第三章 ② ―分岐点―
あれからコゼットが元の様子を取り戻す時間、リデラと妙な雰囲気なってしまった勇吹が冷静になる時間、虹星が落ち着けるまでの説教の時間などあり、落ち着いて話が始まる頃にはもうお昼になっていた。
急に態度が激変してしまったリデラはさておいた勇吹達は、例のごとく一階の居間に全員集合となる。そして、これまた例のように虹星がまとめ役を担当する。
「……いろいろ言いたいことはあるけど、とりあえず。お疲れ様、勇吹、ゼナイダ」
シュナイトと二人立ち上がり腕を組み視線を送る虹星に、片手を上げて「おう」と返事をする勇吹。横に座るゼナイダは、うんうんと頷いていた。
勇吹は虹星の言葉に、食い気味に割って入るように問いかける。
「なあ、あれから怪我人は誰もいなかったのか? それに、リーシャは……!?」
「ええ、あれから目立った怪我人は出てないわ。リーシャも、上でぐっすり眠っているだけだから安心して。ただリーシャの体には、どこかの変態マッドサイエンティストのせいで負担の大き過ぎる魔力がかかっているから、コゼットの知り合いのレイラていう医者が治療に来てくれるそうよ」
(先生が来てくれるなら、安心だ……!)
勇吹が嬉しそうにコゼットを見れば、人を安心させる笑みを返してくれる。それで、終わればいいのだが、虹星の話はこれでは終わらない。
「……ただ、この騒ぎの引き金になった時の犠牲者は……もう……」
顔に喜びの表情を見せていた勇吹だったが、その後の虹星の一声に表情を暗くさせる。
「俺が、もう少し早く……助けることができていたら……」
勇吹は、テーブルの上で両方の拳を悔しげに握り締めた。
その姿を見たリデラは、視線を苦しげに下げる。
「それを言うなら、この責任は私のせいだ。私が大人しく、アイツの言う通りに――」
「――だめ!」
リデラの言葉をコゼットは大きな声で中断させる。そして、今にも泣きそうな顔で何度も頭を振り、二人の抱える何かを否定しようとする。
「ダメだよ、リデラもイブキさんも。どっちの責任とか誰が悪いとか……きっと、これはそういうのだけじゃないんだよ。私も、難しいことは分からないし、二人の立場になることはできない。……それでも、誰かを守ろうとした二人のせいで、他の誰かが傷ついたなんて、そんなのおかしいよ」
コゼットなりに言葉を紡ごうとしているが、うまく出てこないのか苦々しい顔をする。笑顔が基本の表情とも呼べる彼女が、こんなにも苦しそうにするのを見て、優しさから苦しみを共有しようとするコゼットの顔に勇吹とリデラは救われるような気持ちになった。
コゼットの気持ちと言葉を捕捉するように虹星が言葉を続けた。
「そうよ、コゼットの言う通り。原因がどうこう以前に、これの発端はガントゥよ。彼が責められるならまだしも、被害者とも言える二人が悩む必要はないの。原因はアイツよ、ガントゥよ! ……その当事者であるガントゥは、あのまま行方不明になったみたいだけど。いい? 二人は、苦しむ必要はないの! ――その必要に、これを見なさい!」
虹星は勢いのままに、机の上にある一枚の紙を叩きつけた。
勇吹はその茶色の紙に眉をひそめる。たどたどしく、勇吹はその文字を目で辿る。
「まどう……し……にんめい……しょ?」
「えぇ!?」
「なにぃ!?」
「すげぇぞ!」
先にその文字を読んだコゼットとリデラが驚きのままに声を上げた。何故か、シュナイトはガッツポーズをしている。
「まさか、こんなことになるなんてな……」
「本当だよ、こ、これって、すごいよね!?」
「すんげえぞ!!!」
そんなに早く字の読めない勇吹は、じれったくなり文字を読むために傾けていた首を上げた。
「すまん、みんな。これ、なんて書いてあるんだ?」
虹星がガヤガヤ騒ぐ周りを無視して、そのままのテンションで口を開いた。
「これね、勇吹を魔導師に任命したい。て書いてあるの?」
次に驚くのは勇吹の番だった。
どうして、自分がそんなものに任命されるのか。まったく、見当もつかない。
