「アラン……他のみんなもだ。今、僕達が対峙している魔物がなぜ僕とアランに語りかけてくるのか、なぜ人のように策を講じた戦い方をするのか………。僕とネネカとマリスさん、そしてクレアさんはそれを知っているっ!!」
天界は再び静まり返った。この場にいる誰もが無心に鼓動を走らせた。嫌な予感がしたからだ。そしてそれが、亀神が口にした『良からぬ事』であると予想できたからだ。
「人体実験。マリスさんとエルドさんの母であり四天王の1人であるカイルが行う悍ましい実験だ。人と魔物はなぜか相性が良く、魔物の能力の向上、量産に向いているらしい。その実験結果を基に作られた魔物こそ、今の僕らが戦っている魔物の正体だ。」
「………嘘…だろ…」
「……なんだよ……それ……」
そう言葉が溢れたのはアランだけではなかった。その実験を想像して感じ取れるのは、吐き気を催すほどの強い残酷さだけだ。アランはレオに問いかけた。
「……なぜ言わなかったレオ。ダークネスの世界がそんな事をやってるって……」
「………マリスさんとエルドさんを傷つけるかも…と思ったからだよ。……でも、今の僕らなら、この事を話しても2人を悪い目では見ないはずだよね。」
レオのその答えに、アランは口角を小さく上げた。
「………ったく、お前らしいなレオ。……そうだ……あぁ、そうだ。俺達は魔王を倒すためにここに居るんだ。…単純な事を忘れていた。……悪ィ、レオ。頭冷えた。」
そしてアランは亀神に顔を向けて、視線を逸らしながら口を開いた。
「………その……さーせんっした。……ほんと……変な事言って……」
「さぁて、このワシが易々と許すかどうかじゃの。ま、今後の働き次第じゃろうがな。…口の利き方には気をつけたまえ。」
亀神が怪しくにやけた。神殿を再び雲海が包み込む。だが彼らは決して忘れてはいなかった。カルマの死への悲しみと悔しさを。
その夜、彼らはベッドに横たわると誰かの啜り泣く声を聞いた。その声を聞いてまた誰かが涙を流した。アランもその1人だった。赤く染まったイルアの森でマリスと共に大樹を破壊した時、ライラに刃を向けていた木の根が、骸のように枯れて静かに倒れたその瞬間を思い出したのだ。そして彼は悔しさと悲しみを噛み殺し、静かに泣いた。そして彼の手の中で、秘宝、ドリュアスの花が温かく光る。




