∞21三〇八号室21∞
三階に到着した途端にオレが見たものはとんでもないものだった。
「……なんだよ、これ」
エレベーターから降りるなり目を見開くオレ。仕方あるまい。オレの回った階とは別段に、同じ茶色の戸が両端に無数と立ち並んでおり、長く彼方へと続く赤いカーペットが敷かれた廊下には、他の階とは異なって予想以上の人だかりが出来ていたのだから。
あまりの光景に一歩後ずさるオレ。
しかし、人だかりと言っても、老若男女全てがいるわけではない。この階だからかは知らないが、周りを見渡しても歳のいった人を見かけることができないのだ。
「なあ、ここには年寄りってのはいないのか?」
気になってリウに訊く。すると、リウは人差し指を自分の桜色の鮮やかな口元に持っていき、少々考えた後に口を開いた。
「いないってわけじゃないんだけど……ほとんどのお年寄りは幸せな家庭を築いて、今頃幸せに一軒家で暮らしてるんじゃないかな?」
「ほうほう、流石年配の方だな」
感心するオレ。長年のいずれに苦しみを味わった者でも、未だ幸せを諦めないという根性。情けないが、オレには理解に苦しむってものだ。しかし、それだからこそ、そういうものを理解できる者たちが凄いと思えてくる。
自分とは別の行動をとる人を、たまに尊敬する人物と思ってしまうのはオレだけだろうか? そんなことはないとだけは信じたい。
「それじゃあ、ライの部屋を案内したいんだけど……いい?」
人だかりに恐怖心を抱いているオレを悩ましげな顔で見るリウ。少々の後に気づいたオレは、慌てて平凡そうな顔に戻し、「あ、ああ、よろしく頼む」と動揺した声で答えた。
「うん、じゃあ、ついて来て」
人だかり……今はもう数人程しか部屋から出ていないが、カーペットの真ん中を通り過ぎていくリウの後ろについて行く。オレは他人と目を合わせないように――知らない奴を見ると、不思議と睨みつけたような目つきになるから――俯いたりリウの後ろ髪を見続けたりしながら一直線の廊下を歩いた。
運が良いのか、他人に何も言われることなく無事に目的地まで到着したオレは、リウが指差す戸を見つめる。三○八号室。どうやら一部屋ごとに数字が付けられているらしい。
オレは、一瞬困った顔になりながらも、部屋の戸を指差すリウに声をかける。
「これからオレはここに住めばいいのか?」
「そうなんだけど……嫌なところでもあったの?」
首を傾げるリウ。そんなリウを見ながらもオレは怪訝な顔をしていた。これは本当に仕方がないのだ。だってこの三○八号室、アイツが死ぬ前に使っていた個室と同じ番号なんだ。そんな所、オレが容易に使えるわけがない。
若干わざとかと思いリウを睨んだが、即座にそれはないなと分かり目を逸らした。わからないのが当たり前だ。アイツの死がオレ、クローンの仕業であることはとっくの昔にテレビに出た母親によって明かされているが、アイツの死んだ病室については一言も発言していないのだ。だから、病室の番号を知る者はアイツの両親とオレ、そして医者関係の人だけなのだ。
という事は、気まぐれか……それとも運命なのかもしれないな。
オレは、自分の罪を認めるように心の中で謝罪しながら、リウが開ける三○八号室の戸の中へと入った。
部屋の中は、旅館のような場所ではなく、至ってシンプルな場所だった。壁は白色、床は木材を使用したらしく茶色。すぐ右真横には大きな窓が花柄のカーテンに身を隠している。オレの左斜め奥に横になった、白のシーツを被った木製のベッド。別の寝室か何かは知らないが、遠く離れた正面に位置する茶色の戸を挟んで、右側にある勉強机。その上には、何やら資材やノートパソコン、白の固定電話などが置いてあった。その他にはオレの左真横に位置する白のクローゼットだけである。
しかし、公園暮らしをしていたオレにとって、この部屋は広すぎる。オレは部屋を一周り眺めながら、口をポカンと広げていた。
「どう……? 気に入った?」
横に並んでいたリウが、上目遣いで控えめな口調の状態で放ってくるので、いくらのオレでも動じずにはいられなかった。
「ああ、いいところだ。少なくともオレの過ごしていた公園の滑り台より大きく、何よりも暖かい」
前方へ行き、ベッドに横にながら言うオレ。柔らかい、今までにない感触。いつも硬い場所で寝ていたせいか、ベッドに横になった瞬間、体の疲れが一気に放出して、だんだん眠気が襲ってきた。
「悪いリウ、いま何時だ?」
体を起こして訊くオレ。
「そうね……午後の二時十一分ね」
ポケットからスマートフォンを取り出して、正確な時間を口にするリウ。
なるほど、オレが起きた頃には大体昼近かったんだな。リウが朝とかなんやら言ってたせいか、まだ九時頃だと思っていたよ。
「しばらく昼寝していいか? 疲れて眠くなってきた」
ベッドに全身を載せ、豪快に布団を被る。温かい布団の温もり。
そっと顔を出してリウの方を見ると、優しそうに微かな笑みを浮かべながら、オレと目線が合うと、そっと口を開けて言った。
「うん、じゃあ夕食前にまだ寝てたら起こすね」
「ああ、頼む」
そう言って、リウは一つお辞儀をして部屋をあとにした。
なんだろうか……この気持ち……。
オレは、昼だが電気もはたまたカーテンも閉まって暗くなっている部屋の天井を眺めながら思った。これで上手くいったのだろうか? 本当にオレがこんなところへ来て良かったのだろうか? これは夢で、今眠りについたら現実のあの場所に戻ってくるのではないだろうか? 頭の中にいくつもの恐怖を抱え込むオレ。しかし、心の隅でリウの微笑む姿が頭の中にアップで出てきたと思ったら、そんな恐怖、一瞬で消え去ってしまっていた。
ああ、今日は初めて心地よく眠れるな。
最後にそう心の中で呟き、オレは深い眠りに付いた。




