最終章 ② ―魔導書ちゃんとチューしたい―
勇吹とゼナイダは、ある目的のために旅をすることを決めた。
一つは、ゼナイダの体を魔導書から元に戻すため。
そして、もう一つは元の世界に戻る方法を探すためだ。
元の世界に戻るだけでは、イレシオン王の力を借りれば不可能ではないらしい。しかし、飛ばされた状況が状況だけに、確実に無事に戻るかどうかも怪しい。そのため、ゼナイダを人間に戻すための方法を探すと一緒に、安全な元の世界への切符を探すというわけだ。
虹星達やレイラを含めたカモミールのみんなも最初は動揺していたが、事情を聞いていく内に納得したようだった。
半壊したカモミールは、イレシオン王が腕の良い大工をようしてくれたようで、テキパキと作業は進む。お金のことは気にしなくていいらしく、全てこっそりとイレシオン王が出してくれるようことで金銭面については心配する必要はなさそうだ。前よりも大きくなる予定の、カモミールにコゼットは小躍りしている様子で順風満帆だった。
早朝。長い夜が終わりやっと空に太陽が顔を出す、そんな時間。薄青い光の中、道を歩く影が二つ。
どんどんと元の形を取り戻していくカモミールを横目に、目指す先は街の出口。
「馬車を使わなくても良かったのですか?」
ランドセルほどのサイズのリュックサックを背負いながらゼナイダは、横の勇吹に問いかけた。
「ああ、せっかくだから街を見て回ろうと思ってな。しばらくは帰れなくなるし、最後に見て行きたいんだ」
「なるほど」
一度、足を止めたゼナイダも小さく笑えば、勇吹の後を追う。
歩幅を合わせながら、ゼナイダは勇吹に再び問う。
「ご主人様、出てくる時はみんなに言ってこなくて良かったのですか?」
勇吹は自分の背負った大き目のリュックを抱え直した。
「いいさ、たくさんお礼も言ったし、昨日の夜は大騒ぎしたからみんなもまだ寝ているだろう。それに、挨拶なんてしていたら、余計に寂しくなっちまう。……そう言う、ゼナイダも同じ気持ちなんじゃないか?」
ゼナイダは頬を赤く染めて、顔を横に逸らした。
「……否定はしないですの」
恥ずかしそうなその姿が何だか嬉しく、勇吹はゼナイダの頭を撫でる。
ゼナイダも緊張しているのか、珍しく彼女から話題を多く振ってくる。そして、再び口を開いた。
「でも、本当に良かったのですの?」
「なにがだ?」
足を止めたゼナイダ、数歩先を歩いていた勇吹は足を止めた。
言いにくそうにゼナイダは、一度口をつぐむ。小さく呼吸をするように開いた口から漏れるのは、吐息にも似た声。
「ボクのために旅をするなんて、本当にそれで良かったのかと聞いているのです。このまま、元の世界に虹星さんと戻ることもできるのに、わざわざボクを人間に戻すために世界を旅するなんて……」
「一緒に来たんだから、帰るときも一緒がいいだろ」
おかしなことを言っているのはお前だ、とばかりの不思議そうな口調の勇吹。
ゼナイダは、不満そうに頬を膨らませた。
「ボクのために、また犠牲になるのはおかしいと言っているのですよ!」
ゼナイダよりも先に前に進んでいた勇吹は、そこで足をピタリと止めた。後ろに立つゼナイダは、小さな二つの拳をぎゅっと握り締めて勇吹を睨みつける。
勇吹は一度、言葉に詰まり視線を足元に置いた。
「犠牲になるとか、そんな偉そうなことを言うつもりはない。俺は俺のやりたいことをするだけさ。……それに、いい加減分かっているだろ。このまま帰るほど聞き分けのいい奴じゃないってさ」
顔を上げて勇吹はゼナイダに微笑みかける。そこに戦う時のような強い意志などはなく、ただそれが当たり前のように彼の口が告げる。
「やっと、悲劇をくい止めたのです! もしかたら、あの時以上の悲劇が起こるかもしれない。この世界で、そんなことになったらボクはもう――!」
「ゼナイダ」、そう名前を呼びかける勇吹。ゼナイダはふと顔を上げると、目の前に立つのは穏やかな笑顔のままの彼。
「悲劇は止めることができた。それなら、喜劇を目指してみようぜ。俺達の物語が、妥協して終わるなんてつまらないよ。悲劇を壊すことができたなら、喜劇ぐらい作り出すこともできるさ」
勇吹の右手がゼナイダの左手を包み込んだ。ここにある確かな温もりに目を細めたゼナイダの頬を涙が流れた。
「ほんとに……ご主人様はバカですの」
「よく言われるよ」
ゼナイダは、彼の笑顔に対して泣き笑いで答えるのが精一杯だった。
※
街の出入り口となる門の前に到着した勇吹は驚きの声を上げた。
「――な、なんで、みんながここにいるんだよ!?」
大きな門の中央には、リデラ、リーシャ、虹星、シュナイト、コゼットが立っていた。
勇吹は何度も瞬きを行いながら、記憶を探る。
あの記憶の中で、みんなは確かに寝ていた。それはもうぐっすりと、起こさないように出てきたつもりだ。それなのに――。いや、それに何で彼らの方が到着したいるのが早いのか!?
