第四章 ② ―依頼②―
勇吹をカモミールの前に残し、リデラと虹星、シュナイトは馬車を目指す。時折、揺れる振動が心地良い。馬車に乗りなれないリデラは、最初は物珍しそうにしていたが、今は慣れたようで窓の外を好奇の目で見ていた。
「ほんとっ、いつもいつもアイツには困ったものねっ」
馬車の不規則な震動の中、不機嫌そうに言う虹星。馬車に乗り込んでから何度目かの勇吹に対しての怒りの言葉である。しかし、その姿を見るリデラの表情は何やら複雑そうだ。
「正直、私は虹星が羨ましい」
「は? なんでよ?」
勇吹のせいで地団駄を踏む今の虹星のどこにも、人から羨ましがられる要素などないはずなのだ。それでも、リデラは本当に目を細めて羨ましそうに見ている。
「いや、羨ましいところはあるだろ……お前には分からんのか……」
しどろもどろになりながら言うリデラの表情を見て、それにどこか見覚えを感じる虹星。それは、確か勇吹と一緒にいる時によく見かけるそれだ。
虹星は困惑していた表情から訳知り顔に変わるとリデラに話かける。
「ははーん……。なるほど、勇吹のことね」
図星なのだろう。体がビクッと震えるリデラ。胸も揺れるので、なんだか若干ムカつきながら虹星は言葉を続ける。
「さっきの会話から察するに、私の知らない勇吹を知っているなんて羨ましいなーて感じかしら?」
図星どころか心の中そのままに言い当てられて、目に見えて大量の汗を噴出するリデラ。正解であるかどうかを口にするか悩んでいるのだろう。言い難そうに口をもごもごとさせたかと思えば、嫌いな食べ物でも口にするかのようにゆっくりと喋り出す。
「そうだ、その通りだ……。私の知らないアイツを知っていて、羨ましいと思う」
虹星はリデラのあまりに乙女チックな反応に頭を抱えたくなる。
いろいろと彼女のビジュアルでこういうのはズルイところだ。虹星は、素直に胸の内を曝け出して問いかけるリデラを冷たくあしらうような女ではない。同時に、ただ騙したり嘘をついたりするわけでもなく、真っ向から気になる相手のことを知りたいと願うリデラの姿も眩しいとすら思えた。
最初は、茶化す気持ちもゼロではなかった虹星も、毒気が抜かれたのか友人にでも語りかけるような雰囲気をつくる。
「気づいているかもしれないけど、私と勇吹は幼馴染なのよ。家も近所で、昔から一緒に過ごす内にこれが普通になっちゃってね。言ってしまえば、腐れ縁てやつよ」
自分なりに最大限のフォローをしたつもりだった虹星は、不満気な表情をしているリデラに気づいた。
「……だが、二人は恋人だったのだろう?」
「うぅ!? そ、そんなの、む、昔のことよ!」
「その慌てぶり、何かあったな?」
今度はリデラが虹星を問い質すような形になり、虹星は己の立ち位置の悪さをどうにかしようと頭の中に散らばる言葉を掻き集める。
「……ほ、ほら、人にはいろいろあるじゃない? やっぱり、アイツと付き合いが長いと経験していることも多いわけで……」
「経験とは、恋人同士だったことか?」
「うぅ……」
リデラの鋭い眼差しに見つめられ、虹星は息が詰まりそうになる。同時に、虹星の白旗を上げた瞬間だった。虹星自身もそうなのかもしれないが、恋する乙女の怖さというのを知った気がした。
諦めた虹星は、何か昔を思い出すように馬車の外の風景に目を向ける。既に門を出ていたため、そこには街の風景はなく、ただ広い荒野が続いていた。
「私と勇吹は子供の頃に、恋人同士だって言ったでしょう? 実はね、それは私の勘違いなの」
「勘違い?」
