∞3嫌われ者3∞
「……」
オレの額に小さな白い塊が降ってきたせいか、自然と目が覚める。柔らかなそれは、額に接触するなり温度の関係で水へと変わっていった。どうやら雪らしい。オレが仰向けになっている場だけでなく、辺り一面に白い塊の世界が広がっているのだ。
……なんだ、夢か。
オレは、寒さも少々腕を組んで堪えながらこの場を立ち上がる。
自転車もなく、ましてや車の免許すら持っていないニート全開のオレは、片手にところどころ穴のあいた黒の薄いコートを掴みながら、上から下に降りる。何故オレが上から下に降りたのか。まず、現時点のオレのいる場所は建物や木陰ではなく、公園だからだ。今のオレは数々の遊び道具を無視して滑り台の下で棒立ちしていた。
「ったく……今更あんな夢を見ちまうとはな……」
独り言のように後ろ頭を掻きながら言うオレ。見た夢とは、オレがこの世で最も記憶から忘れ去りたいものであり、オレの――アイツの人生を無駄にした夢だ。
アイツというのは、友や親などとは違い、もっと親密な関係を持つべき人物。仮にわかりやすく例えるなら自身の分身。いわばクローンだ。
クローンといっても、オレの場合は少し違う。今の発言ではアイツというのがクローンで、オレが本体――遺伝子を分け与えた人物――という感じの認識に至ってしまうが、オレが言いたいのはそうではない。説明したいのは逆で、アイツが本体でオレがクローンと言いたいのだ。
つまり、結論を言うならば――
「……?」
ふと、滑り台を横目で見ると、オレが仰向けに寝そべっていた下台の両端に無数のガムテープでA4紙が沢山貼り付けられていた。
なんだよなんだよ、オレにドッキリラブレターか? ドッキリにしてはいささか不具合のあるやり方だが、外の景色へと向いている部分が白紙の限り、裏に何か書いてあるということなのだろう。開けて損はないと思い、オレは両脇のうち左の方の紙をひっくり返して、そこに書いてある文字を目で読んだ。
『 卑怯者! いつまでも生きていられると思ってんじゃねぇぞ! お前が既に滑り台、いや、公園を敷地内にしているのは情報愚か検討済みだ。こうやってこの紙を滑り台に貼り付けたのも、私がこの場を突き止めた証。この場はもう既に私の目の届く位置になったということだ。さてどうする? 私はいつでもお前を殺すことができる。その気になればいつでもな! お前には私の息子への仮があるから、殺せないと思っても無駄だ。なにせお前には人権というものは無いからな! だってお前は―― 』
斜体文字に書かれた長ったらしい文章に目を通していると、オレはひとマス空けられた、付け加えの荒く書き足しされた斜体文字に目がいった。
『 ろくでなしのクローンだからなっ! 』
その言葉にオレはついつい紙を丸めて地面に叩きつけてしまった。雪の上に乗っかったそれを、オレは躊躇いもなく踏み潰す。歯を、目を食いしばりながらオレのもつ怒りの全てを紙一つに解き放つ。
「死ね、消えろ! どっちが役立たずなんだよ、オレも捕まえられなかったくせに! 断念してタバコ吸ってたのだって見てたんだぞ! 誰がそんな奴に好意を抱いて近づくかっつ―のっ!」
半ばやけくそに、既に雪の中に埋もれて見えなくなった紙を踏み潰し続ける。
この文はなんだ? 脅迫か? なんにせよ悪口雑言の数々だ。こんな文誰だって自分に対して送られてきたら我をも失って暴れだすだろう。それこそ人によっちゃ他人を巻き込む大事になりかねない。しかし、オレ自身そんなことはしない。こういう文は毎日のようにオレの身の周りに貼られているからだ。時には丸文字、時には汚く読めそうにもない文字と、沢山の人々が靴箱に入れるラブレターのように撒き散らしていくのだ。そこに書いてある文は、今のようなものとほぼ同じ文なのだが……。
一つ舌打ちをしながら、反対側のガムテープで貼り付けられた紙をむしり取る。相変わらずの斜体文字。文名も同じでコピーされたもののようだ。まさか同じ言葉を両脇に一つずつ貼られるとは予想外だった。
綺麗な、しかしオレから見たらドス黒い上空から、まるで腐れきった葉が落ちる速度で舞い降りる雪の塊を呆然と眺めながらさらにため息をつく。
……寒い。
真冬であるせいか気温はマイナス。オレの汚くやや臭いジーンズに、ところどころ穴の空いた黒の薄いコート。下に着込んでいる白のTシャツだけでは寒さの防ぎようが無かった。
寒さを耐えようにも、体温を保つために運動をしてエネルギーを消費するのも食料に困る者としてはいかず、オレは仕方なく滑り台の下に這いよって小さく蹲まった。
オレは、手元で強く握りしめている斜体文字で書かれた紙を再度見直した。黒の飾り気の無い、しかし憎さの塊の感情が詰まった文字は、どこからどう見てもオレの……ではなくアイツの父親の文字だった。
まあ、そうならこの憎らしい感情も理解できるわな。
感情のない笑みを浮かべるオレ。アイツがいた頃までの父親は良いツラをしていて、母親と相性が一致しているとも頷けたが、アイツが居なくなってからの父親は、オレが最後に見た頃には、低らかに伸びた無精ひげに、薄れた細い目という、生きる希望を失った表情をしていたのだ。
「はぁ……」
オレは見直したばかりの紙を五センチ感覚で強引に引き千切り、微風の風とともに彼方へと流し込み、深いため息を吐きながらあの頃のことを悔やんでいた。
あの頃、オレが本当の生を成してアイツが息絶える日のことを――