勇吹の悩みにいち早く気づいた虹星は、やれやれ仕方ないと口を開く。
「アンタが何を考えているかなんて、すぐに分かるの。あ、ちなみに、私も王様から許可貰ったから。……後、前も利用したけど、私て馬車をいつでも使えるのよ」
「そ、そうですか……」
「それに、二人だけで旅なんて私が許さないわよ」
ボソボソと蚊の飛ぶような声で虹星は本音を漏らす。
「え、何か言ったか?」
「なんでもないわよ!」
顔を赤くしながら虹星が怒れば、勇吹の両脇にはいつの間にかリデラとコゼットが。
「さあ、イブキくん! 楽しい旅が始まるよ!」
コゼットはグイと勇吹の腕に自分の腕を絡ませてくる。
「ちょっと待って! これが、どういう旅か分かってるの!? 二人とも!」
リデラは、やたらと余裕を持った笑顔で笑う。
「無論だ。お前の世界の手がかりを探す旅であり、ゼナイダを救う旅だろ」
「危険かもしれないんだ! それに、お店はどうすんの!? あのお店て大切なものじゃないの!?」
心の底から心配して、勇吹は二人にくってかかる。
コゼットはエヘンと胸を張った。
「お店が直るまでにはしばらく時間かかるし、それにお父さんとお母さんも旅をしているから、もしかしたら会えるかもしれないし……ね!」
「ね! って言われても……。それに、ご両親は存命だったのですね……」
両親から死の間際に託された店、などと勝手に考えていた勇吹は嬉しさ半分で渋々とコゼットの言葉に納得する。
リデラは勇吹の耳元に顔を寄せた。
「イブキ、イブキ」
「ん?」
勇吹は、内緒話をするように小声になるリデラに耳を傾けた。
「……気づいているかと思うが、私はその……お前を好ましく思う……。だからその、前向きにだな、この旅で私のことを検討しろ。虹星ほど口うるさくはしない、コゼットほどおせっかいはしない、ゼナイダ以上に男が好む体つきをしている。……わ、悪い話では……なかろう……?」
むちゃくちゃ顔を真っ赤にしながらリデラ。そんなに恥ずかしいなら、言わなければいいのに。なんて思いながらも、それを口にすることはできず、ただ引きつったわ笑いを浮かべる勇吹。
その様子に気づいた虹星は、大股歩きでずかずかと勇吹とリデラの寄せていた顔を掴む。
「く、くっつき過ぎじゃない! 少しは離れなさいよ!」
「いた、痛い! 虹星! いたたたたっ」
虹星の爪が顔に抉りこみ苦しむ勇吹。
「ぐぬぬぬぬ!」
逆に、ムキになって顔を勇吹に押し付けるリデラ。
その光景を慌てて止めようとしたシュナイトが、うっかりと虹星の胸に触れて殴られ、それを見たリーシャは飛び跳ねて笑う。
騒がしい光景を見ながらゼナイダは、既に完全に昇りつつある太陽の眩しさに目を細める。
この楽しく穏やかな時間の中、心の中で思うのだった。
――君達となら悲劇を喜劇に変えられる。
※
旅を始めてから、一週間ほど流れた。
時刻はお昼過ぎ、小高い丘の上。食事をとった各々は、自分達なりに時間を潰していた。
リデラはリーシャと近くを流れる川で遊び、虹星とシュナイトは周囲の探索、コゼットは何やら日持ちのする料理を作っていた。
大きな木の下にできた小さな木陰。そこに二人して座るのは、ゼナイダと勇吹。じんわりと熱くなる気温の中、頬を涼しげな風が流れた。
