第一章 ② ―就職先は突然に―
村の入り口へと歩いていく勇吹を見ながら、レイラは深い深いため息を漏らした。
「心配だ」
レイラの背後から鈍い音を立てて近づいてくるのは、一体の魔導人己。――二ール。それは、勇吹を救ったロボットの名前でありレイラの相棒でもある。
魔力を持つ人間を搭乗させることで、本来は発揮できない力を使用するこができるので、勇吹の時のような緊急事態や森の中に行く時はレイラは二ールに搭乗するようにしている。
『どうかされましたか、レイラ様』
青年の声で二ールは言う。丁寧な口調からは、バジリスクを片手で殴り飛ばした魔導具とは思われないだろう。
「いいや、イブキてさ……。ほら、いろいろ、心配だろう」
二ールは考えるように、しばらく時間をかけて。
『確かに、少しばかり自分に素直過ぎるところがあるみたいですね。しかし、彼は見知らぬ世界に来て、二ヶ月というのに一人で旅に出る行動力、冷静に状況を見極める判断力、視野を広げることに躊躇することもない器の広さ。人の中では、かなり優秀な部類に入るんじゃないでしょうか』
「ああ、最近は助手としてもよくやってくれたいたと思うよ。このまま、雑用係でも雇っても良かったかもしれないね。……だけど、ニール。よく覚えとけ、アイツの欠点はただの素直じゃないぞ」
『はい?』
心の底から疲れたように声を出すレイラ。
「――素直な変態なんだ」
何か思い出したくないこともでもあるのか、レイラは眩暈でも起こしたかのように頭を抱えた。
『なるほど』
分かったのか分からなかったのか、ニールは事務的に返答をした。
※
村の入り口に定期的に街までの直行便。勇吹が知っているものよりも一回りは大きな馬車が客を乗り降りさせていた。
いくら魔力の溢れる世界といっても、通行の便で役立つのは順応性の高い馬車である。勇吹としても、トラウマのあるバジリスクなんかが車を引いていたら、乗り込むのにも何年かかるか分からない。
勇吹は楽しそうに数名の年齢も様々の人達の列に並び、自分の番が来ると懐を探り始めた。
「おじさん、よろしくお願いしまーす!」
レイラから給料だと受け取った袋の中から、数枚の硬貨を渡す。
「はいよ」
髭だらけの顎を撫でて、鞭を叩けば馬が走り出した。
小さく揺れる場所の中で、辺りを見回せば思ったよりも内部は広く、二十人ほどがびっしりと入ってもスペースに余裕ができそうな広さだった。
馬車と聞いていたので、勇吹の中では狭苦しいイメージがあったのだが、なかなか快適そうに思えた。
とりあえず、最後にやってきた遠慮から、入り口から一番手前の隅の方に腰を下ろた。
小さく振動する馬車の最後部の方は、扉もなく開いており、そのまま風が突き抜けていくようだった。
ガクン、と一際大きい揺れが起こり、勇吹の肩に若い女性がバランスを崩して倒れこんでくる。
「おっと、大丈夫ですか」
”先生から教わった通り”に、紳士的に女性の腰を抱く。そして、労わるように優しい言葉をかける勇吹。
「あ、はい、ありがとうございます。……そちらこそ、お怪我は?」
(C……いや、Dはあるな)
頬を赤く染める女性は、瞳に熱をおびえて勇吹を見つめる。
これが、恋愛小説のワンシーンなら、運命的な出会いの一つだなと勇吹は思う。
あまりの受け止めた抱き心地の良さに、先生の教えから頭から吹き飛ぶ勇吹。
「いえ、怪我はありません。貴方のおっぱいが気持ち良過ぎて、私の体を守ってくれると同時に快感を――ぶべ!」
「最低」
全力の平手を受けた勇吹は、あまりの痛みに加えて出発前からの緊張感のせいで前日に眠れなかったせいか、そのまま意識が落ちていく。
(先生、俺がんばるよ……)
※
「くしゅん!」
『風邪ですか?』
森の探索をしている最中、レイラは大きなくしゃみをした。
ニールはあまり聞かない主人のくしゃみに内心驚きつつ、自分の内部で操縦をしている主人に声をかけた。
「いや、寒気がな。……心配だ」
そう言えば、また一度大きくレイラはくしゃみをした。
『なるほど』
ニールは、また一つ成長しながら、探索をすることに意識を向ける。
人というのは、なかなか変わらない生き物なのだろう。と、自分の魔力の中に刻んでおこうと密かに思った。
※
「お客さん、お客さん!」
御者のおじさんから肩を大きく揺さぶられて、勇吹は目を覚ました。
気が付けば、どうやら自分は寝ていたようだ。背中の荷物の無事を確認すれば、やたらと重たい体を起こす。
「すいません、ありがとうございます」
体中がまるで何度も蹴られたように体が痛いことを不思議に思いつつ、馬車を降りた。事実、ビンタをした女性の怒りが静まることはなく勇吹の体は到着するまでの間に幾度となく、何度も蹴りを入れられていたのだが、ずっと寝ていた勇吹にはビンタされた記憶も残ってはいない。
馬車から降りて、目の前に広がる光景に、おぉ、と感嘆の息を漏らした。
ポリフェニア大陸一番の大都市、ファラディア。人口は七万を超えて、今なお増え続けていっている。
平野に位置するその都市は、都市柄交通の便も発達し、交易も盛んだ。大きな城門が立ちふさがり、未だに入り口に立つ勇吹から見ても、多くの行商人が店先に出て商いに励んでいた。
