16.希望
数ターンに渡って延々と俺の側のポイントだけが削られて続けている。
まさに圧倒的な展開。
ひどく一方的なワンサイドゲームだった。
チカが詰まらないとボヤくのも無理もなかったのだろう。
だけど……。だけど、俺は、まだ諦めたくなかった。
「諦めたくない。負けたくない。どうしても勝ちたいのに、かね?」
歌うようにして、チカが言葉を向けてくる。
「死にたくない。死にたくない。誰か助けて」
ニタリと笑いながら。
「みんなそう言いながら、泣き喚き散らしながら、死んでいくのだ」
もうすぐ俺も、そいつらの仲間入りだってか?
「……ああ。お前も、すぐに、そうしてやるとも。チトセ」
そう、なのかも知れないな。
だけど、俺は、まだ諦めない。
諦めないさ。最後の一瞬まで……。
──(第6ターン)チトセ【30】 VS チカ【48】──
このターンはチカの攻撃からだ。
俺に反撃のチャンスがあるとすれば、後攻側の時だけだったからな。
ここで凡ミスでもしてくれないかと漠然と考えて数字が選ばれるのを見ていたのだけど。
その願いが通じたりしたのか、出た数字は「71」といった物で。
それを見た時に、小さく舌打ちが聞こえていた。
いつもよりも低い数字。
80でも90でもない、70代だった。
──おそらく、失敗したんだろう。だけど、問題は、その意味だ。
果たして、単なるミスなのか。
それとも何か別の意図があってのことなのか。
残りポイントも僅かだし、わずかでも勝ちの可能性があるとしたらココだけだろう。
後攻なら、相手が数字を後出ししてくる事もないんだから……。
この場面でのみ、安心して「剣」を選択できる。
ここで一気に押し切らなければ、勝ち目はもうないと考えて良いだろう。
……だが、何故なんだろう。
何故、チカは目押しに失敗したんだろう……?
何か理由でもあったのだろうか。
それとも何か別の理由なり意図があって……?
そんな困惑気味な俺の疑念など無視するかのようにしてチカの行動カードが伏せられる。
「考えるだけ無駄だ。チトセ」
「なに?」
そんな俺にチカは無常にも告げてくる。
「多少、目押しに失敗してしまったとはいえ、こっちの数字は71なんだぞ。お前が仮に奇跡的に100の目を出せたとしても削れる数字は僅かに29だ。その意味を考えるんだな」
その言葉の意味する所は……?
「……『盾』を選んだのか」
48の数字を削りきらなければならない俺の前に立ちふさがったのは71の壁だった。
「29では48は流石に削れまい」
いや、それどころか少しでも削れるのかどうかすら不明だ……。
「順当に行けば、次のターンか、精々保ってその次くらいかな」
そんな死刑宣告を告げる声が、俺の頭をじわじわと痺れさせていっていた。
「もう詰んでいるんだよ、チトセ。ここで、お前は、死ぬんだ。もうそれは避けられん。最早、動かしようのない運命という奴だ。……諦めるんだな」
そう。もし、このターンで削りきれなかったなら。
チカの言う通り、俺の負けはほぼ確定する事になる。
次のターンで、俺の出した数字をチカは確実に超えてくるんだ。
そんな相手に守りを固めるにせよ、ある程度は高目の数字を出せない限り、ほぼ確実に次のターンでチカに削り切られてしまうだろう。
俺の残ポイントは僅かに30。
70より上を出せなければ恐らくは、死。
だけど、目押しの出来ない俺が70以上を確実に出せる可能性は、殆ど、ない。
──詰んでる……。
それを嫌でも思い知らされてしまう。
「勝負を選んだ瞬間には、すでに結末は決まっていた」
これが運命だとでも言うのか……?
相手を見る。
ニヤニヤ笑っている。
悔しいが、今の状況をひっくり返す手段など何も思い浮かばなかった。
それこそ、何か奇跡でも起きない限りは……。
──そう、たとえば……。
じっと、チカのことを見つめてみる。
そんな俺の視線に何を感じたのか、奴の笑みが深くなっていた。
「……その体は、何処で手に入れたんだ?」
沢谷 千花。
チカは、最初、俺にそう名乗った。
でも、さっきは自分の名前はルキフグスだと言っていた。
最初に名乗った名前はデタラメだったのか?
