17.必然
いよいよ最後のターンがやってきた。
残りポイント的にも、おそらくは、このターンが最終攻防になるはずだった。
そして、追い詰められている俺に、この期に及んで秘策なんてあるはずもない。
あるのは、ただ焦りと恐怖と……。
敵の手に囚われているサヤを救ってやれなかった自分に対する悔しさだけだった。
──(第8ターン)チトセ【3】 VS チカ【48】──
最後のターンと俺が判断したのには訳があった。
それは、このターンがチカの先攻だったからだ。
ここでチカが手を抜いてくれる訳がなく……。
押されたボタンによって叩きだされた数字は「73」と、やはり高目の数字だった。
奴が選ぶだろう行動カードはいうまでもないだろうが『剣』だったのだろう。
「ふ~む。狙い通り、70は超えられたな。悪くない数字だ」
そんな狙い通りとウンウンとうなづいているチカに俺は無言で応じる。
そんな愛想のない俺の態度が余程面白かったのだろう。
チカはニヤニヤ笑って話しかけてきていた。
「これくらいの方が、弱ったネズミをいたぶって遊ぶには、案外、都合が良い数字ではないかと思ってなぁ?」
お前は、どう思う? チトセ。
そう暗に尋ねられても答えようなんてあるはずもない。
だけど……。そう嫌味ったらしく、何時も以上にニヤニヤと笑っている当社比125%以上に嫌な奴となっていたチカを相手にしながらも、俺はそこに僅かな違和感も感じていた。
──本気で殺しに来てる割には、なんで何時もみたいに90台を狙わなかったんだ?
それは微妙な違和感。
態度と言葉と行動。その三つの中に垣間見える齟齬が原因だった。
なぜ、ここで70なのか。
さっきみたいに単純にミスを犯したのか?
それとも、奴の言葉通り……。狙い通りの数字なのだろうか。
俺を、ここでなぶって遊ぶためという意図のある数字なのか?
それとも純粋に、俺を弄ぶためだけに、適当に出した数字なのか?
あるいは、何かしら理由があったのか……?
──もう状況的に自分が負けることだけは在り得ないからって、手を抜いた?
そんな考えも脳裏によぎる。
奴はとにかく相手を苦しめるという行動を好むタイプだった。
それこそ、勝負相手に精神的な重圧や心理的な負荷などを、あの手この手で散々に与えてきて、その重圧の中で苦しめながら、それによってのたうち回って苦しんでいる姿を見て、腹の底から笑いながら喜べるような……。
いわゆる、生粋のサディストというやつだ。
そんな悪趣味の極みな奴にとって、今の俺が追い詰められて苦しんでいる状況というのは、おおよそ理想的ともいえる眺めではあったのだろう。
……でも、だからといって、この状況で変に手心を加えるだろうか。
それこそ、70なんていう確実性に欠ける数字を選択するだろうか、とも思うのだ。
それとも、単純に、超えられそうで超えられないようなギリギリのラインを用意してやることで、勝負をあえて引き伸ばしにかかっているのか。
あるいは何とか無為無策な俺でも超えられそうなラインを目の前に提示してやることで、それを見て希望を捨てずに頑張る俺が最後に失敗することで、やっぱり俺じゃ勝てなかったよって心が折れる姿でも見たいとでも思っているのか?
──ありそうっちゃ、ありそうだが……。
どれもがありそうで、どれもこれもが違和感があった。
──何を狙ってやがる。
そう疑心を視線に込めて見つめてみる。
そんな視線の先ではチカがニヤニヤ笑っているだけだった。
……その顔がわずかに青白く見えるのは、中の人が表に出て来過ぎている影響だったのだろうか。あるいは……。
──いや、もしかして。……やっぱり、最後の選択肢も入ってくるのか……?
