第一章 ⑧ ―初めての再会―
――止まっていた時間は動き出す。
そこにいた全員が目を閉じてしまうほどの光が収束し、その光源の失せた後に立つのは勇吹とリデラ。先程まで、状況を混乱という二文字と一緒に掻き混ぜた魔導書の姿は影も形もない。
勇吹は一メートルほど後ろに立つリデラに、背中を向けたままで声をかける。
「リデラさん、ダニエラさんを早く連れて行って」
顔を下に向け、長い前髪が風に揺れる。勇吹の様子は先程までとは違う。
それを感じ取れたのは、リデラとガントゥのみ。
「ああ」と神妙にリデラは短く返事をすれば、ダニエラの肩を抱えて、その場から離れていく。
通り過ぎて行く標的のことなど忘れて、嫌な汗を感じつつ、ガントゥは勇吹を見る
何かが違う、さっきまでとは何かが違うと。背中を向けたままで立つ勇吹は、堂々としていながら、どこか自然体だ。今この瞬間、自分に刃が向けられていることなど気にもしてないように。
ガントゥは自分の汗が顎に流れ落ちて、そこで初めて我に返った。離れていこうとするダニエラとリデラに刃先を向ける。
「お……おい! お前ら勝手に動くな!」
ガントゥはここで大きなミスをしていた。
得体の知れない相手が脅威として、そこにいるはずなのに、恐怖という分かりやすい感情に屈指、その矛先を弱い者達へと向けた。そして、それを勇吹は堪らなく嫌なことに思えた。
「――その二人に手を出すな」
勇吹はそこで初めて口を開いた。その一声は、重たい。声を向けられたガントゥは、その声に強引に振り向かされていることなど気づかぬ内に、ぎょろりぎょろりと大きな目が勇吹を捉える。
ガントゥは、つい数分前までただの少年だった存在に焦りを覚えた。
なんだこれは、どういうことだ。言葉にできない不安のままに、ガントゥは二人に向けていた剣を勇吹へと方向を変えた。
「なんだ、それは……!」
ガントゥの剣が震えた。それは、彼の恐れからくる振動。
勇吹の背後の影が揺れ、何かが動く。それは確実に色がつき、角ができ、物体の存在しなかった空間に一体の巨人を出現させる。
「ゼナイダ」
短く告げれば、勇吹を守護するように一体ロボット――魔導人己が肩膝を曲げた状態で現れた。まるで、勇吹に忠義を尽くすことを表明する騎士のようだった。
頭部は鋭く、真っ直ぐ伸びるそれは角のように。左右に大きく伸びた肩の装甲は、ありとあらゆる攻撃から防いでくれる盾のように頼もしい。膝を覆う装甲も太く厚い、戦い方次第ではそれすらも槌の代わりの武器になるのではないかとすら思わせる。
体を起こそうとすれば全身の鈍い白色に太陽の光を受けて、機体に陽を映す。そして、主の呼びかけに応えるように二つの目が青く輝けば、魔導書から魔導人己へと姿を変えたゼナイダが腰を上げた。
「い、いつの間に、魔導人己を……!? ど、どこから、出したのだ!?」
勇吹が振り返り、ガントゥを糾弾するように睨み付ける。
「お前に答えてやる義理はない。これ以上、怖い思いをしたくないのなら、早くここから出て行け」
ガントゥは悔しそうに顔をしかめる。
いくらガントゥといえど、戦力に圧倒的な差を感じていた。自分の魔導人己があれば別だったが、突然目の前に出現させる芸当など普通ならばできるわけがない。しかし、それを目の前の少年はやってみせた。未知の出来事に、ガントゥの心は激しく騒ぐ。
プライドの高いガントゥは、声を荒げた。
「ふ、ふざけおって……貧乏人共が、どこで魔導人己など手に入れたか知らんが……私に刃を向けることが、どういう意味になるか分かっておるのか!」
「どういう結果になったとしても、リデラさんは関係ない。全て俺の責任だ。やれるものなら、やってみろよ」
ガントゥは剣を下ろすことはなく、その刃を漂わせる。
雰囲気は一瞬即発、どのように事態が転んだとしても、誰も笑うものはいない。それを勇吹は知りつつも、ゼナイダによる威圧を止めない。
その時、睨み合う両者の間を二つの影が横切った。
