∞4生き残るための決意4∞
五年前――オレは、この時初めて誕生した。自分が誰かも、どうしてこんなところに生まれてきたのかも何も分からず、ただ白衣を身にまとった人間の言われるままに行動していた。しかし、それから二年ほどの月日が経って、オレに物心が付きはじめた頃には、知らない若い女の人と男の人が、オレに向かって優しい笑みを浮かべていたのだ。「早く大きくなってね」「そうだ、もっともっと、あの子くらいに大きくなるんだぞ~」女の人と男の人の声が耳元に、脳に響いていた。
あの子? この頃のオレには、何一つ二人の言っていることが理解できていなかった。だが、それも束の間。物心がついてから半年が経って、オレはようやく二人の発言が理解できた。最初はこの二人がオレの親だから当然だと思って、与えられた健康に良い食事などを快く頂いていた。しかし、オレが十二分に成長を遂げた途端、二人の表情は一変。笑顔から何かを求めるような表情に変わっていたのだ。
気になったオレは、小さいながらもいつも両親共に出かける場所へ、二人よりも先に車の後ろの荷物置きに隠れ、出発とともに目的地であった大きな病院で止まった。ここはどこだろうと怪訝な顔をしながら、二人が車を降りた後ろ姿をそっと追って行くと、オレはある一室、三○八号室で衝撃的な光景を目にしたのだ。戸の隙間からだったのではっきりとは見えていなかったが、確かに、三○八号室のベッドで起き上がっていた人物が、オレと全くと言っていいほど顔が一致していたのだ。
困惑した。どうしていいのかもうオレ自身にはわからなかった。その顔は、自分の顔を鏡で映したようにそっくりで、同時に地獄絵図のようにも見えた。
と、そこへ女の人が、入院しているオレ似の子供に口を開いた。
「ついにできたわよ。あなたの命を救ってくれる救世主が。あなたのその悪い心臓とさよならできる時が。身なりもあなたそっくりで、心臓もあなたと同じくらいになっているわ。よくわからないけど成長剤? かしら? そういうものを使ったから、だいぶ育っているわよ。明日、医師に頼んで早速手術をしてもらいましょう。長い間無理させちゃったけど、もう大丈夫よ!」
手を伸ばしてオレに似た顔の人物の頭を撫でるその表情は、とてもとても嬉しそうだった。オレもついついその嬉しそうな表情を見ながら一人で微笑んでいた。まるで他人の幸せを自分のものとして見ているかのように……。
だが、オレの微笑みは次の言葉で曇りへと変化したのだ。
「今はもうあなたとはそっくりさんで健康的なの。私たちが育てたのだから間違いなく活発な心臓よ。移植に成功すればまた昔みたいに三人で遊べるかもしれないわ」
その言葉を聞いて一歩後方へ足を踏み出すオレ。不意に掴んでいた戸から手を離してしまい、小さくも響く音が病室内に広まった。
「誰だっ!」
男の人が怒鳴り声のような声を出しながら足音を立てて戸に近寄ってくる。して、その戸が開け離れた時には、既にそこは無人だった。
「……気のせいだったか」
そこまで警戒をするつもりもなく戸を閉める男。隣の病室にすぐさま乗り込んで発見を回避したオレは、安堵の息を吐きつつこの場を後ずさる。
二人には悪いが、あの話だとオレが犠牲になるみたいな感じだった。まだ若い、既に小学校を卒業してもいいほどの身なりで死ねるものか。数年しか生きていない感じもするが、まだ若いオレに犠牲は務まらない。そう思い、この場を去るついでに、オレはあの二人からも去った。
翌日、病院の庭にそびえ立つ大きな杉の木の枝に身を乗せていると、あの二人と共に沢山の医師メンバーが走り回っていた。多分オレを探しているのだろう。女の人がオレの名前を呼んでいる気がする。昨日の移植についてだ。オレがわざわざ行くわけ無いだろう。
見つからないように女の人がこの場を立ち去るのを見ていると、今度は男の人がタバコを手に近くのベンチに座り始めた。その男を見てすぐさまわかった。もう諦めたのだと。そう思って何気なく、好奇心旺盛の子供だったからか、オレは杉の木の枝から飛び降り、タバコを吸っている男に近寄った。
「何してるの?」
「……あ? 見りゃわかんだろ」
オレの姿を目視するも、特に驚いた表情も見せることなくオレの問いに男が答えた。
「こうやって、タバコを吸って落ち着いてんだよ。せっかく俺たちが丹精込めて育て上げたクローンが逃げちまったからな」
「クローン?」
クローンとはなんだろうか? 知識不足なオレにはその言葉が理解できていなかった。
再びの問いに、眉を「へ」の字にした男はため息を一つ吐いて答えた。
「クローンってのはな、人間の場合そいつの遺伝子ってもんを少し抜き取り、同じ個体を作り出して出来た人奴、つまりまったく同じ人間ができるってわけだ。生活スタイルなどで形相は次第に変わっていくが、遺伝子バランスが変更することはない。簡単に言えば己の分身だ。お前みたいな奴のことを指す」
そう言って、オレの胸ぐらに向かって指を差す。
男はそのあと、口を開いていざ声を出そうとしたオレに威圧的な視線を向け、そそくさとこの場を離れようとしたので、オレは男の袖を掴んで動きを止めた。
「あ?」
タバコを加えたまま失望的な表情をオレに向けてくる。その表情に多少は怯んでしまったが、勇気を振り絞ってオレは声を上げた。
「い、いいの? ぼくを捕まえるなら今のうちだよ? その……ぼくの本体……? を救いたいなら、今のうちなんだよ!」
正直こんなことを言うのは嫌だったが、なぜか衝動的に言葉が腹の底から浮き上がってきてしまっていた。
緊張の面持ちで男の発言を待つ。しばらくオレを細い目で見ていた男は、後ろ頭を掻きながらオレに予想外な言葉を告げてきた。
「別にいいさ。お前が行きたきゃ勝手に行け。行きたくないならこの場をさっさと去れ」
そう言い残して、男はこの場を逃げるように立ち去った。
オレの脳内は爆発的な重力が与えられたように重みを感じずにはいられなかった。なんたって、男の出した答えは、救い、見捨てのどちらでもなく中者だったからだ。――判断はお前に任せる――。自分には一切の罪がないと主張するような発言。それに対して、オレはしばし俯いて考えた後、顔をまっすぐに上げて決意を新たにした。
「――よし、ぼくは生きる――」
もう、決めたんだ。あの子とやらにも、あの二人にも関わらず生きていこうと。自分が例えクローンでも、わかってくれる人がいると信じて生きていこうと。まだ若いけど、死ぬよりも、生きていて良かったねと褒められるような事をするためにと――。
こうしてオレは、躊躇することもなくこの場を後にした。
そして次の日、市街地の所々にある大きなテレビ画面で、オレは確認した。
――アイツが、安らかな眠りについたことを――
そしてその時、オレは誓ったんだ。お前の分も、オレが幸せに生きてやると――