「は!? 魔導師て虹星と同じ仕事てことだろ!? 俺、そんなに頭良くねえし、この世界のこともそんなに詳しくねえよ」
「そんなの、私だって変わらないわよ。でも、分かっていてほしいの。これは、別に絶対になれていう命令じゃない。王が、わざわざ『もし、よろしければなりませんか?』て言っているのよ。普通なら、こんなこと全くないし、特例中の特例よ。私の予想……というか、たぶん間違いないだろうけど、どこかでガントゥを倒したのを見られていて、それを評価されているのよ。その証拠に、あの日闘技場にいた人間を中心に、ガントゥと一対一で闘っていたゼナイダは民衆を救った英雄だと影で噂されているの」
勇吹の驚きなんて気にもとめず、ゼナイダは「恥ずかしいですのぉ」なんて、テーブルの上に指で円をぐるぐると書いている。
「そ、そんなこと、いきなり言われてもだな……」
勇吹はコゼットとリデラの姿を窺う。その時、目の合ったリデラは何か言いたげな表情をしたかと思えば顔を逸らした。
ここで働くと決めたし、この空間は決して居心地の悪いものではない。むしろ、楽しい生活だ。
恥ずかしながら、勇吹は元の世界ではアルバイトの一つもしたことはない。しかし、こうやって、毎日自分の食い扶持のために働いて、礼を言われて、家に帰って三人で飯を食べて眠りにつくというのは充実しているように思えた。
勇吹の葛藤に気づいたようで、虹星はその悩みを断ち切るように机を力いっぱいに叩いた。
「これはね、アンタが思ったよりもいい話よ! 魔導師といっても、毎日仕事があるわけではない。望めばたくさん仕事はあるけど、それを受けないこともできる。それに魔導師になれば、王宮にも出入りすることが可能になるから、もっとたくさんの班のメンバーの情報を知る機会が増えるのよ!」
「そ、そうなのか? ここにもいることができて、情報も入ってくる……」
「――待て、イブキ」
揺らぐ勇吹に気づき。リデラが声をかける。一瞬、リデラと虹星の鋭い視線が交錯するが、虹星は発言を止めるようなことはしなかった。その理由は、リデラの発言は、必要なものだと虹星が判断したためである。
「前にも話をしたかもしれないが、魔導師になるとうことは、この国の犬になるのと一緒だ。お前がそれでもいいというなら、止めるようなことはしない。だが、戦争になれば、お前は戦地に出て人の命を奪うことにもなるかもしれないんだぞ。お前のような力を持っているなら、いくら数十年も大きな戦争は行われていないとはいえ、かなりの高確率で最前線へと送られる。……イブキ、そのゼナイダの力を人を傷つけるために利用されようとしているんだぞ。それでもいいのか?」
勇吹はリデラの言葉を聞き、闘技場での悲劇が頭に浮かんだ。
観客席から流れ出た大量の血液、悲鳴、絶叫、泣き叫ぶ人達。子供や老人を押しのけて逃げる大人、狂った殺人鬼。……その殺人鬼が、自分になるかもしれない。
ゾッと背筋が凍りつくような嫌な感覚。それは、戦うことが怖いわけではなく、誰かを傷つけて賞賛される自分の姿を想像してしまったからだ。
虹星は溜め息を吐けば、シュナイトに目で合図を送る。
「急ぎじゃないから、ゆっくりと考えなさい。また顔を見に来るから、もしも気持ちが決まったら教えてちょうだい。何に怯えているかは、大体は予想できるわ。でもね、魔導師はただ傷つけるだけではなく、モンスターや本当に悪人から人を救うために戦うこともできるの。私達の仲間が、どこかで傷ついている時に、早く情報を知ることができて、なおかつすぐに助けに向かうことができるの。……ごめん、いろいろと言いはしたけど――」
シュナイトが隣に立てば、二人は背中を向けて出口へ向かう。そして、背中を向けるその直前。
「――やっぱり私が、勇吹と一緒にみんなを探しに行きたいだけなのかもしれない」
どこか切なそうに告げれば、虹星はカモミールを後にした。
そこに残された勇吹は、重苦しい空気の中。心配そうに見つめるゼナイダの目から顔を逸らすことしかできずにいた。