第三章 ③ ―決心―
虹星が魔導師の任命状を置いて出たその日、カモミールには一つの仕事がやってきた。
――壊れた闘技場の修復を手伝ってほしい。
建設業を生業としている男性からの依頼だ。ここまで大規模な仕事はなかなかないらしく、雑用でも人手が欲しいそうだ。
勇吹が来るまで、力仕事はリデラがやっていたため、今回も状況を考えて彼女が自ら買って出てくれたのだが、勇吹としてはそれをよしとはしなかった。
「リデラさんも、女の子なんですから、こういうのは俺がしますよ」
そう告げれば、「あぅ」と黙り続けて耳まで顔を赤くするリデラをその場に、勇吹は止めようとするコゼットの声を聞こえないフリをして店を飛び出した。
魔導師になるかならないか、あのままカモミールにいたら、悩み過ぎて一歩も前に踏み出せない気がしていた。じっと心配されて小さくなっているよりも、体を動かした方が考えもまとまるかもしれない。
そうこうしている内に、勇吹は目的地の闘技場へ向かった。
※
技術のない勇吹の仕事は、ひたすらに力仕事だった。
瓦礫の撤去はもちろんだが、レンガや石材などの材料になるものを持ってきてくれと言われれば、ひいひい言いながら運んでいく。
勇吹がゼナイダを使えば、もっと楽に仕事もできるはずだが、今の状況でゼナイダと協力したら後の反応が怖い。作業用の魔導人己が動き回っているのを目にしながらも、勇吹はその中でも不思議と浮かない。
周りも国から雇われた人も多いようで、専門の業者というのは今作業を行っている人数の三割ぐらいだろう。そのためか、魔導人己を持たないあまり裕福でない人達も多いので、その中で混ざる勇吹も魔力を持たなくても気にされるようなことはなかった。
(魔導人己て高級品だったのか……。俺、この間はたくさんぶち壊しちまったけど、悪いことしたな……)
半壊した闘技場を見ながら、そんなことを考える勇吹。もしも近くにリデラやゼナイダが言われれば、何を言うんだと怒れていただろう。
そう考えるだけで、側にいないはずの二人から怒られたような気がして、仕事へとその集中力を向ける。
「おい、聞いたか?」
そんな時、近くで瓦礫を回収していた二人の男の会話が聞こえてきた。もともと、おしゃべりの多い二人だな、と思っていたが、雰囲気を変えるように一人の男が言った。
「なにをだよ?」
どうやら片方は仕事に集中したいようで、若干疲れたように応答する。
「――白銀の魔導人己の噂だよ」
どこかで聞いたことのあるような言葉に勇吹の手が止まる。
「ああ、それは俺でも知っているさ。ガントゥの反乱を命をかけて俺達を救ってくれたっていうんだろう?」
「おう、実は俺はあの日闘技場にいたんだよ」
話題を振った男は顔を寄せるが、もともと大きな声なのでそれほど小さくはならない。止まっていた手を動かす勇吹の耳にも、自然と会話が入ってくる。
「てめえ、あの日は腹を下したとかで仕事休んだじゃねえか!」
「まあまあ、待ってくれよ。ただ、俺は本当に見たんだぜ。客席へと向けられたガントゥのクソ野郎の剣を吹き飛ばし、颯爽と殴り飛ばす白銀の英雄の姿をよぉ」
「や、やっぱり、本当だったのか!」
「ああ、当たり前だろう! ……あんな人が俺達の国を守ってくれたらいいんだけどな」
「なに言ってるんだよ。どうせ、その人も騎士の一人に決まっている。もしかしたら、魔導師かもしんねえ。ああやって、いつも俺達を守ってくれているのさ。……この国の騎士も魔導師でさえも腐った奴が増えたから、俺はそういう奴がいるて分かっただけでも嬉しいよ」
「だな。白銀の奴なら、きっと俺達の求めるような騎士だな。でも、どうせなら魔導師だったらいいと思わないか。それなら……まだまだ、この国も捨てたもんじゃないと思えるさ」
(俺はそんな大層なものじゃない)
直接言いたい気持ちもあるが、その噂の張本人が出てくれば、彼らの考える英雄というものを壊してしまいそうな気持ちになった。それから、噂話は終わり、互いの妻と子供の愚痴を互いに吐き出すようになっていた。
溜め息を吐き、勇吹は足元に埋まった瓦礫を持ち上げた。大きなレンガの塊の下から現れた物に、勇吹は一瞬目を奪われる。
体の半分潰れた人形がそこに転がっていた。おそらく、子供用の着せ替え玩具の一種。小さな人形の洋服は引き裂かれ、髪も火で炙られたように色を黒くさせている。
小さな人形の姿が、カモミールのみんなの姿と重なる。そして、守りたくても守れなかった人達。自分が相応の場所に立てば、彼らが傷つく前に行動を起こすことができるのだろうか。魔導師になれば、誰かを守ることができるのか。
足元の人形を持ち上げて、その髪に付いた汚れを払い落とす。既に半壊したそれは、どれだけ汚れを拭き取ろうとしても落ちることはない。――もう、起きてしまった過去は戻らないのだと、その人形が自分を犠牲にして伝えているようにも思えた。
バラバラだった気持ちが、部屋中に散らばったパズルを掻き集めたように形になろうとしている。それでも、いろんなところが欠けて、完璧に一つの絵になったとは言い難い。だが、確実に迷いが一つの答えを見つけ出そうとしていた。
(誰かが傷つく前に、誰かを助けられるなら――)
傷ついた人形を手に、その眩し過ぎる空を見上げた。
「俺は――」
※
その日の夜。
勇吹はゼナイダの部屋をノックした。二度ノックして、三度目をノックしようとしたら、「どうぞですの」と聞こえてきたので、ノブを回した。
「ごめん、こんな夜遅くに――うおわっ!」
半分まで開けていたドアを慌てて閉める。
「どうしたのですの?」
あまり多くは見なかったが、明らかにゼナイダは着替え中だった。
女性らしい部分は成長していないと思っていたが、やっぱり女性のようで、僅かに膨らんだ胸元、それなりにぷりっと出ていたストライプのパンツ越し尻は勇吹から見てもなかなかの驚きだった。
(水色! 白! しましま! 水色! 白! しましま!)
