第五章 ② ―女達の戦い①―
都市の中心地から外れ、郊外に位置する墓地。現在の時間は、既に日付をまたごうとしており、怪談の一つでも生まれそうな雰囲気の中でこのような場所に寄り付く人間はいない。
濃い茶色の絵の具を塗り、そこに後からぽつぽつとねずみ色を付け足したように墓が並ぶ。
地表から突き出した墓は静かに立ち、規則正しく並んだ石でできたそれらはその場所をさらに不気味にさせる。そして、その墓地の暗闇の奥――ソウマと魔導書ネクロ。そして、両手を後ろに回され手首を縄で縛れたコゼットがいた。
三人の隣には、大木が一本。黒く長いカーテンのように、不揃いな形の枝が風に流れては揺れた。
ネクロは暇そうに大木に背中を預け、かかとを大木へトントンと当てては離してを繰り返す。
「ねえ、ソウマ。あの人達は来るかしら?」
自分の唇に細く白い指を這わせながらネクロは語りかける。
「一人の人間を助けるために、あれだけドタバタとしていた集団だ。来ない可能性の方が低いさ」
「それもそうね」
クスクスとネクロはソウマの言葉に愉快だと笑う。
二人がコゼットを連れて来てから、二時間ほど経過していた。その間もコゼットは喋ることはしなかったが、ここに来て初めてコゼットは声を出す。
「どうして、ここまでして……人を傷つけようとするの……?」
コゼットは戦う術もなければ、ネクロの前では赤子の手をひねるよりも脆弱な存在だ。しかし、コゼットはそれでも自分にできることはないかと探す。戦うことはできなくても、語り分かりあうことはできるのではないかと、彼女なりに戦ってみようかと思ったのだ。
ソウマの目がぎょろりと動く、コゼットは見たことのない光を感じさせない瞳に胸の中に冷気を注がれたような冷たさを感じた。
「君は知らないだろうが、僕は勇吹に愛した人を奪われ殺された。その彼が憎くて憎くて仕方ないのだ。君も一緒だろ? 大切な人を傷つけられたら、殺意を向けるしかないはずだ」
「イブキさんが……」
勇吹が人を殺した。しかも、目の前の男性の大切な人を。
少し前までのコゼットなら、必死なソウマの姿を見て、下手をすれば人質にされた状況でも助けてあげよう力になろうと思ったかもしれない。しかし、そう思うにはコゼットは勇吹という人物を知りすぎていた。
厚い雲にかかったようなソウマの瞳を見つめた。
「どうした、君のご友人が罪人だと知り驚きでもしたか」
怖い。だが、コゼットの中には珍しく怒りという感情が生まれていた――友を傷つけられた怒りが声を上げた。
「違います! イブキさんは、絶対にそんなことをしません! 貴方はきっと何か勘違いをしています! イブキさんは、確かにすけべで変態でおバカなところもあるけど、それでも当たり前以上に人の悲しみを自分のことのように悲しむことができて、話をしたこともない誰かのために命を懸けることのできる人です! ――キャ!」
ソウマは怒りのままにコゼットの頬を叩く。体勢を崩したコゼットは、そのまま顔から地面に倒れこむ。
「お前もイブキイブキイブキ……! やっぱりだ、アイツがいる限り僕に平穏は訪れない! イブキ、僕はお前を……!」
「ソウマ」
「……ネクロ」
ソウマは腰の辺りの温かさを感じて目を向ける。
ネクロがソウマの腰の辺りで両手を回して、腹の辺りに頭を押し付けている。
「そんな奴は、殺しちゃえばいいのよ。みんなみんな、イブキのことを良く言う奴はみーんな。だから、さ……私も一緒にいるから、もういいじゃない。ずっと、ソウマの側でソウマのためにソウマを愛して生きていくわ。私の愛は重く深い、ソウマと一緒。そんな私達が、運命を共にしている。貴方の悲しみは、そんな私達が出会い愛し合うための序章だったのよ」
「あぁ、愛しいネクロ。……そう言ってくれるのは、君だけだ」
怒りに染まっていた表情を崩し、頬を赤くしたソウマは膝を曲げればネクロの頬にキスをした。そして、そのお返しだとネクロもソウマの頬に口付けを返す。
