第一章 ③ ―何でも屋カモミール―
二人の少女の手により、何でも屋カモミールの中へと引きずられるように運ばれる勇吹を見つめる影が二つ。路地のさらに角。裏路地の中で、二つの頭がひょこりひょこりと動く。
一人の少女は黒髪にツインテール。髪を結んだ二つのリボンは青空のようなブルー。茶色のクリッとした可愛らしい瞳は嬉しそうに揺れる。
勇吹の姿を目で追う少女の隣に立つのは、一人の少年。ハリネズミのようにツンツンとはねた髪は、その少年の活発さを主張しているようだった。
「勇吹、やっと来たわね。待ちくたびれたわよ」
実に嬉しそうに少女は言う。
「うおおおおおお! マスタアァァァ! とうとう、来たかあぁぁぁ!」
少女がすぐ隣にいることなど気にもしない、大きな声で少年が話しかける。
苛立ちをその顔に浮かべて、少女は足元にあった拳サイズの石を持ち上げた。
「隣で、ぎゃーぎゃーうるさいわ!」
「ぐおぉ!?」
少女は持ち上げた石を、少年の頭に振り落とした。
「星が飛んでいるよー。ぴかぴかのおほしさまがたくさーん……ねえーますたー」
あははは、と口から唾液を垂らしながら少年が笑い続けるのを見て、少女は鼻をフンと鳴らす。
「はいはい、よかったわね。そこで、お星様とずっと追いかけっこしときなさいねー」
「うへへへへ、はーい」
気持ちの悪い声を上げる”相棒”の顔をげんなりとした表情で見つめれば、少女はカモミールを見つめた。
「勇吹、今日はまだいろんなことがあって大変でしょうから、また改めて会いに来るからね。もう少し、そこで待っときなさい。――ほら、アンタも早く起きなさい!」
遠くの空の雲の数を数えていた少年を少女が蹴れば、「あひぃ」と馬のような声を上げれば、目をパチクリと動かす。
「お、おう、マスター! 突撃するか! 行くか!! 会いに行っちまうのか!!! いや、愛し合っちまうのかよ!!! マスタアァァァァ!!!」
「うっさいわ!!!」
気が付けば、再び掴んだままの石で少年の頭部を強打する少女。殴られて奇声を上げて倒れる少年を見ながら、何か言いたそうな複雑そうな顔をする。
「あ、しまったつい。……まあ、”魔導書シュライト”のアンタなら、心配する必要ないか」
少年の剣山のような頭を撫でながら、少女の視線はカモミールから外れることはなかった。
※
勇吹は既に本日二回目の気絶を経て、二度目の目覚めを行おうとしていた。
「いててて……」
馬車で殴られた時以上に痛む体を起こせば、ご丁寧にベッドの上で寝かせてもらっていたようだ。
自分はどこかの一室にいるようで、天井はたくさんの大木で組み立てられた屋根、壁を見れば木製の壁。部屋には、机が一つ。その上には照明器具代わりと思われるランタンが一個。そして、ベッドの脇には小窓が外界の明かりを送る。窓から窺える外の様子は青暗く、もう数十分もすれば完全に陽が落ちてしまうはずだ。
やたらと痛む頭を振り、体を起こして、そのランタンを持ち上げてみた。
「これ、動力源は魔力じゃないのか。へえ、珍しいな」
この世界の照明器具は魔力が中心。しかし、今自分が手に持つランタンは、別の燃料で動くようで、注ぐためのポンプが伸びている。
それ以外は、何も置かれていない机の上にランタンを戻して部屋を見回してみる。
(生活観のない部屋に、照明器具はあるみたいだけど、あれは魔力を持った人が手を伸ばさないと使えない、その代わりの魔力が不必要のランタンだろうか……。なんだか、自分のために、用意された部屋みたいだ)
扉の開く音が聞こえ、音のした方向を見る。そこには、一人の少女が立っていた。
「あ、起きましたかー。お夕食ができたので、ちょうど良かったです」
立っていた少女――コゼットの服装はといえば、袖の長いブレザーの胸元に大きな赤いリボン、そしてピンク色のカーディガンがドット柄のスカートによく映えた。
ニッコリと天使のように笑いかけるコゼットの姿を見て呆けていた勇吹は、数秒間をおいて声をかけた。
「は、はあ、どうも……。今日の夕食はなんですか」
「今日はシチューですよ。最近は温かくなってきたといっても、夜は冷えますからね!」
「そっか、楽しみだな。先生のところにいた時は、毎日俺が作っていたから、誰かの料理なんて久しぶりですよ」
「わあ、良かった! こう見えても、料理には自信があるので、冷めない内にすぐに降りてきてくださいね~!」
「はーい!」
勇吹とコゼット、互いに気持ち悪いぐらいにニコニコと笑い合う。
笑うといっても、勇吹はとりあえず笑っとこうという笑顔。対して、コゼットは心の底から嬉しそうな咲き誇る花のような笑顔。
鼻歌混じりで部屋を後にするコゼットを見て、一人になった部屋でポツリと勇吹は呟いた。
「ところで、あの子誰?」
※
言われるがままに、部屋を出る。