(凄い活気だな……)
首が痛くなるほど見上げないと先が見えない城門を潜り、一歩ファラディアに入り込めば、声の嵐が勇吹を覆う。右からも左からも、大きな声が響き、この世界の田舎町からやってきた勇吹にとっては新鮮な光景だった。
歩き出して、ふと目に付くのはこの国を治める国王――イレシオン王の銅像だった。空へと剣を突き出す灰色の銅像は、嫌でも目に飛び込んでくる。
(今の俺には、関係のない話か)
見ていて分かったことが、この世界は、おそらく元の世界で言うところの十六世紀から十八世紀ぐらいの近世ヨーロッパ辺りだろう。
政治では、中央集権化が進み、経済面においては、現代に比べると小さいながら町工場のような場所が目に付くし、この世界での先生のレイラからは金融業者も最近は増えてきていると聞いている。
ただ、科学技術に関しては、それは元の世界と一緒にはいかない。
重たい積荷があれば魔導人己と人が協力して作業を行い、食事を用意するときも厨房で平たい石の上で魔力を込めれば火が発生し調理が可能となる。
一つ一つの魔導機に名前があり、人は活用できている。
(俺は、この世界からしてみれば完全にアウェイだから、いろいろと心配はあるけど……気にしていてもしょうがないか)
この世界の住人が扱える魔力を利用することができないのは、勇吹にとってはかなり辛いところだが、今は先の不安を考えていても仕方がない。
「さてと」
街の様子をざっと見渡して見ても、半日やそこらで回れそうにもないと判断した勇吹。
レイラから預かってきた一枚の紙をポケットから取り出す。四枚に折りたたまれたそれをひっくり返せば、覚えたてのポリフェニア文字を読む。
「なになに、何でも屋……カモミール?」
なんだか、紅茶屋みたいな名前だな、なんて思いつつも一生懸命レイラが書いたメモを頼りに歩き出す。
さすがの勇吹も何のツテもなしに、ここまで来たわけではない。いくらか最低限のことは把握しているといっても、この世界へ来てたったの二ヶ月だ。最初は、ここを中心に元の世界の班の人達を集めた方がいいだろうというレイラの提案を受けたのだ。
そのため、レイラの知り合いの中で、勇吹のようなワケありの人間も雇ってくれる人物が必要だった。さらに、この世界で生きていくために魔力は必要不可欠。その魔力を持たない勇吹でもやっていける居場所――それが何でも屋カモミール。
いくら魔力を持つことが基本とはいっても、手で運べるレベルの力仕事や接客は魔導具を使うわけにはいかない。魔力はエネルギーであり、魔法ではない。何でも屋に来る依頼の、そうした普通の人間でもできる仕事を回してもらえばいいのだ。
メモの中の蛇が盆踊りでもしているような地図を見ながら、あっち行きこっち行きと街の中を歩き回る。
(先生に絵を描かせるもんじゃないな)
予定していた時間をオーバーしながら、辿りついたのは路地に入ったさらに奥の突き当たり。暗い場所のはずだが、陽の向きのせいか、何でも屋カモミールは空からの光を受けていた。まるで、そこだけが特別な場所であるように世界が主張しているようだった。
「ここか」
レイラから貰ったメモ紙をポケットに押し込み、カモミールへと歩き出した。
カモミールの店頭には、真っ直ぐに伸びた様々な色の花の鉢植えが並び、店の窓には料金表が貼り付けられている。
(ペットの散歩、子供のお守り、引越し手伝い、お仕事手伝い、浮気調査、修理・修繕。……モンスター退治?)
最後の一文は自分の見間違いだろうか、と。もう一度目を凝らして、じっと店内を見つめる。
その時、暗がりの店内から見つめる瞳と視線が交錯する。
「うわ!?」
勇吹は驚きで声を上げれば、カモミールの窓から大きく後退する。
バクンバクンと大きく跳ね上がる心臓の位置する胸元を手で押さえて、薄暗い店内を見つめる。
カモミールの入り口から、その長身と共に現れたのは一人の女性。
「貴様、ここに何の用だ」
浅黒い肌に、金色の瞳、腰まである銀髪は降りしきる雪のように、チラリチラリと幻想的に揺れる。出るところは大きく出て、小さくなってほしい多くの女性が願う場所は小さく。人目を惹く肉体を覆う服装は、太腿までスリットが入り、燃える炎が黄色の刺繍となって描かれた黒いチャイナドレスを着ていた。
他にこの服装に呼び方があるかもしれないが、勇吹の服に対しての知識の中では、それが一番酷似していると判断した。
「あ、えと、俺は……」
「ここは、見世物小屋じゃない。冷やかしなら、帰れ」
強い警戒心を感じさせるその声で言う女性は――ダークエルフだ。
勇吹もレイラから教えてもらった知識しかないが、元の世界では絶対に考えられないぐらいこの世界に数十種類と存在する種族の一つ、間違いなく彼女はそのダークエルフだろう。
金色の瞳と黒い肌、尖がった耳はその外見的特長といえる。
勇吹はレイラから、ダークエルフは森の深い深い奥地に住み、魔力は人の何倍も高く魔導具を使用しなくても超常的な力を扱えると聞いていた。しかし、それ以上に勇吹を突き動かしたことがある。
(す、すげえ、若い女性といえば、先生ぐらいしか接してなかったけど……この人は本当に凄い!)