その原因までは分からなかったが、まあ、そうなってしまった理由が何にせよ、最後の最後でチカの目押しがベストな状態からベターなレベルにまで性能を低下させてしまっている可能性が、ほんのちょっとだけでも出てきているのは確かだったのだろう。
「なんだか、調子が悪そうじゃないか」
「ん? やぶからぼうに、何だね?」
そうやってごまかしにかかっている時点で、自分が本調子じゃないですって告白してるようなものだぞと、俺は内心でだけ忠告していた。
「さっきのターンで、狙い目がずれて舌打ちしたてたよな? その後は、勢い任せで押してたせいか、なんとか上手い事やれたみたいだったけど。……今も自分の狙いとはちょっとズレたんじゃないのか?」
多分、ココに来て、急に奴は調子を崩してきている。
そんな都合のいい話がある訳がない、とも思ったのだが……。
どうやら、その可能性が高い気がするんだ。
先ほど上手く目を調整出来なかった。その可能性があった……。
さっきの出来事が本気の選択の結果であるのなら、その事実は……。
これまでの一連の出来事は、一つの可能性を指し占めている事になる。
──そこにいるんだよな。……お前のやったことなんだろ。
だからこそ、俺は動くんだ。
「ゴメン。いや、ゴメンなんて言葉じゃ足りてないのは自分でも分かっているんだけど。でも、それでも言わせて欲しいんだ。……ゴメン! 今の今まで、君のやってくれている事に、気が付けなかった。ちょっと考えてみたら、きっともっと早く答えにたどり着けていたはずだったのに……。それなのに、君がせっかく作ってくれていたチャンスを生かしきれなかったことを……。俺は、それをまずは謝りたい。必死になって色々と助けてくれてたのかも知れないのに、そんな君の献身に、今の今まで気が付けてなかった。……君にここまで手助けをされてなかがら、こんな体たらくを晒してしまっていることを、本当に、心から、恥に思う」
だけど、と俺は言葉を続けながら。
俺は、行動を選ぶ。
ここで選ぶべき行動は『剣』だった。
いや、『剣』でなければならないんだ。
恐らくは、これが最後のチャンスなんだ。
「……チカ。もう少しなんだ。もうちょっとで、コイツに。ルキフグスに勝てるかも知れないんだ……。サヤの。俺の妹の魂を、この手に取り返せるかも知れないんだ。サヤを助ける事が出来るかもしれないんだ! ……チカ。お願いだ。お願いします。チカ。俺に。俺と妹に、君の力を貸してくれ! 俺たちに、貴方の力を貸してください! お願いします!」
何の役にも立たない神様になんて祈ったりするものか。
ここで祈るべきは、チカ様だけだった。
それに、おれには確信があったんだ。
チカは、きっと怒ってるはずなんだ。
こんな奴に負けたことを、悔しがってるはずなんだ。
チャンスがあったなら、やり返してやりたいって。そう、思ってるはずなんだ。
「チカ! 君だって、こんな奴に負けっぱなしなんて悔しいだろう!? 俺と一緒に、こいつに一泡吹かせてやりたくないのか!? チカ! チカ!! 聞こえてるんだろ!!」
そんな俺の叫び声に、チカは顔を歪めて答えていた。
「ええい鬱陶しいぞ、チトセ! 早く押せ!」
これ以上の引き伸ばしは妨害行為と見なして自動的に負けとする。
そう宣告と警告を同時に食らった俺は、大人しく奴の言う事に従う事しか出来なかった。
その結果、出た数字は……。
「61か」
なんでこんな場面で、こんなギリギリの数字が、と。我ながら呆れてしまった。
結果を見れみれば、この場面では、俺の数字は明らかに不足を見せていた。
こっちが出した数字は61、チカが出した73には当然のように及ばなかったのだ。
剣同士でも当然、負け。
盾でも押し切られて負け。
「……終わってしまったなぁ、チトセ」
いうまでないだろうが、お前の負けだ。
そう、奴の目が愉悦に染まっていった。
言いたいんだろう?
最後のセリフを。
勝利宣言をしたいんだろう?
これでお前も俺の物だって。
「わかってるさ」
そう、分かってる。
きっと、ここで『何か』が起こる。
俺は、それを分かっていたんだと思う。
もしかすると、ずっと、さっきから、それを感じ取っていたのかもしれない。
「決着だ」
ポン、と。
最後に押された赤ボタンでひっくり返って。
互いに、表示されるカードは。
俺は「剣」。
チカは……。
「……つ、え……?」
そんな言葉と共に、奴の顔にピシリと音と共に、大きなヒビが入っていた。
「……な、なんだ、これわぁあぁぁぁ!?」
その叫び声に、俺はついに奇跡が起きてくれたのだと理解していた。
「なんで『剣』じゃないのかって? そんなの決まってるだろ!」
そう。奴が、何故『杖』なんていう行動を選んでしまったのか。それは……。
「お前が、ボタンを、選び損ねたんだよ!」
そう、奴は、きっと、ボタンを押し間違えたんだ。
最後の最後に……。操作間違えという痛恨のミスを犯してしまった。
絶対に、普段なら選び損ねるはずのないような、至極、簡単な動作に失敗したんだ。
一番、肝心な時に何らかの意思の介入によって。
きっと、体の操作にわずかな綻びが生じてしまって……。
「ルキフグス。お前は人間を。人の想いを舐めすぎた!」
そんな俺の宣言と同時にダメージ計算が走る。
俺の与えたダメージは、61の倍ダメージとなる。
122ダメージに対して。奴の杖による回復が73。
結果、49ダメージ。ぎりぎりだったけど、俺の……。
「いや、俺だけじゃない……。俺達の。俺達とチカの。三人の勝利だ!」
──勝者:チトセ。
その表示が画面にされた瞬間に、奴の全身にヒビ割れが広がっていた。
「ウォオオォォォオオオォォォ!」
咆哮を上げるルキフグス。
その体の穴という穴から真っ黒い煙が吹き出して行く。
目から。口から。鼻から。耳から。
そして、全身に広がったひび割れからも。
よろめき、ふらつき、けたたましい音を立てながら椅子を倒してひっくり返る。
その懐からサヤの閉じ込められた結晶がこぼれ落ちて。
黒い床でキンッと金属質な音を立てながら跳ね返ると。
ピキピキって音と共に、空中でヒビが入っていって。
次の瞬間には、木っ端微塵に砕け散るのが見えていた。
それと同時に、俺の視界は、真っ白い閃光で包まれていたのだった……。