「そう。いつも男の子達と喧嘩ばかりしていた私を気づかないところで勇吹は助けてくれていたのよ。ある日……本当に偶然、私に言い負かされたことを根に持った男の子達が仕返しをしようとしていたのをボロボロになって止めてくれていた勇吹を見かけたの。自分を怖がって近づかないとばかり思っていた彼らを、いつも止めてくれていた。だから、私は彼らを怖いと思うことはなかった。その彼の優しさに気づいた時に、私は勇吹を好きになったの。私の蒔いた火の粉を、誰にも気づかれない内に払ってくれていた彼の姿は、私にとっては……英雄だったのかも」
「イブキは……昔から変わらないのだな」
リデラの言葉を耳に、虹星は苦笑を浮かべる。
「少しぐらい変わってくれたほうが、この世の中は生きやすいのかもしれないわね。……そうして、男の子達と喧嘩を止めた私は、勇吹のことばかり考えるようになっていた。勇吹への恋心に気づいた私は、帰宅途中の道で彼を待ち、思い切って告白をしたの。「私のこと好き?」て聞いたら、勇吹は笑いながら「僕も好きだよ」て言ってくれた。……昔の私は、それが嬉しくて、その日は眠れなかったわ」
「随分とませた子供だったのだな」
「うっさいわね。……だけど、勇吹の好きと私の好きは違ったみたいだったの……」
思い出すとよほど嫌なことなのか、窓に溜め息を吐きかける虹星。なんとなく、その時の勇吹の光景が思い浮かんだので、「あー」と納得の意味でリデラは声を漏らした。
勇吹は好きなものを好きだと言う、そんな男だった。
「まあ、なんだ……その元気を出せ。事実、イブキだって恋人同士だったて言ったじゃないか?」
あまりにもどんよりとする虹星に、何故か励ますように声をかけるリデラ。
「一ヶ月ほど付き合った後だったかしら……まあ、私の勘違いだったのだけどね、はは……。デートに行こうかと相談したら、「え、誰と行くの? 好きな人できたの!?」ってさ……。まあその後、ショックを受けて引きこもる私の勘違いに気づいた勇吹が、私をこれ以上傷付けないために恋人同士だったという事実を受け入れることで決着したの。これ、あの頃いろんな人に教えて回っていたから、思い出すと……死にたくなるわ。今でも家族や友達にネタにされるなんて……うぅ」
先程の倍、暗い空気をまとった虹星。それから、小さい声でブツブツと何かを呪いように細い声と弱い声を繋ぐ虹星。
聞けば聞くほど、傷を抉ってしまう話にリデラまで気持ちが沈んでいくような気分になる。シュナイトは居心地悪そうに、虹星を見たりリデラを見たりと視線が泳いでいる。
「チラリ」
とシュナイトがリデラを見てくるので、こっち見んなよとリデラは威嚇するように睨み付けて、目線を逸らさせる。
虹星の気分をさらに下げないため、こっそりと見えないように溜め息を吐くリデラ。淀んだ空気で満たされそうな馬車から抜け出したい気持ちになり、馬車の窓を開ける。ぬるま湯のような微妙な風が頬を撫でて、余計に気分が悪くなりそうだった。
勇吹の作り出した闇は深い。その一端に触れ、実はこれも氷山の一角に過ぎないのではないのだろうかなどと考えてしまうが、自分がその氷山の一つになろうとしていることに気づいたリデラは、難しく考えてはいけないことだろうと窓の外を見上げた。
もうすぐで、依頼人の待つ馬車に辿り着くところだった。
※
――ガシャン。
高い音がカモミールに響く。
「あぁ……もったいないなぁ……」
出かける前に勇吹とゼナイダに冷たいお茶を出したコゼット。そのコップを戸棚に直そうかとしたが、手が滑り二つのコップを落としてしまった。つい最近、二人専用に購入したものだった。
