第六章 ① ―彼の記憶―
時間を逆行し、ソウマが暴走をする少し前。しかし、リデラが戦場に向かった後のこと。
その頃、勇吹の意識はまだ闇の中にいた。
深く暗い闇の中、異世界にやってきたときに受けた衝撃と似たショックを受けていた。そして、その結果、眠っていたはずの記憶がゆっくりと覚醒をする。
これは、彼がこの世界に来る前の元の世界での記憶の話。
※
情緒溢れる風景と近代文化が融合した街、外国から見た日本のイメージともいえる土地、京都。
観光地のすぐ脇の路地で、一人の女子生徒に怒られている男子生徒がいた。それは、虹星と勇吹である。
「もう、勇吹のせいで他の人達と離れちゃったじゃない!」
勇吹は腰に手を当てて曲げる虹星の顔を見て、申し訳なさそうに苦笑いを浮かべた。
「ごめん。まあでもさ……別行動していいてみんなも言ってくれたんだし。いいじゃんか」
「そんなことばかり言って……。自由行動だから、別にいいのかもしれないけど、こう見えても私が班長なんだからね」
正直、虹星には義務感というものがあったが、勇吹を気になっているというのが周囲にモロにバレている虹星からすれば嬉しい話である。しかし、この状況は何か作為的なものを感じていた。どうやら、他のメンバー達が余計な気を遣ったようだが。
「お詫びに何かうまい物をおごるからさ。その辺で許してくれよ」
両手を合わせて頭を下げつつ勇吹が言えば、虹星は根負けしたように吹きだす。
「……しょうがないわね、おいしくなかったら承知しないんだから」
「ありがとよ。こう見えても、全力で楽しむためにいろいろ調べてきてるんだ。楽しみにしといてくれ」
そんな時、どこか遠くか近くか判断のつかないような距離。微かな声が、勇吹の鼓膜をノックした。
「――!」
さあ、歩き出そうとしていた虹星が連れである勇吹の足が動いていないことに気づき、同じく足を止めて顔を覗きこむ。
「ん? どうしたの勇吹」
「……なあ、虹星。声が聞こえなかったか?」
「声? ……ていうか、声だらけなんだけど」
観光地は近くにあり、すぐそばには何十メートルと土産物を扱う店が並ぶ。表で店員が出てきている店もあれば、別の高校の生徒達がガヤガヤと列を作っている。あまりに多過ぎる声の中で、勇吹が感じたものはしっかりとした助けを求めるものだった。
「なんていうか、気になるんだ。ちょっと、行ってくる」
今一度、声がした方向を探そうと周囲を窺う。しかし、それが聞こえる様子はない。確かに聞こえたそれを頼りに、勇吹は駆け出した。
「あ、待ちなさいよ! 勇吹!」
勇吹の背中を追いかけて、雑踏の中へと遅れて虹星も走り出した。
※
路地の中を、障害物のように通路に突き出した排水管にぶつかり顔を歪めて走り、ゴミ箱や数センチ高くなったマンホールに躓きそうになりながら、少女は走っていた。その額には汗が浮かび、その表情には悲しみ苦しみ辛さ、様々な負の感情が浮かんでいる。その後ろを、一言も言葉を口にすることなく、セーラー服の少女の姿を追いかける影が一つ。
「誰か……! 助けて……!」
はぁはぁ、と荒い息のままで少女が路地を抜ける。そこに広がるのは、開かれた景色。明るい日差しに目を細める。周囲は大勢の人間が行き来する大きな通りで、すぐそこには道路もあり車が忙しなく走る。
「ここまで来たら……」
振り返る。しかし、むしろ彼はゆっくりゆっくりとその姿を日の下に現す。
「もう、逃がしはしないよ」
じわじわと二人の距離が縮み、それに合わせてセーラー服の少女も道路側に追い詰められるように後退していく。
「なんで、こんなことばかりするの……!? ソウマくん!」
そこには、痩せ型の一人の少年。少女とは反対に肩で息をすることもなく笑うソウマの姿があった。
「言ったはずだろ。僕は君のことを愛しているんだ。どうして、僕の愛を受け止めてくれない!?」
ソウマはよろよろと両手を少女へと伸ばす。
怯えた表情で少女が足を退く。しかし、そこで予想外の事態が起きた。
