第三章 ⑥ ―魔導師になりました―
『――では、改めて』
コホン、と口がないため、余計にわざとらしく咳払いをするイレシオン王。
虹星とゼナイダの活躍もあり騒がしいやりとりが一段落したことで、場所は一応の落ち着きを取り戻した。
その代わりに、勇吹の頭には大きなたんこぶを残すことになり、イレシオン王の頭が数ミリほど凹むこととなった。自然に損傷を治癒できる素材の魔導人己らしく、しばらくすれば回復するのでとりあえずは問題なしという事が進む。
『わざわざ、来てもらってすまない。時間は取らせはしないが、魔導師の任命というのは王が直接下さなければいけないのだ。魔導師の地位というのは、この国にしてみれば、かなり高い位を持つことになる。権力を悪用する人間もいるこのご時世、決定権を簡単に人を託すわけにもいかないのでな……』
先程のやりとりで緊張感が和らいだこともあり、勇吹は「あの」と挙手をする。
「魔導師になったら、どんなことができるようになるんですか? 凄いとか偉いとかは分かるんですけど、それでもイマイチ……」
ふむ、とイレシオン王が頷く。
『そうだな、個人にして国力が使えると思ってもらえればいい。騎士や兵士も申請すれば自由に部下にすることもでき、この国のあらゆる施設を無償で利用できる。さらには、王族や一部の者達しか入ることのできない王立図書館を利用することも可能になる。本来ならば、国境を越えるためには手続きが必要になるが、それは必要とならない。ただし、このファラディア国の魔導師という肩書きがどこに行ってもついてまわることになる。無論、視察という形で私の代わりに他国へ行ってもらうこともあるかもしれないが……まあそれは滅多にないことだ。つまり、私の言いたいことは、イブキの行い全てが、ファラディアの行いになるわけだ』
ここまでイレシオン王の話を聞いて、勇吹が一つだけ納得したことがある。あのガントゥがあそこまで虹星を妬ましく思っていた理由はおそらくこれなのだろう。奴ほど力や権力に固執した男なら、数ヶ月前に入ったばかりの虹星が目の前でちょこまか動き回るのは目障りに思えていたはずだ。そして、そこに虹星の勝気な性格も加わればなおさらだろう。
思い出したくもない男のことを考えるのやめて、今自分が手にしようとする力の大きさを考える。
「……俺にそんな力を渡しても大丈夫なんですか」
『ああ、大丈夫だよ。君なら』
すぐに返事をするイレシオン王。
相手に表情があれば、もっといろいろと考えることができたのだが、自分の全てを曝け出すような穏やかな声を聞き、悩むことをやめた。イレシオンの声は、本当に信頼をおける人間へ向けての言葉だと判断したからだ。
「分かりました。俺、魔導師になります」
今この場に来るまで迷いがあった。しかし、目の前で王と会話を交わしたことで、勇吹に迷いはなくなっていた。その感情の表れのように、勇吹の返事は準備をしていたようにすぐに出てきた。
『うむ、ありがとう。イブキ』
声のトーンを上げながら、イレシオンは応答する。そして、『それとな』と言葉を続けたイレシオンの声は少し沈んでいた。
『既に虹星からは聞いているとは思うが、魔導師になるからには、相応の義務というのが待っている。他の誰よりも先頭に立ち、他の誰よりも傷つかないといけないかもしれない。モンスター退治をするのも日常的で、時には同じ人と刃を交えるかもしれん。そのためには、騎士以上に国に忠誠し、兵士以上に肉体を酷使し、王族以上に広い視野で世界を見ないといけない。……イブキ、君に力を持つ代価を払えるか』
「確かに、人を傷つけるは命令でも嫌です。俺が傷ついてもいい、だけど、俺は他の誰かが傷つけられるのは嫌なんです。綺麗ごとばかりなのかもしれないこんな俺でも、それで誰かを守れるなら……。俺は、その代価を払い続けます。誰かが傷つけられる前に、その手を伸ばすために」
『……感謝する。私はここで謝罪はしない、ただ礼を言わせてもらうよ』
イレシオン王は腰掛けていた玉座から立ち上がると、勇吹に深く頭を下げた。一国の王が頭を下げるという信じられない光景に、勇吹とゼナイダは呆然と見る。虹星とシュナイトもイレシオンを見ているが、あまり驚いていないところを見ると、虹星達の時も頭を下げているようだった。
十秒ほど頭を下げていたイレシオンは、その顔を持ち上げれば、王座の席に再び腰掛けた。
『イブキ、近くに』
イレシオンが言えば、玉座の前の小さな階段を上る。イレシオンは近づいてきた勇吹に向かって、自分の右手を伸ばした。
その子供が寝転べるほど大きな手の平の指先に置いてあるのは、一見すると灰色の手帳。
「これは?」
『魔導師の証明書みたいなものさ。それが、君を魔導師を証明するために必要となる。無くさないように、気をつけるんだよ』