大きな破片だけ指で広い、落下した場所に集めていく。珍しい模様のガラスのコップで、地面に散らばった後も、粉々になった姿が一つのガラス細工作品のようにも見える。
勇吹の青色のコップとゼナイダの黄色のコップ。つい今出かけた二人の姿が、その砕けたものに重なる。
「無事に帰って来るんだよ、二人とも……」
妙な胸騒ぎを覚えつつ、破片を掻き集めるための箒の用意をしようかとその場を後にした。
※
時間はどちらかといえば、一日の終わりに近い。しかし、空は未だに日が高く、容赦なく体を太陽光線が照りつける。異世界といえど、太陽は一つ。月も一つ。この組み合わせだけは、どの世界でも崩れることのないバランスのなのかもしれない。
リデラと虹星が、馬車内の空気を悪くしている頃、賑わう街の中、汗だくで荒い呼吸の勇吹は奇異の視線を向けられていた。
「はぁはぁ……」
「ご主人様、遅いですの」
勇吹の頭の上から声が聞こえる。
「はあはあはぁ……」
「なにをしているのですか。もしかして、ノロマなのでしょうか。いや、間違いなくノロマなのでしょう? 私はノロマです、と言ってください」
どういう経緯でそうなったかは思い出せないが、どうしてだか勇吹はゼナイダを肩車している。
「はぁはぁはぁ」
「はぁはぁはぁ? そんな言葉はないですの。ていうか、なんだか犯罪のニオイがする発言ですの。これだから、ダメダメスケベなご主人様は困るのですよ」
そうして、これも何故か罵られている。罵声を受けながら、体を酷使するような趣味は、どちらかといえばない勇吹。どちらかといえば。
我慢の限界だと、肩の上に乗るゼナイダの胴体をガッシリ掴んだ。
「いいから……」
「おぉ!? スケベ覚醒ですのぉ!?」
「――上から降りろ!」
頭を下げて、力のままにゼナイダを放り投げる。見かけによらず運動神経の良いゼナイダは、地面に顔面から飛び込むような恥ずかしい真似はすることなく、宙で体を回転させる。そして、そのまま足の爪先を揃えた満点着地を行うのだ。周囲の店先に立った店主は、嬉しそうに拍手まで送っている。通りがかった人によっては、「おお! これが新しい魔導師様か!」とか言っているし……。
その光景に疲れたように、勇吹は壁にもたれかかる。
「今から、向かっても間に合わないよな……」
人気の大道芸人のように満足そうな顔で、ゼナイダが片手を挙げながら勇吹の元に近づいてくる。
「おお、魔導師様か……。へへ、そうだよな、どうせ俺はゼナイダがいないと何もできないよな……」
そんな悲しげな勇吹の顔を見たゼナイダは、勇吹の冷たい手をそっと両手で包み込んだ。
「ゼナイダ……」
やっぱり、見捨てるわけないよな。と期待混じりの視線をゼナイダに送る勇吹。そっと、包み込んでいた両手を離したゼナイダは、ビシッと親指を立てて見せた。
「その考え、大正解ですの!」
「ぐおぉぉ――!」
あまりにも酷い仕打ちに悶える勇吹を嬉しそうに見つめていたゼナイダだったが、満足したようで先程とは違う様子で、地面に膝をつく勇吹の肩に手を置いた。
「それはさておき、お忘れじゃないのですか。ご主人様は、なんなのですか?」
「え、ただの変態だけど……」
「よくご存知ですの。そりゃあ、ボクがいなかったらただの変態なのですよ」
「否定してえぇ――!」
「構ってられないですの。……馬車を呼んだ虹星様も魔導師。そして、ご主人様は?」
「ま、魔導師……」
「そう、それならご主人様も馬車が呼べるはずですの。普通に同じように馬車を呼んだら、早いのでは?」
「あ」
完全にその方法を忘れていた勇吹は、再び「うおぉ」と頭を抱えて両膝をついた。