第一章 ⑤ ―魔導書降臨―
――カッ。と、光が走った。
ガントゥとリデラの間に割って入るように飛び込んできた光。その光は、ふわふわと人の頭程の大きさの蛍のように宙に浮いている。
振り上げた剣をガントゥは引き、状況を把握できないリデラはぼんやりと光を見つめた。
「な、なんだ……」
狼狽するガントゥは、その光を凝視する。
リデラも同じくその光の正体が分からないようで、しばし光を見つめては勇吹にその目を向ける。
もちろん、勇吹にもその光の正体は分からない。いやいや、首を横に振りリデラを見返す。
ただの光かと思いきや、その光の眩しさは淡いものに変わっていく。光の球体の中には、一冊の本が浮かんでいた。
(あれは、レイラさんから貰った本……!?)
そこに漂うのは勇吹がレイラから譲り受けた埃臭い本だった。
「なぜ、魔導書がこんなところに……」
魔導書は、強大な力を持つ。騎士であり、魔導人己を扱う一人であるガントゥの脳裏に、昔話で聞いたそんな言葉が横切る。
明らかに自分の許容を超越する力を前にしながら、ほぼ無意識下に、力を欲するガントゥは、その手を魔導書に伸ばす。
「や、やばいぞ!」
一人慌てだす勇吹。
「無駄だ」
落ち着きを取り戻したリデラは呟いた。
「ちっ……なんだ、これは!」
ガントゥは魔導書の球体に触れた瞬間、光が弾けた。小さな電撃が走ったかと思えば、ガントゥの指先は火傷でもしたように赤く変色している。
リデラは落ち着きは取り戻したものの、魔導書から目を逸らさずに言葉を続ける。
「魔導書は、騎士程度のただの一般人には触れないさ。魔力を持ち続けている限りな。……だが、何でここに……まさか、主人が近くに……!?」
リデラが周辺を見れば、混乱で既に人のいなくなった通り。そして、ここに残されたのはリデラとガントゥ、そして――勇吹。
「お、俺?」
勇吹が自分の人差し指を己に向ける。
ぎりぎりとぜんまい仕掛けの人形のようなゆっくりとした動作で首を動かせば、リデラは勇吹を得体の知れない生き物を見るような目で見た。
どうすればいいのだろうか、と。こめかえみをトントンと指で叩き、思考を行う。
これはある意味では、運命なのかもしれない。しかし、こんな運命認めていいのだろうか。いやいや、それ以前にこれは間違いなのかもしれない。まさか、こんな男が……。
リデラは、もしも魔導書ならコイツを選ばないだろうと思う。
すけべで変態で、自分とリデラの下着をハンカチ代わりに使おうとしていたことがあるド変態だ。こんな男に良いところなんて……。
――ふざけんな! この人を殺していい理由なんてないだろ!?
つい数分前の出来事。それでも、誰かのために命を張ろうとする男がいた。出会って一週間程度だというのに、刃物を持つ人間へと馬鹿正直に向かっていく素直さ。
選ばれた理由は分からないが、誰かを信じる理由なんて一つあれば十分だとリデラは、柄にもなくそう思った。
リデラは勇吹を見据えた。
「生き延びるためには、やるしかないか! ――魔導書、こいつがお前のマスターだ!」
大振りな動作でリデラは勇吹を指差した。
勇吹は直感的に嫌な未来が脳裏を過ぎった。とりあえず、ダニエラをなるべく刺激しないように優しく地面に寝かせる。思った以上に呼吸がちゃんとしていることに安心しつつ、腰を上げた。
魔導書へと視線を戻した勇吹の目には、明らかな魔導書の異常が伺えた。魔導書に地震でも起きたかのように、激しく左右に振動している。その直後、再び光の球体に変化すると一直線に勇吹の元へと飛んでいく。
その向かってくるスピードに勇吹は、元の世界にいた時に近所にあったバッティングセンターを思い出していた。
(七十……八十……もっとか!?)
分厚い辞書がまっすぐに恐ろしい速さで向かってくる。勇吹はこの状況を運命とか考える前に、現実的な危険性を考えてしまった。
心臓が縮み上がるようなスピードでやってくる魔導書から――。
「――あぶねえ!」
地面を転がり、勇吹はそれを寸前で回避する。
「回避すんなよ!?」
初めてリデラが、ツッコミらしいツッコミを入れたことに勇吹は内心嬉しく思いつつ、Uターンして戻ってくる魔導書から背中を反り回避。
「うおわ!?」
「ま、また避けたのか……。空気を読め!」
――ヒュン!
殺人的なスピードで向かってくる魔導書をサイドステップで避ける。
「空気読んだら死ぬだろ!?」
――ヒュン!
回避。
「安心しろ、悪いようにはしない! 私を信じろ!」
――ヒュン! 勇吹の足元を潜り抜けていく魔導書。
今度はジャンプ、例のごとく回避。
「嘘だ! そういって、助かった覚えはない!」
「それは、お前の自業自得が原因だからだろ!」
それからまた、二度三度回避を繰り返す。
「ふ、二人とも……遊んでないよね……」
そして、たまにダニエラの声が二人の間に聞こえる。
残されたガントゥ達も、どうすることもできずに、ただ呆けた顔でその光景を見ていた。
それからまた数度の回避の後、魔導書は宙に漂ったままで動きを停止した。
『はぁ……はぁ……』
何の声かと思えば、魔導書から何故か荒い息が聞こえる。
「魔導書、疲れてないか?」
勇吹が指差して言えば、魔導書の代弁者のようにリデラが声を荒げた。
「――お前のせいだろ!? ……くそ、不本意だが!」
リデラが疾走し、勇吹の背後に回りこんだ。
「しまった!?」
勇吹の脇からリデラは両腕を出した。後ろから羽交い絞めにして、勇吹の動きを封じた。
「やれ! 魔導書!」
まるで昔からの相棒のように魔導書に声を飛ばすリデラ。
よほど疲れたのか、呼びかけに答えようとするが、よろよろと宙を進む。
(くそ、こんなに密着されたら動くことが……密着?)
勇吹はふと冷静になり、自分の状況を考える。
これはリデラに背後から抱きしめられているのと同義じゃないのか?
あえて意識して、背中を動かす。
「んぅ……! ジタバタするな!」
甘いが耳元に届き、勇吹はなおもカサカサと胴体を動かす。勇吹の動く理由はそれだけではない、
――ふにょん。
脳みそがとろけそうな絶妙な感触。そう、リデラのふくよかな胸が背中に押し付けられているのだ。
(な、なんて、甘美な温もり……あ……ぁ……ああ!)
「うっ……うごく……な! ばかがぁ……!」
身をよじるのは勇吹だけでなくリデラも一緒のようで、背中に全神経を向ける。
「ああ――! さいこおぉぉぉぉ――!」
『……』
魔導書は、変質者としか思えない痴態を晒す主を見て動きを停止していた。
その背後に立つリデラが、ギロリと鋭い視線を飛ばす。
「魔導書」
地獄の底から聞こえる声というのは、こういうものだろうか。などと魔導書は、生まれて初めての声による恐怖を感じながら、光の玉を増大させながら大急ぎで、今までの最速スピードで勇吹に突っ込んでいった。
「うひゃほおぉぉぉ――!」
そこにいた誰もが考えていたよりも長い時間をかけて、魔導書は本来の目的を達成する。勇吹、リデラの両者は眩い光の中に飲み込まれると同時に、周辺を全て塗り潰してしまうほどの光が覆った。