影の一つはスカートを舞い、また一つの影は歯茎を見せるほどの大きな笑顔を浮かべていた。
「はーい! ストップストップ!」
大声で手を叩いてみせる影の一つは少女、ツインテールが特徴的でパッチリとした目は顔を可愛らしく見せる。
ストライプ柄のリボンに、濃紺のジャケット、はためくミニスカートからはすらりとした華奢な足が見える。その姿には見覚えがあり、それは懐かしさを思い出させた。
「そ、その制服は……」
驚きの声を漏らすのは勇吹。だが、驚くのは勇吹だけではない。
「何故こんなところへ……!?」
いくつもの感情の入り混じったガントゥの声。
互いに違う驚きではあるのだが、予期せぬ来訪者というのは間違いはなかった。
「ガントゥ、これはどういうことか説明してくださるかしら」
高圧的な少女の一言にガントゥは顔をしかめた。
「……これは粛清だ。我が騎士としての誇りを我が国を穢された、裁きを行っていたのだ」
簡単に、人を殺すことを裁きと言ってしまうガントゥに怒りが湧く勇吹。
少女の登場により我慢していたものが溢れそうになったその時、少女の隣に立つ少年が振り返れば、勇吹に笑いかける。それは、「安心してくれ」そういう顔をしていた。
邪気を感じさせないその顔に、毒気を抜かれた勇吹は、視線を少女に向ける。ガントゥと向き合い背中を向けているので、顔は見ることができない。しかし、その仕草やその後姿に該当する人は一人しか知らない。
勇吹にとっては例えどんな再会だとしても、今にも涙が出そうなぐらい嬉しい状況であった。しかし、ここはあえて黙っておくことにした。
二本の分かれた髪が右に左に動く。少女が呆れ顔で何度も首を横に振っていた。
「困った人ね、ガントゥ。数十年も仕えた騎士が、こんなところで刃を抜き、鼻に額に汗を溜めている。……ねえ、自分の姿を滑稽だと思わない? 私は、おかしくて笑っちゃいそうよ」
唇に指を当てて、神経を逆撫でするような笑みをみせる少女。
ガントゥは怒りで顔を赤くして返答をする。
「こ、小娘が! いくら、特例で王に気に入られ”魔導師”になったとしても、俺を馬鹿にすることは許さん!」
「――事実、私が貴方よりも上よ。力も権限も」
鋭く睨みつける少女。この威圧感、それは勇吹が魔導人己を発現させた時にまとったものと同類。
魔導書の力を発動している影響で神経が敏感になっている勇吹には視認することができた。隣にいた少年は消え、少女の背後には薄く透明のように巨人の影がそこに見えた。
ガントゥにもそれが見えているのだろう。親の仇でも見るような目で少女の背後を見ていた。
「ならば、騎士に一度抜いた剣に血を吸わせることもなく、鞘に納めろというのか!」
うーん、と少し考えるように少女は顎に手を当てる。
「……貴方の価値観について小一時間問い詰めたいところだけど、やめとくわ。でも、これだけ騒ぎが大きくなって、まんまと逃げるようなら笑いものは確実よね。――それなら、一つだけ機会をあげる」
「なに……」
ガントゥの淀んだ目が少女を見る。
十五、六の少女ならば思わず顔を逸らしてしまうような、大人の男の嫉妬の含んだ目。それを薄笑いで返す少女。
「私が国王にお願いしたことなんだけど、魔導人己を使っての闘技大会を行おうと思うの。そこで、優勝したものは、国王から賞金と名誉をいただける。そこに、参加してみない? これほどまでに、今の貴方とっておいしい話……失礼、実力を発揮できる場はないんじゃないかしら」
ガントゥの目に欲望と言う名の光が宿る。
「お、おぉぉ……」
嬉しそうに声を漏らすガントゥ。
少女……杜若虹星の挑むような目が勇吹を見る。そんな風に見られるのも久しぶりだな、なんて思いながら見返す。
「ねえ、貴方も参加するでしょう。ここでなら、思う存分にこの男と戦うことができる。二人とも、互いに手を取り合う理由はなくても、刃を向け合う理由なら山ほどあるわよね」
