第五章 ② ―女達の戦い②―
虹星達が病室から出て行ってから、一時間ほど経過した。
リデラとリーシャは、勇吹とゼナイダの眠る病室に残されていた。
リデラは勇吹のベッドの横の椅子に座り、リーシャはゼナイダの横の椅子に座る。ふとリデラは、今の時間が深夜の類に入っていることに気づき、リーシャに声をかけた。
「そろそろ、眠ったらどうだ。二人の様子は私が見ておくぞ」
うとうとと頭がぐらついていたリーシャは、慌てて顔を上げた。
「にゃにゃ!? だ、大丈夫! ……これぐらいしたいにゃ」
あまりに必死そうに言うので、リデラは「そうか」とだけ返事をして勇吹の顔に目を向けた。勇吹の口元から、小さな呼吸の音が聞こえる。少し前よりも、その呼吸のリズムは落ち着いているように思えた。それでも、リデラの心は落ち着くことはなく、ただただ悲しみに沈む。
「勇吹、私は……」
リデラは考える。
どうすれば、いいのだろうか。どうしたら、この状況を変えることができる。
今、まさに戦いに向かっている虹星やシュナイトだって、自分の中ではカモミールの一員として認めつつあった。
コゼットは、ダークエルフの自分を笑顔で受け入れてくれた大切な家族だ。そして、ゼナイダは自分にとってもかけがえのない存在だ。
勇吹は――おそらく、好きなのだろう。初めて誰かを好きになる。そんな感情を教えてくれて、そして、それが今も心の中で温かく息をしている。これは、理解のできない感情だったが、理解をしてからもずっと苦しくなる厄介なものだった。
「教えてくれよ、私にもっと……この気持ちを」
眠る勇吹の頬にリデラは手を添えた。
微かな熱を感じ、それだけで不安定な精神状態が落ち着いていくような気がした。
そこでまた、リデラは顔を歪める。
(どうして、こんな私が救われなければいけない! 本当に苦しいのは、私じゃないのに、またイブキに救いを求めているのか!?)
そっと勇吹の顔から手を離せば、ここまで自分という人間が弱いものだったのかと己の首を絞めたくなる。
どうしたらいい、どうしたらみんなを救うことができる。
再び思考は巡り、何度も同じところで自己嫌悪。しかし、今回はその思考は別の発想を起こそうとしていた。
リデラの目が前方のリーシャを捉えた。そして、ゼナイダの方に目がいく。今まで何で気づかなかったのか不思議だったように、ある可能性が頭に浮かぶ。
リデラは立ち上がるとリーシャの隣に立つ。
「リーシャ」
「にゃ?」
何度も目を擦ったせいで赤くなったその瞳がリデラを見る。
リデラは自分が選ぼうとしている道が、それはとても恐ろしい選択なのではないかとも思う。しかし、これが絶望をひっくり返すことができる唯一の方法だと考えるのは自分だけではないだろう。
リーシャは神妙な面持ちのリデラの顔をじっと見つめた。
「頼みがある。これは、リーシャにしか頼めないことなんだ。嫌なら断ってくれてもいい」
「どうしたかにゃ……?」
リデラは唾を飲み込み、喉の奥から声を絞り出す。
「――魔導人己としてのリーシャの力を貸してほしい」
「わかったにゃ」
「分かっている、リーシャは戦いたくないはずだ。それを強制的に私は……今なんて言ったんだ?」
「分かった、て言ったのにゃ」
リーシャは、それがどうしたと言わんばかりにニコニコとした笑顔でリデラを見つめていた。
リデラからしてみれば、それは驚くべきできごとだった。
自分が体を弄られて強制的に戦わされていた人間なら、再び武器を持って戦えと言われれば間違いなく拒否をしていた。
「し、しかし、私はリーシャを戦わせようとしているのだぞ。嫌じゃないのか、痛いかもしれないし傷つけたくない人も傷つけるるかもしれない。私がリーシャを間違った使い方をする可能性だってある。それなのに――」
