桃源郷は深海に
レオ達を乗せた3頭のケルピーは、水飛沫をあげながら海を駆ける。空と海の青に囲まれながら長い時間ケルピーを走らせていると、前方と右に大陸が見える場所に辿り着いた。レオは3頭のケルピーに止まるよう指示を出し、ポーチから地図を取り出して広げた。
「右に見えるのがノルスフィアで、前に見えるのがイリーグだとすると……海帝鯨はこの下だ。」
「いよいよですね。3つ目の……、最後のティアステーラ。」
ネネカはレオの顔を見つめて言った。彼女の眼差しは真っ直ぐだ。
「さぁて、どこまで潜れば会えるのやら。」
アランはそう言うと、首を左右に傾けて音を鳴らした。その後、レオは地図をポーチに戻し、オキシケルプが入った袋を手に取ると、袋の紐を解いて中を覗いた。
「………1人6つか。アラン、ネネカ。オーリンの村長が言っていたよう上手く使ってね。あと、無理はしないように。」
「分かってるって。」
「はい。必ず、ティアステーラを手に入れましょう。」
アランとネネカもオキシケルプを手に取り、3人で一斉に口の中に入れると、ケルピーに乗ったまま水中へ潜った。海の冷たさを肌全体で感じたすぐに3人の目に飛び込んだのは、太陽の光が照らす青の世界を色とりどりの魚が彩る神秘的な世界だった。潜ったすぐの3人は水の中という事に恐怖心があったからか息を止めていたが、膨らみ続ける頬をおさえきれず、口を開いてしまった。
「ぅっ……ゴボボ…っ!!」
その時、3人の口から大量の空気が出て、頭部の周りに大きな丸い空気空間を作った。
「すっ…すげぇっ!!何だこれっ!!」
「私……今、海の中で息してるっ……」
アランとネネカはその驚きが言葉に出た。勿論レオも驚いていた。彼らを背に乗せたケルピーは奥へ奥へと潜って行く。徐々に日光が届かなくなり、辺りは暗くなっていく。すれ違う魚の大きさも徐々に大きくなっていった。
「……どこまで潜ればいいんだろう。ケルピーの速さで潜っているから、相当深い所まで来たはずだけど……。」
レオは呟いた。通り過ぎては流れ行く海の冷たさを全身で感じながら。気が付けば辺りは暗黒に包まれ、3人はひたすら海の底へ向かうようになっていた。太陽の光が届かない暗く静かな世界を、ただひたすらに。ひたすらに。奥へ。奥へ。
「おい、なんか光ってるぞっ!!」
アランは進行方向を指さし、大きな声でそう口にした。彼の言う通り、暗闇の中に1つの小さな光が見える。近づくごとにその光は徐々に大きくなり、同時にその数を増やしていく。
「っ!……あれだ……きっと、あれだよっ!!」
「あの光の中に…海帝鯨がっ……」
『ヒヒィィィンッ!!』
3頭のケルピーは光を目掛けて尾びれの動きを早めた。強く大きくなってゆく光。あまりの眩しさに3人は目を閉じた。
「っ!!……」
瞼の裏が明るい。レオ達は目を開くと、その目に衝撃の光景が飛び込んだ。先ほどまでの暗闇が嘘であるかのように思わせるほど虹色に輝く水の世界。無数に置かれた色とりどりの巨大な巻き貝の殻。そこに住み着く、上半身が人で下半身が魚の人々。魚人族だ。
「………すごいっ。………綺麗……」
ネネカは辺りを見渡し、眼を輝かせていた。
「あぁ…だな。……すっげぇキレイ。」
アランは魚人族の女性を見つめて、そう呟いた。すると、彼の視線に気が付いたのか、1人の魚人族の女性が上にいるレオ達の方を見て、魚のような下半身をゆらゆらと揺らしながら近づいて来た。彼女はそっと口を開く。
「………あなた達は…」
綺麗な声だった。しかし、その顔からは恐怖心が感じられる。レオは口を開いた。
「僕達、海帝鯨に会いに来ました。その…案内していただけると、とても有難いのですが……」
その言葉を聞き、魚人の彼女はゆっくりと目を閉じた。
「………あなた達……人ですよね。……多分、あの方は会わないと思います。わざわざこんな深い所まで来たのでしょうが、……お引き取り願います。」
「…そんな……。人だから…ですか?」
ネネカはその女性に問いかける。魚人の彼女は冷たい顔で静かに頷いた。すると、底に広がる貝殻の住宅街から1人の魚人の男が4人の方へ泳いで来た。髭が長く、筋肉のある体つきだ。その右手には、大きなフォークのような槍がある。
「エルディーネ、下がりなさい。異族の者に無闇に近付いてはならん。あの方の話は聞いたはずだろう。」
「……はい。」
魚人の女性は貝殻の住宅街へ泳いでいった。男は続けて口を開く。
「ふむ……珍しい客だな。それに、人ではあるが、私の知る種族の“人”ではない。」
「え〜っと……この世界では、人間っていう種族だと言われてるらしいっすけど……」
「ほぅ……人間……か…。聞かぬ名だな……」
アランの言葉を聞き、魚人の男は伸びた髭を左手で撫でた。下を見ると、魚人族の人々の視線が集まっているのが分かる。レオは彼に口を開いた。
「僕達、ティアステーラを貰いに来たんです。海帝鯨に会わせていただけないでしょうか。」
「ふむ………」
彼は髭を撫でながら黙った。彼は眉間にしわを寄せ、ケルピーに乗る3人を順に見つめる。
「………」
「………」
しばらく沈黙が続くと、ようやく男は口を開いた。
「ここで私が決めたところで、海帝鯨のお言葉を無しにするわけにはいかん。それに、ティアステーラが欲しいと言ったな。……時はいずれ……と。まずは名を聞くべきだったな。私はディプリューンだ。」
「こちらこそ申し遅れました。僕はレオです。右の彼がアランで、左の彼女がネネカです。」
言葉を交わし合い、ディプリューンの表情は少し柔らかくなった。ディプリューンは右手に持つ槍の先端を後ろにして口を開く。
「先ほどは娘のエルディーネが失礼した。海帝鯨が君達を受け入れるかどうかは分からんが、ついて来なさい。」
「は…はいっ、ありがとうございますっ!」
レオは彼に頭を下げた。すると、ディプリューンは3人の頭部を包む空気をじっと見つめた。
「…なるほど、オキシケルプか。しかし、そろそろ使ったほうがよいのではないか?空気が小さくなっておるぞ。」
「ぅおっ…!危ねぇ危ねぇっ。」
3人はポーチから2つ目のオキシケルプを取り出し、口に入れた。




