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∞17銭湯17∞

「ほう、ここが銭湯か」


 エレベーターを降りてから五十メートル程右手側に歩いたところに、『男』『女』と書かれた青と赤の垂れ幕が目に映り、オレは見上げるように眺めていた。


 なんつーか……あれだ。まるでというかまるっきりの温泉旅館だ。左側に男湯、右側に女湯とがあり、今まで旅館なんて入ったことのないオレにとって、まるで夢でも見ているような感覚に襲われていた。


「えーと……ここに入ればいいんだよな?」


 銭湯にどうやって入ればいいかわからないオレにとって、この垂れ幕のどこに入っていいかわからないので、とりあえず赤色の『女』と書かれた垂れ幕を指差す。


「……わざとじゃないなら嬉しいけど、ライは私と入りたいの?」


 表情のない顔で頭の上に疑問府を浮かべるリウ。その行動を見て咄嗟にオレは顔を両手で隠した。


 『女』ってそういうことか! いくらクローンのオレでも、男として生まれてきた以上『男』と書かれた場所に行かなければならないのに、なに真面目に女湯差して聞いてんだよ! オレはただの変態じゃねぇか!


 そう思いながら、オレは間違えることなく男湯の戸を開けようとする。


「あ、そうだ、ライ」


「?」


 戸を掴んだまま手を止める。


「銭湯に、ライ専用の浴衣が置いてあると思うから、患者さんの服と取り替えてきてね?」


 優しい声でそう言われた途端、不意に自分の格好に目がいってしまう。患者の服装というのは、この入院患者の着るもののことだろう。言われなくたってわかっている。流石にこれで外を出歩いたりするのは嫌なんでな。


「分かった。リウは入んねぇのか?」


 オレだけ銭湯に入るなんてなんだか気が落ち着かない。どうせなら隣でリウも入ればいいのだが――


「ライが入っている間、私も入るつもりだよ?」


 入るようだ。ならオレも気軽に入ることができる。今日は久しぶりの風呂だし、気長に入っているとしよう。


「んじゃ、また風呂上がりに」


 オレは、リウに手を振りながら男湯の中に入っていく。松葉杖は脇に挟むので精一杯だ。


 お嬢様のくせに、どうしてそこまでオレに優しくしてくれるのかね? あくまでもオレは自分の本体を見捨てたクローンなんだ。ここまで優しくされると、どうにも不安の種が募ってくる。なにか策があるんじゃないだろうか? これはもしや父親の仕組んだ罠なんじゃないだろうか? と、実は頭の中ではこればかりを考えている。


「まあ、今はそれより風呂だ。悪いことはしばらく忘れよう」


 そう思い、オレは今いる脱衣所を見渡す。十六畳の畳が敷かれた床に、両端計六畳分を占めている鍵付きの純白なロッカー。オレは銭湯から一番近いロッカーに自分の脱いだ……とと、ロッカーではなく近くにある(洗濯物入れ)というピンクの大きなかごに入れ込む。自身ではなく、ここに入れるだけで洗濯をしてくれるなんて、この施設は充実してるな。裸になったオレは、ロッカーの中にあらかじめ用意されていたのか、中に入ってある白いタオルを手に、松葉杖を片方だけ持って銭湯の戸を開けた。


「…………ごぉ……」


 銭湯の中を見て、オレは瞬時に目を見開いて驚いた。


 岩の階段の上に位置するサウナ。透明なガラス越しに見える、葉の実っていない木々。目の前に広がる弧を描いた大きな湯船。その他にも沢山の効能の効いた小規模の湯船が存在するが、それを見るより、オレはもっとすごいものに驚かされていた。


 弧を描く湯船の中心だ。そこには、とんでもなくお湯をくじらのように噴出している大きな噴水があるのだ。


「やべぇぜ……ここまで凄いとはな……」


 真下に用意されている風呂桶を掴み取り、弧を描いている浴槽のお湯をすくって体にかける。


 暖かい、今までにないような気持ちよさに包まれる。今までの体の力が抜けていくような、おっとりとしたお湯。痛い足に普通の包帯を巻かれていなくて良かった。これなら無造作に濡らしてはいけない場所もなく、普通に風呂に入ることができる。


 三回ほど体を流したあと、オレは松葉杖を隣に傾けつつ、両手を使って弧の浴槽に入る。思い切り入ってみたいが、それは足の都合上できるものではなかった。しかし、なんと言おうか……? 入った途端、体に温もりを感じ、幸せな感覚に陥られる。


 これが風呂ってものなのか? こんなに風呂は気持ちいいのか?