虹星の目は、勇吹とガントゥの間を行ったり来たりする。
自然と勇吹の目とガントゥの目は交錯する。
「ああ、俺はどうしても、このおっさんを一発ぶん殴らないと気がすまないからな」
「ほざけ、小僧が。穢れた種族を匿うということが、どのようなことか教えてややろう」
穢れた種族、その言葉がリデラを汚す言葉。今ここで殴ろうかと腕に力が入る。それを察したかのように、勇吹の前に虹星が背を向けて立つ。
「それなら、二人とも参加するのよ。大会は六日後、男二人で一にも二にもならない戦いをするぐらいだったら、観衆の前で醜さと高潔さをぶつけ合いなさい」
勇吹が強く頷けば、ガントゥは鼻を鳴らした。
「おっさん、俺に負けたら……リデラさんに謝れよ」
「ふん、ならお前が負けたら、お前とダークエルフの命を俺の自由にさせろ。若い男なら、いろいろと使い道があるからな。一応、あの女も人間の体をしているからな、喜ぶ奴はそれなりにいるだろう」
「……ゲス野郎が」
吐き捨てるように勇吹が言う。
「今のうちに好きに呼べ。どちらにしても、お前が負ければ、満足に喋ることもできなくなるのだからな」
不満そうに言えば、ガントゥ大股歩きでそこから背中を向けて歩き出した。
ガントゥの姿が見えなくなるまで睨みつけていた勇吹は、その視線を虹星に向けた。そこに敵意はなく、いつも通りの彼で自然に笑いかける勇吹。
「えと、一応……虹星のおかげで、助かったてことでいいのかな」
虹星は振り返れば、勇吹に年相応の表情で笑いかけた。
「そうよ、感謝しなさい。遅れたけど――久しぶり、勇吹」
「なんかそっちも、いろいろあったみたいだけど……。とりあえず、久しぶり」
そうして、互いに笑い合う。心の底から嬉しく。
杜若虹星。勇吹が探していた班のメンバーの一人である。
笑いが止まれば、虹星はそっと勇吹の足元を指差した。
「それより、その子……大丈夫なの?」
「へ? その子?」
そう言われて、指の先を目で追いかける。そこは、自分の足元。――一人の少女が青白い顔をして目を閉じていた。
外見年齢は勇吹よりも、一つほど下になるだろう。長い長い水色の髪は、天女の羽衣のように綺麗で繊細。長いまつ毛と、白い肌はまるで人形のようにも見える。このあまりにもよく出来すぎた顔は、一つの芸術品のようで、見ているだけで心惑わされるような可憐さがその顔には存在した。
なにより最も勇吹が驚いたことがある。それは、少女の格好。――セーラー服を着ていることだ。水兵さんという意味ではなく、あの女子高生が着ているようなやつだ。
袖と襟にラインが入り、濃紺色のプリーツスカート。白いニーソックスだけは、とても今風に見えるというか、そのテのお店のコスプレにも見えた。
「……どうだろう?」
よく分からず、とりあえず目の前の虹星を見てみる。
なんとなく倒れている少女とは初めて会った気はしないが、どうしていいか分からない。
虹星は困っている勇吹を見て、肩をすくませた。
「もうちゃんとしてよね。――その子、貴方の魔導書でしょ?」
「ああ、そうだそうだ、どこかで見たと思ったら俺の魔どう――えぇ!?」
(でも、魔導書て本のはずだろ……!?)
「理解できないって顔ね。私もその気持ち、それなりに分かるわ。私の隣にいた彼も魔導書シュナイト。……まあつまり、そういうものよ」
勇吹は事実に気づき、虹星の顔を見る。
自分も最初は驚いたのだろうか、言葉を濁すような言い方に誰かを騙すような様子は感じられない。そもそも、虹星がこの状況で嘘をつくような人間とは思えなかった。
それに、虹星の隣にいた少年は、魔導人己を出す時には姿を消した。魔導書が人の姿になり、魔導人己になるというなら、その疑問も解決する。無意識に思い当たるところもあれば、状況が揃い過ぎていた。
(魔導書が魔導人己になるとは思っていたけど、まさか、そこに人型を挟むとは……)
改めて状況を理解した勇吹は、頬を搔けば、その体を抱きかかえるために手を伸ばした。