……いや、そうじゃないはずだ。
きっと、チカの本名だったはずなんだ。
じゃあ、ルキフグスとかいうのは?
そっちも何となくだけど本名のような気がする。
俺の感覚では、二人は別人だ。
だけど、今、俺の前に居るのはチカの格好はしているけど、ルキフグスだと感じている。
チカの体がルキフグスに操られてるような気がしているんだと思う。
だとすると……。
「その体は、勝負で奪いとったのか?」
俺の質問にチカは何も答えない。
「こういう時に人間の体があると色々と便利だから使っているとかじゃないのか?」
ご名答。そう言ったげに笑みが深くなる。
だけど……。だけど、その目は。
その瞳の奥にどうしても忘れられない種類の光が垣間見えた気がして。
だからこそ、俺は、そこに一縷の望みを託す事しかできなかったのかもしれない。
「……お前は、どうやって、その子から……。チカから、体を奪ったんだ?」
俺の妹の魂を奪ったようにして、その子から体を奪ったのではないのか?
そんな俺の問い掛けに、奴は嗤いながら答えていた。
「馬鹿な女だった。愛する男のために、己の全てを賭けて勝負したのだ。勝てば男と共に得られる栄華を。負ければ全てを失う。そんな愚かな勝負に挑んだのだ」
あの勝負はどんな内容だったか……。
確か、日付が変わるまでの間に、男が部屋に来れるかどうか、だったかな。
その日は、チカの誕生日だったらしい。
男は、その日に来ると事前に約束していたが、急な仕事が入ったと前日に連絡があった。
夜までには仕事が終わるだろうから、夕食は一緒に食べよう。
そう、チカに約束していたそうだ。
何の兆候もなしに、休日の前の日の夜というタイミングで入ったという急ぎの仕事。
仕事上の大きなトラブルか何かが起きていたのかも知れない。
もしかすると解決まで時間がかかる類のトラブルなのかも知れない。
今日の夜のディナーには間に合わないかも知れない……?
あるいは、ちょっとしたトラブルであって、専門の担当者ならすぐ解決出来るレベルの問題でしかなかった可能性も同じくらいにはあったのだろう。
そんな一人寂しく誕生日の夜を迎えた女の前に悪魔は現れ、その耳元でささやいたのだ。
仕事と愛を天秤にかけた男が、最終的にどちらを選ぶかを賭けないか、と。
男が、仕事を優先するか、それとも女との約束を優先するか。
それを賭けさせたのだろう。
女を。愛を選んだなら、男には栄華が。女と共に歩む限り、幸せな人生が約束される。
逆に仕事を選んだなら、女は全てを失う事になる。男も、愛も、そして自分自身さえも。
「まあ、その勝負の結果は、この通りな訳だが」
肩をすくめ見せて。
「人間の体というやつは、あったらあったらで、この通り……。色々と便利なものだ」
なかなか役に立ってくれているぞ。
青臭い若い男を騙したりする時には、特にな?