「――だいじょうぶ。きっと、リデラはそんなことしない。きっと、リデラみたいな人と戦えるなら、むしろ幸せにゃぁ」
「リーシャ……」
「それに、もしも私がリデラと同じ立場なら同じことをしていたと思うにゃ。私は、私を助けてくれたお兄ちゃんやゼナイダを救いたい。まだ二人には、何一つ恩返しできていないし、お礼も言えてない。……この力が、誰かを……大切な人を救えるなら使っていきたいと思うにゃ!」
一生懸命に自分の気持ちを伝えるリーシャにリデラは心を打たれた。
誰かを救いたいと願う気持ちが、真っ直ぐにぶつけられる。リデラは、自分が憎しみのために力を手にして、それに溺れてしまうのではないかと心配していた。もしも、リーシャのここまで素直な感情ならば、そんな自分を受け入れ、そして受け止めてくれるのではないかと思えた。
リーシャの瞳は真っ直ぐに、リデラを見据えていた。
「もしも、私が間違った力の使い方をしようとしたなら、全力で止めてくれ」
リデラは穏やかな笑顔でリーシャに、その手を差し伸べた。
「にゃー」
リーシャは大きな目を糸のようにして笑えば、その手の上に自分の手を重ねた。
「一緒に助けに行くぞ。私達の前で、もう誰も傷つけさせない」
二人は互いの手を強く握り合った。
※
魔導人己シュナイトの左腕が宙を舞った。
「――くぅ!?」
回避することができずに腕を一つ犠牲にしたが、シュナイトは地面を転がり、ネクロから距離を離す。
コゼットを逃した後、レイラと協力して戦っているものの、事態が好転することはなかった。それどころか、どんどん状況が悪くなっている始末だ。そして、今もシュナイトの片腕を失い、追い詰められている。
ニールの放たれる砲弾をかいくぐり、ネクロはシュナイトを追い詰める。
『あら、片腕はどうしちゃったのかしら』
ネクロの嘲笑う声を耳にすると同時に、シュナイトはさらに後退する。
『いいのよ! その分、体が軽くなったわ!』
虚勢を張ってみても状況が覆ることはない。接近速攻で、決着を着ける戦い方が基本のシュナイトが後退している時点で敗北を色を濃くさせる。
『そうかい。なら、もっと軽くしても文句はないだろ』
ソウマの声が虹星に届くと同時に、そこからネクロの姿が消える。
次なる一撃が来る、そう考えた虹星はシュナイトにすぐさま防御を優先させる指示を与える。剣を機体に引き、周囲に意識を集中する。
次はどんな手で来るか。いや、この発想は自分の言い訳だ。作戦なんてなくても、ネクロの力はシュナイトやニールを圧倒していた。
感覚が長い。攻撃が来るなら、既に今の時間で二撃はきていたはずだ。……そのはずなのに。――虹星は自分の選択が間違いだらけであることに気づいた。
『しまった……!?』
『きゃぁ――!?』
予想しかけていた方向から悲鳴が聞こえた。
シュナイトは慌てて声のした方向へと機体を向ければ、ネクロによって手に持っていた大砲を腕ごと貫かれたニールの姿があった。
ネクロは高く跳躍し、獲物に喰らいつく鷹のような高速移動でニールの腕を引き裂いたのだ。
いくら専門家が改良をしたとはいえ、魔導書でできた魔導人己ほど頑丈ではないニールは、その姿を横に傾ければ地上に倒れこんだ。大剣をまともに受けた右腕は、地面に転がれば炎を上げて爆散した。メラメラと燃える炎を背に、ネクロはニールの操縦席に自分の右足を乗せた。
ギチギチとニールの装甲が悲鳴を上げてれば、操縦席を凹ませていく。
『や、やめろ。せめて、レイラ様を逃がさせてくれ……』
魔導人己ニールの悲痛な声が響く。
『やめろ! 何をバカなことを言っている!?』
レイラは必死にニールに呼びかけるが、ニールは主の言葉に返事をすることはない。
