第二章 ④ ―闘技大会前夜②―
単なる飢えた獣として接近してくるバジリスク。
魔導人己を呼び出す為の行動を考える前に、勇吹はゼナイダを胸元に抱き寄せると地面を転がった。
抱き合い転がる二人のすぐ脇をバジリスクが駆け抜けた。どうやら、バジリスクも暗闇を完全に把握しているわけではなく、おおよその位置で向かってきているようだった。
すぐさま、勇吹は体を起こすとゼナイダも引き上げた。
勇吹は、ゼナイダの顔を窺いみる。その表情は、一見すれば無表情ともいえるもの。しかし、この危機的状況ではっきりとした表情をしていないことはある意味では信頼とも思えた。
(くっそ、俺がどうにかしなきゃいけないのに! ゼナイダに頼るなんてっ)
情けない自分を叱責して、再び戻ってきたバジリスクを見据える。
どうする、どうすればいい。とりあえず、逃げて時間を稼ぐか。いや、そんな余裕はない。
再び戻って来るバジリスクの目はこちらを見ているように思えた。先程は、気づかずに正直に向かってきていたが、もしかしたらさっきの一度の行動で場所も把握されしまったのだろうか。なんにしても、次の一撃も同じようには逃げられる保障はなくなった。
めまぐるしく動き回る思考。その時、「ご主人様」とゼナイダの声が耳に届く。隣のゼナイダと目が合えば、そのまま言葉を続けた。
「ボクを信じてくださいですの。魔導書とその主は、一心同体。シュナイトと虹星様は、互いを信頼していたことが分かりますか」
ゼナイダの言葉を聞けば、確かに二人の中には特別な信頼関係があるように思えた。力を使用する側とそれを供給する側、なんて単純なものではなく、もっと絆とも呼べる空気感を思わせるものだった。
ゼナイダの言葉に、勇吹は一度首を縦に動かした。
「それで十分ですの。ただ、信頼し合えばいいのですよ」
「ただ、信頼をする……。俺、ゼナイダを信じる。俺の命を託すよ」
勇吹はゼナイダの肩に手をおけば、その温もりと感触を確かめるようにそっと触れた。
「はい、ありがとうですの。行くですの! がんばるですの! やるですの!」
満面の笑顔でゼナイダが勇吹の言葉に答える。
暗闇に慣れた目が完全にバジリスクを捉え、そのバジリスクも勇吹とゼナイダを完全に視認させた。
跳ね上がる鼓動のリズムは、バジリスクの足の音よりも早い。しかし、それは次の段階へのステップとも思えた。
「魔導人己! 覚醒!」
ゼナイダが短くも強く声を発する。
直後、一瞬の発光の後、そこに出現したのは一体の魔導人己となったゼナイダ。同時に、勇吹の肉体はゼナイダ内部の操縦席へと転送される。
目を開いた勇吹が目にしたのは、胸元ほどの高さで左右の宙に浮かぶ球体が二つ。バレーボールをオレンジ一色にしたようにも思える。それ以外には何もなく、暗闇の中で自分が人一人立てるほどの大きさのステージに立っているようだった。
『それが、操縦桿ですの! 早く!』
呆けたようにその光景を眺めていた勇吹だったが、自分達の状況を思い出して、慌ててその球体に手を伸ばした。
がっしりと掴めば、視界に色がつき、世界が広がる。
全方位に映し出されるのは、先程からの焼き増しのような暗闇の大地。ただ違うのは、自分の目線の高さがかなり高い位置になっているということ。そして、冷静に見ている場合ではないと、体がすぐさま判断する。
バジリスクは、魔導人己になったことなど、気にもせずにその動物的な思考で口を大きく開けてゼナイダへと牙を向けていた。
既に唾液が体に付着するまでに近づいていた口の中に、反射的にゼナイダの手を伸ばした。そのまま、バジリスクの口内の端と端をがっしり掴めば、その口の動きを一旦停止させる。
勇吹が頭の中で想像したことをダイレクトに動きにするゼナイダに驚きつつ、そのまま大きく開けたままの口を少しずつ前の方に押していく。もっと重く、おぞましいものに感じていたバジリスクもゼナイダを操縦する勇吹の前では、とても小さな存在に思えた。
『聞こえますか、ご主人様。ボクは、ご主人様の思い描くままに行動することができるのです。思考ができ、反射をすることができても人の肉体では反応できい動きをボクが大きな力と共に実行することができるのです! 考えてください! ご主人様の思い描く未来を、ボクが切り開くのですよ!』
勇吹は、そこでホッと安心にも似た吐息を漏らす。
なんでこの状況でそんなものが出たのか分からない。それでも、口から吐いたのは確実に安心と共に吐き出されたものだった。
(俺は、ゼナイダと一緒に戦うことで安心しているのか。……共に戦うてのは、悪くないな)
ここで初めて、勇吹は相棒として戦友としてゼナイダを受け入れた。
新たに契約をするように、ゼナイダの信頼を全身全霊で感じ取るように、操縦桿をグッと強く握り締めた。
「――おう、ゼナイダ! 一緒に行くぞ!」
勇吹の一声に呼応するように、ゼナイダの両目が光り輝く。それは、全身を流れる魔力が、機体に満ちていく証明でもある。
そして、ゼナイダの全身に膨れ上がった力のままに、口が動かないことに狼狽しているバジリスクを天高く放り投げた。
※
強引にバジリスクの巨体を放り投げるゼナイダを達成感と共に虹星は見つめていた。
腰に手を当てて、遥か後方に飛ばされるバジリスク。あのタイプのモンスターは、なかなか丈夫なので、死にはしないだろうが、しばらくは目覚めることはないだろう。
「なんとか、形になりそうね」
虹星は、シュナイトに語りかける。
「おう! しかし……だが! うーん!」
短くきっぱりと返事をしたが、何か思うところがあるのかシュナイトは首を捻り考える動作を行う。
「どうしたの? 何か言いたいことでもあるの?」
虹星は、片方の目だけでシュナイトを見ながら問いかける。
「――大会が、心配なんだッ!」
珍しく悩んだ割に、実に簡潔に悩んでいた原因をぶちまけるシュナイト。
それに対して、虹星はツッコミを入れるわけでもなく、うんうんと頷くつつ顎に手を当てた。
「確かにね。シュナイトの言う通り、ガントゥは何かやってくるかもしれないわね。事実、勇吹の魔導人己が突然現れたところも目にしているわけだし。未知数の敵を前にして、何の準備もしないほどベタランの騎士は甘くないわ。――まあ、でも」
バジリスクを投げ飛ばしたことが、そんなに嬉しいのか。
魔導人己ゼナイダは、その場で手を叩いて踊るようにくるくると回っている。
笑ってこちらまで手を叩いてしまいそうな光景に目を細めて、虹星はゼナイダの姿を見つめた。
「――きっと、彼らなら大丈夫よ」
心配もあるものの、期待のこもる眼差しで虹星はゼナイダの姿を見つめた。