眼差し
気付いた時には、西の水平線は赤く燃え、東から紫色の静かな空が覆い被さってきていた。パーニズの町の人達はランプや松明に火を灯し、石畳に柔らかな光をあてた。レオとアランは重い足取りで温泉に寄り、湯に腰を下ろしていた。
「ふぅ〜、疲れたぁ〜っ!!」
「お疲れ、アラン。」
アランは両手で湯を掬い、顔に当てて上下に擦った。湯気の奥に見える彼を見て、レオは微笑んだ。
「おう。しっかし今日の兵長さんは暑苦しかったな。すっげぇ怒鳴られた…」
「あはは……」
溜め息をつくアランにレオは苦笑いを返した。続けてレオはアランに口を開く。
「でも、お互い改善するとこが見えてきたんじゃない?それに、あの火を纏った技、きっと凄いものを僕たちに教えてくれてるんだと思う。」
「あぁ、間違いねぇ。今までとは違う何かを感じた。」
目を光らせて語り合う2人の口角は上を向いていた。擦り傷や腫れに汗が流れる。それは清々しい汗だ。2人を導く希望の汗だ。
その後、2人はネネカと合流し、宿屋に入った。部屋に入ると、レオとアランは真っ先にベッドに飛び込んだ。いつもより柔らかく温かいように感じる。そんな2人を見たネネカは静かに微笑み、窓側のベッドに寝転がり、目を閉じた。今日は静かで深い夜だ。
窓から月の光が差し込む。アランはゆっくりと目を開き、体を起こした。そして近くの机に置いてあったグラスに冷たい水を注ぎ、一口で飲み干す。暗い部屋の中で聞こえるのはネネカの静かな寝息だけだった。しかし彼はある事に気付く。
「……レオ…?」
レオが居ない。ベッドの上の布団は乱れており、入り口の扉が少し開いていた。アランはそっと立ち上がり、窓の外を見た。すると、
「…………レオ……」
そこには、月夜の下で、1人木の剣を振るレオが居た。アランはネネカを起こさぬよう、そっと部屋を抜け出し、宿屋の裏へ出た。
「…何やってんだレオ。」
「あぁ、アラン。バレちゃったね。」
呆れた顔のアランの前には、頬に汗を流したレオが居た。彼の顔には苦笑いでアランの視線から逃れようとする色があった。
「……眠れなくてさ……つい。」
「はぁ…ったく、せっかく温泉で汗流したっていうのに………。んで、俺の目ぇつかねぇ時に1人だけ強くなろうって?そうはさせねぇ。」
アランは肩を回し、首を曲げて鳴らした。冷たい風が2人の頬を撫で、髪を揺らす。
「ちょっとしたゲームをしよう。先にお前が倒れたらベッドに戻る。んで、先に俺が倒れたら夜明けまででも付き合ってやるよ。一回勝負だ。」
「うん。分かった。」
2人は微笑みながら向き合い、構えた。空に輝く星々が2人を優しく見守った。
翌日、レオ達は昨日のようにギルド小屋の前に行き、エレナスの特訓を受けようとしていた。しかし、エレナスはレオとアランの顔を見て、目を細くしていた。
「………お前ら、昨夜はよく眠れなかったか…?」
「…………えぇ……まぁ…。」
2人の目の下に黒い陰があった。昨日より元気が無さそうだが、ここに来たという事から、やる気は感じられる。彼は不思議な感情を抱えながら、静かな反応をとった。
「……そうか。じゃあ早速、始めるとするか。」
そう言って、彼はその場で黒く重い鎧を剥がし始めた。すると、中から鍛え上げられた肉体が現れ、2人の視線を奪った。黒いタンクトップが今にも弾けそうだ。
「今日は昨日とは方向性を変え、俊敏性と判断力を鍛えてもらう。俺に1回でも触れる事が出来たらお前らの勝ちだ。」
「ふっ、触れば良いのか。」
アランはニヤけ、腰を低くして始めの合図を待った。
「ナメてもらっては困るなぁ。制限時間は日没までだっ!もし出来なかったら、エルドの皿洗いの手伝いをしてもらうっ!!さぁ、どこからでも来いっ!!」
