第二章 ⑪ ―守るべき人達のために③―
リーシャに突き刺さっていた剣が支えを失ったように、ぐらりと傾けばゼナイダもそのまま地面へと倒れていく。
リーシャの頭の上から転げ落ちたことで激しい衝撃がゼナイダを襲う。操縦席の中で脱力した様子で勇吹はゼナイダに語りかける。
「ゼナイダ、もういいよ。元の姿に戻ってくれ」
『はい……』
疲れた声でゼナイダが告げれば、ふわりと一瞬の浮遊感の後、直接地面に転がる勇吹。遅れてゼナイダが、勇吹の腹の上に落ちてくる
「おふぅ!」と勇吹が苦しみの声を上げて、ゼナイダの方を見れば穏やかな顔で見ていた。
「腹の上はいてえよ」
「いいじゃないですの。今回、一番頑張ったのはボクなのですから」
「それが、ご主人様にとる態度か?」
「いえいえ、ご主人様といえどボクの力なくしては、何もできないですの」
そんなやりとりをすれば、ゼナイダと二人して笑い合う。
早い鼓動のリズムが落ち着いていったことで、他のことを考える余裕が出てくる。勇吹は、突然我に返ったように寝かした体を勢いよく起こした。
「あ!?」
今度は逆に「痛いですの!」と言い、勇吹が立ち上がったことでゼナイダは地面を転がっていく。瓦礫に頭をぶつけたようで、後頭部をさすりながら起き上がったゼナイダが見たのは魔導人己リーシャに駆け寄っていく勇吹の姿だ。
「リーシャ! 俺達が分かるか!?」
『……おにいちゃん?』
その声を聞き、とりあえず安心をする。未だに魔導人己のままのリーシャの脚部に触れて、なるべく優しく語りかける。
「ああ、俺だよ。もう戦いは終わったんだ。だから、その姿を戻してもらえないか? 本当は、戦いなんて嫌だろ。一緒に遊びに行こうぜ」
『にゃぁ、遊びは好きだけど痛い戦いは嫌だにゃ。でも、戦わないとマスターに……』
「安心しろ。そのマスターは俺達がぶちのめした。リーシャを傷つけるような奴は、もうここにはいねえから安心して出て来いよ」
「本当……?」
ぐちゃぐちゃになった頭がこちらを見れば、その姿が光の粒子となり空に上がっていく。その粒子の中で、そこに立つのはリーシャ。そして、その足元には目を開けたままで意識を失っているガントゥ。頭から血が出ているぐらいで、残念ながら息はあるようだった。しかし、勇吹にとってはそんな男のことなんて、もうどうでもよいと思えた。
リーシャは足元の主人を見れば、少し驚いたのか目をパチクリとさせた。
「マスターをおにいちゃん達が倒してくれたのかにゃ?」
おう! と元気良く勇吹が返事をすれば、心の底から安心した。そんな表情を見せたかと思えば目を閉じたリーシャは倒れこんでいく。
慌てて勇吹が駆け寄れば、地面に落ちる寸前にリーシャを抱きしめていた。
「おい、リーシャ! 大丈夫か!?」
心配そうにリーシャの肩を揺する勇吹の肩にゼナイダの手が置かれた。
「安心するのですよ、ご主人様。人間の体の限界を超えた魔力の使い過ぎて、意識を失っているだけなのですよ。ゆっくりと休めば、きっと元気になるのです」
さすが魔導書といえばいいのか、ゼナイダの言葉は的確なもので、小さく呼吸を繰り返すリーシャは確かに、最初に眠り続けていたゼナイダと酷似している気がした。
「よいしょっと」
リーシャをお姫様抱っこにして抱えれば、勇吹は歩き出した。
あまりにも軽過ぎるその重さが、彼女の境遇の辛さを語りかけてくるようだった。この先どうなるか分からないが、それでもこれから先のリーシャの人生は少しでも幸の多いものであってほしいと願う。
「もう行くのですの? このまま、ここにいれば魔導師達や騎士達がやってきて都市を救った英雄になることもできるはずなのですよ」
足を止めて不思議そうに言うゼナイダ。勇吹は首を傾げて、ゼナイダを見返す。
「ゼナイダ、お前は英雄に興味あるの?」
「いえ、興味ありません」
即答するゼナイダを見て、勇吹は溜め息を吐く。
「それなら、行こうぜ。英雄なんかより、一刻も早くリーシャが笑って走り回る姿を舐めるように見たほうが楽しい」