そう笑いかけてくる女の目が。その瞳の奥に宿る光が、俺の見間違いでないと。
そう、確信出来たからこそ、俺は行動することにためらわなかったんだと思う。
──あれは。あの目は。サヤと同じ目だ。
だから、俺は確信していたんだ。
「なあ、チカ。……お前、まだ、そこに居るんだろ?」
俺は、自分を見て嗤っている女に。
その女の中にいるチカに。その魂に話しかけていた。
「チカ! サワタニ チカ! お前、まだ、そこに居るんじゃないのか!?」
それは単なる予感。そうなんじゃないかっていう願望だったのかもしれない。
あるいは、追い詰められた俺の見た幻でもあったのかもしれない。
だけど、この時、間違いなく、それが正しいって確信を得ていたんだ。
「……無駄だ、チトセ。この体は、すでに私のモノだ」
そうなのかもしれない。
チカは体を賭けて勝負したんだもんな。
体の所有権は、きっと奴のものだろうし、取り返すのは無理なのかもしれない。
だけど、その中の魂までは、きっと奪われていない。そう、感じたんだ。
だから、奴の言葉を無視しながら、俺は必死に話しかけていた。
「まだ、そこに居るんなら……。頼むから、助けてくれよ。チカ。俺に……。妹の魂を取り戻すために、ほんの少しだけで良いから……。俺に……。俺たち兄妹に、少しだけで良いから、お前の力を貸してくれよ!」
頼むよ。
コイツは強すぎて俺の手には負えないんだよ……。
お前の助けが、どうしても居るんだよ……。
ほんの少しだけで良いんだ。
ちょっとだけでも良いから俺に……。
妹のサヤのために、力を貸してくれよ。
「……気は済んだかね?」
そんな俺の必死の問いかけに、僅かにチカの瞳が潤んでいた気がする。
だけど、得られた反応は、僅かに、それだけだった。
「済んだなら、今度は君の番だ。さっさと数字を選びたまえ」
流石に、コレ以上の無意味な引き伸ばしは許容出来ない。
そう宣言されてしまった俺だったが、実のところ、既に万策尽きてしまっていた。
そんな状態の今の俺に出来る事など、精々、役立たずの神様とやらに祈ってボタンを押してみることだけだったのかもしれない。
「神様、仏様、イエス様! 誰でも良いから助けてくれ!」
やぶれかぶれな気持ちでボタンを押して、出た数字は「48」だった。
神様ども、やる気がないにも程がありすぎるだろ。
これなら、まだチカ様とでも祈っておいたほうがご利益があったのかもしれない。
そんな低すぎる攻撃力による攻撃は、当然のように盾によって完全に防がれる。
ダメージは0。奴のポイントは、未だに減っていない。
「ダメダメだなァ、チトセェ」
クックックックッて含み笑いを浮かべながら、チカが。奴がチカの顔を寄せてくる。
「お前、死んだぞ」
ニチャリと、嫌らしい笑みを浮かべた顔で口にされた言葉を聞いた時。
ゾクゾクッと背筋を冷たい氷が滑り降りていった気がしていた。
──(第7ターン)チトセ【30】 VS チカ【48】──
このターンは俺の番からなのだから、前のターンの不調を引きずる訳にはいかない。
残ポイントから考えて、ここでは70以上を出せなければ、ほぼ自動的に死が確定する。
そんな状況下で、俺が出した数字は「65」。
畜生! なんで!
……だけど、まあ、これならこれで、それほど悪くもなかった。
だが、相当に、際どいのは確かだった。
相手はもうこっちを殺しに来ているのが見え見えなので、ここは剣以外にはありえない。
よって、ここで『盾』を選ぶのは必須だった。
というか、この状況下において、他の選択肢など在り得なかった。
「おやおや~? そんな低い数字で良いのかね?」
フフフッと笑うチカが、これほど怖く見えたのは初めてだった。
「もっとやる気をださないと……。でないと、あっという間に、私に殺されるぞ!」
続いてチカのターン。
問答無用で行動を選ぶ。
おそらくは「剣」だろう。
変な確信みたいな物もあった。
目押しが出来る相手が、この場面でためらいを感じる必要なんてなかったからだ。
続いて、勢い良く腕を振り下ろして赤ボタンを『バシン!』と派手に音を立てて押す。
出た数字は目を疑うような高目で「92」だった。
「ふん、殺し損ねたか」
結果、残りポイントは一気に一桁、3にまで追いやられてしまっていた。
即死しないで済んだと安堵すべきなのか、それとも生き延びた事を感謝すべきだったのか。
「悪運だけは相変わらずのようだな」
ホントに、我ながら、そう思う。
だけど、それもそろそろ打ち止めのようだ。
最後のお楽しみは次のターンでという訳か。
「ほんの少しの時間だけ、命拾いしたな。チトセ」
そういって嘲笑っているチカに、俺はもう何も言い返す事ができない。
そんな気力が残っていなかったのだ。