ドキドキとした気持ちを、無意味だと知りつつ胸元に手を置いて抑えようとする。
「ふ、風呂場では着替えてこなかったの!?」
「それが、下着を忘れてしまったですの。なので、ここで着替えているのです」
「そ、それなら、着替えが終わるまで待っとくよ……」
「スケベの割に、意外と純情ですの。いざ目の前にしたら、ダメな種類の人ですのね」
「冷静に人のことを分析しないでくれ。とにかく、それはいいから、さっさと着替えてくれ……」
それから、二分もしない内に入っていいという意味での内側からの二度のノック。
疲れ気味に、勇吹はゼナイダの待つ部屋へと入れば、ゼナイダはベッドに腰掛けた。
「一体、こんな夜更けに何をしにきたのですの? まさか、夜這い?」
「君は、人を何だと思っているんだい……?」
「……まあ、先程のご主人様の様子を見れば、そんなのできっこないですけどね」
「分かっているなら、言わないでくれよ」
勇吹は、地面につかない足をぶらぶらとさせるゼナイダの足元に座る。
「魔導師の件ですの?」
「うん」と頷く勇吹。真剣な表情で、言葉を続けた。
「ゼナイダと俺はほぼ運命共同体だ。お前は、俺に任せてくれるんだろうけど、ゼナイダの気持ちも聞かせてほしい」
ゼナイダは何か不満そうな顔をする。
「ほぼ、てなんですの?」
どうやら、先程勇吹が”ほぼ運命共同体”というのが気に入らないようで、勇吹は困ったように笑いながら応答する。
「俺のこと嫌になったら、いつでもゼナイダが離れていいからさ。だから、一応……ほぼ、と」
「ご主人様っ」
「うおわっ!?」
ゼナイダは両手を伸ばすと、勇吹の両頬を挟み込んだ。その目は真剣そのもので、怒っているようにすら勇吹には見えた。
頭一つ高い位置から見つめる強い瞳が、勇吹を見据えた。
「ボクとご主人様は、どうなっても離れることはないですの!」
「そっか、契約が――」
「――契約なんて関係ないのですよ! ボクがご主人様を認めたから一緒にいるのです。最初はご主人様のことが分からないことばかりだったのですが、今は心の底から信頼しているのです。安心するのです、ボクはどんなご主人様でも一緒にいるのですよ」
ゼナイダは勇吹を優しく抱き寄せる。ゼナイダの胸元に引き寄せられた勇吹は、ゼナイダの普通の女の子のような優しい温もりと甘い香りに落ち着くような恥ずかしいような気持ちになる。
「俺、ゼナイダを傷つけるかもしれない……。他の誰かを守るために、ゼナイダを傷つけるかもしれないよ」
よしよし、とゼナイダは勇吹の頭を撫でる。
やっと吐き出すことのできた弱音に、勇吹は溢れかける涙を我慢する。
「構わないですの。そういう時は、ご主人様も一緒に傷ついてくれるのでしょう? それなら、怖いものはないと言い切れるのです。……ご主人様は、多くの人を守りたいと思っているのですのね」
胸の内の葛藤を優しく撫でられたように、勇吹は力いっぱい泣きわめきたい気持ちにもなる。
「……うん、守りたい。このカモミールの人達も守りたいけど、闘技場の様子とか街の風景を見ていたら……。俺には、多くの人を助ける力があるのに、そこから目を逸らしていいのかなってさ……」
ゼナイダの声はどこまでも優しく、一声一声が心を優しく包んでくれるように温かい。
「それなら、守るのですよ。ボク達には、それだけの力があるのです。大丈夫ですの、きっと一人にはさせないのです」
「ゼナイダ……。俺、失って、後悔してから、救うのは嫌だ」
勇吹は涙で濡れた顔でゼナイダを見上げた。そこには、母性を感じさせる笑顔のゼナイダがいた。
「それなら、行くのです。何百、何千という悲劇を二人で喜劇に変えるのです。失う前に守るのです。傷つく前に壊すのです。守られる前に救うのです。……どんなに暗い夜でも、ご主人様と共に歩くのはボクなのですよ」
「……ありがとう」
それだけ告げれば勇吹は、今までに抱えていた重みも一人では苦しすぎた悲しみをゼナイダに吐き出せば声を上げて泣いた。
――そうして、勇吹は正式に魔導師となる道を選んだ。