木の板を張り合わせて作られた壁と床を軋ませながら歩く。いくつかある扉を通れば、手すりもない階段が見えて来る。十段もない階段を、先程よりも大きな軋みを鳴らして足を進める。
降りてすぐは、先程の薄暗い店内。一応、日用品なんかも売っているようで、生鮮品は扱ってはないものの、食器や調理器具、飴玉のような日持ちをするお菓子も販売しているようだった。
勇吹はその店の光景に、子供の頃に田舎の祖母の家の近所にあった個人商店の店を思い出していた。営業しているかどうかも分からない電気も点いていないような店。ここの客はご近所が中心なのだろう。
懐かしい記憶を思い出しはするが、ホームシックになるよりも早く食欲を優先させろと、腹が鳴る。勇吹は、先程から鼻を刺激する優しい香りのする方向へ歩き出した。
「あ、イブキさん! ご飯できてますよ!」
おそらく、そこはリビング。炊事場が奥にあり、部屋の中心には大人が二人は寝転がれるほど大きなテーブル。その机の周りには、椅子が四つある。
コゼットは鍋の中を掻き混ぜながら、顔をこちらに向けた。
「あ、ありがとうございます……」
さて、どこに座ろうかと思い、とりあえず手前の席に座ろうと椅子に手をかけようとした。
「――そこは私の席だ」
勇吹は声を聞くだけで、心臓が縮み上がりそうなその声に振り返る。
先程のダークエルフ、リデラがそこに不満そうに立っていた。
「……す、すいません」
やたらと萎縮しながら、勇吹はその隣の席に座る。
「私の隣に座るな、変態性痴漢病が感染したらどうするんだ」
「すびばせん……」
勇吹は半泣きになりながら、斜め横の席の方に座る。
「もお! 二人とも喧嘩しないの!」
コゼットは腰に手を当てて、怖さの欠片もない怒り方をする。
「しかし、コゼット。コイツは……」
食い下がろうとするリデラを、コゼットは可愛らしく睨みつけた。
「め!」
人差し指をピンと立てれば、リデラは困ったように目の前のテーブルへと視線を移した。
※
空だった食器にシチューが注がれ、テーブルの中央のかごの中にパンが並べられる。
コゼットも食卓につき、さあ、食事が始まろうとするタイミングで、勇吹はやっと疑問を声にした。
「あの、聞きたいことあるんですけど」
「はい、イブキくん! なにかな」
真正面に座るコゼットはニコニコと笑い。
「早くしろ、食事が冷める」
リデラは呆れ顔で告げる。
「あの、二人とも、なんとなーく俺を受け入れてくれるのは嬉しいんだけど……俺、二人の名前知らないんだよね」
リデラとコゼットは顔を見合わせ寄せて、ひそひそと話を始めた。
「コゼット。コイツに何の話もしてないのか」
「いやぁー、たはは……言われてみれば、何の説明もしてなかったねー」
コゼットは勇吹の方へしっかりと向き直り、
「ごめんごめん、なんとなく分かってるかもしれないけど、ココは”何でも屋カモミール”。そして、私はそこの店主のコゼット・アルミラだよ! で、隣の無愛想な女の子が、リデラちゃん。めちゃくちゃ喧嘩強いから、変なことしちゃだめだよ! レイラさんから話は聞いているから、これからはよろしくね!」
リデラは、顔は斜めに向けて冷ややかな視線を送る。
駆け足気味な自己紹介の中で店主と言われて、勇吹は失礼にもじろじろとコゼットの顔を見る。
「コゼットをじろじろ見るな、変態」
相変わらず冷たい言葉と声のリデラ。
「まさか、見る資格すら与えられないとは……」
しゅん、と背中を丸める勇吹に慌ててコゼットは話しかけた。
「あああ! だだだ、大丈夫だよ! 全然、私のことを見ていいから、見つめていいから、凝視していいから! 舐めるように見てもいいから!」
丸まっていた体は、すぐさま背筋が伸びる。そして、前方へ座るコゼットへ熱視線を送る勇吹。
「じー」
「ぅ……」
身じろぎするコゼット。
「じー」
「うぅぅ……」
「じー」
「うわあぁぁん! イブキさんが怖いよー!」
「ちょっと待って、コゼットさん! 今の冗談で、そういうつもりじゃあいたたたたたたた!!」
勇吹のこめかみがギリギリと音を立てて、頭部を掻き毟られたような激しい痛み。
痛みを起こした原因へと勇吹は目を向ける。
「コゼットを泣かせるな。そして、私を見るな!」
鬼の形相のリデラが、勇吹のこめかみを握りつぶさんばかりの力でその二本の指で押さえていた。
「あいだだだだ! リデラさんが怖いよおおおお! コゼットさあああああん!!」
「私の名前を気軽に口にするな」
ギリギリギリギリ、と激しく軋む頭部を抱える勇吹。
「うわああああん! 痛みで顔が歪んでいるイブキさんが怖いよおおおおおお!」
「――コゼットを泣かせるな」
さらにリデラの力は強くなる。
「まずは、その手をどけてくださいぃ――!」
経緯は違っても、コゼットと勇吹は半泣きになり、リデラはひたすらに一方通行の怒りを勇吹に向ける。
(なんなんだよ、この状況はぁ――!?)
そうやって、勇吹の”何でも屋カモミール”での最初の夜は過ぎて行った。