 タオルを頭に掛け、足を伸ばしてもオレの鎖骨まで届く風呂を片足で噴水の方まで近づく。風呂場なら重力も危うく松葉杖なんて必要ない。


 噴水の目の前まで来ると、そこはもう噴射されるお湯に頭から被る仕組みになっており、一粒一粒がオレに刺激を与えていて、なんとも言い難い。


「やばいな、これ」


 頭を打たれながらも目を開けるオレ。すると、目の前には液晶、縦横三対四の画面があったので、それを覗き見る。真っ黒な、何も映し出されていない画面。その左隣にある丸く赤く点滅したスイッチを見て、オレは欲望のままなんの躊躇いもなく押した。



 ポチッ――



 すると、先程まで真っ暗だった画面に明かりが付き、画面にはどこのかは知らないが、いい湯気のでた温泉が映し出されていた。


「なんだ? 温泉に入りながら温泉のテレビでも見ろっていうのか?」


 それはなんというか……おかしくないか?


 そう思った瞬間――


『どう? 銭湯は快適?』


 画面上から突如聞こえてきた声に飛び上がるオレ。足の痛みに耐えながら辺りを見回していると――


『? 声の発生源がわからないみたいだね。ここ、画面の音声』


 そう言った声には、どことなく今日ずっと聴いているような声に似ていて、オレは画面に向かって叫んだ。


「あ~と……もしかしてその声はリウか?」


『他に誰がいるの? 生憎今は男女とも私の貸切りにしてあるから、誰も中には来ないんだよ?』


「ほうほう」


 主の権限ってやつか? 流石にそれなら仕方ないと思うが、それだと主って恐ろしいな!? 今更ながらに主への恐怖心が湧いてきた。


 それにしても、画面から会話ができるのか。相変わらず映し出されている光景は湯気の出ている銭湯なのだが、この機能は凄い。充実している。


「ところで、急にどうしたんだ? オレに何か用とかあるのか?」


 少し足を曲げて風呂に肩まで浸かるオレ。


『ううん、……ライはここ気に入った?』


 なんの脈絡もなく聞いてきたな。気に入ったと言われたらもちろん――


「そうだな、まだあまり回ってないからなんとも言えんが、とりあえず気に入った」


 あの公園の滑り台以外にオレの気にいる場所ができたのは初めてだ。これ以上の気に入る場所がないってくらいやばく気に入ってしまった。


『そっか。少しでも気に入ってくれたなら嬉しい。じゃあ、また後でね』


 ピ――ッ


 その言葉を最後に、画面とともに音声までもが消えた。


 結局何が言いたかったんだ?


 そう思いながら、噴水にあたっていたオレは、身を翻して松葉杖が倒れているところに戻り、腕力に任せて体を風呂場から突き出した。


 体を洗うのも大事だ。しばらく洗っていなかったオレにとって、今の風呂はとてつもなく快楽を得られている。このままずっと入っていたいという欲望もあるが、それではいずれのぼせてしまいそうなので、体を洗うことにしたんだ。


 なんとか松葉杖を拾い上げ、端に位置するシャワー場へと歩く。途中風呂場をキョロキョロしたものの、沢山の施設があって逆に何がなんだかわからなかった。


「さてと、綺麗さっぱり洗ってリウにご対面でもしましょうかね」


 白く丸めの風呂椅子に座り、松葉杖を隣に置いてシャワーを出す。その後シャンプーに手を出し、今まで洗わなかったぶん豪快に頭につける。


 あ、ここで誰もが知ってそうだが意外に知らない豆知識だ。頭を洗うのと体を洗うの。どちらを先にやればいいの? と迷っている奴が大抵いるのだが、頭からやったほうがいいんだ。理由は簡単。頭を洗うと、頭についていた汚物が流れる。現在オレの頭からも普通とは桁違いなほどの汚物が流れ込んでいる。すると、流れ出た汚物の大抵は下に流れていくものの、少数の汚物はほら、オレの背中やそこらに張り付き始めるんだ。まあ、当然だな。だが、ここでオレが体を先に洗っていたとしよう。すると、きれいに洗ったばかりの体に再びのごとく頭から出た汚物が付き始めるんだ。それは流石のオレでも困るってもんだ。先程から汚物とばかり言っていると思うが、結論を言うならば、風呂は頭から洗うべき! ということだ。


 頭を洗い終え、体も洗い終わったオレは松葉杖を持って風呂場をあとにする。


 今日はスッキリした。まるで泥沼から解放されたような、そんな気分を今は味わっている。


「車に跳ねられたことに……感謝しなくちゃな」


 その点に置いては足の痛みなんてただの犠牲に過ぎない。


 風呂場を出たオレは、脱衣所に姿を現した。相変わらずもぬけのからに安堵の息を吐くオレ。リウが独占中だといえども、誰かいそうでビクビクするものだ。早くこの街に慣れて幸せ……でも……築き…………


 いや、幸せのことは考えないでおこう。どうしても幸せを思うとアイツを思い出してしまう。


 オレは左右に首を振りながら、犬のように水しぶきを飛ばす。


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