コゼットの目から見てもその光景は異常だった。二人は、魔導書の力を持ちながら己の欲求のためだけに力を使い、自分達さえ良ければどうでもいいと言う。二人の愛の形は、コゼットが思っている愛よりも、もっともっと重たくぬかるんだ地面のようだった。そして、二人はそのぬかるみを浴び求め受け止め続けることを喜びとしていた。
コゼットは、大木に体をもたれさせつつゆっくりと体を起こした。二人が、互いに夢中になっている隙に逃げれるのではないかとそろりそろりと慎重に歩き出す。
そんなコゼットの前に、すっと黒い影落ちた。
『どこへ行く? 用を足しにでも行くのか』
コゼットは胸の中に小人でも飼って、その小人達が暴れ回るような不自然な激しい鼓動を感じた。それこそ、いつかこの胸の音が大き過ぎて、小人達が腹の中から飛び出して来るのではないかと思うほどに。コゼットが顔を上げれば、魔導人己の姿となったネクロの姿がそこにはあった。
見上げれば、その姿に圧迫感を覚える。魔導人己となったゼナイダからも感じたことのない、嫌な感覚。体をえぐるような殺意を感じた。
「私を帰して……!」
『僕の立場で、帰す奴はどれだけ探しても出て来ないだろう。それに、何か勘違いしているようだけど、僕は君のことを誘拐することを目的じゃない。それに、ネクロのおかげで気づいたのさ。イブキの大切な存在を全て壊すことが、僕にとっては最良だと。だから、もうわざわざ来るのを待つような手間はしないさ。今から、君の命を初めに全てを破壊し尽くすよ。――それじゃ』
ネクロはコゼット一人を潰すには、大き過ぎる大剣を抱えれば、その刃の先をコゼットに向けた。
何も考える時間がないことに気づいたコゼットは、反射的に閉口し目をきつく閉じた。――激しい爆発音が轟き、コゼットの頬を熱風が叩いた。
「あ!?」
コゼットはその音に目を開いた。
ネクロの左半分が火を上げ、右半分が傾いていた。
『また、か。……壊し尽くすだけだから、関係ないけどさ』
ネクロはすぐさま体を起こし、爆発の原因となった方向を見る。そこには、轟砕爆裂銃を構えたニール。そして、剣を構えて突進してくる魔導人己シュナイトの姿があった。
『コゼット! 今の内にそこから早く逃げなさい!』
コゼットと立ち位置を入れ替わるように飛び込んだシュナイトが剣を振り上げて叩き落す。しかし、それは先を読まれていたかのように、ネクロに受け止められる。衝撃の余波を受け、地面に二転三転しつつもコゼットは墓地の出口へと駆け出した。
『あら、寿命が延びて良かったわね』
楽しげなネクロの声が聞こえ、コゼットはゾッとするが走り出す足を止めない。
あまり走ることが得意ではないコゼットだが、爆発音と剣の弾け合う音を聞けば、体が自然と逃げるための力を貸す。息切れする気持ちの余裕もなく、頭から足の先まで泥だらけになりながらコゼットは援護射撃を行うニールの足元に到着する。
『よく来たね、コゼット。ここは、私達が何とかするから、なるべくここから離れなさい』
砲撃の手を休めることもなくレイラはコゼットに告げる。
「わ、わかりました!」
コゼットには戦いのことは分からない。しかし、それでもここに自分がいたからといって状況が良くなるとは思えなかった。
レイラは素直に離れていくコゼットを見て、前方のネクロに集中する。
墓標はめくれ上がり、破片が飛び散る。レイラの中では罰当たりだとは思いはしたが、それでも生者のために死者の存在があると思っている彼女としては、これも仕方ないのことだと簡単に割り切る。
問題は生者を死者に変える忌むべき者だ。
鬼気迫る勢いでシュナイトが剣撃を行うが、それでも本来の力は発揮できない。踏み込みもどこか滑るように行い、剣も軽い。そこを補うように、ニールが砲撃を行うが、ネクロはシュナイトを盾にするような立ち回りをし、頑丈な大剣を盾に使う。
二対一、数は簡単に勝つことはできる。しかし、今の二人では圧倒的な質を上回ることは不可能だ。この状況をひっくり返す材料が、今のレイラと虹星には必要だった。