∞12お嬢様、梨玖珠リウ12∞
口調はどこぞの生意気な学生のようだが、オレの表情は相変わらず曇っている。今まで辛い経験をしてきたからな。笑い方も、もしかしたら優しさも忘れているのかもしれない。
オレが執事に向かって問うと、執事は「ああ」と小さく声を上げたあと、少女の隣まで歩いて紹介し始めた。
「ええ、お嬢様の名は、梨玖珠リウ。この島の主であり、ともに島の住人に救いの手を差し伸べた若き天使でございます」
梨玖珠リウ……この島の主で、住人に手を差し伸べた人物だ? 執事の言動に多少の困惑があると見えるが、それはつまり――
「……コイツが、この断行の島をコントロールする奴だってのか!?」
半ば半信半疑に少女を指差す。が、それはお構いなしにと執事は率直に「はい」と言って肯定した。
馬鹿な……オレは表情を曇らせたまま脱力する。断行の島とは、聞いてのとおり幸福の者の立ち入りの隠滅。つまりこの島には以前からずっと幸せな生活をしていた者がいないということだ。それはつまり、ここの主もそうでなくては話が務まらない。だのに、オレの目の前にいる主といったら、可愛らしい服装に、艶やかな美を基調としたピンクの髪。どこからどう見ても辛い日々を送っていたようには見えないのである。
この街の住民は、こんな奴に助けられていたのか? はっ、愚問だぜ。この様子じゃ、オレがクローンだと分かった瞬間、オレの……ではなくアイツの両親にでも電話を掛けて捕まえに来てもらうって寸法できそうだな。
オレは、執事に向けていた顔を、戸の前でオレをボーと眺めている少女に向け、鋭く睨む。なんでコイツはオレをずっと見ているんだ? 警戒か? 貶したりでもしたいのか? 自殺から一見こんなところに連れ込まれたわけだが、正直大人しく死にたい。しばらく執事の優しさに触れていたわけだが、この世界にいるのはもう嫌だ。しかし、オレはベッドから動くことができないでいた。三日前の交通事故が原因なのだろう。右足が痛い。折れているのかもしれない。
しばらくオレが少女を睨んでいると、少女は何かに気づいたのか、猫のように大きな目をさらに開けて肩を一度飛び上がらせた。
「あれ……眠ってた」
「は?」
その言動に、オレは驚きに目を見開いていた。
「おやおや、自ら入ってきたのに眠ってらっしゃったのですか。お嬢様は本当にお寝坊様ですね」
はっはっはと笑う執事は置いておいて、コイツがオレを見ていたのは、警戒や貶すためではなく、ただ寝ていたということか? わけがわからない。オレはつい、起きたばかりの少女に本音を口ずさんでしまった。
「お前はなんなんだよ! どうして自分は幸せそうなのに他人まで幸せにしようとしてんだよ!」
少女に指を差しながら、どこまでも聞こえそうな声で叫ぶ。
「わけ分かんねぇぞ! 絶望に苦しんだ人々を助けるのはいい。オレもそんな奴がいねぇかとばかり思っていた。しかし、オレの住んでいた町にそんな奴はいなかった。まあ、そうだろうな? だってオレはクローンなのだから、本体を見捨てた意気地なしのクローンなんだからな!」
もう、自分がなぜこんなにムキになって切れているのかわからない。多分、羨ましいのだろう。絶望を味わっておいて幸せを築いた人々が。悲しいのだろう。自分が犯した過ちを忘れようとする自分が。その証拠に、オレは言ってやった。先程までは優しそうに接していた執事だったが、オレが自身はクローンだと明かすと、メガネからはみ出さんばかりの目と表情を顕にして、少女より一歩後ずさった。さらに隣の少女は、小さいが微かに口を開いてポカンとしている。
そうだよ、そうだよそうだよ! オレが望んでいたのはこういう態度なんだ! 見ろよこの面白くも悲しい距離感。オレにとっては最高だ。生憎貶されることは日々の訓練で慣れている。そう思って曇った表情のまま口元を緩めようとしたのだが、不意に少女が微かに開けた口を開き直し、オレに予想外な言葉をぶつけてきた。
「人間は弱いもの。誰だって苦難もするし絶望もする。でも、それが人間。クローンも、人間に生まれてきた以上、人間」
「……」
わからなかった。クローンも、人間……。弱いから、苦難もするし絶望もする。わからない。何を言ってるのか……なにひとつ……
「わからない……。信じられない……」
なんなんだコイツ……どうしてクローンと聞いても避けないんだ? オレの……アイツの母親は数年前にニュースで顔を出し、一躍騒動を起こしたはずだ。その時、オレは意気地なしに加えて凶悪な存在として世間に顔を知られ、会う人は逃げ、警察を呼んだりと、オレの人生を苦しめ続けた。そんな存在のオレに、なんで驚きもしないんだよ!
「オレは最悪な存在! 幸せになんてなってはならない存在。何もしていないのに人はオレを見て恐怖に陥り、絶望する。そんなオレが生きていける場所なんてどこにもない! オレは、この世界にいちゃいけないんだ! だから……だからオレを――」
――殺してくれ。
その言葉が、咄嗟に蒸気のように口の中から消え去った。オレの胸元から背へと、少女が腕を絡めて抱きついてきたからだ。暖かい、しかし小さな手に、髪から漂う石鹸の香りが鼻をくすぐる。
なんだろう……初めて? いや、久しぶりの感覚だ。人にこんな形で抱きつかれるのは……。アイツの代わりに育てられていた頃以前だ。人と接触するのは……。
何故か、ふと気がつくと、オレの両目からは涙が下に伝っていた。微かだが、確かにオレは泣いているんだ。嬉しいのだろうか? 自分の感情までわからなくなっていた。そんなオレを執事がメガネを上下に動かしながら見て、にこやかに笑う。そして、最後といった感じに、少女がオレへと口を開いた。
「いいんだよ。君も生きてていいの。クローンだからって、意気地なしだからって関係ない。死んでいい人なんてこの世にはいないの」
その言葉を聞いて、オレは歯を食い縛る。溢れそうな涙を必死に抑える。が、それは不可能だった。今まで溜め込んだ嫌悪、憎悪が解き放たれたように、涙と一緒に儚く流れ出していった。オレは、自分のクシャクシャになった顔を見られまいと、少女の肩に顔を隠す。いいんだよな、オレ、まだ生きていて。いいんだよな、幸せになっても。許してくれとは言わないけど、オレはお前の分も幸せに生きてみせるよ。
オレは、心の中でアイツに誓いながら、しばらく少女の肩の中で泣いた。