突然、足に感覚がなくなり、すっと体が車道側へと傾いていく。背後へ後退し過ぎていた少女は、道路の境目の段差に気づくこともできずに背後へとその体を傾いていく。――少女の後方、それは車の行き交う道路。
「あぁ!」
少女は助けを求めるように手を伸ばす。一度、視界に映ったソウマは、口をあんぐりと開けて、こちらを見ていた。
自分の最後がこんなことになるのかという悲しさと、もっとちゃんと彼と向き合えば良かったという後悔。大型のトラックが自分の存在を知らせるためにライトを点灯しクラクションを鳴らすが、今の少女は傾いているだけだ。最後の光景が、これなのかと少女が残念な気持ちになった瞬間――。
「あぶねえ!」
少女の伸ばした右手が温かな温もりに包まれた。そのまま、強く握られたかと思えば半身がさらに温かなものに包まれた。そして、背後に倒れこもうとしていた体は前のめりに傾いていく。
「ちょ、ちょっと二人とも大丈夫!?」
駆け寄ってくる声に目を向ければ、活発そうな見たこともない制服の女子生徒。そして、自分を包む温もりの正体を見るために、そっと顔を上げた。
「大丈夫か。どこか怪我はしてない?」
へへへっ、と子供のような無邪気な笑顔で笑いかける男子生徒。その制服も見たことはなかったが、何故だかその顔から目を逸らすことはできなくなっていた。それを言葉にすることはできないものの、そこに運命を感じさせた。
そっと顔を横に向ければ、そこにソウマはいない。大型のトラックがクラクションと共に背後を通り過ぎる音を耳にすれば、自分が彼に助けてもらったことに安心と嬉しさが込み上げて来る。
「あ、あの、ありがとう……ありがとう……ございます……!」
少年――勇吹が歯茎を見せて笑えば、「安心してくれ」と礼を言う少女の頭に手を置いた。その直後、勇吹の頬が横方向に伸びる。何が起きたかと少女は驚きはしたが、少年の隣の少女――虹星が、勇吹の頬をおもいきりつねっていた。
「……勇吹、いつまで抱きついているのよ。そこまでにしときなさい、それ以上くっついていたら下心になるでしょう。アンタの場合」
「い、いや、やっぱりもう少し密着して、無事を確認しようかなとっ」
「勇吹」
じろりと虹星に視線で射抜かれる勇吹。うっ、と一度息を詰まらせて、渋々という感じに受け止めるために尻をついていた体を少女のを起こしつつ立ち上がる。
「ま、まったく、酷い言いがかりだな」
視線を泳がせつつ言う勇吹に説得力はないが、助けた少女は二重の意味で無事に立ち上がれば二人が気を使って冗談を言っているのだと解釈し口に手を当てて笑う。
「それにしても、体調でも悪かったのか。道路に倒れこむなんて……いてて」
泥を払おうとした勇吹の手の甲を虹星がつねり、代わりに虹星が埃を払う。
少女はスカートの裾をぎゅうと両手で掴めば、視線を逸らした。勇吹達を警戒しているというより、何か言い難そうにしている姿に勇吹と虹星は視線を交差させた。
虹星の「どうしようか?」という意味の視線を受ければ、正直、どうしたらいいか勇吹には分からない。このまま、何も聞かずに帰すというには、少女の表情から察しても良くないものに思えた。
勇吹は何か良い案がないかと、顔を上げれば大きな公園が目に止まる。その視界の隅に、四、五名が腰掛けられるほどの大きな長方形の椅子、さらに奥に茶店が見えた。
「なあ、だったらちょっとあそこで休もうぜ。ちょうど小腹が空いてたし、人助けのお礼に何かおごるよ」
無遠慮に少女の手首を掴めば、勇吹は歩き出す。自分よりも大きな背中に、慌てて声をかける。
「そ、それって、理屈おかしくないですかっ? 普通は、私がお金を出すものですよっ」
「え、そう? まあいいじゃん、俺が楽しいし」
顔を向けることもなく、グイグイとその手を引っ張りながら公園へと向かう。その後ろを手のかかる子供を見る母親のような目で虹星が見れば、その表情を楽しげなものに変えると二人を追いかけて歩き出した。
「ボクはどうすればいいのですか……」
困ったようだが、少しだけ弾んだ心で少女は呟くのだった。