一歩進めば、その女性の健康的な足が色気を漂わせ、また一歩進めば、その大きな胸が揺れる。
間違いない、勇吹はそう確信した。
「だんまりか。それ以上、おかしな動きをするなら――」
「――おっぱい」
「ん? ……おかしな動きをするなら――」
女はその足を一度止めるが、勇吹の言葉に聞き間違いだと思ったのか、言葉を言い直そうとする。
勇吹は、大きな声を発する。
「おっぱい!」
「……なに? すまない、もう一度言ってくれ」
既に少し引き気味に女は言う。その表情を見て、勇吹は何故か達成感を感じていた。
「……あ、すいません。いきなり、失礼なことを。ここに、お願いあって来たんです」
「おねがい?」
急な謙虚な態度に、やっぱり聞き間違いだったのだろうかと女は思う。
(聞くんだ、ここがカモミールですか。て)
気分ははじめてのなんとやら、勇吹は自分の成すべきことを思い出しつつ、やるべきことを口にする。
「おっぱいに飛び込んでもいいですか?」
「――」
時間は停止し、女は絶句した。
仕事柄、たくさんの変な奴と関わってきた。それでも、出会って三分も経たないうちに、自分の欲望にここまで素直な人間は生まれて初めてだった。だからといって、この瞬間は良い出会いとは思えない。思う要素が一切なかった。
ふぅ、と女が息を吐けば、その両手を開いた。
「おいで」
女はふっと口元を緩ませた。
(あ……あ……。生きてて……良かった……)
勇吹は空腹のハイエナのように、奇声と一緒に走り出した。
「おっぱあぁぁぁぁい! おっぱい! おっぱい!! おっぱい!!!」
女は思った。
(コイツ、何か危ないクスリでもしているのか。最近は、心を惑わせる薬物も多いと聞く、……悲しい被害者なのだろう)
迫り来る狂ったように走る勇吹を哀れなものを見る目で見れば、女は右足を後ろに退いた。そして、肩の力を一瞬抜く。
「――おっぱい国に入国ッ!」
自分自身でもわけのわからないことを言いながら、勇吹は女へ向けて飛び込んでいった。今の乳しか見えていない彼の目には、女が全力で飛び込んでくる勇吹へ向けてハイキックをしている姿なんて到底気づくはずもない。そして、顔が数センチ凹んだのではないかと思うほどの強烈な蹴りを、勇吹はその顔面で受け止めた。
「逝け」
「へぶんっ!?」
蹴られた瞬間、チラリと見えたピンク色の下着に達成感を感じつつ、勇吹は結果硬い地面に飛び込むことになった。
※
鋭い蹴りを放ち、勇吹が倒れたことを確認すれば集中力を解いた。
「なんだ、この変態は」
女は呆れたようにため息を吐いた。
眼下に倒れる変態は、何故か心地良さそうで、気持ちの悪さが増しているようさえ感じた。
「リデラちゃーん。どうしたのー……て、うわぁ! どうしたの!?」
淡い朱色の髪をふわふわと店の奥から走ってくる少女。――コゼット。
年齢は十四、五歳。勇吹よりと同じか、それよりも下だろう。百七十近い身長のリデラとは、反対に小柄なコゼットはリデラの胸元までしか身長がない。
コゼットは何か洗い物をしていたのか、水で濡れた手を自分のエプロンで拭きながら、倒れる勇吹へと膝を曲げてその顔を覗きこむ。
「おい、コゼット。その変態に近づいてはダメだ。頭痛、眩暈、吐き気が発生するぞ」
「なにそれー」
クスクスと笑いながらコゼットが言えば、あ、と思い出したように声を上げた。
「たぶんこの人、レイラさんのところの人だよ」
「レイラさんの?」
コゼットの口から出る名前を聞き、眉間に皺を寄せるリデラ。
「うん、この人が今日からウチでお世話になる人だよ」
コゼットがニコニコと言えば、リデラは頬を引きつらせた。
「……冗談だろ」
これが、勇吹のカモミールでの生活の始まり。そして、店長コゼットとの出会い、先輩従業員のリデラとの出会いだった。