ゼナイダは呆れたような信じられないものを見るような目で勇吹を見れば、クスリと口元に笑みを浮かべた。
「相変わらず、変態ですの。ご主人様っ」
最大級の尊敬の気持ちを込めて「変態」ともう一度言えば、ゼナイダは遠ざかるその背中を追いかけた。
※
二人の足音が遠くなるのを確認した闘技場に、一つの人影が現れる。それは、ガントゥにリーシャを与えた”ある組織”の老人。
顔のシミをポリポリと搔きながら、意識を取り戻そうとするガントゥへと歩み寄る。
「なかなかにしぶとい男ですね」
時折、「うぅ」や「あぁ」といった声を漏らす。命に別状はなく、一週間もすれば肉体以外は元気になるだろうと老人は思った。
「しかし、良い研究になりました。思った通り、貴方程度の男では使いこなせないようですね。やはり、適合者が一番のようです」
老人は「ひひっ」と笑えば、自分の歩いてきた背後の影に顔を向ける。
「コイツをどうすればいいんだ」
そこには一人の少年が立っていた。外見年齢は、勇吹と虹星と同じぐらいに見える。
進むたびにガチガチと腕が鳴る。それは、左手は金属製の義手ををしているため。髪はまるで目の前の老人ように、色の落ちた白髪。瞳は淀み、不健康そうな白い肌にポッと黒い目が浮かんでいるような錯覚すら感じる。
そして、彼はブレザータイプの制服を着ていた。しかし、それは勇吹の制服とは違う学校のものだ。
「おぉ、ソウマ。実験相手に試してみるのだ。処分を頼んでもいいかい」
まるで孫に語りかける祖父のように、楽しげに白髪の少年ソウマに語りかける。
老人の盛り上がりとは正反対に、ソウマは冷たい眼差しで老人を見れば、その手を宙に向けて持ち上げた。
「おいで、ネクロ」
突然、足元に黒い球体が出現したかと思えば、その球体が数秒後弾けた後に、一人の少女が現れる。
何故かゼナイダと同じセーラー服をしていたが、その少女の場合は黒一色のセーラー服でなんとか服の種類が判別できるものだ。
唯一そこだけ赤い花飾りで結ばれたサイドテールを揺らしながら、顔を上げた。
「そこまで、魔導書を使いこなせるようになるとは……!」
拍手でネクロと呼ばれた少女の登場を迎える老人。
「悪いね、眠っていたんじゃないかい?」
冷たい眼差しは変わらず、やわらかな口調でネクロに言えば、少女は首を横に振る。
「大丈夫だよっ。私は、ソウマの手足となり動くのが……すごく、すごーく……うれしいんだもん!」
人形のように整った顔を赤くして、もじもじと指を擦り合わせるネクロ。その顔に優しく笑いかえるソウマは膝を曲げれば、ネクロに顔を寄せた。
「君は、僕にとって最高の女性だよ」
「だーいすき、ソウマ」
二人は、それが当たり前のように自然な動作で口付けを交わす。光る閃光、そして訪れるのは暗闇の巨人の出現。
そこに立つのは魔導人己となったネクロ。それに搭乗するのはソウマ。
ネクロの姿は、青と黒のカラーリングの魔導人己。両腕両足は青、胴体と頭部は黒。輝く赤い目は二つあり、その右手には己の体ほどの大きさの大剣が握られていた。その剣を握り直せば、流れでる魔力を感知したように淡い輝きを放つ。
大剣を持ち上げたネクロは――。
『ばいばい、おまぬけなおサルさん』
イタズラをする子供のような高い笑い声と一緒に、その大剣をガントゥへ向けて振り下ろした。瞬間、ガントゥの肉体は黒い魔力の波動に飲み込まれて体を溶解させ、この世から髪の一本も残らず消滅させた。
「すばらしい、すばらしいぞ! ソウマ!」
足元で飛び跳ねて喜ぶ老人を見ながら、ソウマは操縦席で己の左腕を撫でた。
彼の目の中に浮かぶのは、ガントゥと戦っていたゼナイダ。正確には、それを操る勇吹の姿だった。
「勇吹。待っていろ、お前は必ずこの僕が――」
義手の左手が軋むほどにその手を強く握り締めた。
「――殺す」
静かに果てのない殺意が、ソウマの中で燃え上がる。
ソウマにとっては、滅びの道かもしれないその感情をネクロは愛おしそうに聞いていた。
『はい、どこまでもお供します』
恋人に語りかけるように告げるネクロの声を耳に、ソウマは勇吹の去った方向を見続けた。