手に持ってみれば、定期を入れるパスケースのような感じで、皮の生地の中に薄い板が入っており、そこには勇吹の名前と魔導師に任命するといった一文が記されていた。
『その中に入っている板は、王である私しか作ることのできない特殊なもので、私が直接魔力を使って刻んだものなんだ』
「へえ、魔力でこういうの刻めるものなんですか……」
車の免許は持っていないが、免許書を受け取ってみたいだな。と思いながら、頭に持ち上げて見てみる。ふと、ある疑問が頭に浮かぶ。
「魔力? 魔導具じゃなくて?」
『ああ、私は魔力そのものを扱える魔力人と呼ばれている人種なんだ。この世界で生きる常人なら体内の魔力を形にして使用することは難しいが、その力を視認し操る能力を先天的に持ち、さらにそれを研究し自分の力に出来た者、それが魔力人。本来持っている内なる力である魔力を、抽象的なものから具現化することが可能なんだ』
「えーと、つまり……魔力を使って、自在にいろんなものを作ることができる専門家……ていうことなんですか?」
イレシオンは首を横に振った。
『半分は正解かな。魔力を使うための方法をはっきりと具体的に思い浮かべるために構造を理解できれば、この手から火を出すことも水を出すこともできる。ただ条件があって、火や水の構造を理解した上ではないと使用できないのさ。火というものは、どういう性質なのか。水はどんな成分で出来ているか。それをある程度把握できていないと、作り出すことはできない。だから、いくら私が魔力を扱えるといっても、万能の力を持っているとはいえないんだよ』
本当はかなり凄い力なのだろうが、謙遜するようにイレシオンが言った。
勇吹は礼も言わないで質問していたことを思い出し、慌てて頭を下げた。
「あ……ありがとうございますっ。俺、魔導師として頑張りますから!」
深々と頭を下げる勇吹を見て、イレシオンは嬉しそうに「うんうん」と声に出して頷いた。
『私のことはいいさ、これから分かってもらえればいい。さて、早速だが、二人にある仕事をお願いしたい』
「ある仕事?」
口を閉ざしていた虹星が、問いかける。勇吹もその隣に立ち、次の言葉に集中する。
先程までの穏やかな空気を少し重くして、声を発するイレシオン。
『うん、実は闘技場で暴走した日からガントゥが行方不明になっている。それは知っているかい?』
一同が頷いたり、目線で返したりと肯定の意思で応じる。イレシオンは、言葉を続ける。
『あの後、ガントゥは誰からも見つからずに行方知れずになっている。おかしいとは思わないか?』
「見つからず? 確かに、変ですね」
最初にイレシオンの疑問に気づき、虹星は顎に手を当てて考える仕草をとる。
『うん、あれだけたくさんの人が闘技場の周囲にいた。私も魔導具の映像が途切れるまで見ていたけど、あの混乱で誰一人見つからない……てのは、ありえないと思う。そこで、考えたんだけど、ガントゥは誰かに消されたんじゃないかと考えたんだ』
「ガントゥが……!?」
驚きの声を上げる勇吹。虹星は予想していたようで、全く動くことなく足元を見て何か考え込んでいる。
『今回の事件には、多くの異常な点があるんだ。ガントゥが闘技場で使っていた力は、明らかに私達が持つ魔導人己の技術を超越していた。あの日まで、彼はあんな力を持っている様子はなかった。ガントゥを影で操った存在がいる。……それを、君達に調査してほしい』
考えるように下を向いていた虹星は、真剣な表情で顔を上げた。
「はい、それが懸命な判断だと思います。ガントゥと同等かそれ以上の力を持つ者が背後にいるなら、それらとまともに戦えるのは私達だけですから。どちらにしても、やれるのは私達だけよ。もちろん、やるでしょう。勇吹」
「お、おう!」
挑むような目をした虹星に上擦った声で返事を返す。直後、両サイドから「よっしゃぁ!!!」というシュナイトの声と「ですの」というゼナイダの声が聞こえた。
『ただこちらも情報がなかなか集まらないのが現状だ。だから、虹星はイブキと一緒に行動してほしい。幸い、彼の働くカモミールという場所は、情報を集めるには適しているし好都合だ』
「えぇ!? ちょっと、待ってくださいよ! イレシオン王! 急にそんなことを決めないでくださいっ」
先程までのシリアスな雰囲気を壊したように、虹星が慌てた様子でイレシオンに話しかける。
『もちろん、虹星にもイブキにも給料は払うし、虹星の生活費も含めた金額をカモミールにはお支払いするよ。だから、虹星も気にしないでご厄介になるといい』
「そ、そういうことじゃなくてぇ……」
すっきりとした声で告げるイレシオンとは反対に、不安そうに弱々しく声を漏らす虹星。
勇吹はそっと虹星の肩に手を置いた。
「王様とは短い付き合いだが、これぐらいは分かる。……諦めろ」
虹星はその両肩がガクンと落とし、うなだれるだけだった。