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∞1彼は助からない1∞

 日本列島、その数十キロメートル先に離れた東側に位置する太平洋に、ごく僅かな者にしか知られていない、建物と緑が盛んな小さな島が存在していた。丸い、それこそ円周率そっくりの形に、波によって端の地面を濡らされた巨岩。季節の変貌は浅はかで、年の八割は暖かな夏で覆われている。人口は島の大きさにちなんで僅かな人数。千人を突破しているかもあやふやだ。そんな島、人種などこれっぽっちも関係なく、島に位置する管理者が日本人であることから日本語を基準とされている。そのためか、この島には日本語を話す異人も多々だという。


 流れる水の音に耳を傾けたくなる程の癒し感があり、どこからでも見える島の中央に位置する大きなレンガ色の塔。その塔の周りには白を基調にした人々の暮らす街があり、その街のことを住人たちは海に囲まれていることから、海街うみまちと呼んでいる。さらにこの海街を包む島のことを、断行の島――幸せに、生きとし生きるものの横断の隠滅――と称している。


 街の中央に位置するレンガ色の大きな塔を囲むように造られた数々の立派な家は、一つ一つの形が偏見を保っており、見ていて飽きないくらいのアンバランス。街路はゴミもなく、いつも綺麗で自然の香りが鼻を透き通る。皆が懸命に助け合い、心を通わせて生き長らえるこの島の住人。実はこの島には島の名の通り、元から裕福な者は存在せず、絶望感溢れる人生を歩んできた者たちだけが移り住んでいる島なのである。


 そしてここに、新たな者が住み着こうとしていた。



 白く長い絹が爽やかな風になびく。絹の綿は日光を遮り暖かな光を邪魔し、光の光景までも明らかに遮っている。仕方なく目のやり場を上方に変える。一面には白、しかし名残のありそうな物騒さをかもし出している天井が目にいっていた。何もない、ただ影の色彩しかわからない白い天井。何もないので上方から俯くように視線を下方に向けると、そこも白に包まれた暖かな布にシーツを被せた布団。さらに下には鉄脚の付いた純白でありシワが目立つベッドが置かれていた。


 僕は今、ベッドの上で正座をしている。しかし、ベッドといってもただのベッドではない。自室のベッドというものではなく、僕が座っているのは公共の物。つまり、どの世界にも存在するような病院のベッドだ。三○八号室の一人部屋。僕は数年前からここを自分の拠点としていた。別に好意を持って拠点としていたわけではない。自然とここが僕の拠点となってしまったのだ。


 僕には、元気な同い年の子たちとは違って重い病気がある。小さい頃から僕の体を医師が怪しんでいたという『心臓病』だ。それが数年に渡って放置されていたせいか、過労のようにまだ若いはずの心臓が泥塗れの如く汚れていた。命が危ないということだ。


 数年前、僕に掛けられた医師の言葉は安心を漂わせてくれるものではなく詰問だった。



 ――君の寿命は、短くて三年。長くて六年が限界でしょう――



 子供の僕に優しく、しかし悲しみの震えた声色を出しながら言われ、僕の頭は真っ白になった。子供の僕にも理解はできた。自分の置かされている現状を一発で把握できた。しかし、同時に信じられないという疑惑の念も応じた。それは仕方のないことだろう。生まれてまだ九年。小学四年生が率直に理解できるはずもない。だが、現状を変えることはできない。僕は医師の元、両親の承諾の元、家を離れ病院の一室、三○八号室へと移り住むこととなったのだ。


 まだ若くて低脳の僕には、初めは早く終わるものだとばかり思っていた。しかし、それは勘違いだった。検査の繰り返しの毎日が続き、家に帰る日もなくいつの間にか二年の歳月が過ぎていた。結局心臓の移植は執り行われず、ただ心臓の破損への道が広まるばかりだった。そこへ、無責任とも思わせる表情で病室に入ってきた医師は、隣で僕の相手をしている母親にこっそりだが、僕にも聞こえるような声で言ってきた。


「残念ながら、お子さんの心臓はもう限界なのかもしれません。あれから数年という月日が経ちました。結果的にドナーも見当たらず、治すべき心臓の位置も曖昧で……手術も危険な状態なんです……」


「そ……そんな……」


 医師の言葉に僕の顔を見ながら目を見開く母親。それを見て僕は怪訝な顔をする。


 心臓が弱まっているのはこの身をもって理解できている。手術をできないことも医師の態度でなんとなく予想はついていた。僕が不快に思ったのは、どうしてそれを患者の前でコソコソと、あるいはわざと聞こえるように言ったのかだ。心臓の病に苦しんでいる患者に向かって、さらに心を痛めることを言うのは暴言に等しいのではないだろうか?


 と、一瞬そんなことを思ったのだが、母親の方に顔を向けている医師は急に腕を胸板の前で組み始め、今度は先程よりもより大きな声で提案というものを出してきた。


「そこでです。唯一彼を救える奇跡的な方法があります。それは――」


 言葉を一度区切り、右手を自分の肩上まで持っていきながら、人差し指を天井へと差して言う。


「彼の遺伝子を使ったクローンを作り上げ、そのクローンの育った健康的な心臓と、危うい彼の心臓を取り替えるのです!」


 医師の言葉に母親だけでなく僕も驚いていた。


 クローン――自身の遺伝子を使い、それと同じ遺伝子を創り出す。いわばコピーのことを言う。医師によれば、同じ生体のクローンを創り出し、彼の心臓と自身の心臓を取り替えようというのだ。当然、クローンにも育てば育つほど人間のような感情が生まれる。そんな人間のような生体を、僕の代わりに犠牲になってもらおうというのだ。心臓だけでなく、心も弱い僕にはいささか不本意な提案だった。


 だが、もちろんのこと僕は意見を言うことができなかった。理由は他に助かる方法がなかったから。母親の激しい同意に間髪され、カーテンが風で揺らぎ、光が差し込んでくるのを片目を薄ら開きながら僕は無言でその話を受け入れた。


 顔を上げて母親の顔を覗き見る。希望に溢れた、久しぶりにみる笑顔。果たして僕に対して向けられている笑顔なのか、はたまた僕自身のクローンが生まれでることに歓喜を抱いているのか、それは僕にはわからなかった。ただ一つわかることとしたら、母親は僕という、クローンでもとは検討つかないが、人材を欲しているのだろう。


 母親は医師が病室を出ていくとともに激しく喜んでいた。僕も、それを気に希望が湧いてきた。また皆と同じ学校に行くことができるのだと。勉学に勤しめるのだと。そう、思っていた。


 数日して、母親に医師からクローン造りに成功したとの報告があった。遺伝子をこの前行った注射で分け与えた僕のクローンが早くにも完成したという。クローンというものを全く知らない僕にとって、こんなにも早く造り上げられるというのは、科学の進歩は僕の想像を遥かに超えているのだ。この時はまだクローンとやらを僕に見せてくれなかったが、帰ってきた母親のにこやかな表情を見て即座に僕は推測した。


 もう僕は、助からないのだということが。


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