『ねえ、こんなこと言っているけどぉ。どうする、ソウマァ?』
甘ったるい声でネクロがソウマに問いかける。
『別に僕はどうでもいい。だがまあ、勇吹に関わる奴が壊されるのが遅いか早いかの違いだ。どちらにしても、ここで逃がした後は全員破壊するだけだ』
レイラはニールから降りることはなく、操縦桿を握りネクロの足を掴んだ。
『つくづく、クソだね。同じ異世界人でも、ここまで違うなんて人種を疑っちまうよ。……アイツを殺したいなら、私の屍を越えな。だけど、その屍を越えた先にいるイブキは、アンタが思っている以上の強さを持っているよ』
魔導人己ネクロは、ニールの掴んでいた手を払う。そして、ソウマは鼻を鳴らして呟いた。
『やめなさい! そんなことしたら、アナタもう戻れなくなるわよ!』
虹星が必死に声を上げた。
『ほざけ、メスが』
虹星の声を無視して、ネクロの上がっていた足が、さらに大きく上がる。魔導書の力を持つネクロからしてみれば、操縦席を潰すなんて虫を殺すよりも簡単だった。
『次から……次に……』
ネクロの足が下りる。しかし、その先は操縦席はなく、何もない地面だ。そこに足跡を一つ残しながら、よろよろと二歩後退。
ガガガッ。何か板と板をぶつけ合わせたような三度の短い音。再び、ネクロは半歩そこから退いた。
ニールを庇うように、そこに降り立つのは一体の黒い影。ここが墓場だということも相まって、死者を霊界に連れて行く死神のようにも見える――人工魔導人己リーシャがいた。
リーシャの出現を知らせたように、ネクロの肩に二本、片足に一本の剣が突き刺さっていた。いずれも致命傷にはなっていないようで、攻撃を受けたことでグラつきはしても二本の足でしっかりと立っていた。
『リーシャ……? 一体、誰が乗っている……』
虹星が疑問の声を出すよりも早く、レイラが口にする。
ネクロを圧倒するように、リーシャは一歩踏み出した。マントが風に流れ、翼が飛翔するように上下する。
『コゼットも、イブキも、虹星もシュナイトもレイラさんニールも……私がみんな守る』
『リデラ!?』
虹星は操縦者がレイラであるということに驚くと同時に、覚悟を決めた彼女なら納得できる状況だった。
『ああ、あの時のダークエルフか。そいつ、どこに行ったかと思ったら、君のところにいたんだ』
リーシャを物としか見えていないソウマの言葉に、リデラは胸の奥から怒りの感情があふれ出していくのを感じる。
魔導人己リーシャの脇から、一本の剣が射出されれば、ネクロの足元に突き刺さる。
『黙れ、お前に他人を悪く言う資格はない。……覚悟しろ。そして、刻め。目の前で大切な者を傷つけられた人間たちの怒りを』
リーシャは両手を広げる。そして、マントの内部を全て埋め尽くしているのではないかと思うほどに、密集した剣の山が出現する。
『は、はは……ニセモノが、なにしてんのよ……』
その時のネクロの声は震えていた。その剣は、明らかに並の魔導人己が許容できる以上の魔力を持っていた。そして、その力は魔導書を凌駕しようとしていた。異変に気づいたソウマはネクロが怯えていることに気づき、すぐに鋭い声を発する。
『準備はしてきているようだな! ――ネクロ!』
ネクロはすぐさま地面に大剣を突きたてる。それを盾代わりにしようとしているようだった。しかし、限界まで魔力を溜めたリーシャ、全力で己の魔力を注ぎ込んでいるリデラからしてみれば紙で作った盾を思わせるほどに脆い防御に見えた。
『いっけえええぇぇぇ――!!!』
リーシャの何百という剣が、ネクロへ向けて一斉に射出された。――そして、ネクロの大剣が粉々に砕け散り、剣の突風の中にネクロの体が埋め尽くされた。