エレナスはそう言ってがっしりと構えた。レオとアランはエレナスの目をじっと見て、飛び出す瞬間を待った。涼しい風が草原を走る。しばらく静かに流れる時を肌で受け止めると、アランは地面を強く蹴り、エレナスに拳を伸ばして飛び掛かった。
「おらぁっ!!」
「ふっ。」
エレナスは彼の拳を軽々と避け、地面を滑ってアランの背後に立った。
「…っ!?早いっ!!」
「“ファルコンスラスト”!!」
レオが余裕の顔を見せるエレナスに、木の剣の先を向けて突進した。エレナスが真上に高く跳んで攻撃を回避すると、剣先はアランの背に直撃し、2人は衝突して倒れた。
「…ぃってぇぇ〜……しっかり前見ろレオっ!!」
「ご…ごめん。」
2人はすぐに立ち上がり、エレナスに向かってレオは右に、アランは左に走り出した。
「ほぉ。咄嗟にその動きが出来るとは大したコンビネーションだ。」
「“ギガ・クラッシャー”っ!!」
アランはエレナスに近づくと、高く跳んで足を力強く地面に叩き付け、周辺に地震を起こした。エレナスはそれを跳んで避けると、目の前にレオが現れた。
「“連続斬り”っ!!」
レオは空中で木の剣を振り回した。しかし、エレナスはその全ての攻撃を軽々と避け、剣を掴んで真下に振り下ろした。レオは強く地面に叩き付けられる。
「うあぁっ!!」
「どうした!!このままでは皿洗いだぞっ!!」
エレナスは倒れるレオの前に着地し、そう口を開いた。彼の顔からは余裕のみが見える。
「“スクリュー・ストレート”っ!!」
「おっと。」
アランはエレナスの背に竜巻を纏った拳を突き出した。エレナスはレオの握っていた剣を取り上げて振り、竜巻を弾き飛ばした。
「…っ…ダメだ……隙がねぇ……っ!!」
「判断力はあるようだな。技の選び方については、ほぼ文句無しだ。だが!!」
エレナスは素早くアランに接近し、わざと外すように剣を振った。アランはそれに反応する事が出来ないまま、風圧で飛ばされた。
「のわぁぁぁっ!!」
「相手も攻撃を仕掛けてくる事を忘れるなっ!!」
エレナスは地面に叩き付けられたアランに大きく口を開き、レオの方を振り向いて剣を投げた。レオはそれを掴み、立ち上がって構えた。
「相手の動きを予測しろっ!そしてその予測に対応出来るよう素早く動けっ!!」
レオはエレナスの言葉を耳から頭へ、そして手へと流した。真剣な眼差しでエレナスの目を見つめ、地面を擦るようにしてゆっくり歩く。そして柄を強く握り、剣を数回振った。
「“ソードテンペスト”っ!!」
「お?」
エレナスの左右に剣の軌跡が放たれた。真上に跳ぼうとして上を見ると、同じように軌跡が飛んでいた。そして前を見た。
「っ!!」
「“ファルコンスラスト”ぉっ!!」
それからしばらくして…
「ふぅ…今日も疲れたなぁ。もう歳か…?」
「え〜、マスターまだ50前半だよ〜?これからだって〜。」
すっかり日が沈み、空は星々の輝く黒に覆われていた。エレナスはいつものカウンター席に座り、クレアはその隣で微笑んでいた。
「エレナス兵長、明日もなさるんですか?」
「まぁな。少なくともアランが大会で恥かかねぇようになるまで叩き上げてやるつもりだ。」
ネネカの小さい声に、エレナスは真剣な眼差しの表面に笑みを浮かべて返した。階段の手摺りにもたれてタバコを吸うリュオンは煙を吐きながらカウンターを見ていた。
「……ところで、そいつらはここで働くことになったのか?」
「いや、いわゆる罰ゲームだ。」
「……あぁ…なるほど。」
リュオンはエレナスの声を聞くと、再び静かにタバコを吸い始めた。
「ちっくしょうっ………」
「アラン…皿……まだまだあるよ……」