「ご主人様……いや、イブキくん。この旅に連れ出してくれてありがとうですの」
いつもより親しげな口調のゼナイダ。その鈴のような声を心地よく思いながら、勇吹は返事をする。
「どういたしまして、それなら良かったよ。……ま、一番俺が楽しいのかもしれないけどな」
「きっと、みんな楽しいのですよ。あ――あのですね……聞いてほしいことがあるのですが……旅に出た時から、イブキくんが何をしたら喜ぶかどうかを考えていたのです」
勇吹は、嬉しさ半分驚き半分で「へえ」と声を漏らした。
なにやらゼナイダはもじもじいじいじと近くに転がっていた木の枝を、引っ張ったりしている。そして、意を決したようにゼナイダは立ち上がると勇吹の前に立つ。その顔は、今まで見たことのないほどに焼けどしてしまいそうなほどに赤い。
「――ボ、ボクの……はじめてをもらってほしいですの……!」
しばらく勇吹の中で時間が停止した。
「イ、イブキくん?」
――そして、勇吹の中で時間が動き出す。
「い、いやいや、はじめてって、え、何を!? え!? あれかな、おつかいかな!? はじめてって言ったら、アレだよなうん!」
ゼナイダは持っていた木の枝をぽとりと無造作に落とせば、両手を勇吹の両肩に乗せる。触れたところから、両者の激しい鼓動が互いに伝わる。
「いいえ、もっと身体的なものですの……」
「ぅえ!?」
みっともない声を上げる勇吹に、ゼナイダの顔が近づいていく。小さいながらぷっくりとした唇が、「いぶきくん」そう囁く。
なす術もなく、抗う方法も知らない勇吹の頬に温かな感触。――ゼナイダは勇吹の頬にキスをしたのだ。
「ゼ、ゼナイダ……」
そっと顔を離したゼナイダ。その紅潮した頬は、ゼナイダを艶やかな大人の女性に見せた。
(キスをした女の子てこういう顔をするんだな……)
などと考え、ぼんやりと見つめていた勇吹ははっと我に返る。
「な、なんで、俺に、ちゅ、チューを……」
それから先のことを考えていなかったのか、ゼナイダは顔を赤くしたままで視線を右に左に上に下に動かして何やら考えている様子だった。そして、やっと勇吹と目を合わせる。
「……すけべなイブキくんへの、感謝の気持ちですの」
「お、俺がすけべだから、か……」
ゼナイダの心中には、全く別の感情があるのだが、勇吹はそのままの意味で受け取ってしまう。
勇吹はお礼でキスしたのなら、申し訳ないな。と失礼なことを考えて、そっと口を開いた。
「えと……あれだ、きっとほっぺたならノーカウントだ。だから、今のゼナイダのはじめてじゃない。……口と口でするチューだけが、たぶんはじめてのやつになる。だから、その口と口のはじめては、本当に好きな人とする時まで持っておきなさい! うん、間違いない。それがいいに決まっている」
勇吹は、一人でうんうんうんと何度も頷いた。
それを黙って見ていたゼナイダは、最初は怒ったように目を鋭くさせたが、しばらくして肩に入った力を抜く。そして、諦めたように息を吐いた。
「――ええ、そうするですの。じゃあ人間に戻れたときに、本当に好きな人とチューをするのです」
柔らかな髪を宙にふわりと浮かせ、ゼナイダは赤さの抜けない頬で笑った。
勇吹は、心の中で思うのだった。
――ああ、俺はゼナイダと――。
完